39 紹介するよ
「紹介するよ、ニーナ。 妹のユリアナだよ」
言葉の意味がわからなくて、反射的に周りを確認する。
「ほら、ユリアナ。 お前の義姉さんになるニーナだよ。 ご挨拶しなさい」
穏やかに微笑んで。
ジルさんは、後ろに向かって話しかけているように見える。
でも。
そこに人なんていない。
そこにあるのは、淡い紫色の花を無数に咲かせた、一本の木だけ。
高さは人の背丈ほど。
不思議なことに、風もないのに細い枝と葉が揺れている。
「……妹は、少し恥ずかしがり屋なんだ。 ごめんね、ニーナ?」
あれは……樹木…ではないのですか?
あの木を、妹さんのようにかわいがっている、ということでしょうか?
ジルさんの真意がわからなくて、混乱する。
「……お前、頭大丈夫か?」
言葉は悪いけれど、レオと同じ気持ちだった。
その時。
ふわりと、甘い香りが鼻先を掠めた。
嗅ぎなれてしまったその香りと、揺れる美しい花には。
………覚えがあった。
「……それは、フィオレナ?」
「うん、そうだよ。 今日も美しい花を咲かせて偉いね、ユリアナ」
答えるように、細い枝が震えたような気がした。
植物は、話しかけるとよく育つと聞いたことがあります。
それ、でしょうか?
ジルさんの後ろに立つ、美しい樹木に視線を向ける。
文献などに、極稀に出てくるフィオレナ。
全ての部分が、非常にいい素材となる。
魔工学。
医学。
薬学。
フィオレナを求める声は多い。
けれど需要が多い反面、市場にはほとんど出回らず、その生態についても謎が多かった。
そのフィオレナが…。
ジルさんが栽培方法を確立した、ということでしょうか?
けれど、フィオレナを見るジルさんの目。
あれは……。
「甘えん坊な子でね。 わたしによく懐いてくれていたよ」
「何いってんだ、あいつ?」と訝しげに眉を寄せるレオをよそに。
いいようのない恐怖心に、わたしの心拍数は徐々に上がってくる。
「当時、わたしはそんな妹を『大事』にするあまり、とんでもない過ちを犯してしまうところだったんだ」
昔の出来事を思い出しているのか。
ジルさんは辛そうに目を伏せた。
ドロシーちゃんが慰めるように、足に額をこすりつけている。
「ありがとう。 優しいね、ドロシーさんは」と。
ジルさんは、ドロシーさんの頭を撫でた後。
わたしに向き直った。
まっすぐにわたしに向かってくる視線。
ジルさんには、あれほどの怒りを感じていたのに。
それよりも今は、その存在が無性に恐ろしいと思った。
カサカサ。
また、風もないのに葉が揺れる音がする。
「ニーナ、あなたが教えてくれた。 神に与えられた、ユリアナの真の使命を、ね」
「…なにを…一体なにを言っているのですか?」
「ユリアナがその身に咲かせる花。 葉、茎、樹液に至るまで。 全てが最高の素材になる。 そうだろう?」
「そ…れは、フィオレナの話、で…」
無意識に出た反論の言葉が、途中で止まって。
一秒、二秒。
カサカサと、風もないのに揺れる枝。
その枝が、どこか人の腕のようにも見えた。
「………え?」
思わず、左足が後ろに下がった。
ドクドクと、心臓が早打ちを繰り返して、冷たい汗が背中を幾筋も伝い落ちていく。
フィオレナは、どこをとっても最高級の素材になります、と。
初めてジルさんに会った時、そう話した記憶がある。
でも、それはフィオレナという樹木の話で。
【紹介するよ、ニーナ。 妹のユリアナだよ】
「……ま、さか」
そんなわけない。
そう思うのに。
引きこもっている間に読んだ膨大な本。
その中にそれらしい記述があった。
人が樹木へと変貌する恐ろしい病。
名前は確か。
「……木魂病?」
小さな呟きはそれでもジルさんに届いたらしく。
ジルさんはまた悲しげに眉を下げた。
「…世間ではそう呼ばれているね。 でも、『病気』じゃない。 あれはね、人がさらなる高みへと変わる『過程』だよ」
カサ。
またフィオレナが揺れた。
無数に咲く美しい紫色の花。
よくよく見てみれば、その花の下に人の顔らしきものが見えて。
酷い吐き気に襲われた。
「ニーナ、大丈夫か」
「…だい、じょうぶです」
ググッと喉が鳴る。
唇を引き結び、なんとか吐き気を抑え込んで、わたしは顔を上げた。
いつもと変わらず、穏やかに微笑むジルさん。
その後ろにあるのは。
違う。
その後ろにいるのは、闘病の末、樹木に変わってしまったユリアナさん。
おそらく、そういう事、なのだろう。
「……どうして、大事な妹さん、なんですよね?」
「そうだよ?」
迷いもなく肯定の言葉が返ってくるのに。
なのに。
「……どうしてその体を、素材、だなんて…」
「え? どうしてって? だってユリアナはそのために生まれ変わったんだよ?」
その言葉にも行動にも、普通の家族愛、らしきものは見当たらない。
ユリアナさんは、生まれ変わった。
最高の素材になるために。
その一言で、一気に頭に血が昇った。
「違います! ユリアナさんは、素材になるために生まれ変わったんじゃありません!」
「え? でもあなただって、ユリアナから取った素材を前にして嬉しそうに目を輝かせていたじゃないか」
「……そ、れは…」
「ねえ、ニーナ? 花や葉の用途はあなたも知っているだろうけど。 ユリアナは時々ね、樹液も流すんだ。 放っておけば固まるから、保存もできる。 火力をあげる時なんかには、とても便利なんだよ?」
「……やめてください…」
「機嫌がいいと、葉を揺らして挨拶もしてくれるんだ。 ああ、今日はとても機嫌がいいみたいだね。 ね、かわいいだろう?」
「ユリアナさんは人です。 素材ではありません!」
「何を拗ねているんだい、ニーナ? ああ、妹との距離が近すぎて、嫉妬しているのかな? 大丈夫だよ。わたしはね、あなたと出会えた事を、運命だと思っているんだよ」
「……いーや、残念ながら、お前とニーナの出会いは運命じゃねぇな」
「わたしと同じ着眼点。 わたしと同じ思考。 わたしと同じ天才性。 これほどよく似た人間は、他にいないよ」
ドクっと、また心臓が嫌な音を立てた。
似ている?
わたしがジルさんと?
「似ていません!」と。
否定する言葉が、また喉奥でひっかかって出てこない。
違う。
そう思いたいのに。
同じ部分が沢山ある。
あれほど短期間でジルさんが作った術式を理解できたのも。
最初にユリアナさんをみて、フィオレナだ、と。
全ての部分がいい素材になる、と。
そう思ってしまったのも。
きっとわたしは根本的なところが、ジルさんと似ているから。
そう、思った。
けれど。
「馬鹿か、お前! どこが似てんだよ、むしろ真逆だろうが!」
ジルさんの視線から隠すように、わたしの前に立ちふさがる広い背中。
「…レ、オ…」
「お前は一体ニーナのどこを見てたんだよ。 ニーナとお前は全然似てねぇ」
「……というか、君は誰かな?」
「今そこはどうでもいいだろうが!」
「ふふ、元気がいいね。でもね、ニーナはわたしとよく似ているよ」
ジルさんは楽しそうに目を細めた。
「それは、あなたの作った魔道具を見ればすぐに分かる。初めて中を見た時、わたしは歓喜で震え上がったよ」
「……わたしの、魔道具?」
クレアさんが盗んでいた、という?
「そうだよ。あれほど美しい術式を見たのは初めてだった。やっぱりあなたは、わたしと同じものを見ているんだって。そう確信したよ」
声を荒げることなく、いつもと同じように穏やかに。
どこか恍惚とした表情を浮かべて。
ジルさんはわたしとの共通点を、一つ一つあげていく。
魔道具を見ると、周りが見えなくなるところ。
未知の術式に、夢中になるところ。
素材を前に目を輝かせるところ。
好きなことをしていると、寝食を忘れるところ。
術式の組み方に至るまで。
確かに似ている。
けれど。
【馬鹿か、お前! ニーナとお前は全然似てねぇ】
【旦那さまとは全然似ていませんね】
レオ。
クレアさん。
二人にもらった言葉が、わたしの顔をあげさせる。
「……確かに似ているところはあると思います」
それは否定できない。
同じものに夢中になった。
でも。
「……それでもあなたとわたしは違います」
クレアさんの足にあった魔道銀線。
確かに必要な素材が目の前にあれば欲しい。
知らない魔道具を見れば、分解して中を見たいと思う。
でも。
「その人の意志を無視してまで、自分の欲望を満たそうとは思わない」
それが、わたしとジルさんの、決定的な違いだと思う。
「……ニーナ」
困ったように眉根を下げているジルさんの視線を誘うように。
ゆっくりとユリアナさんに目を向けた。
「ユリアナさんは、本当にそんな姿になることを望んでいたのですか?」
「……勿論だよ。 人という肉体を捨てて、至高の存在になれたんだ。 幸せに決まっている」
僅かな沈黙。
そして『決まっている』という言葉。
それだけでもう、ユリアナさんの意志じゃないことは確かだった。
「わたしはね、ユリアナを見て気づいたんだ。 人は何も、生まれ持った肉体に縛られて生きる必要なんてないんだって」
「……え?」
「病に侵されるなら捨てればいい。 壊れたなら、もっと優れた身体に替えればいい。 そうすれば誰も、弱い肉体に苦しめられることはない。 そうだろう? 病気で余命宣告を受けた、哀れな国王陛下。 会わせる顔がないと泣いていたクレア。 餓えに苦しんでいた子供達。 皆を、わたしが助けてあげたんだ。 ……ああ、国王陛下だけは間に合わなかったみたいだけどね、とても残念だ」
助けてあげた、幸せに決まっている。
ジルさんはそう言うけれど。
クレアさんは泣いていた。
カエサルさんはとても苦しんでいた。
だから。
「……ジル、さん。 誰かの心は、勝手に決めつけていいものではありません」
チリン。
ジルさんの足元で、ドロシーちゃんが顔を上げる。
黄金の瞳が、わずかに細くなってわたしを見た。
その途端、どうしようもないほどの愛しさが込み上がった。
「……ドロシーちゃん、ずっとずっと大好きです」
ポロリ。
ずっと堪えてきた涙が。
わたしの頬を滑り落ちていった。




