38 鈴の音を追いかけて
「待って下さい! ドロシーちゃん!」
必死に走っているのに、距離がどんどん開いていく。
チリンチリン。
その『何か』が駆ける度に聞こえる、高く澄んだ音。
これは。
「……鈴?」
ドロシーちゃんは鈴なんか付けてない。
姿もはっきり見えない。
なによりわたしを見て、逃げるように去っていった。
だからきっと、ドロシーちゃんじゃない。
そう思いたいのに。
それでもあれはドロシーちゃんだ、と。
わたしの本能が訴えてくる。
一歩足を踏み出しながら。
「待って下さい」、と声をかけながら。
心の中は、恐怖で染まっていく。
【彼女は今眠っているんだ】
ジルさんの言葉が、思い出された。
【もっと仲良くなれるように、おまじないをしたかな】
主人認識。
敵意抑制。
行動制限。
そして二重にかけられていた命令強制。
考えたくないのに。
クレアさんにかけられていた術式が。
ジルさんを主人として認識するための術が。
次々と頭の中を過っていく。
「……待って…お願いです、待って下さい、ドロシー、ちゃん」
息も絶え絶えになって、体がふらつく。
レオが支えてくれなかったら、わたしはきっと途中でドロシーちゃんを見失っていたと思う。
でも、レオのお陰で。
最後までドロシーちゃんを追うことが出来た。
チリン。
美しい鈴の音を残して。
小さな影は、開いたままだったドアの中にするりと入り込んでいった。
随分重厚で分厚い扉だ。
「……ここは…やつの研究所だな」
「…けん…きゅう、じょ…ですか…?」
「……ああ、前に一度忍び込んで、ぶっ壊してやったんだが。 まだ機能してんのか。 まあ、いい。 とにかくニーナ、少し呼吸を整えろ」
ハアハアと肩で息をするわたしの背を、レオが気遣うように撫でてくれる。
あれだけ走ったのに。
レオは息一つ乱れていない。
「だ、だい、じょうぶ…です。 それより、中に…入りましょう」
正直に言えば、膝にもう力が入らない。
息だって苦しいし、喉もカラカラだ。
でも、そんなことよりも大事なことがわたしにはある。
「……分かった。 俺が先に行く」
ポンポン、っとわたしの肩を叩いた後、レオが音も立てずに扉を開ける。
先を行くレオに付いて、部屋の中に入った。
灯りが付いていない室内は、外よりも一層暗く思える。
チリン。
ハッとして顔を上げた。
暗闇で光る黄金の瞳。
そして。
雲が切れたのか。
備え付けられた窓から、月明かりがゆっくりと差し込んでくる。
「……ドロシー、ちゃん」
「…ドラ…だよな?」
艶のある黒い毛並み。
少し吊り上がった金の瞳。
わたしの記憶の中のドロシーちゃんと同じ。
でも。
その首には赤いリボンが巻かれていて。
銀色に輝く小さな鈴が付けられている。
「ドロシーちゃん、迎えに来ました! 一緒に……」
「帰りましょう」と。
そう続くわたしの言葉を拒絶するように。
ドロシーちゃんは一言も発することなく、またくるりと方向を変えた。
「待って下さい!」
チリンチリン、と鈴が鳴る。
「奥にもう一つ部屋がある」
レオの視線の先。
暗闇の奥に、もう一つ扉が見えた。
「…行くぞ、ニーナ」
はい、と小さく返事をする。
なるべく足音を立てないように奥に移動した。
そして。
先に奥の部屋に入ったレオの体が、一瞬で身構えたのが見えた。
緊張が走る。
レオの体の隙間から、滑り込むように中に入った。
部屋の中は明るかった。
広い室内には、壁に沿って棚が置いてあり、沢山の魔石や素材が積み上げられている。
中央に作業台が置かれていて。
その奥に。
一人の男性が、こちらに背を向けて立っている。
細身の体。
その体を包む、貴族らしいコート。
ダークブラウンの髪。
体が、無意識に強張った。
「……ジル、さん」
今夜は王宮に行くと言っていたのに、もう戻って?
チリンチリン。
ドロシーちゃんが迷うことなく、一直線に駆けていく。
そして。
ジルさんの足元で止まった。
心臓が。
冷たく凍りついた。
そんな気が、した。
「…はは、くすぐったいよ、ドロシーさん」
響き渡る、穏やかな声。
それに答えるように、とても嬉しそうに、そして幸せそうに。
ドロシーちゃんは、自分の額をジルさんの足にこすりつけている。
親愛の印である、その行為をジルさんに行っている。
「……ドロシー…ちゃん」
「……あれ? ニーナ?」
わたしの声が聞こえたのか。
ジルさんがゆっくりとこちらを振り返った。
その顔に浮かべられているのは、いつもの穏やかな微笑み。
「よかった、後で迎えに行こうと思ってたんだ。 ドロシーさんが連れてきてくれたのかな? 偉いね」
いつもの、穏やかな口調。
けれどっ!
「ドロシーちゃんに何をしたんですか!!」
夢中で問い詰めた。
その声に、ゴロゴロと上機嫌で響いていた喉の音が。
ピタリと止んだ。
黄金の瞳が。
いつも側にいてくれた、ドロシーちゃんの瞳が。
冷たくわたしを睨みつける。
「うるさいわね。 なんなのあんた? わたし、耳がいいからすごくうるさいんだけど!」
「…………っ!」
勝手に術式を上書きされた。
結果、友達を取られた。
怒りを感じているのはそこじゃない。
「……いったいどうしたんだい、ニーナ? 大丈夫、わたしはなにも怖いことはしないよ、落ち着いて?」
なにもしない?
そんなわけないです。
怒りでブルブルと体が震えた。
「何もしねぇわけねぇだろ、このキザオが! ニーナからドリシーを奪ってんじゃねぇか!」
「…………うん? キザオっていうのは、わたしのことかな?」
「そこは別にどうでもいいんだよ!! お前、俺達の大事な友達に、一体何をしやがった!」
『俺達の大事な友達』
当然のことのように出た、レオのその言葉にまた涙が出そうになった。
レオがわたしと一緒に怒ってくれている。
浮かんだ涙を押し留め、歯を食いしばって顔を上げる。
「ジル、さん。 ドロシーちゃんの中にある術式を、上書きしたんですか?」
目をまっすぐ見つめたまま問いかければ。
ジルさんは。
「ああ、そのことか。 うん、もっと仲良くなれるように『おまじない』をかけたんだ」
言葉を失うくらいあっさりと認めた。
『おまじない』と。
そんな言葉に置き換えて。
「『おまじない』なんて言葉で誤魔化すのは止めて下さい! あなたはドロシーちゃんの意志を無理矢理捻じ曲げたんです!」
「…意志を? 捻じ曲げる?」
ぽそりとそう呟いたジルさんが、首を傾げる。
自分の足元でじゃれついている、ドロシーちゃんを見て。
また不思議そうな表情を浮かべた後、視線はゆっくりとこちらに戻ってくる。
「……何を言っているんだい、ニーナ?」
「え?」
「意志なんて、最初からあるわけないじゃないか。 ドロシーさんは魔道具だよ?」
聞き分けのない子供をあやすように。
あくまでも穏やかに、ジルさんは言う。
「ち、違います! ドロシーちゃんは、わたしの友達で……」
「うん。 『友達』を作ったんだよね?」
「違います!」と、そう反論する言葉が喉奥で止まる。
「友達が欲しかったから。 だから、そういう風に振る舞ってくれる魔道具を、『作った』んだよね?」
「……ち…」
違います、と。
本当にそう言えるだろうか。
確かにわたしがドロシーちゃんを作った。
彼女の性格も、声も、話し方も。
元はわたしが作った術式からうまれた。
だったら…。
「おい、こら、しっかりしろ、ニーナ!」
パシン。
背中を叩かれて、思わず足が一歩前に出た。
でも。
派手な音がしたわりに、痛みはあまりない。
「あんなやつの言う事を、真に受けんな。 お前の側にずっといた、お前がずっと見てきた『ドロシー』を信じてやれ!」
また、涙が込み上がった。
この人は。
レオは、どうしてわたしが一番欲しい言葉を、一番欲しい時にくれるのだろう。
ぐいっと目元を拭い、再び顔を上げた。
「本当にかわいいよね、ドロシーさんは。 わたしとニーナとドロシーさんで、きっととても楽しい家族になれるよ」
カサリ。
どこかで葉がこすれるような音がした。
「はあ? 誰がニーナを、てめぇなんかの嫁にやるかよ!! ニーナは、俺が…」
「ああ、そうだ。 ごめんごめん、ユリアナ。 お前を忘れてたわけじゃないんだよ、そんなに怒らないでおくれ」
そうしてくるりとわたしたちに背を向けたジルさんは。
『何か』に優しく話しかけた後。
いつもの穏やかな笑顔を浮かべたまま、またこちらを振り返った。
そして。
信じられない言葉を発した。
────「紹介するよ、ニーナ。 妹のユリアナだよ」と。




