36 今、迎えにいきます
「……テオドール殿下。 大変申し上げにくい事ではございますが…」
父の診察を終えた侍医が、ゆっくりと大きく息を吐き出した後。
隣に立っていた俺に、沈痛な面持ちで視線を向けた。
そして告げる。
父の命、その最後の宣告を。
「……今夜は越せぬと思われます」
その言葉に、ドクと、心臓が一際高くなった。
今。
今この侍医は、もう父は助からない、とそういったのか?
この偉大な国王が?
自然と息が上がっていく。
「…そ…んな! ち、父上!」
思わず走り寄って、やせ細ったその体にすがりつく。
もう何日も意識がない状態なのだから、当然返事はない。
分かっていながら、俺は父の胸に額を寄せた。
聞こえてくるのは、今にも消えてしまいそうなほど弱々しい鼓動。
今夜をもう越せないというのは、おそらく間違いないだろう。
「なんとか……なんとかならないのか!」
父の胸に頬を寄せたまま問いかける。
「…力及ばず…申し訳ありません…」
侍医が本当に申し訳なさそうに、一段と深く頭を下げたのが視界の端にうつった。
その様子に。
ああ、父はもう本当に助からないのだな、と悟る。
そうか。
三年患って、やっと…か。
思わず左の口角があがりそうになり、慌てて右手で顔を覆い隠した。
生きながらえるために、非人道的な研究を後押ししている。
その事実を突きつけて退位を迫るつもりだったが。
先に寿命のほうが尽きたか。
「……わかった…最後は我々だけで静かに過ごしたい。 みな、下がれ…」
声が震えてしまわないように、懸命に努めた。
宰相、侍医、護衛騎士、侍女が、俺の言葉に従い静かに一礼したあと部屋から出ていった。
しんと静まり返った部屋。
残っているのは、俺と、王妃でもある俺の母。
そして今まさに、息を引き取る寸前の父。
この三人。
そう、この三人だけだ。
本来なら、この場にいるべき人間は、もう一人いた。
誰よりも才覚に恵まれた、素晴らしい人だった。
なのに。
父が、それを許さなかった。
【不吉な双子王子よ。 さあ、答えを聞こう。 どちらがどちらの『影』になるのだ?】
俺達にかけられた、残酷なあの言葉。
俺は一生忘れない。
噛み締めたギリっと奥歯がなった。
ベッドに横たわり、浅呼吸を繰り返す父。
この人は二十年にわたり、王国を支え続けた。
隣国の侵略を抑え、国をより発展させた。
まさしく賢王と称されるにふさわしい人だった。
だが。
────父親としては最低だった。
この『双子は不吉』とされる国で。
俺は双子の弟として生を受けた。
兄、レオンハルトに比べ、体が小さく、病気がちで。
一人で歩き出したのも、言葉を覚えたのも。
何もかもが兄上の方が早かった。
兄上は常に俺の前にいた。
年も、産まれた日も勿論同じ。
なのに全てが遠く及ばない。
努力をしても、兄上は更にその先を行く。
嫉妬しなかったわけじゃない。
けれど、そんなものよりもずっと。
その存在に、強烈に憧れた。
母は日に何度も、我々が住む離宮に会いに来てくれた。
無条件で抱きしめてくれたし、優しい言葉もいくつもかけてもらった。
けれど、父が現れるのは年に一度、俺達の誕生日だけ。
眉間にシワが寄ったいかめしい顔。
必要以上に取られた距離。
優しい言葉をかけてもらった記憶など、一度もない。
それでも別に淋しいとは思わなかった。
俺には兄上がいた。
生まれる前からずっと一緒だった兄上が。
それだけで幸せだった。
────なのに父はその兄上まで、無慈悲に取り上げた。
「……聞こえておられますか、父上?」
返事の代わりのように聞こえる、弱々しい呼吸音。
構わず俺は続けた。
「……あの日、あなたにかけられた言葉を、俺は今でも鮮明に覚えていますよ?」
後ろで母のすすり泣く声が聞こえる。
けれどもう止めることは出来ない。
「……祝いの言葉をくれた母を、押しのけて。 あなたは言いましたね? 『災いを呼ぶ不吉な双子王子。 どちらかが死んで、影として生きよ』と」
あれは5歳の誕生日。
心を切り刻むような、残酷な言葉。
この時初めて、俺達は双子王子の運命を知った。
【俺がなる。 テオに『影』なんて器用な生き方が出来るとは思えないしな】
兄上が一歩前に出た。
ピンと伸びた背中。
口元に笑みさえ浮かべて、まっすぐに父王を睨みつけていた。
けれどその背中が、かすかに震えていたのを俺は知っていた。
浮かべた笑みだって、少し引きつっている。
気がついていたのに。
兄に守られ背中に庇われたまま。
────俺は全てを与えられた。
「……国を滅亡に追い込む、双子王子の再来? 不吉の象徴? バカも休み休み言っていただきたい」
ヒューッと聞こえる呼吸音にさえ、苛立ちを覚えた。
「俺達が…兄上が何をした!? 名前も、身分も、全てを取り上げられ。 それでも、必死に努力をし、王家のために未だに力を尽くしてくれている兄上が。 不吉だと? ふざけるなっ!」
長く患った末、骨と皮だけになった父。
その姿を見てなお、怒りしか湧いてこない。
「……あなたが崩御した暁には、兄上の名を王家に戻す」
そのためにあらゆる手を尽くしてきた。
ゆっくりと父の呼吸音が小さくなっていく。
もう、残された時間は少ない。
「……なぜ悪しき掟を信じ、息子である俺達を信じてはくださらなかったのか」
国王は国のため、国民のためにある。
わかっている。
ならばなぜ、そうあれるように自ら俺達を指導してくださらなかったのか。
なぜ双子としてではなく、俺達自身を見てくださらなかったのか。
父の唇が、まるで答えるように一度だけ震えた。
息が長く長く吐き出されて。
そして。
止まった。
「………さようなら、父上……」
悲しみなど少しも湧いてこなかった。
「……母上、よろしいですね?」
涙を流し黙祷を捧げている母に、静かに声をかける。
長年連れ添った男が息を引き取ったばかり。
だが。
母は強い。
俺達の身の安全のために、他の世継ぎを生むことを拒否し続けたような女性だ。
「勿論です。 あなたの思うようになさい。 母はいついかなる時も、あなた達の味方です」
あなた『達』。
そう言ってくれるのが何より心強かった。
待っていて下さい、兄上。
ツカツカとドアまで歩き、開け放った。
「……たった今、父上が旅立たれた」
宰相が。
護衛騎士が。
メイドが。
一斉に「…お悔やみ申し上げます」と頭を下げた。
それに鷹揚に頷いて見せてから。
部屋の前に待機を言い渡していた男に向き直る。
「……騎士団長」
「……はい、殿下…いえ、陛下」
「待機させていた騎士団を率いて、フィガロ公爵…ジュリアン=ローデンの捕縛に向かえ」
「…え、今から、でございますか?」
「…そうだ。 証拠は既に揃っている。 父上の庇護がなくなった今こそ、あの男を捕らえよ」
「はっ」
一段頭を深く下げて、颯爽と走り去っていく背中を見つめる。
待っていて下さい、兄上。
今、迎えにいきます。
そしてその時こそ。
────あなたに全てをお返しします。




