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33 今夜、ここから逃げます

「ニーナ。 とても残念なのだけど、今日は夕食を一緒にできそうにないんだ」


お昼すぎ。

わたしのもとにやってきたジルさんが穏やかに笑いながら言う。

 

「……夕食を一緒に出来ない……そうですか」


別に構いませんが。

というか、むしろそちらのほうが嬉しいですが。


喉まで出かかったその言葉たちを飲み込む。

会話、それも駆け引きとなると得意ではないけれど、それでもなにか情報を引き出したい。


「……何かあったのですか?」


いつもと同じ平坦な声で問いかける。


「なに、全くたいしたことではないんだけど。 国王陛下の容態が、あまり良くないらしくてね。 王都にいる高位貴族全員に、登城命令がでたんだ」


ピタリ。

カラカラに乾いてしまった喉を潤そうとカップに伸ばしかけた手が、無意識に止まる。


国王陛下の容態が良くない?


よく分かりませんが。

それは国家を揺るがす大事件ではないでしょうか。


なのにジルさんの笑顔は全く崩れない。

それが酷く恐ろしいと思えた。


「……陛下には良くしてもらってたんだけど。 間に合わなくて残念だよ」


間に合わない。

ジルさんの言い方に違和感を覚えた。

けれど。

それよりもずっと強い思いがわたしにはあった。

ここに閉じ込められてからずっと。

不安と焦燥、そして焦がれるような気持ちがわたしの中で渦巻いている。


「それよりもドロシーちゃんは? お願いです、ドロシーちゃんに会わせて下さい」


ずっとずっと側にいてくれた、わたしの大事な友人。

もう何日姿を見てない。

なのに、何度お願いしても会わせてもらえない。


「ああ、ドロシーさん? ごめんね。 彼女は今眠っているんだ」

「……眠って、る?」


ドロシーちゃんが?


そんなはずはない。

ドロシーちゃんは眠らない。

丸くなって眠っているふりをすることはあるけれど。

本当に意識がないのだとしたら。

それは、中にある大事な術式を書き換えた時、で。


ゾクッと背筋に冷たいものが走った。


まさか。

まさか。

まさか。


この先を考えたくない。


でも。


「……ドロシーちゃんに何をしたのですか?」

「…うん? 別に何も? ……ああ、もっと仲良くなれるように、おまじないをしたかな」

「おまじない?」

「うん。 ふふ、後でニーナにも見せてあげるね?」


穏やかなその笑みが何より恐ろしい。

自分の血の気が引いていくのを自覚した。


「何を…。 何をしたんですか…? ドロシーちゃんに一体何を!」

「ふふ、かわいいね、ニーナ。 魔道具のことになると夢中だ」

「違います! ドロシーちゃんは魔道具ではありません! わたしの大事な友じ───!」

「でも内緒だよ。 楽しみにしてて。 ああ、もうこんな時間だね。 名残惜しいけど、行ってくるよ」

「待って下さい! ドロシーちゃんに会わせて下さい! 待って!」


必死で追いすがったのに。

ジルさんは笑いながら部屋から出ていった。




「……ドロシーちゃん…」


わたしが飛び出したせいでドロシーちゃんが。

心が罪悪感と絶望感で真っ黒に染まっていく。

でも。

わたしはもう知っている。

ここでただ、泣いて、傷ついて、部屋に引きこもっていても、何も変わらない。

なにも変えられない。


だから。


「迎えに行きます」


わたしが。


立ち上がり、工房へと向かう。

魔力炉の中に隠してあった魔道具を取り出した。

転移具。

これがあれば、屋敷の外まで一気に飛べる。

でも。


「……魔道銀線が…足りない」


術式全体へ魔力を均等に流すためのもので、これだけは他の素材でも代用できない。


他にも脱出用の道具を、いくつか作ってみたけれど。

部屋を囲っている術式を破るには、ありあわせの代用品ではどうしても火力が足りない。


「……今夜は、ジルさんが屋敷にいない」


脱出するには、これ以上ない程の機会。

なのにわたしには、その術がない。


「………まだです……まだ何か、出来ることはあるはずです」


なのにドロシーちゃんの、呆れたように笑う顔が。

ペン吉君の、嫌そうにため息を突く姿が。

頭から離れなくて。


込み上がってきた激情とともに、視界が急速にぼやけていく。


会いたい。

ドロシーちゃんに。

レオに。

二人に。


「……会いたい、です…」


ポロっと、涙が右目から滑り落ちた。

その時。


「…………ニーナお嬢様」


声が聞こえた。

とても静かな声。


驚いて振り向けば。


「……クレア、さん?」


パチリと瞬きをしたはずみで、涙が頬を滑り落ちていく。

そんなわたしをみて、クレアさんは目を細め穏やかに微笑んだ。


「……魔道銀線が、ご入用ですか?」

「…はい」

「ご希望の素材を、速やかに集めてくることが出来ず申し訳ありませんでした」

「……いえ、クレアさんのせいではありません」


魔技師でもないクレアさんに、頼むこと自体が無茶だった。


「……お優しいですね、お嬢様は」

「……クレアさん?」


クレアさんの視線が、一度魔力炉へとむいて。

そしてまたゆっくりとわたしに戻ってくる。


「お気づきですよね? わたしの足に、その魔道銀線が使われていることを?」

「……それは…はい、知っています」

「ですよね。 脇の下から、足の裏まで、服ひん剥かれて調べられましたものね?」


クスクスと、楽しそうにクレアさんは笑う。

そして。

一秒、ニ秒、三秒。

笑うのをやめたクレアさんは、真剣な目でじっとわたしを見た。


「……ではどうして、『その魔道銀線を差し出せ』、とわたしにおっしゃらないのですか?」


低い声で問われて困惑してしまう。


「どうしてと言われても…。 その体はクレアさんの体です」

「魔道具です」

「はい。 ですが、それでも今はクレアさんの体です。 こちらの都合で、差し出せ、とは言えません」


一秒、ニ秒。

また沈黙が続く。

やがて。

ふふっと笑い声が聞こえた。

クレアさんだ。


「……旦那様が『ニーナと自分はよく似ている』とおっしゃっていましたが」


クレアさんはしっかりとわたしと目を合わせて。

そしてまた笑った。


「……全然似ていませんね?」

「…そう、ですか?」

「はい、むしろ真逆だと思います」


クスクスと笑い声が聞こえる。


今のは、どういう意味でしょうか?

褒め言葉?

それとも悪口でしょうか?


考え事をしているうちに、ピタリと笑い声が止まった。


「お嬢様」


強い声で呼びかけられ、顔を上げる。


「使って下さい、この足を」

「え!? でも…」

「ここから出るんです、お嬢様。 大切な人が待っているのでしょう?」

「……そ、れは…」

「わたしは大丈夫です。 お嬢様がわたしの体を探し出して、元に戻してくださる。 そしてその後も、きちんと責任を取ってくださる。 そうでしょう?」

「……はい。 取ります、責任。 クレアさんの体、隅から隅まで見てしまいましたので」

「ふふ。 期待しています、お嬢様」

「はい。 では早速始めます。とりあえず服、脱いでもらっていいですか」

「……ああ、やっぱりそうなりますよね……。 あ、いえ、大丈夫です、お嬢様。 自分で脱ぎます。 ちょ、ちょっと待って下さい! 自分で脱ぎますってば!」


クレアさんに横になってもらい、右足を付け根から取り外す。

関節部分にある数本の魔道銀線。

でもこれだけじゃ足りない。

クレアさんに断って、左足も取り外した。


「……足、わざわざもう一度取り付けてくださらなくても、よろしかったのに」

「……いえ、そういうわけにはいきません」


いくら自分の体ではないとはいえ。

胴から下がないのを見るのは、気持ちの良いものではないはず。


「……お気遣い感謝いたします。 ではもう、お嬢様はここから出られますよね?」

「はい」


取り外した魔道銀線で既に転移具は完成している。


「わたしはここで待っています。 お嬢様、どうぞご無事で」

「はい。 必ず戻ります」


ベッドに横たわるクレアさんに頭を下げて。

わたしは完成したばかりの転移具を起動させた。


待っていて下さい。

レオ。

ドロシーちゃん。

今、迎えにいきます。








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