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32 よく、戻ってきてくれた

「いってらっしゃい」


そう言って、森の中の小さな小屋から送り出された。


アイラは基本俺と組んで動いてたし。

家族も、側にはいなかったから。

任務に出る時に、誰かにそう言ってもらったのは初めてだった。


なんだろうな、これ。

むず痒いっていうか、心の一番奥のほうがポカポカするっていうか。


「……くそ、またか」


どうにもおかしくなった涙腺が、また過剰に働き始めるのを察して。

頭をふって、感傷を振り払った。


【泣いている暇があったら、やるべきことをやりなさい】


カイルの声に、アイラのハスキーボイスが重なる。


ああ、分かってる。


カイル、テオ、母上、そしてニーナ……ああ、一応あの小生意気なドラも頭数に入れてやるか。

……うん、俺にはまだ大事な人がこんなにもいる。

だから。

失くしてしまったものばかりに囚われるな。

痛みを胸に抱えたまま、それでも前に進め。


すっかり弱くなってしまった心と体を叱咤し、ひたすら走る。

グローリア伯爵邸に向かって。


半刻もしないうちに、見慣れた屋敷が見えてきた。

無意識に、肩の力が抜ける。


あそこにニーナがいる。


早く会いたい。

会って……そうだ、まず最初に謝らないとな。

ドラなんかにゃあ、めちゃくちゃ嫌味言われそうだけど。

それでも、喧嘩したなら、ちゃんと言葉にして謝らないといけねぇ。


ニーナ、酷いこと言って悪かった。

嫌いだ、なんてほんとはこれっぽっちも思っちゃいねぇ。

それから……ありがとな。

お前のおかげで助かった。

体だけじゃねぇ。

心も。

何度も何度も助けられた。

だから、「ありがとう」。

そう言うんだと思って。


かすかな違和感を覚えた。


足がピタリと止まる。


なんだ?

屋敷の様子が、いつもと違う?

表面的にはいつもと同じだが。

やけにヒリ付いている。

なにかを警戒しているような。


猛烈に嫌な予感がした。


正門の様子を、身を隠しながらそっと窺う。

見張りの騎士が二人いる。

おかしい。

あんな騎士は、今までいなかった。

むしろこの屋敷は、大丈夫なのかと心配になるほど警備が緩かったはず。


何かあったのか?


頭の中に、親父さんとドラ、そしてニーナの顔が浮かんだ。

瞬間、恐怖と焦燥感で背筋が冷えた。


「情ねぇ、しっかりしろ!」


だけど、今の俺は自分の身分を証明出来ねぇ。

テオとそっくりなこの顔は、見せられねぇ。

つまり、伯爵やその令嬢に正面からは近づけねぇ。


じゃあ。


無意識に目がギラついたのを自覚する。


忍び込むしかねぇよな?

任せろ、得意分野だ。


正門から視線を外し、屋敷を囲う塀に沿って移動する。


見張りは正門に二人。

中には…三人だな。

足音と気配から、それぞれがどんな風に巡回しているのかを予想する。


一番忍び込みやすいのは。


「……やっぱ西側、だな」


ペン吉時代から思っていた。

あそこは高い壁の向こう、庭側に大木がある。

その枝の一部がこちら側まではみ出しているので、それを上手く利用すれば侵入が可能だ。

勿論一般人には無理だが。

その道のプロなら、容易い。


「ま、ペン吉の短い手と足じゃあ、どう考えても無理だったが」


この体ならいける。


人目につかないように、目的の場所まで移動する。


記憶していた場所と同じ場所。

大きくはみ出した木の枝。


「……使える」


数歩下がって、距離を取った。

ゆっくりと息を吐き出し、深く集中する。


地面を蹴った。

そのまま一気に加速する。

塀が眼前に迫ったところで、足を蹴り上げ跳躍した。

両手で枝をつかむ。

掴んだ枝を軸に体を振り上げ、その勢いのまま枝の上に降り立つ。


「……中の様子は…」


屋敷の庭の様子を観察する。

少し先に見張りの騎士が見えたが、こちらに気づいた様子はない。

みたところ、罠も仕掛けられてはなさそうだ。


潜入成功。


そのまま、枝から枝へと音もなく移動する。

本宅はもうすぐ目の前だ。

枝の上、身を隠したまま視線だけを動かす。


ニーナの部屋は二階の角部屋。

ここからバルコニーまでの距離はおよそ3メートル。


普通なら飛び移ろうとは思わない距離だが。


「余裕」


枝を大きくしならせた後、反動を利用して両足で踏み切った。


体が宙を舞う。


目前に迫ったバルコニーの手すりを両手でつかみ、腹筋を使って体を振り上げる。

そのまま手すりを飛び越えて。


トン、と僅かな音をたてて俺はバルコニーへ降り立った。

黒いマントがふわりと揺れる。


「………思ってたよりも……」


ギリギリだったな。

やっぱ、あの魔道具……。

なんと言ったか。 

『生命保全の魔道具』だったか?

あれでいくら身体機能の低下が、最小限に抑えられていたとはいえ。

感覚が大分鈍ってんな。

それに。


「やっぱ、大胸筋が痩せたのは大きいよな……」


くそ、戻ったら鍛え直しだ。


そんなことを思いながら、窓をコツコツと叩く。


柄にもなくそわそわする。

気がつけば、右手で服を整え、左手で髪を撫でつけていた。


はっと我に返る。


「なんだこれ、乙女かよ」


なんだか妙に気恥ずかしい。


ゴホンと一つ咳払いをして。

もう一度、コツコツと窓を叩いた。


…………?


返事がない。

ニーナに限って、この時間から寝てる、なんてことはないだろう。

いやそれとも、また三徹して気絶するみたいに寝てる、とか?


もう一度コツコツと窓を叩く。

暫く待ってみたが、やはり返事がない。


ニーナは寝てるかもしれない。

だが、魔道具であるドロシーは眠らない。

ならどうして誰も顔を出さない?


ゾクッと、背筋に冷たいものが走った。


中の様子を確認する。

静かな室内に、人の気配はない。


指先から血の気が引いていくのを自覚した。


別に大したことじゃない。

親父さんと飯食ってる、とか。

ああ、もしかしたらドラと散歩でもしてんのか?


でも、ならどうしてこんなに屋敷全体がピリついてる?

どうしてこんなに多くの騎士が、屋敷内を巡回している?


嫌な予感がどんどん膨らんでいく。


「……ニーナ、開けんぞ?」


中には誰もいないと分かっていながら、声をかける。

窓に手をかけて。


「………鍵、か」


内側から鍵がかかっているらしく、開かない。


「……しょうがねぇ」


腰の収納袋から、細い金具を一本取り出した。

窓脇の隙間にそれを滑り込ませ、指先の感触だけを頼りに留め具をさぐる。


カチッ。


「……相変わらず、ここは防犯が甘ぇ…」


窓を開け、するりと体を滑り込ませる。


「……ニーナ?」


もう見慣れてしまった乱雑な部屋。

作業台にも、ベッドにもニーナの姿はない。

それどころか。


「……俺が出ていったあの時と、同じ……」


俺が喧嘩をふっかけた日。

そしてこの部屋を飛び出した日。

その時と全く同じ状態の部屋が、そこにあった。


「……くそ、なんでだ!」


くるりと方向をかえ、バルコニーから地面に飛び降りる。

見張りの騎士を避けつつ、目的の場所までの最短距離を全速力で駆けた。


ニーナは魔道具オタクだ。

暇さえあれば、何か作ってる。

部屋を引っ掻き回して、至る所に散らばった部品を拾い集める。

そんなあいつの部屋が、そのままなんてあるわけがねぇ。


それはつまり、あの日、あの時。

俺を追って部屋を飛び出したまま。

……戻ってねぇ、ってことだ。




カタン、と音をたてて扉を開く。

思っていた通りの場所に、目当ての人物はいた。


「………き、君は誰だ!? どこから入ってきた!?」


ニーナの親父さんの執務室。

机の上に覆いかぶさるようにしていた親父さんが、俺がわざと立てた音に気がついて顔を上げた。

随分酷い顔色をしている。


「………俺は……ああっと……」


名前を聞かれて、思わず言い淀む。

レオだと、名乗ったところで、それは親父さんが求めている答えではないだろう。

西の塀を飛び越えて入った、というのも不審の種にしかならない。


「……ええっと……俺は、ニーナの、友人、で…」


歯切れ悪く答えながら、これでは親父さんは納得しない、と自分でも分かっていた。

ニーナの友人なら、正面から堂々と来るべきだ。

そもそも。

あのニーナに、屋敷にわざわざ訪ねてくる程の友人がいるのか、という問題も出てくるし。


「……あ、の…ニーナは。 ニーナがどこにいるのか教えてくれ」

「…………」


返事はない。

代わりに、突き刺さるような視線を感じる。


「…頼む、ニーナが心配なんだ。 どこにいるのか教えちゃくれねぇか?」

「……他人に話すことなどない。 出ていってくれ。 警備を呼ぶよ」


警戒心丸出しの態度に、少しだけ心が痛んだ。

本当は。

こんな都合の良いこと、あり得ないんだが。

でも本当は、少しだけ期待していた。

俺を見た瞬間、親父さんは俺に気がついてくれんじゃないかって。

「ペン吉殿?」って呼んでくれるんじゃないかって。


………そんなこと、あるわけねぇよな。


俺はペン吉だ、と言ってみたところで、それを示す証拠もない。

ペン吉を連れ歩いてるニーナの姿は、街の人間が見てるしな。

なんとでも詐称できる。


………これ以上ここにいるのはよくねぇな。


くるりと方向を変える。

こうなったら自力で情報を集めるしかない。

そう思った。

その俺の背中に。


「……ところで君は……随分と美しい髪色をしているね?」


戸惑ったような、それでいて何かを探るような声がかけられる。

もちろん親父さんだ。


髪?

なんで今髪の毛の話なんか…?

…………。

もしかして。


ゆっくりと振り返る。

親父さんは、マスクで半分以上隠れた俺の顔をじっと見つめてくる。


「……親父さんの、そのヅラは…今日は、あまり良い品じゃねぇな」

「……っ! はは……」


言った瞬間、親父さんは泣きそうな顔で笑った。


「……次は、ウィッグって言ってくれ、と。 そう、頼んだだろう? ……ペン吉殿」


「よく、戻ってきてくれた」そう言って、肩を優しく叩いてくれた親父さんに。

俺のぶっ壊れた涙腺は、また過剰に働き始めた。







「……ところで、親父さん。 西の塀の近くに生えてる木は、危ないから切ったほうがいいぞ」

「…木? ああ、あの木は、ニーナが産まれた日に植えたんだ。 かわいいだろう?」

「………なんであの場所に……しかし、ニーナの産まれた日にか……それは…かわいいな」

「だろう?」

「……じゃ、あの木は、切れねぇな。 後で俺が対侵入者用の罠を仕掛けておく」

「はは、頼もしいね。 頼んだよ、ペン吉殿」


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