31 泣きながら作る脱出具
「……すごく、緻密な術式です……」
シクシク。
「魂を固定させるための術式を基礎にして……人格保持、記憶定着、魔力循環……」
シクシクシク。
紙の上を、ペン先が走る。
クレアさんの左胸に刻まれていた術式。
それを書き写し、一つずつ紐解いていく。
すごい。
悔しいけれど、そう思う。
これだけの術式を一つの器に重ねて、それぞれを干渉させず正常に機能させている。
一つでも接続を間違えれば、全てが崩れる。
わたしなら。
同じものを作れるでしょうか。
「……魔力循環の下に……これは……」
主人認識。
ペン先が止まった。
「…………?」
これは。
何のために?
その術式から伸びる細い線を追う。
敵意抑制。
行動制限。
さらに、その下に。
「……命令、強制……?」
しかも。
二重。
「…………」
おかしい。
これは、クレアさんの魂を守るための術式ではない。
人格を保つためでも。
記憶を守るためでもない。
必要ない。
クレアさんが生きるためには、何一つ。
なのに。
こんなものが、魂を守るための術式に絡みつくように刻まれている。
ジルさんを主人と認識するように。
ジルさんへ敵意を向けないように。
ジルさんの命令には逆らえないように。
「……どうして……」
シクシクシク。
「…………」
そこでようやく。
先程からずっと聞こえていた音に気がついた。
なんでしょう、この音は。
夢中になりすぎて、まったく気にしていませんでした。
音のする方へ顔を向ける。
「……クレアさん?」
部屋の片隅。
クレアさんが膝を抱えて、小さくなっていた。
右手にはハンカチ。
グスグスと鼻をすすりながら、何度も頬を拭っている。
涙も。
鼻水も。
一滴も出てはいないのに。
「……あの。どうかしましたか?」
ペンを置いて、近寄る。
クレアさんが、恨めしそうにわたしを見上げた。
「……あばかれました」
「はい?」
「体の隅々まで……」
…………。
「脇の下も……足の裏まで……みっちり見られました……」
「あ……」
二日前。
正確に言えば、その後も何度か。
術式を探すために服を脱いでもらいました。
最初は嫌がっていたので、少し強引に。
……少し、ではないかもしれませんが。
「……やはり、無理矢理はよくなかったでしょうか」
「よくありません!」
「すみません……」
酷く傷つけてしまったようです。
こういう時は。
なんと言えばいいのでしょう。
考える。
考えて。
「……大丈夫です。特に匂いなどもありませんでした」
「何が大丈夫なんですか!」
「では……どこも、とてもお綺麗でした?」
「綺麗と言っても、わたしの体ではありません!」
「…………」
難しいです。
自分の体ではないのなら、恥ずかしがる必要はないのでは?
そもそも皆、似たようなものが付いているのだから。
でも。
そういえば。
ペン吉君……レオも、わたしが着替える時は必ず部屋から出ていってくれていました。
わたしは特に気になりませんでしたが。
もしかして。
あれも。
「…………配慮、だったのでしょうか」
「何の話ですか?」
「いえ……こちらの話です」
また一つ。
今更になって、気がついた。
「……すみません、クレアさん。配慮が足りませんでした」
頭を下げる。
すると。
クレアさんがハンカチを握りしめたまま、勢いよく顔を上げた。
「……責任を取ってください!」
「責任、ですか?」
「そうです!」
「…………」
責任。
つまり。
「分かりました。元の体に戻れるよう最善を尽くします」
「…………はい?」
「責任を取ります」
「ち、違います! 今のはそういう意味では――」
「ですが」
クレアさんの言葉を遮った。
先程書き写した術式を見る。
魂固定。
その上に、幾重にも絡みついた術式。
「……今のクレアさんは、その器に魂を縛りつけられています」
クレアさんの動きが止まった。
「魂を固定する術式の上に、主人認識、敵意抑制、行動制限。 それから命令強制の術式が二重にかけられています」
「…………」
「このままでは、元の体が無事だったとしても戻れません」
「……そんな……」
白い指が震える。
「では……わたしは、ずっとこのままなのですか?」
「分かりません」
「…………」
クレアさんの顔が伏せられた。
でも。
「ですから、調べます」
「……え?」
「この術式を、一番外側から一つずつ解きます」
簡単ではない。
術式同士が複雑に絡み合っている。
雑に一つを切れば、連鎖的に他の術式まで壊れる可能性がある。
最悪の場合。
クレアさんの魂まで。
それでも。
「……どうして」
「はい?」
「どうして、そこまでしてくださるのですか?」
クレアさんが、わたしを見ていた。
「わたしは……お嬢様を裏切りました」
小さな声。
「お嬢様が大切にしていたものを、いくつも盗みました」
「…………」
「許していただけるようなことではありません」
許す。
その言葉を、頭の中で繰り返した。
わたしは。
クレアさんを許しているのでしょうか。
分かりません。
大切にしていたものを盗まれたことは、悲しかった。
理由を知った今でも、何も感じないわけではない。
でも。
目の前の白い顔を見る。
とても美しく作られた。
クレアさんのものではない顔。
その内側には。
ジルさんを主人だと思うように。
逆らわないように。
命令に従うように。
そんな術式が幾重にも刻まれている。
「……わたしは、まだクレアさんを許せていないのかもしれません」
「…………」
「でも」
それと、これは。
「だからといって、クレアさんの心を、他の誰かが勝手に作り変えていい理由にはなりません」
クレアさんが顔を上げた。
「クレアさんが何を思うかは、クレアさんが決めることです」
「…………」
「誰を好きになるのかも。 誰を嫌いになるのかも。 誰の言うことを聞くのかも」
そんな当たり前のことを。
わたしは、つい最近までよく分かっていなかった気がする。
ちゃんと人を見る。
ちゃんと気づく。
あの人が、教えてくれた。
だから。
「……まず、この命令強制術式を壊します」
「お嬢様……」
「その後のことは、それから考えましょう」
クレアさんと視線を合わせる。
「帰りたいですか? 自分の体に」
「…………はい」
今度は。
迷いのない返事だった。
「帰りたい、です」
なら。
「分かりました。全力を尽くします」
しばらく。
クレアさんは何も言わなかった。
やがて。
「……あの、お嬢様」
「はい」
「わたしにも……何か出来ることはありませんか?」
…………。
あります。
ものすごくあります。
「素材を取ってきてください」
「…………はい?」
「足りない素材がいくつかあります」
「ちょ、ちょっと待ってください! 屋敷は騎士が大勢いて――」
「クレアさんなら、ある程度自由に動けるのでは?」
「それは……そうですけど……」
クレアさんが困ったように俯く。
「一月ほど前に、二人の侵入者が屋敷に入り込んだそうで……研究施設をめちゃくちゃに壊されたとか。それから警備がとても厳しくなっているんです」
「……一月ほど前?」
「はい」
一月前。
レオがわたしのところへ来たのも、その頃です。
偶然、でしょうか。
胸の奥がざわついた。
でも。
今は。
「……お願いします、クレアさん」
「…………」
クレアさんは随分長い間、悩んでいた。
そして。
「分かりました」
白い顔を上げる。
「わたし、やります」
「ありがとうございます」
「その代わり……ちゃんと責任、取ってくださいね」
「はい。必ず」
「……だから、その責任とは少し意味が違うのですが……」
よく分かりません。
でも。
これで素材が揃う。
道具を完成させれば、レオの体を探せる。
そして。
クレアさんの体も。
「……ちゃんと術を破れるか、その実験体ですね」
「……そう、ですね……」
「お任せください」
クレアさんが、白い胸を張った。
「わたし、実験体は二回目ですので」
「……そうですか? 頼もしいです」
「自虐ネタですので、そこは突っ込んでくださいよ、お嬢様」




