29 うん、いってらっしゃい
「僕とアイラのなりそめ、聞く?」なんてもったいぶって言ってみたけれど。
実際はそんな大層な話なんてない。
僕がアイラを好きになって。
ありとあらゆる手を使って、押しただけ。
あのケチャップアートも…アイラの気を引きたくて始めたものだけど。
ああ、最初は「わたしはもっと綺麗だ」とよく叱られたなぁ。
それが……。
【これが最後の任務になる。 そうしたら少し落ち着けるわ】
【うん】
【カイル…。 帰ってきたら…あの、気色の悪いオムライスが食べたい】
【ふふ、もちろん。 いつ帰ってきても食べれるように、ちゃんと準備をしておくよ】
【……ああ。 じゃあ、いってくる】
【うん、いってらっしゃい】
「…カイル、さん?」
おっといけない。
つい感傷に浸りすぎてしまった。
鋭い胸の痛みを抑え込んで、ニッコリと笑って見せる。
ああ、口の端が少し歪んではいないかな。
この子が……アイラが弟のように可愛がっていたレオくんが。
自分を責めて心を壊さないように、最善を尽くさなければ。
「……プリンもあるんだけど、食べるかな?」
「……いる」
迷った末、それでもコクンと頷く姿が、アイラと重なる。
本当にこの姉弟は、血は繋がっていないのにとても良く似ている。
作ってあったプリンを、レオくんの前に出してあげて。
自分には温かいお茶を入れる。
アイラには「ジジ臭い」と笑われたが。
僕には紅茶よりも、この少し渋めの『緑茶』の方が合っている。
一口飲んで、口を潤わせる。
そこで自分が随分緊張していたんだな、と自覚した。
視線を落とせば、コップを握り込んでいる両手が、かすかに震えている。
情けない。
まだこんなに動揺している。
けれど、これは決してレオくんには悟られてはいけない。
両手でコップを強く握りしめ、震えを飛ばす。
「……あの日何があったか、だったよね」
話し始めれば、最後の一口を食べ終わったレオくんがスプーンを机に置き、真剣な顔で僕に向き直った。
その目が少しだけ腫れている。
綺麗な顔も、悲壮感でボロボロだ。
無理もない。
仲の良い姉弟だったもんね。
だからこそ、何があったのかちゃんと教えてやらなければいけないと思った。
「………まず、あの日、君たちはテオドール殿下……ああ、テオドール殿下は君の兄君、かな?」
「…弟、だ」
「………そっか」
兄ならまだしも弟。
これだけテオドール殿下と似ている。
そしてレオくんの存在は、世間には一切公表されていない。
つまり彼らは。
……双子。
数代前に産まれた双子王子が、国が傾くほどの熾烈な王位争いをした事に由来して。
この国では双子は不吉とされている。
元凶である王家ならなおさら、双子の存在は許されなかっただろう。
【自分から貧乏くじ引くような、要領の悪いバカなのよ、あいつは】
なるほどね、アイラ。
つまり、彼は自分からテオドール殿下……弟の『影』になることを選んだ、とそういうことかな?
【本当は人見知りで、臆病で、でも周りを守るために一生懸命強がってる】
うん、本当に不器用で、そして優しい子だね。
「……カイル、さん、続きお願いしてもいい、か?」
おっと、また感傷に浸ってしまった。
年を取ると駄目だね。
「ごめんごめん。 続けるよ? 君たちはあの日、君の弟君であるテオドール殿下からの依頼で、公爵邸に潜入捜査に入った」
「…ああ」
「目的は、フィガロ公爵の研究内容、その実情を掴むこと。 しかも国王陛下が、公爵の研究を後押ししている疑いまであったから。 テオドール殿下は君に直接依頼を出した。 『影』に入った依頼ではないため、アイラが、援護班である僕を引き抜いた。 ここまではいいかな?」
「ああ」
「うん。 で、君が知りたいのは、ここから、だよね? ……君たち二人が公爵邸に潜入した日、その後で何があったのか」
「………。 頼む、教えてくれ…」
レオくんの、青い瞳がわずかに揺れた。
口元がきゅっと引き結ばれて、血の気のない白い顔が歪む。
「……明け方近く、だったかな。 アイラが戻ってきた。 意識のない君を抱えて、ね」
「アイラが…」
レオくんの、もともと酷かった顔色が更に青く染まる。
「意識のない男を抱えて……さぞ、重かっただろうな…」と。
独り言のように呟くレオくんは、今にも潰れてしまいそうだった。
それでも、ここで止めてしまうのはもっと残酷だと思った。
握りしめていたお茶を一口、ゆっくりと飲み込んで。
レオくんの様子を見ながら、言葉を続けていく。
「アイラは、君が『子どもを助けようとして、公爵の術にかかった』、と言っていた。 それは君の記憶ともあっているね?」
「………はい。 子供が、沢山…いました。 皆泣きながら助けを求めてて…」
……ああ、また敬語に戻ってしまったか。
それにしても、孤児院の子供、か。
「……公爵が、毎年孤児院に多額の寄付をしている、という話があったね」
「…まさか。 孤児院の子供を? そのために寄付を?」
「…おそらく、ね」
思っていたよりも、ずっとあの公爵は真っ黒だね。
「……アイラは、気を失った君を公爵の手から奪い返し、ここまで逃げ延びてきた。 ……公爵の研究は『人の魂を抜き取ることだった』とも言っていた。 ……けれどそれは少し違っていて。 多分公爵の研究は、『人を魔道具に作り変えること』だったんじゃないかな……」
「………はい」
「…うん。 アイラは、君を僕に任せたあと。 追手を撹乱するために、『必ず戻る』と言い残して、再び公爵邸に戻っていった。 そして…」
『そして戻ってこなかった』。
その言葉を、僕は飲み込んだ。
荒れ狂った心を鎮めるために、渋いお茶を飲み込んで。
数秒目を閉じて、心を落ち着かせる。
「……僕はアイラの願いに従って、意識のない君の体を、1ヶ月ここで守り続けた」
「………1ヶ月、も…」
「うん。 ……ああ、君の体が健康を維持できていたのは、テオドール殿下が魔道具を貸してくださったおかげでね。 とても貴重な魔道具で、『N・グレイ』という魔技師の論文を元に作った、と言っていたかな」
「………『N・グレイ』……ニーナ、か……」
今世間を騒がしている正体不明の天才魔技師、『N・グレイ』と知り合いなのか。
彼の名前を聞いた瞬間、レオ君の表情が一瞬だけ変わった。
多分あれは。
恋慕、の表情じゃないかな。
………あれ?
N・グレイは男性、だよね?
アイラ、君のかわいい弟は、そっち系、なのかな?
……。
……いや、そんなことよりも。
酷い顔つきだね。
自己嫌悪と、喪失と、絶望で一杯の顔。
無理もない。
テオドール殿下と双子なら、彼はまだ20歳だ。
そんな年で、慕っていた姉を眼の前で、しかも少なからず自分のせいで亡くしたとあっては。
あんな顔になってもしょうがない。
今にも死んでしまいそうな顔。
でも。
【レオをお願い、カイル。 必ず助けて】
………大丈夫だよ、アイラ。
君の大事な弟くんは。
バシッ。
レオくんの背後に周り、小さく丸まったその背中を力いっぱい叩く。
……やっぱり力仕事は向いていないね、右手が痛いよ。
だけどそんなことは一切表情には出さず。
驚いたように顔をあげるレオくんに。
アイラの、左の口角だけ少し上がった、アイラのあの笑顔を真似てみせた。
「いつまでしょぼくれてるんだ、レオ! しっかりしなさい!」
───大丈夫だよ、アイラ。 君の大事な弟くんは、僕が助けて見せるから。
「………カイル…さん…」
僕を見上げる綺麗な青い瞳に、みるみる涙がせり上がってくるのが見えた。
だけど。
「泣いている暇があったら、やるべきことをやりなさい。 君にはまだ、やるべきことがあるだろう?」
一晩で、心も体も立て直せ、なんて無茶だろうと思う。
けれど。
アイラならきっと、こう言う。
「………それに君にはまだ、大事な人がいるんだろう?」
彼がさっき見せた、あの顔。
あんな顔をするほど大事な人が彼にはいる。
だから。
「………頑張れ、レオ。 頑張れ」
ここで折れるな。
辛いだろうが、踏ん張れ。
心の中で、何度も何度も、祈るように鼓舞する。
僕を見上げていたレオくんの右目から。
すっと涙が一筋流れ落ちた。
それを隠すようにレオくんが顔を伏せる。
だめか?
一瞬そう思った。
けど。
「…はは……カイルは、姉貴に、似てる……でも、顔真似は、下手くそだ……」
はは、と肩を揺すって笑うレオくんの目から、また涙がこぼれ落ちた。
僕はそれに気づかないふりをした。
「……よし、準備完了」
任務でよく使う黒手袋をはめながら、レオくんは僕に向き直った。
黒のハイネックシャツに、同色の細身のパンツ、黒いマント。
うん、服装はとてもシンプルなのに、恐ろしい程のイケメンだね。
顔をマスクで半分以上隠してるというのに、なんなんだろうね、この『それでも隠しきれないイケメン臭』は。
同性なのに、ドキッとす……いや、違う。 危ない、僕はアイラ一筋だよ。
「あれ、その留め具は。 赤パン一丁の、センス抜群なペンギン君が付けていたものだよね?」
レオくんのマントの留め具。
キラキラと光っているのは、あの可愛らしい魔道具の胸に付いていたものだったはず。
「………ペン吉が…センス抜群……?」
おや、どうしてそんな目で見られるのだろう。
「……いや、あの…これは、大事なもの、だから」
恥ずかしそうに言い淀むレオくんに、ピンと来る。
見た感じ普通の留め具に見えるけど。
よく見るとあれは魔道具だね。
援護班である僕の目はごまかせないよ。
つまりあれは。
N・グレイからの贈り物ってわけかな?
……うん、でも本当に。 そういう人がいるのは安心だよ。
「……じゃあ…いってくる」
くるりと方向を変えて。
扉をあけ、出ていくレオの背中に。
僕は、声をかける。
「……うん、いってらっしゃい」
あの日、アイラを見送った言葉と同じ言葉を。
「あれ、そっちの服着たのかい? 僕はこっちのフリフリなのが一押しだったんだけど」
「……いや、あの……こっちがいいです」
「そう? 似合うと思ったんだけどなぁ」
「……こっちが、いいです」
「うん。 じゃあ、大事な人に会っておいで」
「……大事なやつ。でも俺……今、そいつと喧嘩してるんだ。ひどいこと、言った……」
「…そっか。 じゃあ謝らないといけないね」
「謝る……でもアイラは喧嘩したら、絶対謝るな、謝ったほうが負けだって……」
「……困ったお師匠様だね。 でも、大事ならなおさらちゃんと謝らないとね」
「……うん」
「じゃあ行って、しっかり仲直りしておいで。 仲直りしたら、また紹介しにおいで」
「うん」
「うん、待ってるよ」




