26 忘れていた名前
「……レオくん、だよね? 大丈夫? ……よく、戻ったね」
僅かな沈黙の後。
気遣うような優しい声。
やめてくれ。
俺には、そんな優しい言葉をかけてもらう資格なんてない、のに。
カイルの真っ直ぐな視線が、身を刺すように痛い。
だが、せめて正面からそれを受け止めた。
労うように俺を見ていたカイルの瞳が。
ゆっくり静かに移っていく。
俺の手元、もうピクリとも動かなくなったアイラへ、と。
駄目だ!
ダムが決壊するかのように、俺の心が激しい悲鳴を上げた。
こんなのは、駄目だ。
アイラを。
アイラの体を、すぐにでも取り戻しにいかないと!
動かなくなったアイラを丁寧に床に寝かせ。
すぐさま立ち上がって方向を変える。
今入ってきたばかりの扉をくぐろうとして。
「待って、どこへ行くの?」
よく通る低い声に止められた。
カイルだ。
「……アイラの体を、探しに行ってくる!」
俺の体がここにあったんだ。
アイラの体だって、まだどこかにある。
すぐに、それを見つけ出して。
魔道具からアイラの魂を戻せば、まだ。
まだ、助かるはずだ。
……だって、そうじゃねぇと…。
「……残念ながら、それはもう難しい」
彼自身の魂を削って紡がれたような、小さな声。
「……な、に言ってんだ…探せばどこかにアイラの体だって…」
ブルブルと体が震える。
認めるのが怖い。
怖くて、倒れそうだ。
表情の読み取れない顔で、数秒を俺を見つめていたカイルは。
また静かにアイラに視線を向けた。
「………アイラ」
人にそんな声が出せるのか?
そう思えるほど、深くて、優しくて、そして悲しい声で名を呼んで。
カイルは、両腕でアイラを。
真っ黒な金属に変わってしまった彼女を。
それでも、とても愛おしそうに。
────抱きしめた。
「……………っ!」
喉から出かかった言葉が何だったのか、自分でも分からない。
希望の言葉だったのか、諦めの言葉だったのか。
分からないまま、俺はその言葉を飲み込んだ。
二人の時間を邪魔しちゃいけない。
本能的にそれを感じ取った。
「……アイラ?」
もう一度、静かにカイルが名前を呼ぶ。
反応はない。
アイラは動かない。
あの時聞こえていた思念も、もう聞こえない。
喋ることもない。
静かな、そして残酷な静寂が訪れる。
ギギ。
永遠にも思える静寂を切り裂くように、機械音が響いた。
ハッとして顔を上げる。
ゆっくりと。
本当にゆっくりと。
カイルの腕の中のアイラが、頭を動かした。
仮面で隠された両目が、それでもカイルを見た。
そう、見えた。
「………おそ…く、なって…ごめん、なさい、あなた…」
喋った。
アイラが。
喉から出る嗚咽を、必死で噛み殺した。
「……ああ。 ずっと待っていたよ。 ……遅かったじゃないか、アイラ……」
二人は数秒見つめ合って。
「……おかえり」
「……ただ…い、ま……」
ギ……。
そんな悲しすぎる音を最後に。
アイラは。
二度と動かなくなった。
「…う、そ…だ…ろ?」
呼吸を必要としないはずの体で、それでも空気を求めるように喘いだ。
【このバカ弟子が!】
「…だって……」
【かーっ! 仕事の後のエールがうまい! もう一杯!】
「……この間まで、うるさいくらい喋ってて…」
【祝儀は全財産貢げよ、レオ!】
「……今度結婚するって……」
【レオ、危ない!!】
なのに、俺の…!
「…………っ! ごめん!!」
両手をつき、額を床に打ち付ける。
ゴン、と。
鈍い音がした。
けど、足りない。
足りない。
こんなものじゃ全然足りない。
だけど。
……俺にはもう。
こんなことしか出来ない。
「ごめん! ごめん。 …ごめん。 …ごめん、なさい。 ごめんなさい。 ごめんなさい」
これが最後の任務で。
それが終われば、二人は結婚するはずだった。
きっと、幸せな夫婦になった。
俺が。
俺があの時ヘマさえしなければ!
「…俺の…、俺のせい、で…」
ゴンゴン、と俺の額が床を叩く音がする。
なのに痛みは少しも伝わってこない。
こんなんじゃあ何の贖罪にもなりゃあしない。
「……公爵邸に潜入して、人が魔道具に作り変えられてるのを見た。 俺は証拠を集めようとして、そこで…」
【助けて。 助けて、お兄ちゃん】
助けを求める沢山の子供を見つけた。
皆一様に、すがるような目で俺に助けを求めていた。
任務中は非情になれ、と何度も注意されたのに。
俺はその教えに背いて、彼らを助けようとして。
捕縛された。
子供とは思えないような強い力で押さえつけられた。
当然だ。
彼らの体は、もう弱い子供のものではなかったから。
そして。
【レオ、危ない!】
俺の記憶はそこで途切れている。
だが、きっと。
またアイラに助けられた。
【バカ弟子が! 何度言ったら分かるのよ!】
「本当に、俺はバカで…」
【非情になれなければ、次に死ぬのはあんたなのよ?】
「……なのに、大事な人、を……身代わりにして、生き残って…」
【ぎゃはは、バカだろ、お前は】
「…こんな俺があの強くてかっこいい人の唯一の弟子、だなんて。 アイラはさぞ……」
無念だっただろうな?
そう続く言葉が。
「……誇りに思っていたよ」
静かな、でもよく通る低い声に遮られた。
「顔を上げて、レオくん」
後頭部にふってきた声に。
俺は戸惑いながらも、ゆっくりと顔を上げた。
もう動かないアイラを両腕で抱きしめたまま。
カイルはとても穏やかに笑って、俺を見た。
「飲みに行くとアイラはね、いつも君の話ばかりしていたよ」
「…………っ!」
「……『バカみたいに口が悪くて、少しも師を敬わない』と拗ねてもいたけど…」
「……それ、は…アイラの口調がうつって…」
「…うん。 口が良くないよね、アイラも。 …それに…ああ、そうだ。 『口さえ開かなければ、あいつは極上の美術品だ。 酒がよく進む』とも言っていたかな」
【お前は喋ると、一気に残念になるな。 この顔だけ男が】
「…………」
「……でもいつも、とても楽しそうに君の話をしていたよ。 少し妬けてしまうくらいには、ね」
「………っ!」
漏れ出そうになる嗚咽を、唇を噛み締めて押し殺す。
「…ちっとも教えを守らない。 非情になれない。 『影』なんかには向いてない…」
アイラが言っていたんだろう言葉一つ一つが、胸を抉っていく。
そんな資格なんてありはしないのに。
苦しくて辛くて両手を握りしめる。
けれど。
「でも」と続いたカイルの言葉に、俺は思わず目を見開いた。
「……でも。 『人として。 男としては。 優しくて、素直で、いいやつだ』と。 そう言って、笑って、いたよ」
アイラを胸に抱いたまま、震える声でそう教えてくれる。
婚約者を眼の前で失ったばかりなのに。
カイルが一番辛いはずなのに。
「…きっと、ね。 アイラにとって、君は…手のかかる弟子であり…生意気な後輩であり…そして…」
「───愛する弟、だったんじゃないかな?」
【お姉様と呼びなさい】




