25 どうか、まだそこにいてくれ
ふわりと風もないのに、ペン吉の人工髪が揺れる。
その瞬間、なぜだか胸が愛おしさで一杯になった。
「……ニーナ?」
思わず振り返る。
シンと静まり返った暗闇に、人影など見当たらない。
………そうだよな。
「…ニーナがこんなとこにいるわけねぇよな……」
むしろいてくれなくてよかった。
そう思いながら、動かないアイラを背負った。
先ほど走ってきた道を、アイラを背負って歩く。
この小さなペン吉君ボディで、成人女性を背負うのは物理的に無理がある。
まず重量で潰れる。
そのはず、なのに。
「……なんでこんなに軽いんだよ…」
3キロ太ったってあれほど大騒ぎしてたのに。
なのに今はこんなにも軽い。
人ではない、から。
「…なあ、アイラ。 きっとあんた、元の体に戻ったらよ、『こっちの体はスリムでよかったわぁ』、とか言い出すんだろ?」
首元に垂れたアイラの手が、歩くたびに小さく揺れる。
さっきまで、あれほど鋭く剣を振るっていた手なのに。
「結婚式はいつだ? あんたがドレス、とか笑えるな。 でもまあ…スタイルは悪くねぇから、それなりに綺麗になるんじゃねぇか? …めんどくせぇけど、ちゃんと出席してやる、から…」
木々の隙間から差し込む月明かりが、黒い金属の体を鈍く照らす。
「新婚旅行は、あの有名な温泉地に行くって言ってたよな? もう年なんだからよ、しっかり療養してこいよな」
ずり落ちそうになった体を、一度背負い直す。
やっぱり、軽い。
こんなに軽いはず、ねぇのにな。
たどり着いた北の石壁。
潜入するときにあけた小さな穴を。
さらに2つ石をどけて、通り抜けた。
「……あっちの森の中、だったな、集合場所は。 ……それにしても、カイルはほんとに出来た男だよな。 あんたみたいなバカ強い女を、嫁にもらおうってんだからよ。 最初はあんたの妄言かと疑ったもんだぜ」
【なんですってぇ!? 喧嘩か? 喧嘩の押し売りか? よし買った、表でろ】
いつもだったら飛んでくる口汚い言葉が。
一つも聞こえない。
「……年甲斐もなく、はしゃいで。 これが恋よ、なんて俺に説教までして、さ…」
背負ったアイラはもうピクリとも動かない。
「……でも、よ。 実は俺にも、大事にしたい女が出来たんだ…。 めっちゃズレてるし、バカみたいなこと本気でやるんだけど、よ。 …めちゃくちゃいい女で、さ。 今度、紹介させてくれよ。 あ、だけどいつもみたいにいきなり距離つめんなよ? 向こうは、あんま人馴れしてねぇからよ」
ペタ。
ペタペタ。
夜道を歩く俺の足音だけが、苦しいほど耳に響いてくる。
「……っ。 なんで黙ってんだよ、あのおしゃべりお化けが。 なんか言えよ!」
返事はない。
歩くたびに揺れる細い腕も。
背中の軽さも。
何一つとして変化はない。
「⋯⋯帰ろう、アイラ」
ずり落ちてきた体を、また背負い直す。
「帰ろう⋯カエルのところ⋯⋯じゃなかった、カイルのところに⋯」
⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯くだらねぇ。
いつもなら、こんなバカみたいなギャグ一つで、腹抱えて笑うくせに、よ。
「⋯⋯⋯だから……なんか言ってくれよ⋯⋯」
森の中、小さな明かりが見えた。
まだ夜明けには大分時間がある。
それでも、明かりはついていた。
待ち望んでいた人を、迎え入れるために。
待ち人が、道に迷ったりすることがないように。
夜でも明かりを絶やさずにいてくれたのだろう。
「アイラ、着いたぞ」
カイルもあんたの帰りをずっと待ってくれていた。
こんな淋しい森の中に、たった一人で一ヶ月近くも。
なんだよ、アイラ。
あんたやっぱり、めちゃくちゃ愛されてるじゃねぇか。
逸る気持ちを抑え、小屋の扉を押し開ける。
「⋯⋯⋯!?」
中には男が一人いた。
椅子に座っている。
見覚えがある。
カイルだ。
その前には木製の小さなベッドがあって。
誰かが寝かされているのが見えた。
アイラの体だな!
よし、これで。
アイラは助かる。
「アイラ! ほら、カイルだぞ。 それに、あんたの体、も⋯⋯」
あるぞ。
そう言いたかった。
⋯⋯だが⋯⋯出来なかった。
口をバカみたいに半開きにしたまま、俺は固まった。
「嘘⋯だろ⋯なんで⋯」
呻くように絞り出した声が、どうしようもなく震える。
反射的に、周囲を見渡した。
⋯あるべきものが、ない。
部屋にはこの小さなベッドだけ。
他には何も、ない。
「なんで、だよ」
ずるっと、背中からアイラが落ちそうになり、慌てて背負い直す。
けど、あまりのショックに動揺して。
アイラを支えると同時に、俺も床に座り込んだ。
カタカタ、と自分の体が震えているのが分かる。
「体が、あるって⋯。 ⋯⋯だから、カイルのところに行けって、あんたそう言ったじゃねぇか!」
もうピクリとも動かないアイラに、責めるような言葉を投げかけて。
そこで気がついた。
『体、カイルの⋯』『帰⋯』
あの時アイラは、そう言った。
そして何度も何度も。
『早くしろ』、と。
そう言って俺を急かしてた。
『体があるから、早くカイルのところに連れて帰ってほしい』
そう⋯言ってるんだと思った。
そう思い込んでた。
でも。
違った。
「なんでだよ、アイラ⋯」
自分の体、なんかじゃない。
俺の。
俺の体が、ここにあるから。
だから早く帰れ、と。
そうアイラは言っていたんだ。
あんなにボロボロで。
消えそうだったのに。
それでも、最後まで俺の心配をしてた。
「⋯⋯レオ、くんかな?」
ゆっくりと椅子から立ち上がったカイルと目が合った。
その向こう側。
ベッドに丁寧に寝かされていたのは。
自然な金色の髪。
整った顔立ち。
そして、長い手足。
間違いなく、俺の体、だった。




