20 もううんざりだ【レオ視点】
「待って下さい、ペン吉君!」
遠い後ろから聞こえてきた声に、ありもしない心臓が跳ね上がった気がした。
あの声は⋯⋯ニーナ?
まさか。
なんでだよ。
俺はあんな酷い言葉を浴びせたのに。
なんで追ってくんだよ。
お前まだ外は怖いはずだろ?
昨日だって、ビクビク、ウサギみたいに震えてたじゃねぇか。
なのに。
───それでも、俺を追って外に飛び出したのか?
思った瞬間、魂を震わすほど強く込み上がった感情。
胸を覆い尽くすようなこんな感情を、俺は知らなかった。
【レオ】
唐突に、耳の奥で声が響いた。
女の声だ。
公爵邸に忍び込んだ時、警報のように頭に響き続けた、あの声。
誰なのか分からなかった。
それがもどかしくて。
そしてひたすらに怖かった。
けど今は⋯⋯。
【なんだその顔。お前、お姉様がいなくなることがそんなに淋しいのか?】
⋯⋯うっせぇよ⋯アイラ⋯。
いつまでも頭ん中で喋るんじゃねぇ。
【ま、お前もいずれわかるよ。 どう見てもマヌケなのに、かわいい。 バカバカしいのに愛おしい。 で、どんなことをしても守りたい。 それが恋、だ】
⋯⋯恋、ね。
「待って! 待ってください!」
後ろから聞こえ続けるニーナの声。
ニーナ⋯。
お前は、まだこんな俺を追ってきてんのか。
お人好しすぎんだろ。
もう俺はお前に付き合うのは、うんざりなんだよ。
名付けのセンスは、微妙だし。
赤パンはかすし。
絵は新種の古代壁画だし。
それから⋯。
「待って! お願いです、待って!」
俺を呼び続ける声に、唇を噛み締める。
公爵に贈り物されて、すげぇ嬉しそうだし。
頭いいはずなのに、なんか馬鹿だし。
感性ズレてるし。
でも、よ⋯。
「待って下さい⋯⋯レオ、さん!」
ピクっと自分の身体が反応したのを自覚する。
いや、違う。
反応したのは、俺の魂、か。
「レオ!」
続いて聞こえてきた声に、足が止まりかけて。
意地で前へと動かした。
⋯⋯ずりぃだろ、今そんな風に呼ぶのはよ。
止まりそうになる足を叱咤し、一歩一歩と前へ進み。
小さな体を利用して、人混みの中に紛れ込む。
徐々に声が遠くなっていく。
ニーナと、俺の距離が⋯⋯遠くなっていく。
ズキッと、胸が痛んだ。
ジグジグとまるで血が溢れ出しているみたいだ。
ま、俺には痛む体なんて、もうありはしねぇんだが。
こんな時まで律儀につっこむ自分に、自嘲がもれる。
その釣り上がった口角が。
「レ⋯ォ⋯」
ついに聞こえなくなったニーナの声に、歪む。
また足が止まりかけて。
⋯⋯ごめんな、ニーナ。
また一歩、ニーナと離れるために足を踏み出した。
なあ、ニーナ。
俺、な。
言わなかったけど、記憶が少しだけ戻ったんだ。
きっかけになったのが、なんであの王子の顔だったのか、はまだよくわかんねぇんだが。
……で、さ。
お前俺が倒れた時、すげぇ心配してくれたよな。
ありがとうな。
めちゃめちゃ嬉しかった。
けど、同時に。
めちゃくちゃ苦しくなった。
だって、よ。
ずっと言えなかったけど、な。
俺、最近体の調子がおかしいんだよな。
思うように動かなかったり、一瞬意識が飛んだり。
お前心配して何度も見てくれたよな。
でも、悪いとこはどこにも見当たらなかった。
で、さ。
多分、悪いのはこのペン吉ボディじゃなくて。
俺の方なんじゃねぇかな。
もしかしたら、俺に残されてる時間ってすげぇ短いのかもしれない。
うわ、きついな、これ。
でも、不思議なんだけどな。
自分がもうすぐ消滅するかもしれない、って考えた時。
最初に思ったの、お前のことだった。
俺が倒れただけであんなにうろたえて、泣きそうな顔してたのに。
もし俺がいなくなって、このペン吉ボディが二度と動かなくなったら。
ニーナ、お前は一体どれほど泣くんだろうな、って。
きっとめちゃくちゃ取り乱すんだろうな、って。
で、それが心底恐ろしくなった。
それとな。
お前はあのキザオに心許しちまってるみたいだが。
あいつは駄目だ。
お前の結婚相手としては、絶対に認められねぇ。
お前の結婚相手は、ちゃんとお前自身を見て、何があってもお前を幸せにする、って覚悟を持ってるやつじゃなきゃ俺は認められねぇ。
………いや、違うな。
例え、俺と同じくらいいい男がお前に求婚したとしても。
俺はやっぱり認められねぇ。
俺はな、他の誰にもお前を渡したくねぇんだ、きっと。
うん、なかなかに自分勝手だな。
だけど、しょうがねぇだろ?
お前のあのちょっと間抜けな笑顔がさ、何よりもかわいいって思っちまったんだから。
バカバカしいことを全力でやってるお前がさ、誰よりも愛しいと思っちまったんだからよ。
【それが恋、だ】
……何度もうっせぇよ、アイラ。
───わかってるよ。
ニーナ。
なあ、ニーナ。
俺、お前が好きだわ。
めちゃくちゃ惚れてる。
だからよ、もう一緒にはいられねぇ。
俺にはまだやり残したことがある。
体を取り戻すよりももっと大事なこと。
俺に残された任務。
俺が体を失い魂だけの存在になった元凶。
あのキザオ。
───フィガロ公爵の悪事の証拠を、何としても掴まないといけない。
俺に残された時間がどれほどあるのかわからない。
けど、それでもやらなきゃいけない。
なあ、ニーナ。
お前の婚約者(仮!)は、本当にヤバイやつなんだ。
本当のこと言ったらお前、絶対俺を手伝おうとするだろ?
………ありがとうな。
でも……。
ごめん、ともう一度心のなかで謝罪を繰り返す。
届きもしないのに謝罪を。
お前を危険なところには連れていけない。
後は俺一人で決着を付ける。
だから、ニーナ。
───ごめんな。 ここで……お別れだ。




