18 異変
ガシャン。
明るく賑やかな雰囲気を、一瞬で切り裂く音。
得体のしれない恐怖を感じて、わたしは音がした方を振り返った。
そして。
呼吸を忘れた。
辺りの騒音が消え、自分の心臓の鼓動だけが耳元で狂ったように聞こえる。
「ペン…き、ち君?」
少し先の地面。
うつ伏せに倒れたまま、ピクリとも動かない友人の姿。
「どうしたのですか!?」
駆け寄りながら、想定される原因を必死で考える。
なのに頭が真っ白で、一つも思い浮かばない。
「ペン吉君!」
抱き起こして呼びかける。
反応がまるでない。
血の気が急速に引いていくのを自覚した。
「ドロシーちゃん、一体何があったのですか!?」
すぐ脇に立っていたドロシーちゃんに声をかける。
「わ、わからない。 あっちらへんを見てたペン吉が急に倒れて…」
あっちらへん?
ドロシーちゃんが、前足で示してくれた方向に顔を向ける。
立ち並ぶ店。
《仕立て屋》《骨董品屋》《写真館》
特におかしなところはないように思える。
では何か不具合が?
今朝メンテナンスした時には、なにも…。
そこまで考えて、ゾクッと背筋に冷たいものが走った。
部品が合わないなら代えれる。
関節部も魔道回路も。
原因がペン吉君の体なら、直せる。
でもそうじゃないとしたら?
原因がペン吉君ではなく中身だとしたら。
わたしでは直せない。
そう思った瞬間、張り裂けそうな痛みが胸を襲い、歯を食いしばって耐えた。
とにかくペン吉君の体を見てみなければ。
気遣う言葉をかけてくれるエミリアさん達に、軽く頭を下げて。
ペン吉君を背負って立ち上がる。
軽い。
長年引きこもってたわたしでも楽に背負えてしまうほど、その体は軽い。
当たり前だ。
そこまでの重量のある素材は使ってない。
わかっているのに、なぜだか胸の奥が苦しくなった。
「うわ、まじか。 親父さん、今日はえらい気合入ってんな」
「うふふ、 流石だねペン吉殿。 分かるかい?」
「いや流石に、気づくだろ。 いやニーナは基本ぼーっとしてるから、気づかねぇかもしれねぇけど」
「俺は分かるぜ」と口角を上げているペン吉君を、わたしはぼんやりと見つめていた。
結論から言って、ペン吉君の体には何の異常も見つからなかった。
部屋に戻ってすぐに意識も戻った。
倒れた原因について詳しく聞いてみたれど、自分でもよく覚えていないと首を振られただけだった。
いつもと同じように、楽しそうに笑ってるペン吉君。
動きにもおかしなところはない。
一時的な誤作動は、繊細な魔道具にはよくある現象だ。
でも、胸の奥の不安がどうしても消えない。
「ほらな、親父さん。 こいつ、ぼーっとしてるから気づいてないだろ。 おい、ニーナ。 ちゃんと人を見る。 で、ちゃんと気づいて、指摘しろ。 それが優しさってもんだ」
急に名前を呼ばれ、我に返った。
えっと。
何の話だったでしょうか?
今は、父と晩ごはんを食べていて…。
「……はぁ。 今日はいつもにも増して、ぼーっとしてんな。 ヅラだよ、ヅラ。 お前の親父さんの」
「…ペ、ペン吉殿。 出来たらおしゃれに、ウィッグっと言ってもらえると……」
「おう。 ……で、そのヅラが、今日はいつもより段違いでいい出来だろうが! ちゃんと気づいてやれよ。 親父さん、お前と食事出来るようになったのが嬉しくて、気合い入れて装着してきたんだぞ。 新しく質の良いヅラを!」
「……ウィッグ……」
「はは。 まあ、細かいことは気にすんなって、親父さん」とペン吉君は父と楽しそうに笑い合っている。
いつの間にあんなに仲良しになったのでしょう。
父を見る。
いつもと同じ、少しだけ不自然に浮いた金色の髪。
違いはよくわからない。
けれど。
「……父。 今日のその髪も、とても綺麗です」
「……ニーナ」
言った瞬間、父が嬉しそうに破顔した。
こんな父の顔を見たのはいつぶりだろうか。
……ああ、そうなのですね。
わたしは確かに言葉が足らなかったのだと自覚する。
「いつも…ありがとう、父」
感謝はしていても、言葉に出して伝えたことはなかった。
父の目にみるみる涙がせり上がってきたのがわかった。
「…良かったな、親父さん。 ヅラ、気合い入れてきたかいがあったな?」
「…うん、うん、ありがとう、ペン吉殿。 …でも今度からはウィッグって言ってね…」
「どっちでも同じじゃないのね?」と同意を求めてくるドロシーちゃんに、相槌を打ちながら。
こんな時間がずっと続けばいいなと思う。
「そう言えばニーナ。 先日頼まれていた件だけど」
食後のデザートの時間、父が唐突に切り出した。
先日の件?
何でしたでしょうか、と一瞬だけ思って。
「後で詳しい資料を届けるけど。 ここ数ヶ月の間に、行方不明届けが出ている令息の情報はなかったよ」
父の言葉で、すぐに思い出した。
ペン吉君が来てすぐに、国内の貴族で、最近行方不明になった人がいないかを探してもらっていたのだった。
でも。
行方不明者がいない?
「病にかかったなどの理由で、表に出てこなくなった人はいませんでしたか?」
「うん。 そんな人もいなかったね」
行方不明者も、病にかかった人もいない。
では、ペン吉君は?
「……じゃあ、パパさん」
ドロシーちゃんの声に、顔をそちらに向けて。
予想以上に真剣なその表情に、思わず息を呑んだ。
「この国の王子様は、今も健在?」
王子様?
なぜドロシーちゃんは、そんな人を気にするのでしょうか?
それに。
気のせいかもしれないけれど。
今。
ペン吉君が少しだけ反応、した?
「王子様? ……ああ、テオドール殿下かな? うん、殿下も健やかにお過ごしだよ。 最近体調が優れない陛下の代わりに、建国祭では堂々と演説されていて。 実に素晴らしいものだったよ」
「……そう」
「なんだよ、ドラ? お前もやっぱり王子様が好きなのか? 意外と乙女だな」
「違うわよ。 黙ってなさいよ、この変態パンツ!」
ドロシーちゃんとペン吉君が、仲良く言い合いをしている。
いつもと同じ光景。
なのに。
ペン吉君の様子が少しだけおかしい気がする。
どこがどう、なんてわからない。
でも、少しだけ辛そうに見える。
「…ペン吉君?」
「…あ?」
呼べば、すぐに振り返ってくれる。
わたしと目があって、優しく細まる瞳。
「なんだよ?」と釣り上がる口角。
いつも同じ、なのに。
「…どうか、しましたか?」
「どうかって? 別に、どうもしねぇが? ってか、むしろどうかしたのはお前だろ? いつもにもまして、ぼーっとしてんぞ」
「……そう、ですか? ……本当に、体はどうもないのですか?」
「お前はほんとに、心配性だな。 この通り、体はピンピンしてんぞ」
「…そう、ですか」
いつものペン吉君にしか見えない。
その事に、ホッと安堵の息を吐き出した。
けれど。
わたしは、この時の自分を今でもずっと後悔している。
ぼんやりしている。
少し変わってる。
幼い頃から何度もそう言われた。
人と上手に関わることが出来なくて。
傷つけられるのが怖くて、関わり合うことをやめた。
でも。
もしあの時、もう少し頑張れていたなら。
人との関わり方を、きちんと学んでいたなら。
わたしは、大事なあなたの異変にちゃんと気づけただろうか。
一人で苦しませることもなかっただろうか。
今更どうしようもないことを。
見知らぬこの部屋で、延々とわたしは考え続けている。
「ペン吉殿、君も飲むかい?」
「おう……って言いてぇけど、俺、魔道具だから無理だな」
「そうか。……君はどこから来たんだい? ドロシーさんとは、また違うよね?」
「…………」
「まあ、いいか。ありがとうね、ペン吉殿」
「なんだよ、急に」
「君が来てくれたおかげで、ニーナが明るくなったよ」
「俺のおかげなんかじゃねぇよ。あいつが自分で頑張ったんだ」
「うん。それでも、ありがとう」
「……おう」
「…………」
「……俺も、いつまで側にいられるかわかんねぇけどな」
「…………」
「親父さんもドラもいる。友達もできたし……大丈夫だろ」
「ペン吉殿?」
「……ニーナのこと、よろしくな。親父さん」




