10 三年ぶりに、扉を開ける
フィガロ公爵がわたしに会いたいと言っている。
父が伝えてきた内容に、体中が震え上がる。
たった今、公爵の話をしていた。
そしてペン吉君が、その公爵邸から戻ってきたばかり。
このタイミングで面会の申し入れは。
「……タイミングが良すぎるな。 ヤバイ匂いがプンプンする。 ここは理由を付けて断った方がいいんじゃねぇか?」
わたしの思考を読んだかのように、ペン吉君が言う。
随分と真面目な表情に、ゴクリと思わず唾を飲み込んだ。
緊張でか、それとも恐怖でだろうか。
先程から喉がカラカラだ。
「わたしもそう思う〜。 ニーナの極度の引きこもりは、社交界でも噂になってるだろうから。いつものように『む、む、む、無理です』って言えば、パパさんがなんとかしてくれるわよ」
わたしの口真似がとても上手ですね、ドロシーちゃん。
「公爵に会うのは、もう少し公爵邸を探ってみてからのほうがいいんじゃねぇ?」
「俺がまた探りに行ってくるからよ」、というペン吉君の言葉をわたしなりに考えてみる。
公爵に会うのは当然恐ろしい。
何よりこの部屋から出たくない。
外は怖い。
でも。
首が取れてかけて、ボロボロになって帰ってきたペン吉君の姿を思い出す。
敵がいたと言っていた。
それで仕方なく頭突きを食らわせた、と。
つまり、ペン吉君にとって公爵邸はとても危険な場所だという事。
父も、公爵直々の申し入れを断るのは大変なのではないだろうか。
それに。
机の上においてある、ペン吉君が持ち帰ってくれた魔道具を見る。
中を無理矢理こじ開けられ、めちゃくちゃに分解されているのがわかる。
わたしが一から育てた、大事な子。
捨てられたとわかった時は、ショックで暫く立ち直れなかったのに。
それが盗まれていて、それもこんな無惨な扱われ方をしていた。
公爵本人が関わっているのかは知らない。
でもそう考えるのが妥当ではないだろうか。
でなければ、わたしを嫁に欲しいだなんて言う物好きがいるわけがない。
メラっと心に炎が灯った気がする。
今まで感じたことのなかった種類の炎。
これがきっと怒る、ということなのだろうと思う。
「許せません」
呟くような言葉に、ドロシーちゃんとペン吉君が「ニーナ?」とわたしの名前を呼び、首を傾げた。
怖い。
出来れば、この部屋にずっと引きこもっていたい。
でも。
わたしの大事な子に、こんな扱いをした人は許せません!
「わたし、公爵に会います!」
ヒュッと。
驚いたように息を飲んだのが誰だったのか、わたしは知らない。
それを確かめる前に、「本当にいいのか? 大丈夫なのか?」という父の声が扉越しに聞こえたから。
「おいおい、ニーナ、お前マジかよ」
というペン吉君の声を無視して。
「大丈夫です。 会いますと、公爵さんに伝えて下さい」
と父に返事をする。
数秒の沈黙の後。
「わかった。 そう返事をしておく。 だが無理はするなよ」という父の声がして。
足音が部屋から遠ざかっていった。
「おい、大丈夫なのか、ニーナ? 相手は得体の知れないラスボス(仮)だぞ?」
「ラスボス、って! ウケる!」
「あ、また入れ替わるか? 俺が公爵の相手をしてやろうか?」
短く可愛い手をばたつかせて焦っているペン吉君と。
不自然なほどわたしを見ないドロシーちゃん。
二人の対照的な反応……特にドロシーちゃんの態度に違和感を覚えながらも。
わたしは首を横に振った。
「いえ」
正直に言えば、ペン吉君に任せてしまったほうが楽だ。
前にきた、頭が涼しい使者さんの時のように、内側から見てるだけでいい。
公爵さんの相手も、情報を引き出すのも、引きこもりのわたしよりもペン吉君の方が上手だと思う。
でも。
「わたしが会います」
怖いけど。
わたしの目と言葉で真実を見つけたい。
ペン吉君がじっとわたしを見る。
けれど。
ドロシーちゃんは、ゆらゆらと長い尻尾を揺らしながら。
それでも一切わたしに視線を向けてくれない。
何を考えているのかわからなくて、少しだけ不安になり始めた頃。
「……そうか」
ペン吉君の、静かな声が響いた。
「だったら公爵にギャフンと言わせるためにも、とりあえず身なりを整えないとな!」
身なり、ですか?
この格好じゃだめですか?
無言の訴えに、ペン吉君が口元に薄い笑みを浮かべて首を横に振る。
確かにこれは作業服ですので、オイルや汚れがついているかもしれませんが。
「黒だから、汚れもそう目立ちませんよ? そういう素材と色を選びましたから!」
「………そういうことじゃねぇんだよ…」
「そう、ですか?」
「とりあえず、侍女を呼んで支度を……いや、無理か。 この部屋に入れたんじゃ、侍女が可哀そすぎる。それにお前もこの部屋に誰かが入るのはもう嫌だろ?」
「……はい」
「ん。 じゃ仕方ねぇから俺がやる! ちょっとそこ座れ! とりあえず化粧道具は……あるわけねぇよな。 侍女に言って、道具だけでも持ってきてもらえ。 それから、髪に塗るオイル。 ドレス一式に、靴。 アクセサリーも届けさせろよ」
テキパキと指示するペン吉君の要望に、目を白黒させながらわたしは必死で答えたのだった。
「実は俺……天才だったのかもしれない」
「はいはい、誇大妄想、乙! 心配しなくてもあんたは凡人の中の凡人。 いや、平均よりもやや下?」
「何だと、ドラ!」
「だって変態赤パンツだし。 そのファサーって感じの髪、マジ浮きすぎててウケる」
「赤パンも、ヅラも俺の趣味じゃねぇ! それに見てみろ、この別人レベルに出来上がった、『お前そりゃ詐欺だろ』、ってレベルのニーナを!」
出来上がったわたしを見て、ペン吉君が感動している。
つられるように、わたしも鏡の中の自分を見つめた。
いつも適当に一つにまとめている黒い髪は、綺麗に梳かれて艶々と光り、背中へ流れている。
寝不足でくすんでいた顔も、うっすらと化粧を施されただけで随分と血色がよく見えた。
そして。
こんな色をしていたのですね。
久しぶりにまじまじと自分の目を見る。
黒い髪の間から覗く、淡い紫色の瞳。
……なるほど。
これは確かに別人です。
「……ニーナはもともと素材は良かったのよ。 枯れ果ててただけで…」
素材がどうこうはわかりませんが。
これは、詐欺だと訴えられたりしないでしょうか。
本気でそんなことを心配していた。
その時。
コンコンコン、と遠慮がちにドアをノックする音が聞こえた。
「ニーナ? そろそろ公爵様が屋敷に到着される頃だよ」
なので、玄関で出迎えよう、ということなのだろう。
ドクっと心臓が高く鳴る。
自分で外に出ると決めた。
その覚悟はもう決めたはずなのに。
それでも押し寄せてくる恐怖に、血の気が一気に引いていく。
ペン吉君と。
そしてドロシーちゃんの視線を感じる。
それでも足がすくむ。
一歩が踏み出せない。
怖くて怖くて、膝から崩れ落ちそうになる。
そのわたしの背中を。
パシッと。
誰かが軽く叩いた。
はずみで、床に張り付いたように動かなかったわたしの右足が一歩前に出る。
「おし、頑張れ、ニーナ!」
二カッとペン吉君が笑う。
「あは、長年の引きこもり、乙!」
ドロシーちゃんも、しっかりとわたしと顔を合わせて。
そして目を細めて笑ってくれた。
じんわりと心が温かくなる。
確かにまだ怖い。
それがなくなったわけじゃない。
でもわたしには、側にいてくれる大事な人達がいる。
だから。
わたしは。
「公爵に、会います」
まっすぐに顔を上げて、一歩を踏み出した。
「⋯⋯おい、親父さんお前の顔見れて、めっちゃ泣いてんぞ⋯心配してたんだろうな」
「⋯⋯そうですね」
「⋯⋯知ってるか? 頭髪はな、心配事があると徐々に淋しくなってくらしいぞ」
「そうなのですか? では父のあれは⋯⋯」
「お前のせい⋯⋯いや、違う。 お前への愛情の証しでもあるんだろうな⋯」
「⋯⋯今度新しい髪をプレゼントします」
「おう⋯⋯。 ⋯⋯ま、普通髪はプレゼントするもんじゃねぇんだけどな」




