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灰冠(はいかん)の大陸アルメリア  作者: たむ


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第六章 選択編 第16話 討議の暴力

 言葉は刃物ではない。

 そう信じていた者ほど、言葉が人を壁際まで追い詰める様子を見た時、ひどく驚く。


 ミレスの討議所が生まれたばかりの頃、そこには不格好ながらも、誰かが何かを言い出せる余白があった。声は重なり、脱線し、怒鳴り声も混じったが、それでも場そのものにはまだ“始まったばかりのもの”に特有の柔らかさが残っていた。だが場が続き、常連が生まれ、議題が重くなるにつれて、そこには別の秩序が育ち始める。


 よく話す者。

 話のまとめ方を知っている者。

 反論に怯まない者。

 他人の沈黙を、自分への同意として扱える者。


 そういう人間が、自然に中心へ寄っていく。


 その夜、倉庫の二階では備蓄放出の第二段階について議論されていた。暫定配給は一巡し、再評価の時期が来ている。対象を広げるか、量を絞るか、それともいったん止めるか。議題としては以前と地続きだが、場の空気はもう前ほど素朴ではなかった。


「記録では、放出先の家のうち七割が使い切っている」ネヴィルが紙を見ながら言う。


「なら増やすしかないだろう」肉屋がすぐ返す。


「備蓄総量の見通しは?」リュシアが問う。


「今の流れだと、秋口までに底が見える可能性がある」


「可能性、可能性って、いつもそれだな」皮なめし職人が苛立った声を出す。「結局、出したいのか出したくないのか、はっきり言えよ」


 ネヴィルは言葉に詰まった。

 彼は記録者であって、結論を押し出す者ではない。

 だが場にいる者の一部は、もうそういう区別をしていない。

 紙を持つ者、数字を読む者、話を整理する者は、そのまま“責任ある側”へ押しやられていく。


「はっきり言えないから討議してるんでしょう」リュシアが助け船を出す。


「討議、ね」肉屋が鼻で笑う。「最近は同じ顔ぶれが理屈を回してるだけに見えるがな」


 その言葉で、場の何人かが視線を伏せた。

 反論はできない。

 討議所は開かれた場のはずだったが、結局、発言の中心は固定されつつあった。


 その時、後列に座っていた若い荷運び人が、思い切ったように声を上げた。


「なら俺も言うけどさ」


 皆がそちらを見る。彼はいつも笑ってばかりいて、まとまった意見を言ったことはほとんどない。


「最近ここ、来づらいんだよ。何か言っても、すぐ理屈で返されるし、言い方が悪いと笑われる。だったら最初から黙ってた方がましだ」


 場が少し凍った。

 誰かを名指ししたわけではない。

 だがそこにいた多くの者が、自分もその空気を感じていた。


「笑ったつもりはないわ」リュシアが静かに言う。


「つもりじゃなくて、そう見えるんだよ」


「じゃあ、感情だけで決めろっていうの?」


「そうじゃない。でも、正しい言い方ができる奴だけが喋れるなら、結局、別の偉い奴ができただけだろ」


 その言葉は重かった。

 討議所が新しい権力を生み始めている。

 王や役人の権威とは違う、言葉のうまさによる権力。

 それは目に見えにくく、だからなお厄介だった。


 リュシアはしばらく黙っていたが、やがて炭筆を机に置いた。


「……そうね。そうなってる部分はあると思う」


 彼女が素直に認めたことで、場は少しだけ呼吸を取り戻した。

 だが問題は認めるだけでは消えない。


「じゃあどうするんだ」肉屋が言う。


「順番に話す時間を決めるとか、最初にまだ喋ってない人から聞くとか」


「面倒くさいな」


「面倒でも、やらないと場が縮む」


 ネヴィルはそのやりとりを記しながら、胸の奥がざらつくのを感じていた。

 記録は場を残す。

 だが場が歪んだ時、その歪みまで残す。

 それは正しいことのはずなのに、書く手が重い。


 その晩遅く、寺院裏庭の討議ではもっと露骨なことが起きた。


 年配の女が配給基準に不満を述べた時、別の女が「あなたはいつも自分の家のことしか言わない」と言い、言われた方が顔を紅潮させて立ち上がった。そこからは早かった。声が大きくなり、過去のわだかまりまで持ち出され、議題とは関係のない家同士の不和が露出する。誰かが止めても止まらない。討議の場は、時に他の場所で溜め込まれた感情の排出口にもなるのだ。


 翌朝、ネヴィルは記録集に書いた。


 ――討議は、参加を広げる一方で新たな威圧を生む。

 ――言葉の技量、立場、場慣れが、別種の支配を形成する。

 ――“話せる者”の正しさは、“話せない者”にとって時に暴力である。


 書いてから、彼はその最後の一文をしばらく見つめた。

 暴力。

 物騒な語だ。

 だが石も剣もなく、人が沈黙へ追い込まれていく様子を、他にどう呼べばよいのかわからなかった。


 レオネルはその記録を読み、深く息を吐いた。

 討議の場さえあれば何とかなる、とは彼も思っていなかった。

 だが、それでも人々がもう少し穏やかに学んでいくのではないかという、かすかな期待はあった。

 現実はもっと粗く、もっと生々しい。


「場が続けば、場にも力関係ができる」マイナが言う。


「ええ」


「驚くことじゃない。むしろ当然よ」


「当然だから困るんです」


「困るわね」


 彼女は珍しく、そこで少しだけ笑った。

 冷笑ではなく、現実の面倒さに対する乾いた同意だった。


 宿では、アリアがこの報告に長く目を留めていた。エリオンが壁にもたれたまま言う。


「討議が万能じゃないと、皆がちゃんと学び始めたな」


「ずいぶん嬉しくなさそうな言い方ね」


「嬉しいものか。お前の目指す形が、こんなふうに人を黙らせる場へもなると証明されている」


 アリアは反論しなかった。

 彼の言葉は皮肉だが、報告の核心を突いている。


「言葉の強い者が支配するなら、それは王より見えにくいだけで、同じように危険だ」


「ええ」


「それでも、まだ“見ている段階”か」


 アリアは紙を閉じた。


「見ているだけじゃない。見えてきたのよ」


「何が」


「自由に必要なのは、許可だけじゃない。弱い声を潰さないための手入れも必要だってこと」


 その言葉は、今までの彼女の立場から一歩だけ進んでいた。

 ただ場を開くだけでは足りない。

 場を保つための条件がいる。

 まだ答えにはなっていないが、少なくとも彼女の視線は次の段へ移りつつあった。

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