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乙女ゲーの辺境伯に転生したので奴隷落ちする悪役令嬢を金貨2万枚で救おうと思います(編集中)  作者: トンビが鷹を産んだトンビの方
第4章 新事業と枢機卿

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第89話 存在価値

レオンはセリオスの前まで歩き、その足を止めた。


出発の時刻は迫っている。


聖騎士達は既に準備を終え、あとはセリオスが馬車へ乗り込むのを待つだけだった。


だが、レオンにはまだ渡していないものがある。


その手には、小さな瓶が握られていた。


先ほど、クロエから受け取ったものだ。


「セリオスさん」


呼び掛けられたセリオスが振り返る。


「はい?」


レオンは手にした小瓶を差し出した。


「これを」


セリオスは不思議そうな顔をしながら、それを受け取った。


そして、小瓶の中にある無色透明の液体を見た瞬間、その表情が固まる。


「これは……」


赤い瞳が大きく見開かれた。


まるで、存在するはずのないものを目の当たりにしたような顔だった。


セリオスは小瓶を朝日にかざし、震えるような声で呟く。


「まさか……賢者の秘薬……」


周囲が静まり返った。


ゼムも驚いたように目を見開く。


「ご存じなのですか?」


「存在だけは……」


セリオスは小瓶から目を離さないまま答えた。


「賢者様が残したとされる秘薬です。魔力侵食症を含む、様々な病や呪いの進行を遅らせる効果があると伝えられています」


その声には、隠し切れない驚きが滲んでいた。


「ですが、現在では製法も材料も失われています。教国にも僅かな記録が残されているだけです」


セリオスは信じられないという表情で、小瓶を見つめ続ける。


「私も、実物を見るのは初めてです」


しかし、次の瞬間。


セリオスは小瓶を両手で持つと、そっとレオンへ差し出した。


「受け取れません」


レオンは眉をひそめる。


「なぜです?」


「これは、もう二度と手に入らないかもしれない薬です」


セリオスは困ったように苦笑した。


「それに、レオンさんは毎日のように魔法の訓練を続けています。これから先も、多くの魔力を使うことになるでしょう」


父であるグラニウスも、魔力を使い続けた末に魔力侵食症を発症した。


その息子であるレオンにも、同じ病を患う可能性がないとは言い切れない。


「いつか、この薬がレオンさんに必要になるかもしれません」


レオンは迷わず首を振った。


「私は、まだ病にかかっていません」


セリオスが言葉を止める。


レオンはその赤い瞳を真っ直ぐに見返した。


「ですが、セリオスさんは違います」


静かな声だった。


だが、そこに迷いはなかった。


「今、この薬を必要としているのはセリオスさんです」


セリオスは返す言葉を失った。


手の中の小瓶を見つめ、僅かに唇を結ぶ。


「それに……私は、ある人から学びました」


セリオスが顔を上げる。


レオンはほんの少しだけ笑った。


「目の前で困っている人を助けることを」


その意味を理解するのに、時間はかからなかった。


傷ついた兵士へ、自らの全財産を差し出した人。


他国にある孤児院の子供達を心配し、遠い辺境の地まで足を運んだ人。


自らも病を抱えながら、誰かを救うために回復魔法を使い続けてきた人。


その全てが、目の前にいるセリオスだった。


レオンは、彼の姿を見て学んだのだ。


セリオスは思わず苦笑した。


「それは……教える相手を間違えましたね」


「いえ」


レオンは首を振る。


「良い教えだと思います」


しばらく沈黙が続いた。


セリオスは小瓶とレオンの顔を交互に見る。


やがて観念したように息を吐くと、差し出していた手を引いた。


そして、小瓶を大切そうに胸元へしまう。


「ありがとうございます」


今度は、返そうとはしなかった。


レオンも静かに頷く。


「その薬でも、魔力侵食症を治すことはできません」


「ええ。分かっています」


セリオスは胸元へ手を添えた。


「賢者の秘薬であっても、失われた魔力回路を元へ戻すことはできません。魔力侵食症を完治させる薬ではありませんから」


「ですが、進行を遅らせることはできます」


レオンは真剣な表情でセリオスを見る。


「無理なお願いだとは思いますが……できるだけ魔法を使うのも控えてください」


セリオスは僅かに目を細めた。


「難しいお願いですね」


「分かっています」


レオンも苦笑する。


セリオスが、目の前で苦しんでいる者を見捨てられないことは知っている。


誰かを助けられるのなら、自らの身体へかかる負担など後回しにしてしまうことも。


だからこそ、言わずにはいられなかった。


少しでも魔力を使う回数を減らしてほしい。


少しでも長く生きてほしい。


それだけだった。


セリオスはしばらく黙っていた。


やがて何かを思い出したように、自らの白い髪へ触れる。


柔らかな髪が、朝の風に揺れた。


「この白い髪と赤い瞳は、教国では不吉なものの象徴なのです」


突然の言葉に、クロエの表情が曇った。


セリオスは自らの髪を指先で摘まみながら、静かに続ける。


「幼い頃から、何度も言われてきました」


気味が悪い。


不吉だ。


縁起が悪い。


その言葉を向けられるたびに、人々はセリオスから距離を取った。


同じ場所へいることすら嫌う者もいた。


だが、それを語るセリオスの声に恨みはなかった。


ただ、過去に起きた事実を淡々と並べているだけだった。


だからこそ、その言葉は重かった。


セリオスは小さく笑う。


「だから……嫌悪の対象である僕に価値があるとすれば、誰かを助けることだけなのだと思っていました」


その瞬間だけ、一人称が変わった。


教国の枢機卿でも、慈愛の聖人でもない。


誰かに嫌われることを恐れていた、幼い頃のセリオスへ戻ったようだった。


レオンは不思議そうに首を傾げる。


「そうでしょうか?」


セリオスが目を瞬かせた。


「俺は、そうは思いません」


「ですが……」


「人の価値は、自分一人で決めるものではないと思います」


レオンは領都の外れにある丘へ視線を向けた。


ここからでは、グラニウスの墓をはっきり見ることはできない。


それでも、その場所がどこにあるのかは分かる。


今も無数の花に囲まれている、父の墓。


グラニウス自身が、自分の価値を口にすることはなかった。


ただ領民を守り、救い続けた。


そして亡くなった今も、多くの者が父を慕い、花を供え続けている。


人の価値を決めるのは、自分だけではない。


その人に救われた者。


共に過ごした者。


大切に思う者。


そうした人々の中にも、その人が生きた価値は残り続ける。


レオンは、何かを言い掛けたセリオスの言葉を遮った。


「それに……」


セリオスへ視線を戻す。


白い髪。


赤い瞳。


その姿を改めて見たレオンは、何でもないことのように言った。


「雪兎みたいで、可愛いと思いますけどね」


セリオスが固まった。


赤い瞳が、僅かに見開かれる。


予想外の反応に、クロエが不思議そうに首を傾げた。


「どうしたの?」


セリオスはすぐには答えなかった。


レオンの顔を見つめた後、どこか遠くを見るように目を細める。


そして、小さく笑った。


「いえ……昔にも、一人だけいたのです」


レオン達は黙って続きを待った。


セリオスは風に揺れる白い髪へ、もう一度触れる。


「同じことを言ってくれた人が」


幼い頃の記憶が蘇る。


いつもセリオスを助けてくれた少女。


誰かが困っていれば、真っ先に駆けつける。


自信満々に胸を張り、まるで物語に登場する英雄のように笑う女の子。


血の匂い。


傷ついた身体。


それでも、最後まで自分を安心させようと優しく笑っていた姿。


セリオスはゆっくりと目を閉じた。


春の風が、白い髪を静かに揺らしていく。


「懐かしいですね」


その声は穏やかだった。


だが、どこか僅かに寂しそうでもあった。


レオン達は何も尋ねなかった。


今は、聞くべきではない。


何となく、そう感じたからだ。


しばらくして、セリオスは目を開いた。


その顔には、いつもの優しい笑みが戻っている。


「ありがとうございます」


それは、秘薬に対する礼だけではなかった。


掛けられた言葉も。


自分を案じてくれた気持ちも。


全てを含めた感謝だった。


レオンは静かに頷く。


「長生きしてください」


セリオスは少しだけ目を細めた。


「努力します」


その返事は、以前よりもほんの少しだけ前を向いているように聞こえた。

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