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乙女ゲーの辺境伯に転生したので奴隷落ちする悪役令嬢を金貨2万枚で救おうと思います(編集中)  作者: トンビが鷹を産んだトンビの方
第4章 新事業と枢機卿

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第90話 旅立ち

 しばらく、誰も言葉を発しなかった。

 静かな風だけが、ノルディア邸の正門前を吹き抜けていく。

 セリオスは胸元へしまった賢者の秘薬へ、そっと手を触れた。

 それから、穏やかに笑う。


「本当に、最後まで驚かされました」


 レオンは苦笑した。


「そうですか?」


「ええ」


 セリオスは頷く。


「普通なら、これほど貴重な秘薬を他人へ渡したりはしません。治すことのできない病を患う者に、希望を与えようともしないでしょう。ましてや、他国の人間をここまで信じることなどありません」


 そこで言葉を区切り、小さく笑った。


「ですが、レオンさんはそういう人でした」


 レオンは肩を竦める。


「褒めています?」


「褒めています」


 即答だった。

 クロエが思わず吹き出す。


「そこは迷わないんだ」


「迷う理由がありませんから」


 セリオスは笑った。

 それから、見送りに集まった人々を改めて見渡す。


 ゼム。

 リック。

 シスター。

 ラッツとリン。

 そして、孤児院の子供達。


 ノルディア領で過ごしたのは、僅か数か月。

 振り返れば、瞬く間に過ぎてしまったようにも思える。

 それでも、この地で経験した全てが、忘れ難い記憶としてセリオスの中に残っていた。


 セリオスはシスターへ向き直る。


「孤児院のことを、よろしくお願いします」


 シスターは深く頭を下げた。


「お任せください。子供達も、立派に育ててみせます」


 その言葉を聞き、セリオスは満足そうに頷いた。

 続いて、ラッツへ目を向ける。


「魔力草のことも、お願いしますね」


 ラッツは真剣な表情で頷く。


「はい。任せてください」


 迷いのない返事だった。

 初めて会った頃と比べれば、表情にも声にも確かな自信が感じられる。


 セリオスは嬉しそうに微笑み、最後にリンを見た。

 なぜか、リンは胸を張っている。

 その姿を見た瞬間、レオンは嫌な予感を覚えた。


「リンさんも、お願いしますね」


「はい!」


 リンは元気よく返事をした。

 そして、満面の笑みを浮かべる。


「次に来る時までにレオン様が愛妾にしてくれなかったら、私がセリオス様のお嫁さんになってあげるね!」


 セリオスが固まった。

 護衛の聖騎士達も一斉に動きを止める。

 クロエは堪え切れずに吹き出し、ラッツは頭を抱えた。

 ゼムは何も聞かなかったことにするように、静かに空を見上げる。


「リン、困らせるな」


 レオンは即座に止めた。


「なんで!?」


「なんでもだ」


「セリオス様は優しいし、お金持ちだし、偉い人だよ!」


「そういう問題ではない」


 リンは頬を膨らませた。

 明らかに納得していない。

 そんなリンを見下ろし、セリオスは困ったように笑った。


「それは、次に来た時に考えましょう」


「はい!」


 どういうわけか、リンは満足そうに頷いた。


「考えなくていいですからね?」


 レオンが念を押すと、クロエはますます肩を震わせる。

 ラッツはセリオスと聖騎士達へ向かい、申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみません……」


「いえ」


 セリオスは苦笑しながら首を振る。


「元気なのは良いことですから」


 その言葉に、周囲の子供達からも笑い声が上がった。

 別れを前にして沈みかけていた空気が、僅かに和らいでいく。

 やがて笑い声が収まると、セリオスは最後にレオンへ向き直った。


「レオンさん」


「はい」


 セリオスは一歩前へ出る。

 そして、静かに頭を下げた。


「ありがとうございました」


 その一言には、様々な思いが込められていた。

 孤児院の子供達を救ってくれたこと。


 魔力草の栽培を成し遂げたこと。


 回復薬を生み出す道を示してくれたこと。


 賢者の秘薬を譲ってくれたこと。


 そして、誰にも明かせなかった病を打ち明け、その全てを受け止めてもらえたこと。

 そのどれか一つに対する言葉ではない。

 この数か月の全てに対する感謝だった。


 レオンも静かに頭を下げる。


「こちらこそ、ありがとうございました」


 セリオスは顔を上げ、柔らかく微笑んだ。

 そして踵を返すと、教国の馬車へ乗り込む。

 護衛の聖騎士達も、それぞれの馬へ跨がった。

 御者が手綱を握り、いよいよ出発しようとした、その時だった。

 馬車の窓が開き、セリオスが顔を覗かせる。


「二か月後には、エミルがこちらへ参ります」


 レオンは馬車へ顔を向けた。


「彼女のことを、よろしくお願いします」


「お任せください」


 レオンが頷くと、セリオスも安心したように頷き返す。

 そして、最後にもう一度笑った。


「また来ます」


 レオンも小さく笑う。


「お待ちしています」


 御者が手綱を鳴らした。

 馬が歩き始め、馬車がゆっくりと動き出す。


「ばいばーい!」


「また来てねー!」


「約束だぞー!」


 孤児院の子供達が、懸命に手を振る。

 セリオスも窓から手を伸ばし、その姿が見えなくなるまで振り返していた。

 馬車は少しずつ遠ざかっていく。

 風に揺れる教国の旗が小さくなり、やがて道の向こうへ消えていった。


 再び、静寂が訪れる。

 誰も、すぐにはその場を動こうとしなかった。

 レオンは馬車が消えた先を、じっと見つめていた。


 始まりは、人身売買への疑いだった。

 孤児院から子供達を連れ去ろうとしているのではないか。

 そんな疑念から始まった出会いだった。

 だが、セリオスはノルディア領へ多くのものを残していった。


 魔力草。

 回復薬。

 ポーション。

 ハイポーション。

 そして、教国との新たな繋がり。


 この出会いがなければ、どれも生まれなかったかもしれない。

 レオンは小さく息を吐いた。


「……さて」


 隣へクロエが並ぶ。


「帰る?」


「ああ」


 やるべきことは、まだ山ほど残っている。

 魔力草の安定した栽培。

 ポーション事業の拡大。

 二万枚の金貨を稼ぐという目標。

 そして、クラリスを待つ未来を変えること。


 立ち止まっている暇はない。

 レオンは正門へ背を向け、歩き出した。

 自らの手で、望む未来を掴み取るために。

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