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乙女ゲーの辺境伯に転生したので奴隷落ちする悪役令嬢を金貨2万枚で救おうと思います(編集中)  作者: トンビが鷹を産んだトンビの方
第4章 新事業と枢機卿

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第91話 新しい日常

 セリオスを見送ってから、二週間が過ぎた。

 ノルディア邸の執務室では、レオンが今日も机へ向かっていた。


 目の前に積み上げられているのは、大量の書類。

 領地運営。

 予算管理。

 騎士団の再編。

 魔獣討伐隊の運用。

 ボア肉事業。

 ノルディアの宿場町。

 そして、新たに加わった魔力草事業。


 領地が発展するにつれて、扱わなければならない仕事も確実に増えている。

 レオンは書類の山から一枚を抜き取り、その内容へ目を通した。


 そして、思わず本音を漏らす。


「面倒だな……」


「諦めてください」


 間髪を入れずに返事が来た。

 向かい側で書類を整理していたゼムである。

 ゼムは小さくため息を吐くと、呆れたようにレオンを見る。


「ぼっちゃまは領主なのです。逃げられませんよ」


「知っている」


 知っているからこそ、こうして机へ向かっている。

 知らなければ、とっくに逃げ出しているところだ。

 そんなレオンの考えを見透かしたのか、ゼムは静かに首を振った。


「その発言を領民が聞けば、泣きますよ」


「聞かせるつもりはない」


「でしょうね」


 そんなやり取りを交わしていると、不意に執務室の扉が勢いよく開いた。


「レオン!」


 元気な声と共に入ってきたのは、クロエだった。

 ノックもせず、遠慮なく執務室へ足を踏み入れてくる。

 初めの頃こそ使用人達も止めようとしていたが、今では誰も気にしなくなっていた。


「どうした?」


 レオンが顔を上げる。

 クロエは満面の笑みを浮かべていた。


「魔力草」


 その一言で、レオンの手が止まった。

 笑顔でやって来たということは、悪い報告ではないはずだ。

 しかし、こういう顔をしたクロエは、大抵何か厄介な話も一緒に持ってくる。


「何かあったのか?」


「順調すぎる」


「は?」


 予想外の答えに、レオンは眉をひそめた。

 クロエは一枚の紙を机の上へ置く。


「これ、孤児院から届いた報告書」


 レオンは紙を手に取り、その内容へ目を通した。

 記されているのは、魔力草の生育状況だった。


 発育良好。

 枯死した株はなし。

 目立った病害もなし。

 その下には、現在の生育状況から算出された予想収穫量が記載されていた。


 レオンの視線が、そこで止まる。

 何度か数字を確かめた後、ゆっくりと顔を上げた。


「……多いな」


「でしょ?」


 クロエは得意げに腕を組んだ。

 当初に予想していた収穫量を、大きく上回っている。

 栽培を始めてから、それほど時間は経っていない。

 それにもかかわらず、魔力草は驚くほどの速さで成長を続けていた。


 丘から引いた、魔力を帯びた湧水。

 土へ混ぜた魔獣の血。


 その二つがもたらす効果は、レオン達の予想を遥かに超えていたらしい。

 ゼムもレオンの傍らへ歩み寄り、報告書を覗き込んだ。

 そして、珍しく目を見開く。


「これは……確かに予想外ですね」


「ああ」


 レオンも頷いた。

 収穫できるようになるまで、まだ多少の時間はかかる。

 しかし、このまま何事もなく成長を続ければ、最初の収穫だけでもかなりの量になるだろう。


 クロエは楽しそうに笑った。


「最初は育たないことばかり心配してたのにね。今度は育ちすぎて困るなんて、思わなかったよ」


 レオンは椅子の背へ身体を預けた。

 確かに、その通りだった。

 足りないよりは良い。

 魔力草が大量に収穫できれば、それだけ多くの回復薬を作ることができる。

 販売量も増え、得られる利益も大きくなる。

 だが、量が増えれば、それに伴う問題も生まれる。


「保管場所か……」


「それもあるね」


 クロエは頷く。


「収穫した魔力草をどこへ置くのか。どうやって品質を保つのか。それに、収穫や選別をする人手も必要になるよ」


 魔力草は普通の薬草とは違う。

 葉や茎に含まれる魔力を失えば、回復薬の材料としての価値も下がる。

 ただ倉庫へ積み上げておけばよいというものではない。

 扱い方にも、保管方法にも、相応の知識が必要だった。


「エミルさんが来るまで、あと一か月半くらいだっけ?」


「ああ」


 教国から魔力草事業の管理役として派遣される、聖騎士のエミル。

 本格的な事業開始は、彼女がノルディア領へ到着してからの予定だった。


 それまでに試験栽培の結果をまとめ、収穫量や品質を確認する。

 そのうえで、教国と販売方法や回復薬の製造量を調整するはずだった。

 だが、この成長速度では、管理体制が整うよりも先に収穫期を迎えてしまう可能性がある。


 ゼムも報告書を見つめたまま頷く。


「エミル様の到着を待っていては、最初の収穫に間に合わないかもしれませんね」


「贅沢な悩みだな」


 レオンは苦笑した。

 失敗したわけではない。

 むしろ、想像を上回る成功を収めた結果として生じた問題だ。

 早急に人手を集め、保管場所を用意する必要がある。

 場合によっては、収穫した魔力草を先に乾燥させる方法も考えなければならない。


 レオンが新たな仕事の量を想像し、僅かに顔をしかめた時だった。

 コンコンと、執務室の扉が叩かれる。


「失礼します」


 許可を出すと、扉を開けてリックが入ってきた。


「旦那」


「どうした?」


 リックは軽く頭を下げた。

 しかし、その表情には僅かな困惑が浮かんでいる。


「商人達が来ています」


「商人?」


 レオンが聞き返すと、リックは頷いた。


「はい。どうやら、魔力草の噂を聞きつけたようでして」


 その言葉を聞いた瞬間、レオンは嫌な予感を覚えた。

 隣では、クロエも同じことを察したらしく、片手で額を押さえている。

 リックは少し言いにくそうに続けた。


「ノルディア領で栽培している魔力草を、買い取りたいそうです」


 執務室が静まり返った。

 魔力草は、まだ一株も収穫していない。

 正式な販売開始の告知どころか、販売価格すら決めていなかった。

 数秒の沈黙の後、クロエが呆れたように息を吐く。


「早いなぁ……」


 ゼムも僅かに眉をひそめた。


「まだ収穫すら始まっていないのですが」


「ああ」


 レオンは椅子へ座ったまま、天井を見上げた。

 魔力草事業は、まだ試験栽培の段階に過ぎない。

 それにもかかわらず、商人達は既に動き始めている。


 魔力草が常に不足し、高値で取引されてきたことを考えれば当然なのかもしれない。

 危険な魔獣の生息地へ入らなくても、安定して仕入れられる可能性があるのだ。

 商人が放っておくはずもなかった。


「何人来ている?」


「現在、確認できているだけで七人です」


 レオンの顔が引きつる。


「確認できているだけ?」


「今も増えています」


 リックは真顔で答えた。

 どうやら、これからさらに増えるらしい。

 クロエは面白そうに笑う。


「まだ商品になってないのに、もう大人気だね」


「笑い事ではないぞ」


「でも、儲かるよ?」


「それはそうだが……」


 魔力草が売れれば、孤児院の収入になる。

 回復薬を製造して販売すれば、ノルディア領の新たな産業にもなる。

 金貨二万枚を稼ぐという目標にも、大きく近づくことができるだろう。


 利益が出ること自体は喜ばしい。

 しかし、まだ値段も決まっていない。

 販売量も決まっていない。

 誰へ、どのような条件で売るのかも決めていない。


 そもそも、魔力草のまま販売するのか、回復薬へ加工してから販売するのかさえ、教国との最終的な調整を終えていなかった。

 準備が整っていないにもかかわらず、買い手だけが次々と集まっている。


「ひとまず、応接室へ案内しておいてくれ」


「全員ですか?」


 リックが尋ねる。

 レオンは少し考えた後、首を振った。


「代表者を一人だけだ。それ以外には、まだ販売できないと伝えてくれ」


「承知しました」


 リックは頭を下げると、執務室から出ていった。

 扉が閉まった途端、レオンは大きくため息を吐く。

 先ほどまで机の上にあった大量の書類。

 そこへ、魔力草の保管場所と人員確保。

 さらに、商人達への対応まで加わった。

 クロエが楽しそうにレオンの顔を覗き込む。


「仕事、また増えたね」


「誰のせいだと思っている」


「魔力草のせいじゃない?」


 悪びれる様子もなく答えられ、レオンは何も言い返せなかった。

 間違ってはいない。


 レオンは机の上へ置かれた報告書を見つめる。

 失敗するよりは、遥かに良い。

 分かってはいる。

 それでも、もう一度だけため息を吐かずにはいられなかった。


 どうやら、ノルディア領が静かになる日は、まだまだ先らしかった。

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