間章 新しい住まい
クロエが専属商人になった直ぐの話です
クロエが一度王都へ戻ってから数週間が過ぎた
その日の昼過ぎ
ノルディア宿場町へ一台の走竜車が入ってきた
御者台に座っているのはクロエだった
灰色の髪を揺らしながら慣れた手つきで走竜を止める
「ただいま」
小さく呟く
誰に向けた言葉でもない
けれど不思議とその言葉は自然に口から出た
以前ならこんなことはなかった
商人として各地を回り宿に泊まり次の街へ向かう
それがクロエの日常だった
だから帰る場所など無かった
いや、正確には作らなかった
作れば足が止まる
足が止まれば目立つ
目立てば過去を探られる
だから旅商人でいる方が都合が良かった
けれど今は違う
クロエはノルディア辺境伯家の専属商人となった
王都で借りていた宿も引き払い必要な物は全てアイテムバッグの中へ入れてある
もうただの旅商人ではない
ノルディアを拠点にする商人だ
そう思うと胸の奥が少しだけ温かくなった
「クロエさん」
声が聞こえた
振り向くと宿場町の入口近くにリックが立っていた
いつも通り少し軽そうな笑みを浮かべている
「お帰りなさい」
「ただいま リック」
「王都はどうでした」
「忙しかったよ ボア肉の引渡し、契約の整理、部屋の引き払い それから仕入れ先への挨拶」
「大変ですね」
「まあね でもこれで全部終わったかな?」
クロエは腰に下げた小さな鞄を軽く叩いた
「荷物も全部この中」
リックは感心したように目を細める
「本当に便利ですね そのアイテムバッグ」
「便利じゃなきゃ旅商人なんてやってられないよ」
クロエは笑った
だがすぐに少し考え込む
「ねえ リック」
「はい」
「少し相談があるんだけど」
「俺で良ければ」
クロエは走竜車から降りる
そしてノルディアの宿場町を見回した
人の行き来は以前より増えている
ボア肉の取引が始まってから宿場町は少しずつ活気を取り戻していた
商人
職人
運送の人間
討伐隊の関係者
様々な人が歩いている
「家を探したいんだ」
「家ですか?」
リックは少し意外そうに瞬きをした
「うん」
クロエは頷く
「今までは旅商人だったから宿で十分だったんだ、各地を回るのが仕事だったし部屋を借りてもほとんど使わないから……でも今は違うでしょ?私はノルディアの専属商人になったんだから」
クロエは続けた
「ここを拠点にするなら宿暮らしのままって訳にもいかないかなって」
リックは納得したように頷いた
「確かにそうですね」
「宿場町に何軒か空き家があります、その物件を扱っている商人もいますよ」
「物件を扱う商人か…」
「はい 土地や建物の仲介をしている者です」
「案内してもらっていい?」
「もちろんです」
二人は宿場町の奥へ歩き出した
石畳ではない
踏み固められた土の道
だが以前より整備され人の足跡も多い
道の両側には店が並んでいる
肉を焼く匂い
鍛冶場から聞こえる金属音
宿屋の前で荷下ろしをする商人
ノルディアは辺境だ
王都のような華やかさは無い
けれど少しずつ変わっている
クロエはその変化が嫌いではなかった
しばらく歩くとリックが一軒の店の前で止まった
看板には家と鍵の絵が描かれている
「ここです」
「分かりやすい看板だね」
「文字が読めない方もいますから」
「ああ なるほど」
店の中へ入ると中年の男が顔を上げた
丸い顔に人の良さそうな笑み
しかし目だけは商人らしく鋭い
「いらっしゃいませ」
「リック様ではありませんか」
「今日はどうされました」
「こちらのクロエさんが家を探しているそうです」
「ほう」
男の視線がクロエへ向く
「お噂は聞いておりますよ 王都から来られた商人様だとか」
「クロエです」
「ノルディア辺境伯家の専属商人になりました」
その言葉を聞いた瞬間 男の表情が少し変わった
ただの客ではない
領主家に関わる商人
それだけで扱いは変わる
「それはそれは……でしたら良い物件を紹介しなければなりませんな」
男は奥から宿場町の地図を取り出した
机の上へ広げる
「現在空いているのはこの辺りです」
指が地図の上を滑る
「まず一軒目 宿場町の中心に近い小さな家です……家賃は安め ですが古い
二軒目は少し広めです 商談用の部屋もあります……ただし家賃は少々高い
三軒目は倉庫付き……商人様には便利でしょうが少し町外れになります」
クロエは地図を見つめる
「実際に見てもいい」
「もちろんです」
男は立ち上がった
「ご案内しましょう」
最初の家は宿場町の中心に近かった
店にも宿にも近く立地は悪くない
だが建物は古い
扉を開けると少し湿った木の匂いがした
「安い理由は分かったかも」
クロエは苦笑する
壁には修繕跡があり床も少し軋む
雨漏りの跡もあった
「住めないことはありませんが手直しは必要ですね」
商人が説明する
リックも床を踏んで確かめた
「冬は寒いでしょうね」
「うん… 却下かなー」
二軒目は立派だった
広い部屋
商談に使えそうな応接室
小さな台所に二階もある
「ここは良いね」
クロエは素直に感心した
商人は嬉しそうに頷く
「でしょう 王都から来た商人様にも十分満足いただけるかと」
「それで家賃は?」
金額を聞いた瞬間 クロエは表情を消した
「高ッ!!」
「それだけの価値はございます」
「んー、価値はあるけど今借りるには無駄が多いかな」
専属商人になったばかりだ
ノルディアでの商売はこれから大きくなる
だが今はまだ余計な固定費を増やしたくなかった
三軒目は町外れにあった
倉庫付き
荷物を置くには便利だ
だが人通りが少ない
夜は少し寂しい場所だった
「倉庫は良いけど遠いね」
「毎日邸へ行くことを考えると少し不便ですかね」
リックが言う
クロエも頷いた
「うん 仕事用ならいいけど住む場所としては微妙かな」
結局 どれも決め手に欠けた
店に戻った頃には夕方に近くなっていた
商人は申し訳なさそうに頭を下げる
「他にも空きが出ればすぐにお知らせします」
「お願いします」
クロエは礼を言い店を出た
リックと並んで歩きながら小さくため息を吐く
「なかなか難しいね」
「住む場所ですからね」
「まあ 急ぎすぎても良くないか」
「宿暮らしができない訳でもありませんし」
「でも専属商人がいつまでも宿っていうのもね」
そう言った時だった
前方からレオンとゼムが歩いてきた
レオンはいつものように少し面倒そうな顔をしている
ゼムはその横で書類を持っていた
おそらく執務の合間に宿場町を見に来たのだろう
「クロエ」
レオンが気付く
「戻ってたのか」
「うん 今日戻った」
「王都の用事は終わったのか?」
「全部終わったよ」
「なら良かった」
レオンは頷く
それからリックを見る
「何してたんだ」
「クロエさんの家探しです」
リックが答える
「家?」
レオンは首を傾げた
クロエが説明する
「専属商人になったからね、今までは旅商人だったから宿で良かったけど これからはノルディアを拠点にするでしょ?だから家を借りようと思って」
「ああ」
レオンは納得したように頷いた
そしてすぐに言った
「だったら邸に住めばいい」
「え」
クロエの足が止まった
一瞬 頭の中が真っ白になる
邸に住む
それはつまり
レオンと同じ邸で暮らすということ
もちろん使用人もいる
ゼムもいる
リック達も出入りする
それは分かっている
分かっているのだが
クロエの胸が少しだけ高鳴った
(え!?邸に住むって、それって、もしかして……)
クロエは慌てて首を振る
(いやいやいや……そんな訳ない!レオンにそんな意味があるはずない)
そう思うのだが期待してしまった自分がいる
クロエは慌てて視線を逸らした
「えっと……それは……」
レオンは何も気付いていない顔で続けた
「その方が仕事もしやすいだろ?ボア肉の販売についてもすぐ相談できるし王都で買ってきてほしい物があれば直接頼める、あと新しい商売を思いついた時も話が早い、わざわざ宿まで呼びに行く手間も省ける」
レオンはクロエの表情に気づかずに続ける
「それに部屋なら余ってる……合理的だ」
クロエは黙った
そして心の中で呟く
(仕事か……)
ほんの少しだけ浮かれた自分が恥ずかしい
いや 分かっていた
レオンはそういう人間だ
変に下心があるよりずっと安心できる
けれどほんの少しだけ
本当にほんの少しだけがっかりした
「そ そうだね」
クロエは笑って誤魔化す
「仕事はしやすいかも」
レオンは満足そうに頷いた
「だろ?」
その横でゼムが静かに口を開いた
「確かに悪くない案です……ですが問題がございます」
レオンは嫌な予感がしたのか少し眉を寄せた
「何だ?」
「ぼっちゃまのお部屋です」
「俺の部屋?」
「はい」
ゼムは淡々と言う
「現在ぼっちゃまがお使いの部屋は幼少期からの子供部屋でございます」
レオンは目を逸らした
「別にいいだろ」
「よくありません」
即答だった
「ぼっちゃまは既にノルディア辺境伯です、今後は来客も増えます、教国や王都の者が訪れる機会もあるでしょう、その時 領主が子供部屋を使っていると知られれば外聞が悪すぎます」
「誰が俺の部屋まで見に来るんだ」
「使用人は見ます、客人に噂が流れる可能性もございます」
「……」
「そもそも領主用の部屋が空いております」
「移るべきです」
レオンは露骨に嫌そうな顔をした
「今の部屋 広さが丁度いいんだよそれに広すぎる部屋は落ち着かない」
「慣れて下さい、領主ですので」
ゼムの言葉に容赦はない
リックが横で苦笑している
「俺もゼムさんに賛成です、旦那の今の部屋って本当に子供の頃からの部屋ですよね?」
「悪いか」
「悪くはないですけど 辺境伯としては少し……あれですね……」
レオンはため息を吐いた
「お前まで言うのか」
「言いますよ」
リックは笑う
「たまには領主らしくしてください」
「面倒だな」
「諦めて下さい」
ゼムが言う
「ぼっちゃまは領主です」
レオンはしばらく黙っていた
そして観念したように肩を落とす
「分かった………………移る」
ゼムは満足そうに頷いた
「ではぼっちゃまには本日中に領主用のお部屋へ移っていただきます」
「本日中」
「はい」
「早くないか」
「善は急げと申しますので」
「都合のいい言葉だな」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
クロエはそのやり取りを見て思わず笑ってしまった
レオンがこちらを見る
「どうした」
「いや 二人らしいなって」
「そうか」
「うん」
クロエは少しだけ肩の力が抜けた
邸に住む
最初は戸惑った
だがレオンはいつも通りだった
それが少し悔しくて少し安心した
その日の夕方、クロエはノルディア邸へ案内された
領主の邸宅だけあって部屋は多い
使われていない部屋も多く廊下は静かだった
ゼムが案内したのはレオンが今まで使っていた部屋だった
扉を開けるとそこには思ったより質素な部屋があった
大きすぎないベッド
本棚
机
古い木剣
壁に掛けられたノルディア領の地図
貴族の部屋というより普通の少年の部屋に近い
クロエは少し驚いた
「ここがレオンの部屋だったんだ」
「はい」
ゼムが頷く
「幼い頃から使っておられました」
「もっと豪華なのかと思ってた」
「ぼっちゃまは無駄に広い部屋を嫌がりますので」
「確かに言ってたね」
クロエは部屋を見回す
机の上には片付け忘れた古い紙が数枚
魔法陣の書きかけ
領地の収支を書いた古い計算
本棚には魔法や剣術 領地運営の本が並んでいる
「子供部屋って言う割には全然子供っぽくないね」
「昔から妙に大人びておられましたので」
ゼムは少し懐かしそうに言った
クロエは小さく笑う
「でも木剣はあるんだ」
「幼少期に使っていた物です」
クロエは木剣を見る
小さな傷がいくつも残っていた
レオンも子供の頃はこれを振っていたのだろう
そう思うと少し不思議な気持ちになった
「意外と普通の男の子だったんだね」
「普通かどうかは分かりませんが」
ゼムは真顔で言った
クロエは笑う
「そこは普通って言ってあげなよ」
その後 クロエはアイテムバッグから荷物を取り出した
衣服
商談用の帳簿
筆記道具
王都で仕入れた小物
商売用の資料
それらを一つずつ部屋へ置いていく
量は多いがアイテムバッグのおかげで引っ越しは驚くほど早く終わった
ゼムは手際よく棚や机の配置を整える
リックも途中から手伝いに来た
「本当にここに住むんですね」
リックが言う
「うん しばらくお世話になるよ」
「旦那が変なことをしたら言ってください」
「リックが止めてくれるの?」
「いや 皆に言いふらします」
「人として最悪じゃん!!」
「俺が旦那を相手に出来ませんよ」
あまりに正直な答えにクロエは吹き出した
夜邸の外にある訓練場ではレオンとゼムが向かい合っていた
木剣を構えるレオン
ゼムはいつもの穏やかな雰囲気を消している
風が静かに揺れた
「行きます」
「来い」
次の瞬間 ゼムの姿がぶれた
風属性による加速
レオンは即座に魔力を右目に流し映像を見た
そして木剣を構え受け止める
乾いた音が響いた
普通の剣術訓練ではない
魔術を織り交ぜた実戦訓練だった
ゼムの風がレオンの体勢を崩す
レオンは足元に氷を走らせ滑るように距離を取る
すぐに踏み込み直す
木剣がぶつかる
魔力が散る
何度も
何度も
夜が深くなるまで訓練は続いた
「そこまでです」
ゼムが木剣を下ろす
レオンは肩で息をしていた
全身汗だく
足元もふらついている
「今日はきつすぎる」
「ぼっちゃまが領主用のお部屋へ移られる記念です」
「何の記念だ」
「体力作りです」
「絶対違うだろ」
ゼムは涼しい顔だった
レオンは反論する気力もなく木剣を片付ける
体が重い
眠い
とにかく眠い
風呂に入る気力も無い
着替える気力も無い
ただ寝たい
それだけを考えながらレオンは邸へ戻った
廊下は静かだった
使用人もほとんど下がっている
窓から差し込む月明かりだけが床を照らしていた
レオンはふらふらと歩く
完全に無意識だった
体が覚えている道を進む
いつもの角を曲がりいつもの扉の前に立つ
そして扉を開けた
部屋の中は暗い
だがレオンは気にしない
「疲れた」
小さく呟きそのままベッドへ向かう
そして倒れ込んだ
数秒後
「すぅ……すぅ……」
静かな寝息が聞こえ始めた
その音でベッドの奥にいたクロエは目を開けた
「……え?」
寝ぼけた頭で横を見る
そこにレオンがいた
「え?!」
もう一度声が出た
レオンがいる
自分のベッドに
いや 正確には元々レオンのベッドだ
だが今はクロエの部屋だ
クロエのベッドだ
「ええええぇぇ!!」
叫びそうになり慌てて両手で口を押さえる
心臓が一気に跳ねた
(レオンが何で?!何で私の部屋に……)
頭の中が混乱する
昼間の言葉が蘇る
『だったら邸に住めばいい』
一緒の邸
元レオンの部屋
そして今 レオンがベッドにいる
(ま まさか…………夜這い!?)
その単語が浮かんだ瞬間 クロエの顔が真っ赤になった
(いやいやいやいや……そんな訳ない……レオンだよ……あのレオンだよ?)
そう思いながらも心臓はうるさい
恐る恐るレオンを見る
「すぅ……すぅ……」
完全に寝ていた
気持ちよさそうに
何の警戒もなく
クロエはしばらく固まった
そして力が抜ける
「……寝てる」
夜這いではない
ただ寝ているだけだ
いや それはそれで問題だ
「人の部屋で何してるのよ」
小声で呟く
たぶん疲れ切って部屋が替わったことを忘れたのだろう
昼間までここはレオンの部屋だった
体が勝手に戻ってきた
そう考えれば納得はできる
納得はできるが心臓に悪い
クロエはため息を吐いた
「本当にもう………」
起こそうか迷う
だがレオンはあまりにも疲れた顔で眠っている
普段は領主として書類に追われ訓練もし商売の相談も受ける
まだ十五歳なのに背負っているものは多い
クロエは少しだけ黙った
「まあ 少しだけなら」
そう呟いた時だった
レオンが寝返りを打った
「ん……」
「ちょ ちょっと」
距離が近くなる
肩が触れそうになる
クロエの顔がまた熱くなった
「起こす……これはもう起こす」
そう決めた瞬間
レオンが小さく寝言を呟いた
「クロエ……」
「……え?」
自分の名前を呼ばれた
クロエは動きを止める
胸がまた跳ねる
寝言だと分かっている
分かっているのに続きを待ってしまう
レオンは眠ったまま口を開いた
「お前には……ビキニは無理だ……」
「…………」
部屋が静まり返った
クロエは固まった
「どういう事……」
聞いたことのない言葉だった
ビキニ
何のことか分からない
けれど【無理だ】
その部分だけは分かった
クロエはゆっくりと自分の胸元へ視線を落とす
「……え……もしかして……胸ってこと?」
数秒沈黙する
そして顔が真っ赤になった
「何なのよそれ!!意味分からないし!!寝言で失礼なこと言わないでよ!」
拳を握る
レオンはまだ気持ちよさそうに寝ている
「すぅ……すぅ……」
その顔がまた腹立たしい
クロエは小さく息を吸った
「起きろ」
ゴンッっと鈍い音が部屋に響いた
「いってぇ」
レオンが飛び起きた
額を押さえながら周囲を見回す
「敵襲か!?」
「いや……違うら」
クロエは腕を組んで睨みつける
頬は真っ赤だった
「人の部屋で勝手に寝るな」
「人の部屋?」
レオンは寝ぼけた顔で辺りを見る
本棚
机
見慣れた天井
そして目の前のクロエ
レオンはしばらく考える
そしてようやく思い出した
「あ…………部屋 替わったんだった」
「それを先に思い出してよ」
クロエが叫ぶ
「悪い 疲れてた」
「疲れてたで済ませないでよ」
「いや 本当に悪い」
レオンは素直に頭を下げる
だがクロエの怒りは収まらない
「それに変な寝言まで言って」
「寝言?」
「うん 言った」
「俺 何て言ったんだ」
クロエは言いかけて止まった
ビキニ
その言葉の意味は分からない
だが自分の胸を見たことまで思い出してしまい顔がさらに赤くなる
「知らない」
「いや 知らないって」
「知らないったら知らない」
クロエはぷいっと顔を背ける
レオンは困惑したまま額をさする
「とりあえず出て行けばいいのか」
「当たり前でしょ」
「分かった」
レオンはベッドから降りる
まだ少しふらついている
扉の前まで歩きそこで振り返った
「本当に悪かった 次から気を付ける」
「絶対だからね」
「ああ」
レオンは小さく頷き部屋を出て行った
扉が閉まる
部屋に静けさが戻った
クロエはしばらくその場に立ち尽くしていた
そしてベッドへ倒れ込む
「心臓に悪すぎる」
枕に顔を埋める
顔の熱がなかなか引かない
夜這いではなかった
ただの寝ぼけた間違いだった
分かっている
分かっているけれど
「ビキニって何なのよ……」
小さく呟く
答える者はいない
クロエは布団を頭まで被った
その夜クロエが再び眠れるまでにはかなりの時間がかかった
一方その頃
領主用の部屋へ戻ったレオンは広すぎる部屋の中央で立ち止まっていた
「やっぱり落ち着かないな」
額の痛みをさすりながら呟く
そして首を傾げる
「俺 何の夢見てたんだ……」
思い出せない
ただなぜか南国の海と水着姿の誰かが頭の片隅に残っていた
「まあいいか」
考える気力も無い
レオンは今度こそ領主用のベッドへ倒れ込む
そして数秒で眠った
翌朝 ゼムはレオンの額にできた赤い跡を見て静かに言った
「ぼっちゃま」
「何だ」
「昨晩 何かございましたか」
レオンは少し考える
「部屋を間違えた」
ゼムは目を細めた
「クロエさんのお部屋に入られたと」
「元俺の部屋だ」
「現在はクロエさんのお部屋です」
「分かってる それで殴られた」
「当然です」
即答だった
レオンは額を押さえる
「少しは心配しろ」
「心配しております…………クロエさんを」
「俺は?」
「自業自得です」
レオンは何も言い返せなかった
その日からクロエは部屋の前に小さな札を掛けることになった
【クロエの部屋】と
それを見たリックは腹を抱えて笑い
ゼムは満足そうに頷き
クロエは顔を赤くしながら
「絶対に間違えないでよね」
と念を押した
レオンは素直に頷いた
「分かった」
だがその返事を聞いてもクロエの表情は晴れなかった
なぜなら彼女の頭の中にはまだ【ビキニ】
という謎の言葉が残り続けていたからだった




