第9話 北へ
馬を走らせ続けて、半日以上が過ぎていた。
右から昇った太陽が、今では左上で輝いている。
ノルディアの領都は、既に遠く後方へ消えていた。
目的の場所は、まだまだ先である。
空気も次第に冷たくなっていく。
バルド山脈に近付いている証拠だった。
それから馬を走らせること数時間。
進むにつれて、魔獣の姿が増え始めた。
「前方!」
リックが叫ぶ。
街道脇の茂みが揺れ、奥から遠吠えが聞こえた。
次の瞬間、三頭のウィンドウルフが飛び出してきた。
普通の狼よりも大きく、群れで獲物を狩る魔獣だ。
「来るぞ!」
ガレスが剣へ手を掛けた。
だが、その前にレオンが声を上げる。
「リック! 左の個体を牽制! ハンスは中央!」
「了解!」
ハンスの矢が放たれ、中央のウィンドウルフの額に命中した。
左のウィンドウルフが反応し、跳躍してレオンへ襲いかかる。
その瞬間――
「今だ、ドーグ!」
「おう!」
ドーグが戦斧を振り抜いた。
空中で戦斧が直撃し、魔獣の頭蓋が砕けた。
残るは二頭。
「右はガレス!」
「了解です!」
騎士団長が飛び出し、鋭い剣の一閃を魔獣の首へ浴びせた。
魔獣の首は宙を舞い、やがて地面へ落ちた。
最後の一頭は、リックの短剣が喉を貫いた。
戦闘にかかった時間は、僅か十数秒。
三頭の魔獣は全滅していた。
ドーグが笑う。
「レオン様は指示が早い。敵の動きが見えているみたいだ」
レオンは曖昧に笑った。
実際に見えている。
これはゲームの知識ではない。
辺境で育った経験だ。
父グラニウスに叩き込まれた知識。
魔獣がどう動くのか、どこを狙うのか。
誰をぶつければ、最も効率良く倒せるのか。
それが自然と分かるようになっていた。
だが、レオンは嬉しくなかった。
本当に見ていてほしい人は、今も病床に伏しているのだから。
ノルディア領の北部へ入るにつれ、景色は大きく変わっていった。
木々は少なくなり、代わりに岩肌の目立つ荒野が増えていく。
吹き付ける風も冷たくなっていた。
遠くには、白く雪を被った巨大な山脈が見え始めた。
"バルド山脈"
王国最北端に存在する巨大な魔境。
レオンは馬上からそれを見上げる。
ゲームで何度も見た景色だ。
だが、実際に見ると圧倒される。
山そのものが、空へ突き刺さっているようだった。
「今日はここまでにしましょう」
エルンが周囲を見渡しながら言う。
既に日が傾き始めていた。
ガレスも頷き、口を開いた。
「若様……」
「大丈夫だ。構わない」
本当は早く洞窟に到着したい。
だが、今は休息も必要だ。
そう自分に言い聞かせつつ、レオンは馬を降りた。
皆は野営の準備を始める。
騎士達は慣れた手付きで作業を続けた。
焚き火が灯る頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
パチパチと、薪の爆ぜる音だけが響く。
その時だった、リックが地図を見ながら口を開いた。
「本当に行くんですか?」
「何がだ?」
ガレスが聞き返す。
すると、リックは地図の一点を指差した。
バルド山脈の麓に記されている洞窟。
「『迷い洞窟』ですよ」
空気が少しだけ重くなる。
ドーグが顔をしかめた。
「縁起でもない名前を出しやがって」
「事実だろ?」
リックは肩を竦める。
――《迷い洞窟》――
北方の人々の間では有名な場所だった。
『一度入れば、二度と帰れない洞窟』
子供ですら知っている。
冒険者、傭兵、盗賊、それに王都の騎士団。
数え切れないほどの人間が挑み、そして消えていった。
だから、今では誰も近付かない。
「正直、魔物の群れに突っ込む方が気が楽だ」
ドーグが頭を掻いた。
「同感だ」
珍しく、ハンスも頷く。
ガレスは黙ったまま、焚き火を見つめていた。
彼も十二分に知っている。
迷い洞窟が、どれほどの死地なのかを、皆が沈黙した。
その時、レオンが立ち上がった。
「出口はある」
レオンが静かに言った。
全員が顔を上げ、レオンへ視線を向ける。
焚き火の向こうで、少年の蒼銀の瞳は真っ直ぐ前を見据えていた。
「若様?」
「俺は知っている」
それだけだった。
だが、その声には迷いがない。
リックが困惑した顔になる。
「どうして、そんなことが分かるんです?」
レオンは少し考えた。
だが、答えられない。
前世のゲーム知識だ。
自分でも信じ難い、記憶の数々。
皆は命を賭けて、ここにいる。
どのように伝えればいいのか、言葉が見つからなかった。
少しの間、焚き火を見つめながら、レオンはゆっくりと口を開いた。
「……夢だ」
考えた結果、結局そう答えた。
「夢ですかい?」
「ああ。昔から何度も同じ夢を見てきた。洞窟の中を歩く夢だ」
完全な嘘ではない。
実際に何十時間もゲームで攻略した。
やり込み過ぎて、夢に出るほどだった。
騎士達は顔を見合わせた。
信じてはいない。
だが、誰も否定はしなかった。
今は少しでも希望が欲しい。
ただ、それだけだった。
その時、ハンスが口を開いた。
「レオン様」
寡黙な男にしては珍しかった。
「もし……もし見つからなかったら、どうしますか?」
静かな声だった。
誰も口にしなかった疑問。
レオンは迷わなかった。
「見つける」
レオンは即答だった。
「いや……見つけなければならない」
それだけだった。
誰も、それ以上は聞かなかった。
普通なら、ただの十二歳の子供が言うことだ。
しかも、根拠は夢だけである。
しかし、レオンの振る舞いを見ていると、誰もが信じてしまう。
そこには、不思議な説得力があった。
ハンスは小さく頷いた。
皆の気持ちは同じだった。
父グラニウスを救うための、唯一の希望へ向かう。
その頃、王都から少し離れた街道を、一台の竜車が猛スピードで走っていた。
「もっと速く!」
御者席から焦った声が飛ぶ。
竜車を操る小柄な人物は、フードを深く被っていた。
「絶対、追われてる!」
本当は誰も追っていないのだが、本人は本気だった。
「辺境伯家だよ!? 王都の騎士団まで動いてるんだよ!? ヤバい……早く逃げなきゃ!」
竜車は森の奥へ消えていく。
その荷台には、何も積まれていない。
先程まで山積みだった荷物は、全て消えていた。
竜車を飛ばしながら、御者席で古びた肩掛けバッグへ、次々と食料や魔道具、貴重な品を入れていく。
「よし! これで全部だね」
満足そうに頷き、最後に商品である一本の瓶を手に取った。
『謎の秘薬』
そう書かれたラベルの瓶を、肩掛けバッグへ入れる。
本人は知らない。
その薬を探している少年が、今まさに命懸けでバルド山脈へ向かっていることを。




