第79話 初めての回復薬
教国から正式な承認が届いた翌日。
レオン達は再び、孤児院を訪れていた。
目的は、回復薬製造の実演を行うこと。
礼拝堂の一室には大きな机が置かれ、その上へ必要な材料と道具が並べられている。
青白い葉を持つ魔力草。
水の入った小瓶。
そして、教国から送られてきた回復薬製造用の魔法陣。
魔法陣は一枚の板へ精密に刻まれており、幾つもの円と複雑な術式が重なるように描かれていた。
教国が長く守ってきた秘術。
そのため、普段は厳重に保管し、使用する際にも必ず管理者が立ち会うことになっている。
ラッツとリンは、並んで机の前へ座っていた。
ラッツの表情は硬く、膝の上で握った両手にも力が入っている。
その隣で、リンは落ち着きなく机の上を眺めていた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
セリオスが二人へ優しく声をかける。
「今日は初めての勉強です。失敗しても、何も問題はありません」
「はい」
ラッツは素直に頷いた。
だが、その顔から緊張は抜けていない。
教国の秘術を学び、人を助ける薬を作る。
年長者として責任感の強いラッツには、それがとても重大なことに思えているのだろう。
一方、リンは魔力草を指差し、興味津々といった様子で尋ねた。
「これがお薬になるの?」
「そうですよ」
セリオスは微笑んだ。
「怪我をした人を助ける薬になります」
「すごい!」
リンの瞳が輝く。
緊張している様子など、どこにもない。
その様子を見ていたクロエが、思わず苦笑した。
「リンちゃんは、全然緊張してないね」
「うん!」
元気いっぱいの返事だった。
レオンも僅かに口元を緩めてから、机の上にある魔法陣へ視線を移す。
「それで、何をすればいいのですか?」
セリオスは魔法陣の中央を指差した。
「基本的な手順は簡単です。魔力草と水を決められた位置へ置き、魔法陣へ魔力を流します」
ラッツが不思議そうに首を傾げる。
「それだけでいいの?」
「ええ。魔力草から必要な成分を抽出し、水と混ぜ合わせる工程は魔法陣が行ってくれます」
セリオスは二人を見回した。
「回復薬の製造に属性は必要ありません。必要な量の魔力さえ持っていれば、誰でも作ることができます」
リンが勢いよく手を上げる。
「私でも?」
「もちろんです」
セリオスは優しく頷いた。
「ですが、今日はまず作り方をよく見てください。実際に作る前に、一つずつ手順を覚えることが大切です」
「はーい!」
「分かりました」
二人がそれぞれ返事をする。
セリオスは一株の魔力草を手に取り、魔法陣の中央へ置いた。
続いて、水の入った小瓶を円の端にある決められた場所へ置く。
「材料を置く場所は、必ず守ってください。位置がずれると、魔法陣が正しく働きません」
二人が真剣な顔で頷いたのを確認し、セリオスは魔法陣へ片手を添えた。
静かに魔力を流す。
その瞬間、刻まれた線が淡い光を放ち始めた。
幾つもの円が順番に輝き、中央に置かれた魔力草を包み込む。
ラッツが目を見開いた。
リンは机へ手をつき、食い入るように魔法陣を見つめている。
やがて、小瓶の中に入っていた水がゆっくりと浮かび上がった。
透明な水が一つの球となり、魔法陣の上へ浮かぶ。
「おお……」
ラッツの口から、感嘆の声が漏れた。
同時に、魔力草の青白い葉が光に包まれる。
葉は端から少しずつ崩れ、淡い青色の粒子へと変わっていく。
細かな粒子は空中へ溶け出し、浮かんでいた水の中へ吸い込まれていった。
透明だった水が、次第に澄んだ青色へ変わっていく。
「綺麗……」
リンが目を輝かせながら呟いた。
淡い光を帯びた青い液体が、空中で静かに揺れている。
しかし、セリオスは魔法陣へ魔力を流したまま、少しだけ苦笑した。
「ここからが、少し難しいところです」
「難しい?」
ラッツが聞き返す。
「ええ。完成した回復薬を、零さずに小瓶へ戻します」
魔力を流す強さを僅かに変える。
それに合わせて、空中に浮かんでいた青い液体がゆっくりと動き始めた。
形を崩すことなく小瓶の口へ近づき、細い流れとなって吸い込まれていく。
数秒後。
一滴も零すことなく、全ての液体が小瓶へ収まった。
魔法陣の光が静かに消える。
机の上には、澄んだ青色の液体で満たされた小瓶だけが残っていた。
セリオスは完成したものを二人へ見せる。
「これが回復薬です」
ラッツは青い液体を見つめたまま、驚いたように呟く。
「本当にできた……」
「今度は、二人にも挑戦してもらいましょう」
ラッツとリンが顔を見合わせる。
ラッツは緊張した表情のまま。
リンは待ち切れないといった顔で。
それでも二人は同時に頷いた。
「はい」
「やる!」
最初に挑戦するのは、ラッツだった。
セリオスに教わりながら、魔力草と水の入った小瓶を所定の位置へ置く。
それから慎重に、魔法陣へ手を添えた。
「一度に強く流す必要はありません。少しずつ、一定の量を保つように意識してください」
「分かりました」
ラッツが魔力を流すと、魔法陣が淡く輝き始めた。
初めてのためか、光には僅かな揺らぎがある。
それでも、水は無事に浮かび上がった。
魔力草も青い粒子へ変わり、少しずつ水と混ざり合っていく。
「上手ですよ。そのまま続けてください」
セリオスの言葉に励まされ、ラッツは懸命に魔力を保った。
やがて、空中に青い回復薬が完成する。
ここまでは順調だった。
問題は、小瓶へ戻す時だった。
ラッツが魔力の流れを変えると、青い液体がゆっくりと動き始める。
だが、小瓶の口へ入る直前に形が僅かに崩れた。
ぴちゃっ。
青い液体の一部が、机の上へ零れ落ちる。
「あっ!」
ラッツが慌てて声を上げた。
動揺したことで、空中に浮かぶ液体まで揺れ始める。
「慌てなくて大丈夫です。残った分へ意識を戻してください」
セリオスの落ち着いた声を聞き、ラッツは小さく息を吸った。
慎重に魔力を整え、残っていた液体を小瓶へ戻していく。
今度は、それ以上零すことなく収めることができた。
「初めてなら十分に上出来ですよ」
「本当ですか?」
「ええ。最後まで魔力を途切れさせなかったのですから」
ラッツは机に落ちた青い雫を気にしていたが、セリオスの言葉を聞いて僅かに安堵したようだった。
続いて、リンが魔法陣の前へ座る。
「次は私!」
やる気だけは誰にも負けていない。
リンは覚えたばかりの手順を思い出しながら、魔力草と小瓶を置いた。
そして魔法陣へ両手を添える。
「片手で大丈夫ですよ」
「こっちの方が強そう!」
「強くする必要はないのですが……」
セリオスは困ったように笑った。
リンが魔力を流すと、魔法陣が勢いよく輝く。
水が浮かび、魔力草も無事に青い粒子へ変わっていった。
少し光が強すぎるものの、回復薬そのものは問題なく完成している。
リンは空中に浮かぶ青い液体を見上げ、得意そうに胸を張った。
「できた!」
「まだ小瓶へ戻す作業が残っていますよ」
「分かってるもん」
リンは唇を尖らせ、青い液体を小瓶へ戻そうとする。
しかし、その動きは勢いが良すぎた。
ぴちゃっ。
最初の一滴が机へ落ちる。
「あっ」
慌てて魔力を強めた結果、液体はさらに大きく形を崩した。
ぴちゃっ。
ぴちゃっ。
ぴちゃぴちゃっ。
「きゃっ!?」
青い液体が机の上へ盛大に零れ落ちた。
小瓶へ戻ったのは、半分にも満たない量だった。
一瞬の沈黙。
それから、堪え切れなくなったクロエが吹き出した。
「ご、ごめん……でも、零しすぎ……」
レオンも小瓶に残った僅かな回復薬を見て、口元を緩める。
リンは頬を大きく膨らませた。
「難しい!」
「皆、最初はそのようなものですよ」
セリオスは笑うことなく、優しく声をかけた。
「魔力を強く流せば上手くいくわけではありません。大切なのは、必要な量を保ちながら丁寧に動かすことです」
リンは悔しそうに机の上を見つめる。
だが、すぐに顔を上げると、元気よく頷いた。
「うん! 次は全部入れる!」
「その意気です」
こうして、二人にとって初めての回復薬製造は終わった。
ラッツは大部分を小瓶へ戻すことに成功した。
リンの小瓶には、僅かな量しか残っていない。
それでも、二人とも自らの魔力で回復薬を作ることができた。
初めての実習としては、十分な成果だった。
◇
続いて行われるのは、完成した回復薬の効果確認だった。
礼拝堂の外で待機していた一人の騎士が、室内へ呼ばれる。
ノルディア騎士団に所属する若い騎士だった。
腕には、その日の訓練でできた浅い切り傷がある。
既に血は止まり始めており、大した怪我ではない。
だが、回復薬の効果を確かめるには十分だった。
セリオスは、自ら作った回復薬を騎士へ差し出す。
「こちらを飲んでみてください」
「はい」
騎士は小瓶を受け取り、中に入った青い回復薬を一息に飲み干した。
全員の視線が、傷のある腕へ集まる。
数秒後。
赤く開いていた傷口が、ゆっくりと塞がり始めた。
傷の周囲に残っていた赤みも薄れ、やがて細い傷跡だけが残る。
騎士は信じられないような表情で、自分の腕を何度も確かめた。
「治った……」
その様子を見ていたラッツも、大きく目を見開いていた。
リンは口を開けたまま、傷の消えた腕を見つめている。
「すごい……」
先ほどまで空中に浮かんでいた青い液体が、本当に人の傷を治した。
二人にとっては、自分達がこれから学ぶものの意味を、初めて実感した瞬間だった。
クロエも感心したように呟く。
「本当に薬になったんだね」
セリオスは騎士の腕を確かめ、満足そうに頷いた。
「問題ありません。効果も安定しています。この品質であれば、教国で製造されている回復薬と同等です」
その言葉に、部屋の空気が一気に和らいだ。
回復薬の製造は、ノルディア領でも問題なく行える。
ラッツとリンも、練習を重ねれば製造を担えるようになる。
孤児院で回復薬を作り、一つの事業として続けていく。
その計画が、ようやく現実のものとなった。
レオンは、机の上に残された青い回復薬を見つめた。
大きな一歩だった。
父を救うことはできなかった。
どれほど悔やんでも、その事実だけは変えられない。
だが、この回復薬があれば、これから先に救える命は確実に増える。
脳裏に、前世で遊んだ乙女ゲーム――『ノルドレア・ロワイヤル』の出来事が浮かぶ。
帝国との戦争。
魔獣の氾濫。
貴族達の粛清。
王国全土を揺るがす災厄。
どのルートにも、何の犠牲も出ない平穏な未来など存在しなかった。
そして、その多くにノルディア領も巻き込まれる。
回復薬だけで、全てを防げるわけではない。
戦争そのものを止めることも。
魔獣の群れを退けることもできない。
それでも、助かる命は増える。
負傷した兵士が戦線へ戻れる可能性も高くなる。
戦えない領民を、命の危険から救うこともできる。
それだけでも、十分に大きな意味がある。
その時だった。
完成した回復薬を眺めていたクロエが、不意に首を傾げる。
「そういえばさ」
全員の視線がクロエへ集まった。
クロエは回復薬の小瓶と、机の端に置かれた水差しを交互に見比べる。
「この回復薬には、普通の水を使ってるんだよね?」
「ええ」
セリオスが頷く。
「教国で製造する際にも、清潔な水を使用しています」
「じゃあ……」
クロエは少し考え込み、ぽつりと呟いた。
「丘の湧水を使ったら、どうなるんだろう?」
部屋が静まり返った。
レオンの動きが止まる。
ゼムも僅かに目を見開いた。
セリオスは何度か瞬きをした後、机の上にある青い回復薬へ視線を落とす。
誰も、その可能性を考えていなかった。
だが、言われてみれば当然の疑問だった。
丘の湧水は、濃く安定した魔力を帯びている。
花の瑞々しさを長く保ち、肉の劣化まで遅らせる水。
魔力草の成長にも、欠かせない可能性が高い。
その水を回復薬の材料として使えば、何かが変わるかもしれない。
効果が強くなるのか。
品質が安定するのか。
それとも、普通の水と何も変わらないのか。
確かめてみなければ分からない。
レオンは、ゆっくりと口を開いた。
「試してみますか」
クロエが嬉しそうに頷く。
「うん」
セリオスも興味を隠せない様子で、小さく笑った。
「それは、私も気になりますね」
一つの成功から、新たな疑問が生まれる。
こうして、丘の湧水を使った回復薬の実験が始まることになった。




