第77話 未来への投資
孤児院から戻った翌日。
ノルディア邸の執務室には、レオン、セリオス、クロエ、ゼムの四人が集まっていた。
机の上には、孤児院から預かった資料と、今後の教育計画を記すための紙が並べられている。
昨日、魔力を持っていることが分かったラッツとリン。
二人に何を学ばせ、どのような仕事を任せるのか。
それを話し合うためだった。
レオンは一枚の資料へ目を通す。
「ラッツは十二歳でしたね」
「ええ」
向かいに座るセリオスが頷いた。
「読み書きには問題ありません。計算も、同年代の平民としてはかなり優秀な方です」
その言葉を聞き、レオンは少しだけ表情を緩めた。
孤児院の教育環境には、以前から力を入れている。
宿場町で商人や職人を引退した者達へ給金を払い、教師として孤児院へ通ってもらう。
ノルディア邸の書庫に眠っていた本も、子供向けのものを選んで運び込んだ。
文字の読み書き。
日常生活や仕事で必要になる計算。
王国の地理や、最低限の礼儀作法。
孤児院を出た後、自分の力で生きていくために必要な知識を、少しでも学べるようにしてきた。
「孤児院の子供達が、あれほど学べる環境は珍しいですよ」
セリオスが感心したように言った。
「そうなのですか?」
「ええ。教会でも教育は行っています。ですが、本は高価ですし、読み書きを教えられる者も不足していますから」
セリオスは資料へ視線を落とす。
「教会が管理する孤児院であっても、地域によって教育環境に大きな差があるのが現実です」
教師を用意できるか。
教材を揃えられるか。
そして、子供達が勉強する時間を確保できるか。
孤児院の暮らしに余裕がなければ、教育へ回せるものは少ない。
「学ぶ機会がなければ、将来の選択肢も増えませんから」
レオンは腕を組みながら答えた。
知識がなければ、選べる仕事は限られる。
読み書きができなければ、契約書の内容さえ確かめられない。
計算ができなければ、給金を誤魔化されても気づけない。
孤児だからという理由だけで、子供達の未来が決められてしまう。
それだけは避けたかった。
ゼムが穏やかに目を細める。
「ぼっちゃまらしいお考えです。昔から、子供達の教育には熱心でいらっしゃいましたから」
クロエも横から資料を覗き込んだ。
「それなら、読み書きと計算は大丈夫そうだね。でも、問題は回復薬かな。普通の勉強とは違うし」
「その通りです」
ゼムも同意するように頷いた。
「製造方法を覚えるだけでは足りません。いずれは帳簿の記入や材料の在庫管理も必要となるでしょう」
回復薬事業は、一度作って終わりではない。
魔力草を育てる。
収穫し、乾燥させ、製造に適した状態へ加工する。
完成した回復薬の数を記録し、保管し、必要な場所へ運ぶ。
長く事業を続けるのであれば、その全てを管理できる人材が必要になる。
まずは年長であるラッツに、回復薬の製造技術を学ばせる。
まだ幼いリンには、簡単な補助作業から覚えてもらう。
二人が成長すれば、他の子供達へ仕事を教える役目も任せられるだろう。
魔力を持たない子供であっても、魔力草の栽培や選別、運搬、帳簿の記入など、できる仕事は多い。
将来的には、孤児院全体で事業に関われる形を作る。
そのためにも、今から教育を始める必要があった。
だが、話を進めていたレオンは、ふと動きを止めた。
「待ってください」
三人の視線が、一斉にレオンへ集まる。
「どうしました?」
セリオスが尋ねた。
レオンは机の上で指を組み、僅かに眉を寄せる。
「本当に、二人へ魔力を使わせても問題ないのですか?」
「何か気になることが?」
「魔力侵食症です」
その病名が出た瞬間、部屋の空気が静まり返った。
レオンは表情を変えないまま続ける。
「ラッツもリンも、まだ子供です。幼い頃から魔力を使わせ続ければ、身体に負担がかかるのではありませんか?」
脳裏に、父の姿が浮かぶ。
グラニウス・ノルディア。
魔力侵食症に身体を蝕まれながら戦い続け、最後には領都を守るために命を使い果たした。
あの病が、どれほど人の身体を苦しめるものなのか。
レオンは知っている。
仕事を与えるために、子供達の身体を危険へ晒すのなら本末転倒だ。
クロエの表情も真剣なものへ変わっていた。
「確かに……その可能性があるなら、簡単には進められないね」
セリオスは僅かに目を見開いた。
やがてレオンの心配を理解したように、表情を和らげる。
「なるほど。そのことを心配されていたのですね」
「はい」
「結論から申し上げれば、適切に管理する限り、危険は極めて低いでしょう」
レオンが顔を上げる。
セリオスは懐から小さな硝子瓶を取り出し、机の上へ置いた。
瓶の中には、淡い青色の粉が入っている。
「教国では、古くから回復薬を製造しています。当然、幼い頃から製造技術や魔力の扱いを学ぶ者もいます」
セリオスは瓶を指先で示した。
「ですが、回復薬の製造訓練が原因で魔力侵食症を発症したという例を、私は知りません」
クロエが不思議そうに瓶を覗き込む。
「その粉が関係あるの?」
「ええ。魔力草から抽出した成分です」
セリオスは静かに頷いた。
「魔力回路へ蓄積する負担を軽減する働きがあります。教国では、見習い神官や見習い聖騎士など、日常的に魔力を使う者へ定期的に服用させています」
ゼムが瓶へ目を向ける。
「つまり、魔力侵食症の予防薬でございますか」
「その認識で問題ありません。ただし、あくまでも負担を軽減するためのものです。既に発症した魔力侵食症を治すことはできませんし、服用すれば絶対に発症しないというものでもありません」
その言葉に、レオンは僅かに目を伏せた。
治療薬ではない。
もし父が飲んでいたとしても、既に進行していた病を治すことはできなかったのだろう。
「それに、魔力草は希少です」
セリオスは青い粉の入った瓶を見つめる。
「誰にでも配れるほどの量はありません。そのため教国でも、神官や聖騎士など、魔力を使う機会の多い者へ優先的に与えています」
だが、ノルディア領では魔力草の栽培に成功した。
安定して量産できるようになれば、この粉をラッツとリンへ定期的に与えることも難しくはない。
「加えて、回復薬の製造で消費する魔力は、それほど多くありません」
セリオスは説明を続ける。
「一日に作る本数を制限し、訓練の合間に十分な休息を取らせます。何時間も連続して魔法を使わせるようなことをしなければ、身体へ大きな負担がかかることはないでしょう」
レオンはしばらく黙って考え込んだ。
予防のための粉。
製造本数の制限。
定期的な休息。
さらに体調を細かく確認し、少しでも異変があれば作業を止める。
そこまで徹底すれば、危険は抑えられる。
「分かりました」
レオンは静かに頷いた。
「それなら、二人にも学んでもらえそうですね」
「ええ」
セリオスは微笑む。
「むしろ、魔力を持ちながら扱い方を何も学べない方が危険です。正しい使い方と、自分の限界を幼い頃から知っておくことにも意味があります」
魔力は、使い方次第で多くの人を救える力になる。
だが、扱い方を知らなければ、自分や周囲を傷つけることにもなりかねない。
何も教えずに遠ざけるのではなく、正しい知識を与える。
その方が、二人の将来にとっても良いはずだ。
クロエも安堵したように息を吐いた。
「それなら安心かな」
「ああ」
レオンは机に広げられた資料を一つにまとめた。
「では、教育計画は予定通り進めましょう。ただし、二人の体調を最優先にします。少しでも異常があれば、その時点で中止してください」
「承知しました」
セリオスが頷く。
ゼムは新しい紙を取り出し、必要なものを書き留め始めた。
「読み書きと計算については、現在の教師達に引き続きお願いしましょう。帳簿や在庫管理を教えられる者については、私が新たに手配いたします」
「頼む」
「お任せください。ぼっちゃまは、栽培方法の確立と事業計画へ集中なさってください」
回復薬の製造技術と、魔力の扱い方はセリオスが教える。
読み書きと計算は、現在の教師達が担当する。
帳簿や在庫の管理については、ゼムが適任者を探す。
それぞれの役割が、少しずつ決まっていく。
その様子を見ながら、クロエが楽しそうに笑った。
「でも、リンちゃんが真面目に勉強してくれるといいけどね」
「そこが最大の難関かもしれません」
セリオスも苦笑する。
昨日、礼拝堂で起きた愛妾騒動を思い出したのだろう。
レオンは片手で額を押さえ、深いため息を吐いた。
「勉強を教える前に、変な言葉を覚えないようにする方が先かもしれないな……」
「宿場町の方々にも、十分注意しておく必要がございますね」
ゼムが大真面目な顔で付け加える。
その言葉に、執務室へ小さな笑いが広がった。
回復薬事業は、まだ始まったばかりだ。
魔力草の安定した栽培。
回復薬を作るための設備。
教国との調整。
そして、ラッツとリンの教育。
やるべきことは山ほど残っている。
それでも、一つずつ確実に前へ進んでいた。
ラッツとリンの未来。
孤児院で暮らす子供達の未来。
そして、ノルディア領の未来。
これまで交わることのなかったそれぞれの道が、回復薬という新たな産業によって、少しずつ繋がり始めていた。




