第75話 教国からの返答
魔力草の栽培に成功してから、五日後。
レオンはノルディア邸の執務室で、領内から届いた書類へ目を通していた。
魔獣の討伐報告。
春先の作付けに関する申請。
街道整備に必要な資材の見積書。
辺境伯となって二年以上が過ぎ、領主としての仕事には随分と慣れた。
それでも、処理すべき書類が減る気配はない。
レオンが一枚の書類へ署名した時、執務室の扉が叩かれた。
コン、コン。
控えめに、一定の間を置いて二度。
その丁寧な叩き方には、すっかり覚えがあった。
レオンは羽根ペンを置き、顔を上げる。
「入ってください」
扉が開く。
予想どおり、入ってきたのはセリオスだった。
その手には、教国の紋章が封蝋へ刻まれた一通の封筒が握られている。
後ろからクロエも続き、ゼムは全員が入室したことを確認すると、静かに部屋の隅へ控えた。
レオンの視線が、セリオスの持つ封筒へ向かう。
「以前お話しした計画の返事ですか?」
「ええ。教国から届きました」
セリオスは席へ着くと、封筒を机の上へ置いた。
レオンとクロエも向かいに座る。
セリオスは封蝋を確かめてから、慎重に封を切った。
折り畳まれた書状を取り出し、上から目を通していく。
「まずは、魔力草の買い取りについてですね」
セリオスは書状の該当箇所を読み上げた。
◇
採取された魔力草については、状態と大きさに応じ、一株につき金貨十五枚から二十枚で買い取る。
◇
「高っ!」
クロエが思わず声を上げた。
一株で金貨十五枚から二十枚。
数株見つけるだけでも、平民が何年も暮らせるほどの金額になる。
セリオスは、その反応を予想していたように苦笑した。
「回復薬の主材料ですからね。それに、これまでは魔獣の生息地へ入らなければ採取できませんでした」
「命懸けで採ってくる分も、値段に入ってるんだね」
「ええ。採取へ向かった者が、必ず無事に戻れるとは限りませんから」
レオンも納得するように頷いた。
回復薬に欠かせない希少な材料。
しかも、採取には命の危険が伴う。
安くなる理由など、どこにもなかった。
セリオスは書状の続きを読む。
「それから、後日追加で送った栽培成功の報告についてですが……」
一度言葉を止め、その口元へ微かな笑みを浮かべた。
「かなり驚いているようですね」
「そりゃそうだよ」
クロエも楽しそうに笑う。
「教国でも栽培できてなかったんでしょ?」
「ええ。少なくとも、私の知る限りでは成功例がありません」
魔力草がどのような環境で育つのか。
なぜ魔獣の生息地にしか生えないのか。
それすら、これまで明らかになっていなかった。
危険な場所でしか見つからないため、十分な研究ができなかったからだ。
それをノルディア領では、僅かな期間で発芽させ、成長させることに成功した。
教国が驚くのも当然だった。
セリオスは表情を改める。
「続いて、事業計画に対する返答です」
執務室の空気が僅かに引き締まった。
魔力草の買い取り価格も重要だが、本題はこちらだった。
ノルディア領の孤児院で魔力草を栽培し、教国の秘術を用いて回復薬を製造する。
その計画が認められるかどうか。
セリオスは、書状へ記された返答を読み上げた。
◇
魔力草の安定した栽培が可能であるならば、ノルディア領における回復薬製造事業を前向きに検討する。
ただし、正式な許可には以下の条件を設ける。
一、セリオス・セラフィス枢機卿の帰国後、事業計画の詳細を教国にて確認すること。
一、教国より監査役兼管理責任者を一名派遣し、製法および施設を管理させること。
◇
クロエの表情が明るくなる。
「おっ、ほとんど許可されたようなものじゃない?」
「まだ正式な許可ではありません」
セリオスは書状を机へ置いた。
「ですが、栽培の安定性と事業内容に問題がなければ、認められる可能性は高いでしょう」
「条件が付くのは当然ですね」
レオンは落ち着いて答えた。
回復薬の製法に使われる魔法陣は、教国が管理する秘術だ。
いくら孤児院が教国の管理下にあるとはいえ、何の監視もなく他国で扱わせるはずがない。
クロエも腕を組みながら頷く。
「監査役と管理役を置くだけなら、妥当な条件だと思う。教国としても、製法が外へ漏れたら困るだろうし」
「ええ。その点だけは、決して譲れないでしょう」
セリオスも苦笑した。
レオンにも反対する理由はなかった。
元々、製法も施設も教国側で管理してもらう前提の計画だ。
誰が責任者となるのかを明確にしてもらえるなら、むしろ都合がよい。
「派遣される方は決まっているのですか?」
「いいえ。まだ決まっていません」
セリオスは首を横に振った。
「ですが、私が信用している者を何人か推薦しておきます」
「それなら安心だね」
クロエも満足そうに頷いた。
計画は、予想していた以上に順調に進んでいる。
あとは魔力草を安定して育てられることを証明し、教国へ正式な事業計画を提出すればよい。
セリオスはもう一度書状へ目を通していたが、やがて何かに気づいたように眉を寄せた。
「そういえば……」
レオンが顔を上げる。
「どうしました?」
セリオスはすぐには答えなかった。
僅かに考え込んだ後、慎重に口を開く。
「孤児院の子供達についてです」
執務室に静寂が落ちる。
「今回の計画では、孤児院の子供達にも協力してもらう予定ですよね?」
「ええ」
レオンは頷いた。
「もちろん本人達の意思を確認したうえで、ですが。魔力を持つ子供がいれば、将来的に回復薬の製造を任せることも考えています」
「その点について、王国側の問題はありませんか?」
クロエが不思議そうに首を傾げる。
「何が問題なの?」
「子供達は王国民です」
セリオスは真剣な表情で説明した。
「孤児院そのものは教国の管理下にあります。しかし、そこで暮らす子供達の国籍まで教国へ移るわけではありません」
孤児院は教会によって運営されている。
だが、そこにいる子供達はノルディア領で生まれた王国民だ。
その子供達を、教国の秘術を扱う事業へ参加させる。
見方によっては、王国民を教国の事業へ組み込むことになる。
「王都の貴族から、教国が王国の子供を囲い込んでいると受け取られる可能性もあります」
「なるほど……」
クロエも表情を引き締めた。
孤児達へ仕事を与えるだけのつもりでも、政治的に別の意味を持たされる可能性はある。
まして、回復薬は騎士団や軍でも使われる重要な物資だ。
王国がまったく関心を示さないとは限らない。
レオンも腕を組み、考え込んだ。
その時、部屋の隅に控えていたゼムが口を開く。
「その点でしたら、問題はないかと存じます」
全員の視線がゼムへ集まった。
ゼムはいつもと変わらぬ穏やかな表情で、淡々と説明を始める。
「ここは帝国と国境を接する辺境でございます。緊急時に王都の判断を待っていては間に合わないため、ノルディア辺境伯には領内の統治に関して、ほかの領主よりも大きな裁量が認められております」
国境の防衛。
魔獣への対処。
他国から流れてくる人々の受け入れ。
その全てに対して、王都へ逐一許可を求めることはできない。
だからこそ、辺境伯には広い権限が与えられている。
「実際、ノルディア領には帝国や教国の出身者も少なくありません。孤児院の運営を補助するための事業であり、子供達が自ら望んで働くのであれば、人数にもよりますが、ぼっちゃまの裁量で認めることが可能でしょう」
レオンも納得するように頷いた。
王都で同じことを始めようとすれば、多くの貴族や役人から許可を得る必要があるだろう。
だが、ここはノルディア領だ。
国境に近く、王都の常識だけでは統治できない辺境の地。
領内の子供達へ仕事を与え、孤児院の運営を安定させるための事業であれば、辺境伯の裁量で進められる。
クロエも頷いた。
「それに、強制的に働かせるわけじゃないからね」
「ええ。その点は必ず守ります」
レオンも続ける。
「本人の意思を確認し、年齢に応じた教育を受けさせたうえで参加してもらいます。働いた分の賃金も支払うつもりです」
孤児だからといって、無償で働かせるつもりはない。
栽培。
選別。
記録。
運搬。
そして、魔力を持つ者には回復薬の製造。
それぞれの年齢や適性に合った仕事を用意する必要がある。
セリオスは少し驚いたようにレオンを見つめた後、安心したように表情を緩めた。
「それならば、大きな問題にはならないでしょう」
「残る問題は一つですね」
レオンは机の上で腕を組んだ。
「孤児院に、魔力を持つ子供がいるかどうかです」
「ええ」
セリオスも頷く。
「まずは、それを確認しなければなりません」
魔力さえあれば、属性に関係なく回復薬を作ることができる。
だが、誰が魔力を持っているのか分からなければ、教育を始めることもできない。
孤児院で暮らす子供達の中に、回復薬の製造を担える者がいるのか。
一人なのか。
それとも、何人もいるのか。
確認する必要があった。
レオンは椅子から立ち上がる。
「では、行きましょう」
セリオスが目を瞬かせた。
「今からですか?」
「ええ」
「どちらへ?」
「孤児院です」
あまりにも当然のように答えるレオンに、セリオスは一瞬だけ言葉を失った。
その隣で、クロエが楽しそうに笑う。
「思いついたらすぐ動く。レオンはいつもこうだから」
「先延ばしにする理由もないだろう」
「まあ、そうだけどね」
クロエも席を立つ。
セリオスは苦笑しながら書状を封筒へ戻し、ゼムも出発の準備を始めた。
「孤児院の子供達、驚くだろうね」
「まずは事情を説明してからだ」
レオンはそう言って、執務室の扉へ向かう。
こうして四人は、再び孤児院へ向かうことになった。
魔力草の栽培方法は見つかった。
教国からも、事業を前向きに検討するという返答が届いた。
次に必要なのは、回復薬の製造を担うことのできる人材。
孤児院で暮らす、魔力を持つ子供達だった。




