第71話 解体場の雑草
レオン達はそのまま、レッドボアの解体場へ向かっていた。
同行しているのは、クロエ、ゼム、そしてセリオス。
施設へ近づくにつれて、風に混じる匂いが変わっていく。
生肉と血。
毎日のように多くのレッドボアを処理している場所なのだから、仕方のないことだった。
やがて、街の外れに建つ大きな木造の建物が見えてきた。
レッドボアの解体場。
今では、ノルディア領の主要産業を支える施設の一つとなっている。
建物の中へ入ると、何人もの職人達が慌ただしく働いていた。
運び込まれたレッドボアを解体する者。
肉を部位ごとに切り分ける者。
保存用に塩を擦り込む者。
加工を終えた肉を木箱へ詰め、荷車へ積み込む者。
それぞれが自分の仕事へ集中し、休む間もなく手を動かしている。
その中の一人がレオン達の姿に気づいた。
手にしていた道具を置き、慌てて駆け寄ってくる。
「領主様!」
その声で、周囲の職人達もレオンの存在に気づいた。
次々と作業の手を止め、頭を下げる。
レオンは軽く片手を上げた。
「仕事を続けてくれ。邪魔をするつもりはない」
職人達は互いに顔を見合わせた後、すぐに持ち場へ戻っていった。
最初に駆け寄ってきた職人だけがその場へ残り、不思議そうな顔で尋ねる。
「今日は、どうされたんです?」
レオンは単刀直入に答えた。
「レッドボアの血を分けてほしい」
職人の動きが止まった。
「……血ですか?」
「ああ」
「何に使うんで?」
「実験だ」
迷いのない答えだった。
職人は数秒間、無言でレオンの顔を見つめた。
やがて、納得したように苦笑する。
「領主様らしいですね」
その言葉に、クロエが小さく吹き出した。
レオンは気にした様子もなく尋ねる。
「貰えるか?」
「もちろんです」
職人は快く頷いた。
「どうせ今までは捨てていたものですから。必要なだけ持っていってください」
「助かる」
レオンが頷いた、その時だった。
解体場の隅を歩いていたクロエが、不意に足を止める。
「あれ?」
その声に、全員がクロエへ視線を向けた。
クロエは建物の端にある地面を指差している。
「この草……」
そこに生えていたのは、青白い葉を持つ一株の植物だった。
微かに光を帯びた茎が、地面から真っ直ぐ伸びている。
レオンの目が大きく見開かれた。
「魔力草……」
セリオスの表情も一変した。
急いでクロエのもとへ歩み寄り、植物の前へしゃがみ込む。
葉の形。
茎の色。
そこから感じられる微かな魔力。
間違いない。
森で発見されたものと同じ魔力草だった。
しかも、一株だけではない。
注意深く周囲を見渡せば、建物の壁際や水路の近くにも、数株の魔力草が生えている。
セリオスは驚いたまま動きを止めた。
「なぜ、このような場所に……」
その様子を見ていた職人が、不思議そうに首を傾げる。
「その草がどうかしたんですか?」
「……以前にも見たことがあるのか?」
レオンが尋ねる。
職人はあっさりと頷いた。
「はい。たまに生えてきますよ」
その場にいた全員が黙り込んだ。
セリオスの動きが完全に止まる。
レオンも、聞き間違いではないかと職人の顔を見つめた。
クロエが代表するように聞き返す。
「たまに?」
「ええ」
職人は何でもないことのように答える。
「作業の邪魔になるんで、見つけたら抜いてました」
今度こそ、完全な沈黙が流れた。
セリオスが頭を抱える。
「抜いていたのですか……」
「え?」
職人は、なぜそれほど驚かれているのか分からない様子だった。
セリオスは地面から伸びる魔力草を指差す。
「これは魔力草です。一株で金貨数十枚の価値があります」
職人の表情が固まった。
「金貨?」
「数十枚です」
セリオスが念を押す。
「…………」
職人は口を開けたまま、魔力草を見下ろした。
近くで作業をしていた者達にも話が聞こえたらしい。
解体場のあちこちで、職人達の動きが止まっていく。
その中の一人が、真っ青な顔で呟いた。
「俺……昨日、それ抜いたぞ……」
別の職人も顔色を変える。
「俺も先週、何株かまとめて……」
解体場が一気にざわつき始めた。
クロエが堪えきれず吹き出す。
「物凄く勿体ないことをしてたんだね」
「笑い事ではありません……」
セリオスは本気で頭を抱えていた。
これまで何株の魔力草が雑草として抜かれ、捨てられてきたのか。
考えるだけでも恐ろしい。
一方、レオンは地面へしゃがみ込み、魔力草の周囲を観察していた。
長年の解体作業によって、ボアの血が染み込んだ土。
魔獣の肉を扱う施設。
そして、少し離れた場所には細い水路が流れている。
魔力草の多くは、その水路に近い場所へ生えていた。
レオンは立ち上がり、水路を指差す。
「この水は、どこから引いている?」
職人が答えた。
「丘の上です」
「丘?」
「ええ」
職人は頷き、建物の外にある小高い丘の方角を指差した。
「昔から使っている水です。井戸水より美味いんで、解体場にも水路を引いてるんですよ」
レオンは水路へ目を向ける。
底がはっきりと見えるほど澄んだ水が、静かに流れていた。
職人はさらに話を続ける。
「それに、この水で洗うと肉の鮮度も長く保つんです」
セリオスが勢いよく顔を上げた。
「鮮度が保たれる?」
「はい」
職人は当然のように頷く。
「普通の水で洗った肉より、傷みにくいんです。昔からそうなんで、ここでは皆この水を使ってます」
クロエが水路を覗き込み、首を傾げる。
「水を変えるだけで、そんなに違うの?」
「さあ……」
職人は困ったように肩を竦めた。
「俺達が働き始める前から使われていた水ですから。そういうものだと思ってました」
長くその土地で暮らす者にとっては、当たり前のことだった。
だからこそ、誰も不思議に思わなかったのだろう。
レオンは、再び魔力草へ視線を戻した。
魔獣の血が染み込んだ土。
丘の上から引かれた、肉の鮮度を保つ水。
そして、その二つが交わる場所に生える魔力草。
まだ答えは出ていない。
血が原因なのか。
水に何かが含まれているのか。
それとも、両方が必要なのか。
だが、ここには確実に何かがある。
レオンは、そう確信していた。
セリオスも真剣な表情で水路を見つめている。
先ほどまで頭を抱えていた姿は、もうなかった。
「少し、この水を貰うぞ」
レオンが職人へ告げる。
職人はすぐに頷いた。
「はい。好きなだけ持っていってください!」
「血も用意してくれ」
「分かりました!」
職人は返事をすると、必要な容器を準備するために走っていった。
レオンは水路を見つめながら、小さく息を吐く。
当初の目的は、魔獣の血を手に入れることだけだった。
だが、この場所で思いがけないものを二つも発見した。
自然に育った魔力草。
そして、普通とは異なる性質を持つ水。
次の実験で何が分かるのか。
その答えは、まだ誰にも分からなかった。




