第69話 土属性
魔力草の栽培実験が失敗に終わってから、十日後。
ノルディア邸の裏手に設けられた実験場で、レオンは木箱の中に残された魔力草を見下ろしていた。
群生地から持ち帰った土。
魔力草の根と茎。
そして、氷魔法を応用して作った水。
賢者の研究資料に記されていた二つの条件を、可能な限り再現したつもりだった。
しかし、結果は全滅。
新しい芽が出ることもなく、根は腐り、茎も黒く変色している。
隣に立つクロエも、木箱を見つめながら腕を組んだ。
「完全に失敗だね」
「ああ」
レオンは素直に認めた。
「問題は、どこにあったのかだ」
賢者の資料に記されていた条件は二つ。
魔力を帯びた土。
魔力を帯びた水。
水については、レオンの氷魔法で生み出した氷を溶かして作った。
レオン自身の魔力が含まれている以上、少なくとも普通の水ではない。
それならば、問題は土にあるのかもしれない。
レオンは木箱へ手を伸ばし、中の土を一掬いした。
魔力草が実際に群生していた場所から持ち帰った、黒い土。
普通に考えれば、魔力草の育成に適した土であるはずだった。
だが、結果は違った。
「この土では駄目なのかもしれないな」
レオンの呟きに、ゼムが視線を向ける。
「と申しますと?」
「魔力草の群生地から持ち帰った土だからといって、今も十分な魔力を帯びているとは限らない」
レオンは手の中の土を木箱へ戻した。
「魔力草が育つ過程で、土に含まれていた魔力を吸収した可能性がある。それに、群生地から離れて時間が経ったことで、残っていた魔力も抜けたのかもしれない」
クロエが不思議そうに首を傾げる。
「つまり、元々は魔力を帯びた土だったけど、今は普通の土になってるかもしれないってこと?」
「ああ」
レオンは頷いた。
「成長しきった魔力草が、土の魔力を使い果たしていたとしても不思議ではない」
ゼムも木箱の土へ目を落とし、静かに考え込む。
「確かに、時間の経過や場所の変化によって、土から魔力が抜けた可能性はございます」
「だろうな」
レオンは腕を組んだ。
問題は、ここからだった。
土が原因だと仮定しても、どうすれば土へ魔力を与えられるのか。
自分の魔力を直接流し込めばよいのか。
それとも、別の方法が必要なのか。
しばらく三人の間に沈黙が流れる。
やがて、レオンの頭に一つの考えが浮かんだ。
「……土属性か」
「ん?」
クロエが顔を上げる。
「土属性魔法で作られた土なら、初めから魔力を帯びているはずだ」
何もない場所から魔法によって生み出された土。
それならば、術者の魔力が含まれている可能性は高い。
しかし、レオンはすぐに眉を寄せた。
自分は氷属性。
ゼムは風属性。
セリオスは聖属性。
身近な者の中に、土属性の使い手はいない。
再び、重い沈黙が流れた。
その時だった。
クロエが遠慮がちに片手を上げる。
「……ボクが作ろうか?」
「…………」
レオンは無言でクロエを見る。
ゼムもまた、何も言わずに彼女へ顔を向けた。
予想外の反応に、クロエの表情が引きつる。
「……何、その反応」
レオンは僅かに迷った後、恐る恐る尋ねた。
「お前……魔力持ちだったのか?」
その瞬間、空気が凍りついた。
クロエの額に青筋が浮かぶ。
「普通は、土属性だったことに驚くところだよね!?」
「……そういえば、元貴族だったな」
「そこから忘れてたの!?」
クロエの声が実験場へ響く。
隣では、ゼムも納得したように頷いていた。
「そういえば、元公爵令嬢でございましたね」
クロエが勢いよくゼムを振り返る。
「あれだけのことがあったのに、ゼムさんまで忘れてたの!?」
「……私も少々、失念しておりました」
「ゼムさんは絶対わざとだよね!?」
「私も少々、歳なもので……」
ゼムは穏やかな笑みを崩さない。
その顔からは、本当に忘れていたのか、それともクロエをからかっているのか、まったく判断できなかった。
レオンは居心地悪そうに視線を逸らす。
「……何というか、すまん」
「謝らないで……余計に悲しくなるから……」
クロエは涙目になりながら、片手で口元を押さえた。
ともあれ、実験にとっては大きな前進だった。
身近に土属性の使い手がいるのなら、すぐに次の方法を試すことができる。
レオンは気持ちを切り替え、空の木箱へ視線を向けた。
「やってみるか」
「ぐすっ……分かったよ……」
まだ少し傷ついた様子のクロエが、木箱の前へ立つ。
そして、右手を地面へ向けた。
手のひらへ淡い茶色の光が集まっていく。
光は次第に形を変え、さらさらとした土になって木箱の中へ落ち始めた。
やがて箱の半分ほどが、新しく生み出された土で満たされる。
レオンは指先で土へ触れ、僅かに掬い上げた。
「見た目は普通だな」
「まあ、土だからね」
「それもそうか」
レオンは苦笑し、土を木箱へ戻した。
見た目や手触りに、群生地から持ち帰った土との大きな違いはない。
しかし、この土はクロエの魔力によって作り出されたものだ。
間違いなく魔力を帯びている。
レオンは新たに用意した魔力草の根と茎を、木箱の中へ丁寧に植えていった。
最後に、氷魔法で生み出した氷を溶かし、その水を土へ注ぐ。
透明な水が、クロエの作った土へゆっくりと染み込んでいった。
魔力を帯びた土。
魔力を帯びた水。
今度こそ、賢者の資料に記された二つの条件を満たしている。
「これで、あとは待つだけだな」
レオンが立ち上がる。
クロエも木箱を覗き込み、期待を込めて呟いた。
「今度こそ育つかな?」
「少なくとも、前とは条件が違う」
成功するとは言い切れない。
それでもレオンは、可能性を否定しなかった。
◇
数日後。
レオンは再び、邸の裏手にある実験場を訪れていた。
クロエとゼムも、木箱の周囲に立っている。
レオンが中を覗き込んだ、その瞬間。
僅かに目を見開いた。
茶色い土の表面から、小さな青白い芽が顔を出している。
まだ指先ほどの大きさしかない。
それでも、前回には見られなかった確かな変化だった。
「出たな」
レオンが小さく呟く。
ゼムも木箱を覗き込み、珍しく驚きを顔に浮かべた。
「発芽しております」
その言葉を聞いたクロエが、慌てて木箱へ駆け寄る。
「本当だ!」
三人は並んで、小さな芽を見つめた。
前回との違いは明らかだった。
群生地から持ち帰った土では、根も茎も腐った。
だが、クロエが魔法で作った土では、魔力草が新たな芽を出した。
発芽した。
ただ、それだけ。
まだ栽培に成功したとは言えない。
このまま成長するのか。
途中で枯れてしまうのか。
葉を広げ、回復薬の材料として使えるまで育つのか。
何一つ分かっていなかった。
それでも、間違いなく大きな前進だった。
レオンは安堵するように、小さく息を吐く。
「方向性は間違っていないらしい」
クロエが嬉しそうに笑った。
「やったね」
「ああ」
レオンも僅かに口元を緩める。
三人は、土の中から伸びた小さな芽を見つめ続けた。
この芽が新たな希望へ成長するのか。
それとも、再び失敗に終わるのか。
その答えは、まだ誰にも分からなかった。




