第68話 賢者の研究
薬草採取から数日後。
ノルディア邸の執務室で、レオンは机の上へ大量の資料を広げていた。
迷いの洞窟で手に入れた、賢者の研究資料。
記されているのは、全て日本語だった。
この世界の人間には読むことのできない、前世の文字。
だが、前世の記憶を持つレオンだけは、その内容を読み解くことができる。
調べているのは、魔力草についてだった。
回復薬の主材料。
常に供給が不足し、高額で取引されている希少な薬草。
もし安定した栽培に成功すれば、ノルディア領にとって大きな利益になる。
回復薬の供給量が増えれば、魔獣討伐で命を落とす者も減らせるかもしれない。
だからこそ、手掛かりになりそうな資料を片端から調べていた。
一枚ずつ頁をめくる。
魔法植物の分類。
薬草に含まれる魔力の性質。
土壌と魔力の関係。
何冊もの資料を読み進め、机の上には確認を終えた本が積み上がっていく。
やがて、ある資料を開いたところで、レオンの手が止まった。
◇
特殊薬草育成実験
魔力を帯びた土
魔力を帯びた水
両条件を満たした環境で育成を確認
◇
レオンの目が鋭く細められる。
だが、記録はそこで途切れていた。
続きがあるはずの頁は抜け落ち、残っているのは僅かな記述だけ。
具体的な育成方法。
土や水に含ませる魔力の量。
温度や日照時間。
どのように植えれば育つのか。
肝心な情報は、何一つ書かれていなかった。
「肝心なところがないな……」
レオンは思わず呟いた。
正確には、最初から記されていなかったのではない。
長い年月の中で失われたのだろう。
資料そのものが不完全だった。
それでも、手掛かりにはなる。
レオンは椅子の背へ身体を預け、もう一度記述を見つめた。
「魔力を帯びた土……か」
その時、執務室の扉が叩かれた。
コンコン。
「入れ」
扉が開き、クロエが顔を覗かせる。
「まだ仕事?」
「半分は仕事だな」
レオンは机の上に広げた資料を持ち上げた。
クロエは向かいの椅子へ座りながら、不思議そうに首を傾げる。
「何、それ?」
「賢者の研究資料だ」
「また変なものを見つけたね」
「否定はしない」
レオンが肩を竦めると、クロエは苦笑した。
レオンは先ほど見つけた記述を指差す。
「魔力草の栽培について書かれていた」
クロエの青い瞳が僅かに大きくなる。
「栽培方法が分かったの?」
「いや。分かったのは、育つために必要らしい条件だけだ」
レオンは資料をクロエの前へ置いた。
もっとも、日本語で記されているため、クロエには内容を読むことができない。
「魔力を帯びた土と、魔力を帯びた水。その二つを使った環境で、特殊な薬草の育成に成功したと書かれている」
「魔力草とは書いてないの?」
「ああ。特殊薬草としか書かれていない」
レオンは資料を閉じた。
「だが、試してみる価値はある。成功すれば、回復薬の材料を安定して増やせるかもしれない」
クロエは腕を組み、納得するように頷く。
「それは凄そうだね」
「問題は、具体的な方法が分からないことだ」
「じゃあ、どうするの?」
「試す」
レオンは即答した。
クロエの口元が、楽しそうに持ち上がる。
「実験だね?」
「ああ」
その時、二人の会話を静かに聞いていたゼムが口を開いた。
「ぼっちゃま。以前頼まれていた群生地の土ですが、先ほど討伐隊が持ち帰ったとのことです」
レオンの表情が僅かに明るくなる。
「分かった。ありがとう」
魔力を帯びた土と聞いて、真っ先に思い浮かんだのが群生地の土だった。
自然に魔力草が育っていた場所の土なら、栽培に必要な条件を既に満たしている可能性が高い。
「ちょうどいい。早速試してみよう」
しばらくして、討伐隊が群生地から持ち帰った土が、ノルディア邸の裏手へ運び込まれた。
黒く湿った土が、幾つもの木箱へ詰められている。
そこは、今回の実験のために用意された空き地だった。
レオンは木箱の前へしゃがみ込み、採取しておいた魔力草を確認する。
前世で得た農業の知識は、決して専門的なものではない。
それでも、サツマイモの蔓やニンニクの鱗片から、新しい株を増やせることくらいは知っていた。
同じ方法が魔力草へ通用する保証はない。
だから、根を分けたものと、茎を切り分けたものを別々の木箱へ植え、反応を比べることにした。
クロエが、隣から木箱を覗き込む。
「本当に、それで育つの?」
「分からん」
レオンは土を被せながら答えた。
「分からないんだ……」
「農業は専門外だからな」
レオンが苦笑すると、クロエも困ったように笑った。
全てを植え終えると、レオンは木箱の前へ片手を掲げた。
氷魔法によって生み出された小さな氷が、用意された容器の中へ落ちていく。
やがて氷が溶け、僅かに魔力を帯びた水へ変わった。
レオンは、その水を木箱へゆっくりと注いでいく。
様子を見守っていたクロエが呟く。
「これが、魔力を帯びた水なんだね」
「一応、そのつもりだ」
「群生地の土と、レオンの魔力で作った水。資料に書かれていた条件は満たしてるね」
「ああ」
魔力を帯びた土。
魔力を帯びた水。
今のレオン達に用意できる範囲では、二つの条件を満たしている。
あとは、結果が出るのを待つだけだった。
数日後。
レオンは再び、実験用の木箱の前に立っていた。
隣にはクロエとゼムもいる。
三人は、木箱を見下ろしたまま無言だった。
理由は単純だった。
何も変化がない。
根を植えた箱にも、茎を植えた箱にも、芽が出る兆候はなかった。
「どう?」
クロエが尋ねる。
レオンは土の表面を確かめた。
「変化なしだ」
ゼムも木箱の中を確認する。
「発芽の兆候も見られません」
それから、さらに数日が経過した。
だが、結果は変わらなかった。
新しい芽が出るどころか、土の中へ植えた根が腐り始めた。
茎も黒く変色し、触れるだけで崩れるほど脆くなっている。
完全な失敗だった。
クロエが、枯れた魔力草を見つめながら苦笑する。
「見事に全滅だね」
「ああ」
レオンも素直に認めた。
賢者の研究資料。
魔力を帯びた土。
魔力を帯びた水。
記録に残された条件は、満たしたつもりだった。
しかし、結果は失敗。
何かが間違っている。
あるいは、記録には残っていない別の条件がある。
「何かが足りないのでしょう」
ゼムが静かに言った。
レオンは頷く。
「そうだな」
何が足りないのかは、まだ分からない。
土に含まれる魔力の量か。
水の性質か。
植え方そのものが間違っていたのか。
考えられる可能性はいくらでもあった。
だが、逆に言えば、まだ可能性は残されている。
本当に栽培が不可能なら、賢者の資料に育成を確認したという記録が残るはずもない。
どこかに、成功するための条件がある。
レオンは枯れた魔力草を見下ろした。
そして、静かに呟く。
「もう一度だ」
一度の失敗で諦めるつもりはなかった。
魔力草の栽培研究は、まだ始まったばかりなのだから。




