第58話 子供たちの話
翌朝。
セリオスは再び、ノルディア領の孤児院を訪れていた。
昨日確認したのは、孤児院の運営状況を記した帳簿だった。
食費や生活費。
領民達から寄せられた寄付金。
書かれた数字を追えば、孤児院の置かれている状況はある程度まで理解できる。
だが、数字だけでは分からないこともある。
実際にここで暮らす子供達が、何を感じているのか。
それを知りたいと考えたのだ。
朝の庭では、子供達が元気に走り回っていた。
誰かを追いかけて駆け抜ける子供。
地面へ絵を描いている子供。
少し離れたところで、幼い子供の面倒を見ている年長者。
庭の至るところから、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
王国最北端にある辺境の孤児院とは思えないほど、明るい光景だった。
セリオスは子供達の邪魔にならないよう、庭の片隅に置かれたベンチへ腰を下ろした。
すると、それまで遠巻きに様子を見ていた子供達が、少しずつ近づいてくる。
雪のように白い髪。
宝石を思わせる紅い瞳。
教国の紋章が刻まれた白い法衣。
それに、教国最年少の枢機卿という肩書き。
何もかもが珍しいのだろう。
子供達は興味津々といった様子で、セリオスの周囲へ集まった。
「枢機卿様!」
一人の子供が元気よく呼びかける。
セリオスは穏やかに微笑んだ。
「何でしょう?」
すると、別の少年が不思議そうに首を傾げる。
「何しに来たの?」
あまりにも率直な質問だった。
少し離れた場所で見守っていたシスターが、慌てて声を上げる。
「こら! 枢機卿様に失礼でしょう!」
だが、セリオスは気分を害した様子もなく、少年と同じ高さまで視線を下げた。
「皆さんのことを知りたくて来ました」
子供達は互いに顔を見合わせる。
何を聞かれるのだろう。
そんな戸惑いが、幼い顔に浮かんでいた。
その時、子供達の中から一人の少年が前へ出た。
孤児院で最年長のラッツだった。
「辺境伯様を疑ってるの?」
セリオスは、僅かに目を見開いた。
「どうして、そう思ったのですか?」
「だって、昨日からいろいろ聞いてたから」
ラッツは飾ることなく、素直に答えた。
セリオスは困ったように苦笑する。
確かに、その通りだった。
帳簿を読み、運営状況を聞き、寄付金の出どころまで確認した。
子供達の目には、レオンが何か悪いことをしていないか調べているように映ったのかもしれない。
「私は、本当のことを知りたいのです」
言い訳をせず、セリオスは正直に答えた。
ラッツはその紅い瞳を、しばらく真っ直ぐに見つめる。
やがて、何かを決めたように小さく頷いた。
「なら、教えてあげる」
セリオスは黙って続きを待った。
「二年前……」
ラッツは遠い記憶を辿るように、青空を見上げた。
「あの日、ボク達は死にかけたんだ」
それまで騒がしかった庭が静まり返る。
周囲にいる子供達も、誰一人として話を遮らない。
皆が知っている出来事だった。
「薬草を採りに、森へ行った日だった。討伐隊が森にいるから大丈夫だって、そう思ってた」
ラッツは膝の上で拳を握り締める。
「でも、グレイムベアが出たんだ」
セリオスの目が僅かに細くなった。
グレイムベア。
複数の兵士で討伐隊を編成しなければ、対処することのできない大型魔獣。
大人でさえ、遭遇すれば命を落としかねない。
まして、武器も持たない子供達が逃げ切れるような相手ではなかった。
「討伐隊も撤退して、騎士の人達も怪我をしてた。ボク達も逃げてたんだ」
ラッツの顔が俯く。
「でも、間に合わなかった……」
「あの時、怖かった」
「本当に怖かったよね……」
周囲の子供達から、小さな声が漏れる。
二年が経った今も、あの日の恐怖は消えていないのだろう。
誰もが不安そうな表情を浮かべていた。
「でも、それで終わりじゃなかったんだ」
ラッツは握った拳へ力を込める。
「ワイバーンが来た」
セリオスの表情が僅かに険しくなる。
「しかも、五体も」
後ろに控えていた護衛騎士が息を呑んだ。
ワイバーンは一体でも、多くの犠牲を覚悟しなければならない魔獣だ。
それが五体。
傷ついた討伐隊と、逃げ遅れた子供達。
生き残れるような状況ではない。
「皆、泣いてた。ボクも泣いてた」
ラッツの声が僅かに震えた。
「本当に、ここで死ぬと思ったんだ」
セリオスは何も言わず、その言葉を受け止める。
だが、次の瞬間。
暗かったラッツの顔が、一気に明るくなった。
「でも、グラニウス様が来たんだ!」
その名を聞いた途端、周囲の子供達も顔を上げる。
「すごかったんだ!」
「本当に格好良かった!」
「大きな剣だった!」
子供達が次々に声を上げる。
ラッツの目にも、憧れに満ちた輝きが戻っていた。
「空まで届きそうな、大きな氷の剣だったんだ。それをバーンって振ったら、ワイバーンが全部消えた!」
ラッツは両腕を大きく広げ、当時の光景を再現しようとする。
だが、ラッツの笑顔は長く続かなかった。
広げていた両腕を下ろし、再び俯いてしまう。
「でもね……その後、グラニウス様が倒れたんだ」
庭から、子供達の声が消えた。
「動かなくなって……」
ラッツの指が、膝の上で強く握られる。
「ボク達のせいだと思った」
セリオスは何も言えなかった。
子供達を救うため、グラニウスは限界を越えて力を使った。
その結果、倒れた。
幼い子供達が自分を責めてしまったとしても、無理のないことだった。
その時、傍らで話を聞いていたシスターが優しく微笑んだ。
「違いますよ」
ラッツ達へ、何度も伝えてきた言葉なのだろう。
穏やかでありながら、迷いのない声だった。
「グラニウス様は、皆を守ることができたと喜んでおられました」
ラッツは少しだけ顔を上げる。
「うん……ガレスさんも、そう言ってた」
セリオスは静かに空を見上げた。
子供達による薬草採取。
それを孤児院の運営に役立てる仕組み。
採取する子供達を守る討伐隊。
そして、危険に陥った孤児達を救うために駆けつけた領主。
昨日から調べてきたものが、一つずつ繋がっていく。
グラニウス・ノルディアは、本当にこの孤児院を守っていた。
帳簿の上だけではない。
自ら剣を振るい、命を懸けて、ここに暮らす子供達を守ったのだ。
その時だった。
「でも、今はレオン様だよ!」
別の少年が、沈みかけた空気を吹き飛ばすように声を上げた。
その一言をきっかけに、子供達の表情が明るくなる。
「ご飯が増えた!」
「ボア肉もいっぱい食べられる!」
「本も増えたよ!」
「靴も新しくなった!」
「先生も来るようになった!」
子供達が一斉に話し始める。
次から次へと声が重なり、誰が何を言っているのか分からないほどだった。
その勢いに、セリオスは少し驚く。
シスターは困ったように笑いながらも、子供達の言葉を否定しなかった。
「はい。全て事実です。レオン様が、孤児院の暮らしをいろいろと改善してくださいました」
子供達の話は、まだ止まらない。
「薬草のお金も増えた!」
「前よりたくさん買ってもらえるんだ!」
「でも、危ない場所へ行ったら怒られる!」
「すっごく怖いの!」
その言葉には、全員が揃って大きく頷いた。
あまりにも真剣な反応に、セリオスは思わず笑みを零す。
すると、一人の小さな少女が前へ出た。
両手を腰へ当て、誇らしげに胸を張る。
「わたしは将来、レオン様のお嫁さんになる!」
子供達が一斉に黙った。
ほんの一瞬だけ庭が静まり返り、次の瞬間には大きな笑い声が弾ける。
「また言ってる!」
「無理だろ!」
「レオン様は辺境伯様だぞ!」
皆から一斉に突っ込まれ、少女は不満そうに頬を膨らませた。
「なるもん! レオン様、優しいもん! 格好いいもん!」
ラッツが呆れた顔で少女を見る。
「辺境伯様なんだから、結婚相手も貴族だろ。それに、お前は平民じゃん」
少女の動きが止まった。
それまでの勢いが嘘のように黙り込み、真剣な顔で考え始める。
小さな頭の中で、何とか解決策を探しているらしい。
そして数秒後。
何かを思いついた少女が、再び元気よく顔を上げた。
「じゃあ、愛人!」
庭が静まり返った。
セリオスは笑顔のまま固まる。
護衛騎士も目を見開き、シスターは両手で頭を抱えた。
「誰にそんな言葉を教わったんですか!?」
少女は、褒められたと思ったのか元気よく答える。
「宿場町のおばちゃん達!」
シスターは助けを求めるように天を仰いだ。
周囲の子供達は、堪え切れずに大笑いする。
「愛人だって!」
「意味、分かってるのか?」
「分かんない!」
少女は自信満々に胸を張った。
本当に、何も分かっていなかった。
その堂々とした姿に、セリオスも堪え切れずに吹き出した。
「ふふっ……」
一度零れた笑いは、なかなか止まらなかった。
こんなふうに、何も考えず声を上げて笑ったのは、いつ以来だろう。
庭には再び、子供達の明るい笑い声が響き渡る。
セリオスは笑いながら、その光景を静かに見つめていた。
少なくとも、この孤児院の子供達はノルディア家を信頼している。
命を懸けて自分達を救ったグラニウスを。
そして、今の暮らしを良くしてくれたレオンを。
心から慕っている。
その気持ちだけは、疑いようのない事実だった。
どうやら、このノルディア領には自分の知らないことが、まだ数多くあるらしい。




