第57話 試した結果
夕方になる頃には、セリオスを試す役目を与えられた兵士がノルディア邸へ戻ってきた。
そのまま執務室へ向かい、扉を叩く。
中で待っていたのは、レオン、クロエ、ゼムの三人だった。
兵士は部屋へ入ると、机の前で足を止め、姿勢を正して敬礼する。
「任務、完了いたしました」
「ありがとう。お疲れ様」
レオンが労うように頷く。
すると兵士は、腰に下げていた革袋を取り外した。
両手で抱えるように持ち、執務机の上へ置く。
ずしり、と見た目からは想像できないほど重い音が、静かな執務室へ響いた。
レオンは怪訝そうに眉を寄せる。
「それは?」
「枢機卿より渡された金銭です」
執務室が静まり返った。
クロエは目を見開いたまま固まり、ゼムも無言で革袋を見つめている。
レオンは何も言わず、袋の口を開いた。
中に入っていたのは、何枚もの金貨と銀貨。
決して少なくない金額だった。
レオンは革袋の中身と兵士の顔を交互に見る。
「……全部か?」
「はい」
兵士は迷うことなく即答した。
「恐らく、枢機卿がお持ちになっていた所持金の全てかと思われます」
クロエが片手で額を押さえた。
「馬鹿だ……」
ゼムも静かに頷く。
「馬鹿ですね」
レオンも否定できなかった。
「馬鹿だな」
満場一致だった。
三人から同じ評価を下されても、兵士は真面目な顔を崩さない。
そのまま任務の詳細を報告し始める。
「私はご指示通り、母が病に倒れたものの、薬を買う金も医者を呼ぶ金もないと説明いたしました」
レオンは口を挟まず、続きを促す。
「その際、枢機卿は私の腕に残っていた痣を発見されました」
兵士は片方の袖を捲り、腕を差し出した。
そこには何もない。
傷も。
痣も。
不自然なほど綺麗な肌があるだけだった。
「騎士団の訓練中にできた痣が残っていたのですが、枢機卿が聖属性魔法で治療してくださいました」
クロエが身を乗り出し、兵士の腕を覗き込む。
「痕も残ってない……」
「はい」
兵士が頷いた。
「痛みも完全に消失しております」
レオンも腕へ目を向ける。
確かに、痣があったとは思えないほど綺麗に治っている。
兵士は袖を戻しながら、報告を続けた。
「なお、枢機卿は怪我をした理由について、一切確認されませんでした」
「何も聞かなかったのか?」
「はい」
兵士は真っ直ぐにレオンを見る。
「最初にかけられた言葉は……『痛かったでしょう』でした」
執務室へ、先ほどまでとは異なる沈黙が落ちた。
レオンは腕を組み、僅かに目を細める。
疑うことも。
怪我の理由を問い詰めることもなかった。
ただ傷を見つけ、痛かっただろうと声をかけ、その場で治した。
「その後、病気そのものを魔法で治すことはできないと説明を受けました」
兵士は淡々と続ける。
「ですが、薬を購入したり、医者を呼んだりすることはできるかもしれないと仰り、所持金を全て渡されました」
クロエが恐る恐る革袋を見る。
「本当に、全部?」
「はい。護衛騎士は止めておられましたが、枢機卿は聞き入れませんでした」
「止められても渡したのか……」
「必要であれば、ご本人も母親の診察へ向かうと仰っておりました」
クロエは再び頭を抱えた。
「馬鹿だ……」
ゼムも、今度ばかりは擁護する言葉が見つからないらしい。
「馬鹿ですね」
レオンも重々しく頷いた。
「馬鹿だな」
再び満場一致だった。
だが、軽い空気は長く続かなかった。
執務室は、すぐに静けさを取り戻す。
報告を終えた兵士は、真顔のままレオンの前に立っていた。
自分の役目は終わった。
得られた結果をどう判断するかは、主君であるレオンの役目だ。
レオンは椅子に座ったまま、窓の外へ目を向けた。
傾き始めた夕日が、領都の街を赤く染めている。
しばらく沈黙した後、レオンは静かに口を開いた。
「演技だと思うか?」
クロエは迷うことなく答えた。
「思わないよ」
そして、机の上の革袋を見ながら付け加える。
「ボクなら、もっと上手くやる」
レオンは思わず苦笑した。
確かに、そうだった。
クロエは商人だ。
言葉を選び、相手の心を読み、時には本心を隠しながら交渉する。
人を信じさせる方法も、騙そうとする者が見せる不自然な動きも知っている。
だからこそ、セリオスの行動が演技ではないと分かるのだろう。
「ゼムは?」
レオンが尋ねると、ゼムは少し考えてから答えた。
「少なくとも、今回の行動は本心によるものでしょう」
レオンは小さく息を吐いた。
本心。だからこそ、困る。
もし全てが演技だったのなら、話は簡単だった。
裏にある目的を探り、警戒すればいい。
だが、本心で行動しているのなら話は別だ。
見ず知らずの人間を助けるために、理由も聞かず怪我を治す。
所持金を全て差し出す。
それでも足りなければ、自分で病人のもとまで向かおうとする。
そんな人間が、本当に存在するのか。
レオンには、まだ信じ切ることができなかった。
それでも、一つだけ確かになったことがある。
セリオス・セラフィスは、"困っている人間を見捨てない"。
少なくとも、その噂だけは間違いなく本物だった。
レオンは机の上に置かれた革袋を見つめる。
金貨と銀貨が詰まったそれは、セリオスという人間の在り方を、そのまま形にしたようにも見えた。
そして、困ったように呟く。
「面倒な人だな……」
その言葉に、クロエとゼムも静かに頷いた。




