第48話 花畑の墓
「ノルディア領へようこそ!」
ドーグの豪快な声が響いた。
行く場所も、帰る場所もなかった自分へ向けられた言葉。
クロエは小さく笑って答えた。
「よろしくお願いします」
春の風が吹き、ノルディア家の旗が大きくはためいていた。
「そうだ」
レオンが思い出したように口を開く。
「何?」
クロエが首を傾げる。
「街を案内する」
クロエは目を瞬かせた。
「今から?」
「ああ、今からだ!」
レオンは即答した。
だが次の瞬間、ゼムが咳払いをする。
「ぼっちゃま」
「何だ」
「本日の予定をお忘れではありませんか?」
レオンの表情が僅かに曇った。
「先にクロエに案内を……」
「五日間です」
「な……何だ?」
「五日間の政務が溜まっております」
「ちょっとぐらい……」
「ダメです」
レオンは天を仰いだ。
そして、ふと思い出したように口を開く。
「そうだ」
「何ですか?若様」
ガレスが首を傾げる。
「クロエを案内してやってくれ」
クロエが目を瞬かせる。
ガレスは少し考え、申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ありません。本日は討伐隊の編成確認がございます」
「ああ、そうだったな」
すると、エルンが一歩前へ出た。
「私も無理です! この後すぐに決算報告と備蓄管理の確認があります」
「また仕事が増えた」
「帰って来られましたので」
即答だった。
さらにハンスが口を開く。
「弓兵隊訓練」
短い。
だが、それだけで十分だった。
ドーグも腕を組む。
「俺も新人共を鍛えなきゃなりません!最近だらしない奴が増えてますのでな!」
結局、候補の全員無理だった。
レオンは最後の一人を見る。
そこにいたのはリックだった。
嫌な予感を察したらしく、リックは一歩下がる。
「おい」
「嫌な予感しかしないんですが」
即答だった。
エルンが真顔で言う。
「リックで良いでしょう」
「全然良くない!」
「本日の予定は?」
「もちろん昼寝です」
「却下だ」
即答だった。
ハンスも頷く。
「暇だな」
「ハンスさんまで!?」
ドーグが豪快に笑う。
「たまには役に立て!」
ガレスも腕を組んだ。
「若様の命令だ」
完全に包囲されていた。
リックは天を仰ぐ。
「誰か味方はいないんですか!?」
誰も反対はしなかった。
リックの味方はいなかった。
レオンが頷く。
「決まりだな」
「決まってねぇ!」
クロエは思わず吹き出した。
騎士団なのに妙に仲が良い。
そんな空気だった。
その時、後ろから咳払いが聞こえた。
ゼムは笑顔だった。
だが、目は笑っていない。
「ぼっちゃま」
レオンの顔が曇る。
「……何だ」
「政務がございます」
「さっき着いたばかりだぞ」
「五日分です」
「……」
「更に本日届いた報告書もございます」
完全に逃げ道がなくなった。
レオンはため息を吐き、クロエを見る。
「悪い」
「気にしなくていいよ」
「じゃあ、リック頼む」
「拒否権は?」
「無い」
即答だった。
こうしてレオンは、ゼムに連行されるように邸へ戻っていった。
リックはその後ろ姿を見送りながら呟く。
「旦那も大変だなぁ」
「他人事みたいに言うな」
エルンの冷たい声が飛んだ。
リックは聞こえないふりをした。
やがて他の騎士達も、それぞれの持ち場へ向かう。
残ったのは、クロエとリックだけだった。
「さて」
リックが肩を竦める。
「暇人同士で街でも回りますか」
「ボク、暇人じゃないんだけど」
「俺もです!!」
二人は同時にため息を吐いた。
二人は領都の街へ向かう。
市場。
鍛冶屋。
肉屋。
行き交う領民達は、活気に満ちていた。
「レオン様がお帰りになったらしいぞ」
「辺境伯様も大変だな」
「若いのによくやっておられる」
そんな声も聞こえてくる。
クロエは少し驚いた。
レオンは本当に領民達から慕われている。
すると、リックが口を開いた。
「しかし驚きました」
「何がなの?」
「まさか怪しい商人が―」
リックはクロエを見る。
「こんな小さな女の子だったとは」
クロエの足が止まる。
「……怪しい商人」
リックは笑う。
「ゼムさんが探してたんですよ」
クロエは黙って話を聞く。
「ガレス団長なんて昔の伝手まで使ってましたからね」
クロエが目を瞬かせる。
「伝手?」
「ガレスさん、昔、王都の騎士団にいたらしいんですよ。その時の同僚らしくて」
クロエの胸に嫌な予感が走る。
「それって王都近衛騎士団、団長?」
「らしいですね。あの人、王都じゃ昔、意外と有名だったんで」
クロエは言葉を失った。
リックはそのまま続ける。
「旦那様の病の進行を遅らせる薬があるかもしれないって話でしたから」
その瞬間、クロエの思考が止まった。
病。
秘薬。
魔力侵食症。
ノルディア家。
ゼム・ノルディア。
王都騎士団。
全てが繋がった。
レオンは父親を助けようとしていた。
だから、自分を探していた。
それなのに、クロエは隠れた。
捜索から逃げた。
誰にも見つからないように。
だから、レオン達は自分を見つけられなかった。
胸が苦しくなる。
リックはクロエの様子に気づかず、ただ昔話をしているだけだった。
その時、クロエはふと視線を上げた。
邸から少し離れた丘に、一面の花畑が広がっている。
色とりどりの花が、春の風に揺れていた。
そして花畑の中央には、一つの石碑が見える。
クロエは立ち止まった。
「……あれは?」
リックもそちらへ視線を向ける。
そして、少しだけ優しい顔になった。
「ああ…………旦那様のお墓ですよ」
クロエの身体が固まる。
「お墓……?」
「そうです、グラニウス様のお墓です」
風が吹き、花々が揺れている。
クロエは言葉を失った。
見渡す限り、花だった。
「全部……供えられた花?」
「ええ」
リックは静かに頷く。
「領民が持って来た花です。今も増え続けてますよ」
クロエは息を呑んだ。
花の数。
それは、グラニウスを慕う人の数。
感謝した人の数。
その死を悲しんだ人の数。
愛されていた証だった。
胸が痛んだ。
リックが静かに言う。
「旦那様は立派な領主でした」
クロエは俯いた。
花が、あまりにも多すぎた。
だから分かる。
グラニウスが、皆にとってどれほど大切な人だったのか。
そして同時に、自分が何を失わせてしまったのかと思ってしまう。
「リックさん」
「何です?」
クロエは無理に笑った。
「ボク……花を買ってお参りしてくるから、先に邸に帰っておいて」
リックは少しだけ目を瞬かせる。
だが、何も聞かなかった。
「分かりました。あそこの角を曲がったら、花屋があります」
クロエは頷いた。
そして花を買うため、リックが教えた角へ向かって歩き出した。
その先にある丘では、春の風を受け、色とりどりの花が静かに揺れていた。




