第46話 専属商人
グランツ宿場町の門前では、すでに二台の竜車が出発の準備を終えていた。
一台は、レオン達がノルディア領から乗ってきた竜車。
もう一台は、クロエが各地を旅するために使っている小型の竜車だった。
二頭の走竜は時折地面を掻きながら、出発の時を待っている。
あとは、ノルディア領へ帰るだけだった。
春の穏やかな風が門前を吹き抜ける。
クロエは、自分の竜車の横に立っていた。
本来なら、ここで別れるはずだった。
互いにそれぞれの目的地へ向かい、また次の取引で再会する。
いつも通り、またどこかで会う。
それだけの関係だった。
だが、自分達の竜車へ向かおうとしていたレオンが、不意に足を止めた。
「そうだ」
クロエが振り返る。
「何?」
レオンは少し考えた後、クロエへ向き直って口を開いた。
「ノルディアの専属商人にならないか?」
クロエが固まった。
「……は?」
あまりにも予想外の言葉だった。
レオンは、驚くクロエへ構わず続ける。
「お前アイテムバッグ持ってるだろ?」
「うん」
「便利だ!」
「それだけ?」
「それだけだ!」
レオンは即答した。
クロエは半眼になる。
(絶対違う)
レオン本人は気づいていないのだろう。
だが、物凄く怪しかった。
「取引も信用出来るし情報も集められる」
レオンは気まずそうに頬を掻いた。
「それに旅も出来る……まぁ便利だ」
また便利だと言った。
クロエは呆れたように額を押さえる。
「ボクの評価それだけ?」
「優秀な商人だとは思ってる」
「最後に付け足したよね?」
レオンは黙って視線を逸らした。
どうやら図星だったらしい。
後ろで二人のやり取りを見ていたゼムが、静かに咳払いをする。
「ぼっちゃま」
「何だ」
「もう少し素直に言われては?」
レオンが露骨に嫌そうな顔をした。
その反応を見たクロエの胸に、嫌な予感がよぎる。
ゼムは構わず続けた。
「今回の件でクロエ殿が再び狙われる可能性があります」
クロエの身体が固まった。
「ですので辺境伯家の専属商人にして」
そこで一度言葉を区切り、ゼムはレオンへ穏やかな視線を向ける。
「ノルディア家の庇護下に置きたいのでしょう?」
数秒間、沈黙が流れた。
三人の間を、春の風だけが通り抜けていく。
クロエはゆっくりとレオンを見た。
レオンは、気まずそうに視線を逸らしたままだった。
「レオン?」
「……」
「レオン?」
「ゼム」
レオンが低い声でその名を呼ぶ。
「はい」
「余計な事を言うな」
「失礼しました」
そう答えたゼムの顔に、反省の色はまったくなかった。
クロエは呆然とレオンを見つめていた。
ゼムの言葉を聞いて、ようやく全てを理解した。
"専属商人"
アイテムバッグが便利だから。
取引相手として信用できるから。
商人として優秀だから。
それも全て、本当なのだろう。
だが、一番の理由は違う。
再び狙われるかもしれないクロエを、ノルディア辺境伯家の庇護下に置くため。
レオンはクロエを守ろうとしていたのだ。
その事実に気づき、クロエは思わず笑った。
「不器用だね」
「何がだ」
「何でもない」
レオンは、本当に何も分かっていないような顔をしている。
クロエは小さく息を吐いた。
辺境伯家の庇護。
安定した仕事。
そして、安全に暮らせる居場所。
少し前のクロエなら、迷わず断っていただろう。
誰とも深く関わらない。
誰も信用しない。
そう決めて、これまで一人で生きてきたからだ。
だが、今は違う。
クロエは小さく笑った。
「断る理由が無くなっちゃったな」
そう言って、レオンへ手を差し出す。
「専属商人」
レオンが顔を上げた。
「引き受けるよ」
一瞬だけ、レオンが驚いた顔をした。
そして、すぐに小さく笑う。
「そうか」
差し出された手を握った。
「よろしく」
「あぁよろしく」
その握手をもって、契約は成立した。
すると、レオンが続けて言う。
「じゃあ行くか」
「どこに?」
「え?領地だけど?」
クロエが固まった。
「は?」
「ノルディア領!」
「聞こえてるよ!」
クロエは思わず叫んだ。
レオンは、何がおかしいのか分からないという顔をする。
「専属商人だろ?」
「なったばかりだよ!?」
「なら一回来ればいい」
あまりにも理屈が雑だった。
二人の会話を聞いていたゼムが苦笑する。
「ぼっちゃま」
「何だ」
「普通はもう少し段階を踏みます」
「そうなのか?」
「そうです」
クロエも隣で何度も頷く。
本当に、その通りだった。
だが、その時になってクロエは別の問題を思い出した。
「あっ、お肉が……」
昨日の取引で買い取ったレッドボアの肉は、王都へ運ぶ予定だった。
アイテムバッグの中では時間の流れが遅くなるとはいえ、完全に止まるわけではない。
これからノルディア領へ向かえば、その分だけ王都へ到着する時期も遅くなってしまう。
クロエの言葉を聞いたレオンは、何でもないことのように答えた。
「それならまた凍らせればいい」
その一言で、クロエが同行しないための理由は簡単に消されてしまった。
クロエは仕方なく、アイテムバッグからレッドボアの肉を詰めた木箱を取り出した。
門前へ並べられた木箱の前に、レオンが立つ。
右手をかざすと、掌から魔力が流れ出した。
冷たい魔力が白い霧となって木箱を包み込み、内部に収められた肉から一気に熱を奪っていく。
木箱の表面へ薄い霜が広がった。
やがて中の肉は、鮮度を保ったまま完全に凍りつく。
全ての木箱を冷凍し終えると、クロエはそれらを再びアイテムバッグへ収納した。
これなら、ノルディア領へ寄ってから王都へ向かっても品質は落ちない。
肉の問題まで解決してしまい、クロエにはもう断る理由が残されていなかった。
結局、気づけばクロエも自分の竜車へ乗り込んでいた。
断り切れなかったのだ。
やがて走竜が力強く地面を蹴り、二台の竜車が動き始めた。
門を抜け、街道へ出る。
窓の外に広がっていたグランツ宿場町の景色が、少しずつ遠ざかっていく。
クロエは揺れる竜車の中から、その光景を静かに見つめていた。
不思議だった。
少し前まで、ずっと一人だった。
行く場所はあっても、帰る場所はない。
それが当たり前だと思っていた。
だが、今は向かう先がある。
ノルディア領の辺境伯家。
そこで待っている、専属商人としての新しい仕事。
その先に何があるのかは、まだ分からない。
それでもクロエは、小さく笑った。
「変な事になったなぁ」
思わず零れた呟きには、困惑が滲んでいた。
だが、不思議と嫌な気分ではない。
むしろ、ほんの少しだけ楽しみだった。
初めて自分を受け入れてくれた新しい居場所が、どのような場所なのか。




