第41話 未来を見る剣
レオンは屋敷の廊下を駆けていた。
背後から、傭兵達の怒号が飛び交っている。
その直後に響いたのは、激しい剣戟の音と男達の悲鳴だった。
それでも、レオンは振り返らない。
後ろにはゼムがいる。
それだけで十分だった。
屋敷の内部は、外の騒ぎが嘘のように静まり返っていた。
侵入者を迎え撃つため、傭兵の大半が正面玄関へ向かったのだろう。
レオンにとっては、好都合だった。
レオンは走る速度を落とさず、屋敷の奥へ進んでいく。
時間がない。
一刻も早く、クロエを助けなければならない。
廊下の角を曲がった、その瞬間だった。
「おい! 侵入者だ!」
物陰から二人の男が飛び出してきた。
一人は剣を抜き、もう一人は槍を構える。
武器の持ち方にも、足の運びにも無駄がない。
少なくとも、金で雇われただけの素人ではなかった。
レオンも足を止め、剣を構えた。
右目へ魔力を流す。
眼球の奥が熱を帯び、未来予知の魔眼が発動した。
ほんの一瞬先の光景が、脳裏を駆け抜ける。
右側に立つ傭兵が踏み込み、レオンの肩を狙って剣を振り下ろす。
未来が途切れた直後、傭兵が地面を蹴った。
「喰らえ!」
レオンは半歩だけ身体をずらす。
次の瞬間、予知した通りに男の剣が鼻先を掠め、何もない空間を斬り裂いた。
「なっ!?」
驚愕する男の懐へ、レオンは迷わず踏み込む。
王国式の剣技を基礎とし、そこへ帝国式の速度と足運びを取り入れた剣。
振り上げた刃で傭兵の剣を弾き飛ばし、そのまま柄頭を鳩尾へ叩き込む。
「ぐっ……!」
男は声にならない呻きを漏らし、その場へ崩れ落ちた。
だが、休む暇はない。
奥にいたもう一人が槍を構え、一直線に突進してくる。
レオンは再び右目へ魔力を流した。
鋭い突き。
回避された直後、槍を引き戻して放たれる横薙ぎ。
二つの動きが、未来として映し出される。
レオンは突き出された槍を剣で受け流すと、相手が次の攻撃へ移るよりも先に懐へ潜り込んだ。
そして、肩から勢いよく体当たりを叩き込む。
「がっ!」
男の身体が後方へ弾かれ、廊下の壁へ激突した。
そのまま力なく床へ倒れ、動かなくなる。
レオンは二人を振り返ることなく、再び走り出した。
やがて廊下の突き当たりにある部屋から、話し声が聞こえてきた。
一人は男、そして、もう一人は――。
「クロエ……!」
聞き間違えるはずがなかった。
レオンは扉の前へ駆け寄ると、取っ手へ手をかけ、一気に押し開けた。
部屋の中央には、一脚の椅子が置かれていた。
そこへ、両手と身体を縄で縛られたクロエが座らされている。
乱れた灰色の髪。
恐怖に揺れる蒼い瞳。
それでも、目立った怪我は見当たらなかった。
レオンの姿を見た瞬間、クロエが大きく目を見開く。
「レン!」
その声を聞き、レオンは胸を撫で下ろした。
生きている。
無事だった。
今は、それだけで十分だった。
「迎えに来た」
レオンが告げると、クロエの蒼い瞳が潤んだ。
しかし、安堵したのも束の間、クロエは何かに気づいたように顔色を変える。
「逃げて!」
レオンが眉を寄せた。
「どうしてだ?」
「そいつは危険だ!」
クロエが叫んだ直後、部屋の奥から低い笑い声が聞こえた。
「随分と感動的な再会だな」
暗がりから、一人の男が姿を現す。
仕立てのよい豪華な服。
指にはめられた、いくつもの高価な指輪。
そして、レオンにも見覚えのある恰幅のよい顔。
グランツ商会の会頭、ブロド・グランツだった。
「ブロド……」
レオンは剣の切っ先をブロドへ向ける。
「お前が黒幕か」
ブロドは悪びれる様子もなく、肩を竦めた。
「黒幕とは失礼だな。私はただ、探し物をしていただけだ」
その言葉を聞き、クロエの肩が小さく震える。
レオンは、その反応を見逃さなかった。
ブロドは怯えるクロエへ視線を向けた後、再びレオンを見る。
「久しぶりだな。竜車は良かっただろ」
レオンは何も答えず、ただブロドを鋭く睨み返した。
その表情を見たクロエが息を呑む。
レオンの中では、すでにブロドが敵だと決まっていた。
たとえ以前に世話になった相手であろうと、クロエを攫った者を許すつもりはない。
レオンは一歩前へ出る。
「クロエ」
「な、何?」
「こいつ、殴ってもいいか?」
部屋の空気が止まった。
クロエは呆然とレオンを見つめる。
ブロドも、まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったらしく、顔を引きつらせていた。
やがてクロエの口から、小さな笑い声が漏れる。
「ぷっ……」
怖かった。
このままどこかへ連れていかれるのではないかと、不安で仕方がなかった。
だが、レンはいつもと何も変わらない。
呆れるほど真っ直ぐで、こんな状況でもクロエへ許可を求めている。
張り詰めていたものが少しだけ緩み、クロエは笑いながら頷いた。
「うん。思いっきりお願い」
「ああ、分かった」
レオンも真剣な顔で頷く。
そのやり取りを見ていたブロドの頬が引きつった。
「おい!」
ブロドが声を荒らげ、部屋の外へ向かって叫ぶ。
「誰か来い!」
しかし、返事はない。
ブロドの眉が僅かに動く。
「ちっ……何をしている!」
さらに声を張り上げる。
「傭兵共! 何をやっているんだ!」
それでも、廊下から足音が近づいてくることはなかった。
重い沈黙が部屋を包む。
その時だった。
レオンが入ってきた扉とは別の、部屋の反対側にある扉が轟音とともに吹き飛んだ。
木片が室内へ舞い散り、白い埃が立ち込める。
その煙の向こうから、一人の老人が姿を現した。
黒い執事服。
腰には細身の剣。
そして、普段と変わらない穏やかな笑み。
ゼムだった。
大勢の傭兵を相手にしてきたはずだが、服には乱れ一つない。呼吸も平静で、まるで夜の散歩から戻ってきたかのようだった。
「お待たせいたしました」
ゼムは部屋へ入ると、優雅な所作で一礼した。
「ぼっちゃま、こちらはすべて片づきました」
まるで庭掃除を終えた報告のような口調だった。
レオンは思わず苦笑する。
外から傭兵達が来ないということは、本当に全員を片づけてしまったのだろう。
残っているのは、目の前の男だけだった。




