第421話 友として、騎士として
護衛依頼を終えた竜の牙の三人は、夕暮れの冒険者協会へ戻ってきた。
依頼先は、王都から半日ほど離れた村だった。商人の一行を護衛して王都へ戻る道中、魔物に遭遇したものの、大きな問題にはならなかった。アレクの指示に従ってエドガーが前衛を務め、エリシアは後方から援護した。三人はそれぞれの役割を果たし、依頼を無事に終えた。
報告を受けた職員は、三人の冒険者証を確認してから顔を上げた。
「今回の護衛依頼の達成をもって、竜の牙の皆さんは全員D級へ昇格となります。おめでとうございます」
三人は顔を見合わせた。
「本当に、みんな一緒に昇格なんだね」
エリシアは手渡された冒険者証を確かめ、そこに記された文字を見つめた。D級。その文字を見ているうちに、胸の奥から喜びがこみ上げてくる。
彼女は顔を上げ、隣にいるアレクへ笑顔を向けた。
「やったね、アレク!」
「そうだな。三人でD級になれた」
アレクの表情も、いつもより明るかった。
エリシアはその笑顔を見て、さらに嬉しそうに目を細める。それから、エドガーにも顔を向けた。
「竜の牙、みんなでD級だよ!」
「ああ。ようやくここまで来たな」
エドガーも冒険者証を手に、喜びを隠さず笑った。
「カイン王子が作った属性付与の魔法具のお陰で、エリシアの援護がかなり安定したからな。今日も助かったよ」
「そんなことないよ。エドガーが前で魔物を引きつけてくれたから、落ち着いて狙えたんだもの」
エリシアが使っている属性付与の魔法具は、カインが彼女のために作ったものだった。無属性の魔力を使って攻撃を放つ仕組みは、まだ練習が必要だ。それでも依頼の中では確かな助けになっている。
「アレクの指示も分かりやすかったよ。次に何をすればいいか迷わなかった」
「二人がすぐ動いてくれたからだ。俺の指示だけで依頼を達成できたわけじゃない」
「三人で協力できたからだね」
エリシアは改めて冒険者証を見下ろした。
「D級かあ。受けられる依頼も増えるんだよね」
「そうだな。けれど、急いで難しい依頼を選ぶ必要はない。これまで通り、俺たちにできるものを確実にこなしていこう」
「うん。まずは三人で、少しずつ経験を積んでいこう」
エリシアは笑顔で頷いた。
「今日みたいに役割を決めて動ければ、きっと大丈夫だね」
「エリシアの援護があるから、俺も前へ出やすい。アレクが全体を見て指示を出してくれるしな」
「それぞれの役割を果たせたのが、今回の依頼のよかったところだな」
三人は今日の護衛で起きたことを話しながら、協会を出た。最初に魔物を見つけた時のこと、商人たちを安全な場所へ誘導したこと、依頼人から礼を言われたこと。話すたびに、また笑い声がこぼれる。
◇
夕方の王都には、帰宅する人々の姿が増えていた。通り沿いの店からは夕食の支度を始める匂いが漂い、馬車が石畳をゆっくりと進んでいく。
三人は寮へ向かう道を並んで歩いた。エリシアは冒険者証を何度も確かめ、そのたびに嬉しそうに頬を緩めている。
「D級になると、護衛の依頼も増えるのかな?」
「受けられる依頼の幅は広がるだろうな。内容をよく確認して選べば、今までより条件のいい仕事も受けられるはずだ」
アレクが答えた。
「でも、焦って難しい依頼を受ける必要はないよ。これまで通り、できることを確実にこなしていこう」
「分かってる。まずは今の俺たちに合った依頼からだな」
エドガーは手の中の冒険者証を見た。
D級。冒険者として一歩進んだ証だった。
学園では、王権派の生徒たちから「貴族もどき」と呼ばれている。
エドガーの家は、もともと王権派に属していた。父は準男爵で、功績を重ねた末に男爵位を授かることが決まっていた。そのため、家ではエドガーにも貴族としての教養を身につけさせていた。立ち居振る舞いも、礼儀作法も、いずれ男爵家を継ぐ子として教えられてきた。
だが、成人の儀でエドガーは怒りに任せて火魔法を暴発させた。負傷者を出した責任を問われ、父は男爵位を授かるどころか準男爵から騎士爵へ降爵された。
王権派の生徒たちは、その経緯を知っている。彼らにとって魔法は貴族のものだ。準男爵の息子が貴族のように振る舞い、貴族の魔法を暴発させた。そのことを嘲るために、エドガーを「貴族もどき」と呼んでいた。
冒険者証を握る指に力がこもる。
このD級という評価は、彼が自分で積み重ねたものだ。家の爵位でも、誰かから与えられた立場でもない。仲間と依頼をこなし、守るべき人を守った結果だった。
「エドガー、嬉しそうだね」
エリシアの声に、エドガーは顔を上げた。
「ああ。仲間と一緒に昇格できたんだからな。嬉しいに決まってる」
「私も嬉しい。竜の牙で、もっと色んな依頼に挑戦できるね」
「その前に、明日は休みだろう。今日はしっかり身体を休めておけ」
アレクが言うと、エリシアは少しだけ口を尖らせた。
「分かってるよ。明日はちゃんと休む」
「本当か?」
「本当。アレクこそ、依頼の報告書を読み返して夜更かししないでね」
「……気をつける」
エドガーは二人のやり取りを聞きながら笑った。
アレクはエリシアの体調を気にかけ、エリシアもまたアレクの癖を知っている。二人が互いを見る時の表情には、仲間への心配だけではないものがあるように思えた。
エドガーは、そのことに気づいていた。
エリシアがアレクに惹かれていることも。
アレクがエリシアを大切に思っていることも。
それでも、この明るい時間を壊したくはなかった。今は三人で昇格を喜び、依頼を終えた帰り道を歩いている。それだけで十分だと思おうとした。
やがて、女子寮へ続く道と男子寮へ向かう道の分かれ目に着いた。
「今日は本当にありがとう。二人ともお疲れさま」
エリシアは二人へ笑顔を向ける。
「エリシアもお疲れさま。明日はゆっくり休んでくれ」
「うん。アレクもエドガーも、また次の依頼でね」
「またな」
エドガーが手を上げる。エリシアは手を振り返し、女子寮へ続く道を歩いていった。
二人はその背中を見送った。エリシアの姿が曲がり角の向こうへ消えるまで、アレクは立ったままだった。
「アレク」
エドガーが呼ぶ。
「なんだ?」
「少し、話したいことがある。明日の放課後、ギルド協会の訓練場で時間をもらえないか」
アレクはエドガーの顔を見た。先ほどまでの笑みは消えていた。
「分かった。そこで聞こう」
「頼む」
エドガーは短く答え、アレクと別れて男子寮へ向かった。
◇
翌日の放課後。
冒険者ギルド協会の訓練場には、木剣の打ち合う音が響いていた。依頼のない冒険者たちが身体を動かし、壁際では何人かが試合を見守っている。
エドガーは訓練場の端に立ち、アレクを待っていた。
やがて、アレクが入口から入ってくる。
「待たせたか?」
「いや。俺も今来たところだ」
「話があると言っていたな」
「ああ。ここで話していいか?」
「構わない」
二人は訓練場の隅へ移動した。周囲の声は聞こえるが、話を聞かれるほど近くに人はいない。
エドガーはしばらく口を開けなかった。どう切り出すべきか、何度も考えてきたはずなのに、アレクを前にすると言葉が重くなる。
それでも、黙ったままではいられなかった。
「俺はエリシアのことが好きなんだ」
アレクは表情を変えず、エドガーを見つめた。
「そうか」
「驚かないんだな」
「気づいていた」
「だろうな」
エドガーは苦笑した。隠せているとは思っていなかった。
「俺の置かれた立場は分かってる。騎士爵家の息子で、王権派の生徒からは貴族もどきと呼ばれている。王子のお前と対等じゃないこともな」
エドガーは視線を落とした。
「こうしてお前と話せていること自体、俺には奇跡に近い。お前が俺たちを冒険者仲間に誘ってくれたからだ」
「俺は、身分で仲間を選んだつもりはない」
「分かってる。だからこそ、感謝してるんだ」
エドガーは一度息を吸い、続けた。
「ただ、俺が学園でエリシアと仲良くすれば、あいつは今よりいじめられるかもしれない。俺自身、すでに目をつけられてる。だから、近づきたい気持ちをそのまま出せずにいた」
「……」
「それでも、この気持ちだけは嘘をつきたくない。だから、お前には話しておきたかった」
アレクは黙って聞いていた。エドガーはその沈黙を受け止め、もう一つ尋ねる。
「アレクも、エリシアのことが好きなんだろ?」
アレクの目が、わずかに揺れた。
「俺も――」
「それはエリシアに伝えてやってくれ」
エドガーはアレクの言葉を遮った。
アレクは口を閉じた。エドガーは彼の表情を見て、確信する。
エリシアがアレクに向ける眼差し。アレクが彼女を気遣う仕草。二人の間にあるものを、エドガーは何度も見ていた。
「あいつがお前に惹かれているのは、見ていれば分かる。お前も同じなら、俺に答えるんじゃなくて、本人に言ってやれ」
「エドガー……」
「俺は自分の気持ちを伝えたかっただけだ。お前の気持ちを聞いて、諦めるかどうか決めるつもりはない」
言葉にした途端、胸の奥が痛んだ。それでも、自分の想いを隠したままではいたくなかった。
エドガーは壁際に置かれていた木剣を一本取り、アレクへ投げた。
アレクは片手で受け取る。
「俺と勝負しろ」
「剣でか?」
「王国式で。魔法は禁止、剣技だけだ」
アレクは木剣を握り直した。
「勝負の理由は?」
「エリシアを守れるだけの強さと名誉が欲しい。今の俺に、それがあるのか確かめたい」
「勝負に勝てば、守れるようになるわけじゃない」
「分かってる。だが、何もしないままではいられない」
エドガーは自分の木剣を構えた。
「王国式の試合は、相手が戦闘不能になるか、負けを認めるまで終わらない。手加減はいらない」
アレクはすぐには構えなかった。
「本気でやるぞ」
「そうしてくれ」
アレクは短く息を吐いてから木剣を構えた。
二人は互いに向き合う。周囲の冒険者たちが、いつの間にか訓練場の端からこちらを見ていた。
◇
先に動いたのはエドガーだった。
床を蹴り、間合いを詰める。木剣を斜めに振り下ろすと、アレクは剣を立てて受けた。
硬い音が響く。
エドガーは受け止められた剣を引き、すぐさま横薙ぎに振った。アレクは後ろへ下がって避ける。木剣の先が制服の裾をかすめた。
間合いが開く。
エドガーは追わず、剣先を相手へ向けたまま、アレクの動きを探った。アレクの構えには無駄がない。剣先の高さも足の位置も、どこから攻めてもすぐに対応できるよう整っている。
だが、冒険者活動を重ねたエドガーは、魔物との実戦で相手の動きを見て攻撃を選ぶ経験を積んでいた。訓練場で剣を振るだけでは得られない感覚が、今の彼にはある。
エドガーは剣先を少し下げ、右足を前へ出した。
アレクの視線が、わずかに足元へ動く。
その隙を逃さず、エドガーは踏み込んだ。下から斬り上げる動きに、アレクは木剣を横にして防ぐ。だが、受け止めた瞬間にエドガーは剣を押し込んだ。
体重を乗せ、アレクの剣を外へ押しやる。
続けて、肩からぶつかった。
アレクの身体が半歩よろめく。
エドガーは間を空けず、剣を振り下ろした。アレクが受ける。正面から力をぶつけ合う形になり、木剣が震えた。
アレクは力で押し返すのではなく、剣の角度を変えてエドガーの刃を滑らせた。エドガーの剣先が外へ流れる。その隙を狙い、アレクが踏み込む。
エドガーはすぐに柄を引き、相手の攻撃を剣の根元で受けた。衝撃が両腕に伝わる。手のひらが痺れた。
強い。
剣を交えた瞬間に分かった。
それでもエドガーは下がらない。アレクの剣を受け止めたまま足を進め、間合いを潰す。相手が剣を振り切れない距離へ入った。
アレクが柄を引こうとした時、エドガーは自分の剣を外へ払った。
アレクの木剣が手から離れ、床へ転がる。
周囲からどよめきが起きた。
エドガーは追撃のために踏み込んだ。アレクは咄嗟に上段の構えを取ろうとする。剣を拾い、体勢を立て直すための構えだった。
その一瞬を、エドガーは見逃さなかった。
木剣を持つ手を止め、拳を握る。アレクの胸元へ踏み込み、全身の力を込めて拳を叩き込んだ。
拳が当たる。
アレクの身体が大きく後方へ吹き飛んだ。背中から床へ倒れ、木剣が遠くへ転がる。
周囲が静まり返る。
エドガーは拳を下ろし、荒く息を吐いた。
「騎士相手に手を抜くのは、冒涜だ!」
アレクが床に手をつき、身体を起こそうとする。エドガーはその姿を見下ろした。
「ましてや友に手を抜かれるなど、屈辱以外の何ものでもない!」
アレクは顔を上げた。
先ほどまでの迷いが消えていた。
「分かった」
彼は転がった木剣を拾い、静かに立ち上がった。
「次は、本気でいく」
「最初からそうしてくれ」
アレクが剣を構え直す。
その瞬間、彼の気配が変わった。
一歩目が見えなかった。
気づいた時には、木剣がエドガーの肩へ迫っていた。エドガーは反射的に剣を立てて受ける。衝撃が腕から肩へ抜け、足が床を滑った。
アレクは剣を押し込まず、刃を滑らせてエドガーの防御を外へ流す。エドガーが体勢を立て直すより早く、今度は横から木剣が迫った。
エドガーは身を沈めて避ける。
木剣が頭上を通り過ぎた。すぐに反撃しようとしたが、アレクの足が先に動く。エドガーの脇腹へ膝が入った。
息が詰まる。
エドガーの身体が横へ飛び、床を転がった。
「まだだ」
彼はすぐに起き上がった。
アレクは追ってこなかった。木剣を構えたまま、エドガーを見ている。
エドガーは息を整え、剣を握り直した。脇腹に鈍い痛みがあった。だが、まだ動ける。
再び踏み込む。
今度は剣を正面から振らず、相手の足元を狙った。アレクは剣を下げて受ける。その動きに合わせ、エドガーは身体を捻り、剣を跳ね上げた。
木剣がぶつかり、アレクの剣先が上へ流れる。
エドガーはすかさず前へ出た。肩を当て、相手の体勢を崩そうとする。だが、アレクは後ろへ逃げず、半歩だけ横へずれた。エドガーの力が空を切る。
次の瞬間、木剣の柄がエドガーの胸へ打ち込まれた。
身体が後ろへ弾かれる。
エドガーは踏みとどまろうとしたが、足がもつれた。床へ倒れ込む前に手をつき、どうにか勢いを殺す。
胸が痛む。息を吸うたび、脇腹に鋭い痛みが走った。
「もう終わりにしよう」
アレクの声は静かだった。
「まだだ」
エドガーは立ち上がった。
周囲の冒険者たちが何かを言っている。止める声も聞こえた。それでもエドガーはアレクから目を離さなかった。
三度目の攻防は短かった。
エドガーが剣を振る。アレクが受け流す。エドガーは追撃しようとするが、アレクは木剣の柄で彼の手首を打った。
指が痺れ、剣が落ちる。
その隙に、アレクの剣がエドガーの肩を打った。痛みと衝撃で、エドガーの身体が床へ倒れる。
すぐに起き上がろうとした。
手をつく。膝を立てる。けれど、脇腹の痛みで身体が動かない。視界が一瞬揺れた。
「エドガー、もういい」
アレクが近づいてくる。
エドガーは歯を食いしばり、剣を拾った。足が震えている。口の中に鉄の味が広がっていた。唇を切ったらしい。
「まだ……終わってない」
彼は立ち上がった。
アレクの表情が歪む。悲しげな目でエドガーを見ていた。
その眼差しが、エドガーの胸を刺した。
手加減をしてほしかったわけではない。哀れんでほしいわけでもない。ただ、全力で向き合ってほしかった。
「諦めなければ勝機はある……そうだろ? アレク」
エドガーは剣を構えた。
アレクは答えなかった。
エドガーは床を蹴る。残った力をすべて脚へ込め、最後の一撃を放とうとした。
剣を振り上げる。
一歩踏み出す。
その途中で、身体の力が抜けた。
視界が暗くなる。
木剣が手から落ちる音が、遠くで聞こえた。
エドガーの身体が前へ傾く。アレクが駆け寄り、倒れ込む彼を受け止めた。
「エドガー!」
アレクの声を聞きながら、エドガーの意識は深い闇へ沈んでいった。
◇
目を開けると、見慣れない天井があった。
エドガーはゆっくりと瞬きをした。身体を起こそうとすると、脇腹に強い痛みが走る。
「動くな」
すぐそばからアレクの声が聞こえた。
「……アレク?」
「医務室へ運んでもらった。治癒師に診てもらったが、脇腹の骨が何本か折れているそうだ。しばらく安静にしていろ」
「そうか……俺は」
「負けた」
エドガーは、しばらく天井を見つめた。
「……負けたのか」
「俺の勝ちだ」
「そうか」
負けた悔しさはあった。だが、最後まで本気で剣を交えられたことに後悔はなかった。
アレクは寝台の脇に立ったまま、エドガーを見つめていた。
「お前が本気で向き合ってくれたことは分かった。お前の気持ちも、軽く扱うつもりはない」
「なら、さっき言いかけたことを、エリシアに伝えてやれ」
「……ああ」
「俺に答える必要はない。あいつに言え」
アレクは一度目を伏せ、それから頷いた。
エドガーは息を吐き、痛みに顔をしかめた。
「俺は学園を休学して、ノルディアの討伐隊に志願する」
アレクの表情が変わった。
「本気か?」
「本気だ。俺はエリシアを守れるだけの強さと名誉が欲しい。今のまま、学園でじっとしているだけじゃ手に入らない」
「今回の負傷もある。すぐに出発できる状態じゃない」
「討伐隊への届けは、この前実家に帰った時に済ませてある。明日の朝、ノルディアへ出発する」
アレクは一瞬、言葉を失った。
「……もう手続きを済ませていたのか」
「ああ」
「俺との勝負より前に?」
「そうだ」
アレクはエドガーの顔を見つめた。そこでようやく、彼が最初からノルディアへ行く段取りを整えていたのだと気づいた。
「俺との勝負に負けると思っていたんだな」
エドガーは否定しなかった。
「お前に勝てるとは思ってなかった。最初からな」
「それなら、なぜ勝負を挑んだ?」
「行くかどうかを決めるためじゃない。お前に本気で向き合ってほしかった。それに、自分の想いをちゃんと伝えておきたかったんだ」
エドガーは天井を見つめたまま、静かに続けた。
「俺が生きて帰ってきた時、まだお前がエリシアに想いを伝えてなかったら、俺はエリシアに想いを告げる。そして必ず守ってみせる」
「分かった」
「それまでに、ちゃんと伝えておけよ」
「ああ」
エドガーは目を閉じた。身体中が痛む。それでも、胸の内にあったものをようやく言葉にできた気がした。
◇
翌朝
朝の光が、王都の門と街道を淡く照らしていた。
夜明けの冷気はまだ残っている。門の外には、ノルディアへ向かう討伐隊が出発の時を待っていた。馬の鼻息が白く揺れ、荷車の車輪が小さく軋む。隊員たちの声も、いつもより抑えられていた。
アレクは少し離れた場所から、その様子を見守っていた。
エドガーは馬のそばで荷物を確かめ、討伐隊の仲間と言葉を交わしている。身体には包帯が巻かれ、顔色もまだ万全とは言えない。それでも、出発を取りやめる気はないようだった。
朝日が門の向こうから差し込み、エドガーの横顔を照らす。彼は一度だけ、王都の方を振り返った。そこに何を思ったのか、アレクには分からない。
やがてエドガーがこちらに気づき、歩み寄ってきた。
「昨日は来なくていいと言ったはずだが」
「見送りくらいはさせてくれ」
「そうか」
二人はしばらく黙って向かい合った。言葉にしきれないものが、朝の静けさの中に残っている。
やがてアレクが口を開いた。
「ノルディアに行くエドガーか……。まるで、かつての水龍のエドガーのようだな」
エドガーは少しだけ笑った。
「ああ。俺の名前の由来は水龍だからな。まあ、相手は帝国ではなく魔獣だけどな」
水龍のエドガー。帝国との戦争で数々の戦果を挙げ、英雄ヴァルグ・ノルディアに認められた平民の剣士。王国から爵位を授ける話が出ても、それを受けず故郷へ帰ったという。
英雄ヴァルグの影に隠れた英雄。その名を自分が受け継いでいることを、エドガーは誇りに思っていた。
討伐隊の方から、出発を告げる声がかかる。
エドガーはアレクを見た。
「行ってくる」
「ああ。無事に帰ってこい」
「分かってる」
短い言葉を交わす。握手をするでも、肩を叩くでもなかった。それでも二人の間には、昨日交わした約束が確かに残っていた。
エドガーは背を向け、討伐隊のもとへ戻っていく。
馬に乗る前に、彼はもう一度だけ振り返った。アレクは黙って頷く。エドガーも小さく頷き返し、それから隊列に加わった。
出発の合図が響く。
馬が歩き出し、荷車が続く。朝日に照らされた隊列は、王都の門を抜けて街道の先へ進んでいった。
アレクは、その背中が遠ざかるのを見送った。やがてエドガーの姿は、朝靄の向こうへ小さくなり、見えなくなる。
エドガーは最初から、自分に負けるつもりで勝負を挑んでいた。勝敗で進路を決めるためではない。友として、騎士として、アレクに本気で向き合ってほしかったのだ。
その真剣さを、アレクは受け取った。
エリシアに自分の想いを伝える。それはエドガーに言われたからではない。彼女と向き合うために、自分で決めなければならないことだった。
朝日が高くなる。門の前には、もうエドガーの姿はなかった。




