第420話 魔法陣に刻まれた理論
武芸大会から一ヶ月が過ぎた。
大会で負った怪我はすっかり治り、エリシアは学園生活に戻っていた。平民である彼女への嫌がらせは、今も続いている。教室での居心地もよくない。それでもエリシアは授業に出て、日々を過ごしていた。
放課後や休日には、冒険者として活動している。
竜の牙は一日おきに依頼を受け、魔物の討伐や護衛を着実にこなしていた。エドガーが前衛で敵を引きつけ、アレクが全体を見ながら指示を出す。エリシアは後衛から二人を支え、治癒魔法で仲間の傷を癒やしていた。
必要な時には、カインが作ってくれた魔法具を使う。球状の魔法障壁を飛ばす、無属性の攻撃魔法具だ。後衛からでも攻撃に加われるため、依頼の中で何度も役立っていた。
竜の牙は、王都の冒険者たちにも知られるようになっていた。
【癒し手のいる竜の牙】
そう呼ばれ、怪我をした冒険者から治療を頼まれることも増えた。依頼をこなすたびに実績を積み、ランクも上がっている。もうすぐDランクに届くところまで来ていた。
魔法具は役立っていたが、課題も残っている。
球体を飛ばすたびに、エリシアの魔力を多く消費する。射程は十分とは言えず、動く相手を狙うのも難しい。試射だけでは分からなかった問題が、実戦で使ううちに見えてきた。
カインは、その魔法具を改良しようと研究を続けていた。
◇
その日の昼休み、エリシアは魔法具研究部の部室で昼食を取っていた。
部室には、机の上に広げられた魔法陣の図や工具、金属部品が並んでいる。魔法具研究部の部員はカインとエリシアの二人だけだ。カインは作業をひと区切りさせ、エリシアの向かいに腰掛けていた。
「昨日の依頼はどうだった?」
カインが尋ねた。
「無事に終わったよ。森の道を通る商人の護衛だったの。魔物が出たけど、エドガーが前で引きつけてくれて、アレクが指示を出してくれたから大丈夫だった」
「攻撃魔法具は使った?」
「うん。魔物が少し離れたところにいたから使ってみたよ。でも、やっぱり魔力をかなり使うね。それに、相手が動くと狙いを定めるのが難しかった」
「射程も足りなかった?」
「そうだね。届かない距離ではなかったけど、もう少し遠くまで飛ばせたら安心だと思う」
「実際に使ってもらえたから、机の上だけじゃ気づけなかった問題が見えたよ。感想を聞かせてもらえて助かる」
カインは机に置かれた魔法陣の図を見た。球体の障壁を作り、前方へ押し出す術式が描かれている。その周囲には、魔力の流れを調整するための線がいくつも加えられていた。
「魔力消費を減らすには、障壁を作る術式を見直さないといけない。でも、弱くすれば衝撃も落ちる。射程を伸ばすなら押し出す力が要るし、命中率を上げるには球体を安定させる必要がある」
「どれか一つを直すだけでは難しいんだね」
「そう。だから今日は、改良に使えそうな材料を探しに行こうと思ってる」
カインはエリシアに顔を向けた。
「買い出しに行きたいんだけど、荷物が多くなりそうだから来てくれない?」
「うん。いいよ」
「ありがとう。鍛冶屋や魔法具の店を何軒か回るつもりだから、帰りは荷物が増えると思う」
「荷物を持つのは大丈夫。今日は冒険者の依頼もないしね」
竜の牙は一日おきに依頼を受けている。昨日は護衛の依頼に出たため、この日は活動を休む日だった。
「じゃあ、放課後に学園の正門前で待ち合わせよう」
「分かった」
二人は昼食を終え、残った時間で机の上を片付けた。カインは買い物に必要なものをメモし、エリシアはその紙を覗き込む。
金属板、魔石、細い導線。見慣れない名称もいくつかあった。
「これを全部買うの?」
「必要なものを見比べてから決めるよ。店によって質も値段も違うからね」
「分かった。私も一緒に選ぶね」
◇
放課後、エリシアとカインは学園の正門前で合流し、王都の商業街へ向かった。
学園のある貴族街から南へ進むにつれ、通りの様子は変わっていく。仕立屋や書店が並ぶ区画を抜けると、鍛冶屋や道具屋、魔法具を扱う店が目立ち始めた。
店先には金属の部品や魔石、魔鉱石が並んでいる。鍛冶場からは槌を打つ音が響き、魔法具店の窓には光を放つ小さな装置が飾られていた。
「ここに来るのは初めて?」
カインが尋ねた。
「通ったことはあるけど、買い物をするのは初めてかな。魔法具の部品って、こんなに種類があるんだね」
「同じ金属でも、魔力の通しやすさや硬さが違うんだ。魔法陣を刻むなら、どちらも大切になる」
カインは店先に並ぶ金属板を一枚ずつ確かめ、店主に魔力の通りやすさや加工のしやすさを尋ねていた。エリシアには違いが分からないことも多かったが、カインは説明を聞くたびにメモを取っている。
必要な部品をいくつか選び、二人は次の店へ向かった。
通りの先に、見慣れない紋章を掲げた竜車が停まっていた。荷台には大きな木箱や金属製の道具が積まれ、車体には商会の名が記されている。
「フェルナードのポートミル商会だ」
カインが紋章を見て言った。
「ポートミル商会って、港町の商会だよね?」
「そう。フェルナードの港から王都まで、商品を運んでいるんだろう」
竜車の荷台には、他の荷物よりも丁寧に固定された箱が積まれていた。外側と内側が二重になっているように見える。蓋の部分には留め具があり、側面には風属性の術式が刻まれていた。
カインが足を止める。
「あの箱が気になるの?」
「うん。保温箱だと思う」
ちょうど荷台の荷物を確認していた商会の人が、二人に気づいた。
「何か気になるのかい?」
「この箱って保温箱?」
カインが尋ねると、商会の人は頷いた。
「ああ。中に入れた物が外の気温の影響を受けにくくなる。食べ物や薬を運ぶ時に使っているよ」
「どんな仕組みなの?」
商会の人は箱の側面に手を置いた。
「内側と外側の箱の間を真空にしてあるんだ。空気がないから、外の熱が中へ伝わりにくい。風魔法の術式で間の空気を抜いて、この状態を保っている」
カインは目を輝かせた。
「二重の箱の間を真空にして、熱を遮断するんだ……。風魔法を、そんな使い方をするんだね」
「風を吹かせるためだけに使うものじゃないからな。空気の流れを操れるなら、抜き取ることもできる」
「確かに……。風を生み出す術式じゃなくて、空気を動かす術式として考えれば……」
カインは説明を聞きながら、手元のメモ帳へ書き留めた。エリシアは、彼の表情が研究部にいる時と同じように真剣になっているのを見ていた。
「この箱は、どこで作られているの?」
「フェルナードの職人が作っているよ。ポートミルで荷物を積み込む前に、商会の工房で状態を確かめてから運ぶんだ」
「見せてくれてありがとう」
カインが礼を言い、商会の人は荷物の確認へ戻った。
二人も歩き出したが、カインはしばらく保温箱の仕組みについて考え込んでいた。
「改良に使えそうなことを思いついたの?」
「まだ分からない。でも、魔力の流れだけじゃなく、周りの空気をどう扱うかも考えた方がいいかもしれない」
「攻撃魔法具にも、空気の動きが関係するの?」
「球体を押し出す時に空気の抵抗を受けるからね。そこを調整できれば、魔力を抑えながら射程を伸ばせるかもしれない」
カインはそう言いながら、メモ帳へもう一つ書き足した。
その時、竜車の荷台に積まれた別の魔法具が、カインの目に留まった。
金属の外枠に複数の魔石が組み込まれている。見た目は小型の箱のようだが、側面には細かな魔法陣が刻まれていた。
「これ、何?」
カインが商会の人に尋ねた。
「それは製氷魔法具だよ。ノルディアで作られたものでね。水を凍らせて氷を作るんだ」
その言葉を聞き、カインは一瞬、動きを止めた。
「ノルディアで……?」
「ああ。旅の途中で使うために積んでいる。中に水を入れて、魔石に魔力を補充すれば氷ができる。よければ見てみるかい?」
「見せて」
商会の人は製氷魔法具を荷台から下ろし、二人に見せてくれた。
カインは礼を言い、外枠に刻まれた魔法陣を覗き込む。エリシアも隣から見たが、複雑な線と文字が重なり合っていて、何が描かれているのかは分からなかった。
カインは魔法陣を目で追っていく。
最初は、魔鉱石から魔力を取り込む術式。次に、魔力を整え、別の術式へ送る線が続いている。そして二つの魔法陣が重なる部分には、属性変換を行う術式が刻まれていた。
カインの表情が変わった。
無属性の魔力を受け取り、氷を作る属性へ変換している。
魔法陣の線を追ううち、彼は何かを思い出したように目を細めた。けれど、その考えを口にすることはなく、刻まれた術式を何度も見直している。
「どうしたの、カイン?」
エリシアが尋ねても、カインはすぐに答えなかった。
しばらくして、彼は商会の人へ尋ねた。
「この魔法陣を作ったのは誰?」
商会の人は、少し誇らしげに答えた。
「ノルディア辺境伯の婚約者、エミル様だよ。魔法陣に詳しい方でね。ノルディアの職人と一緒に開発したと聞いている」
「エミル……」
カインはその名を小さく繰り返した。
それから、製氷魔法具の魔法陣へ再び目を向ける。さきほどまでよりも慎重に、線の一本一本を確かめていた。
「この術式のこと、もっと詳しく聞ける?」
「俺は仕組みまでは知らないんだ。商会の工房に聞けば、もう少し分かるかもしれないよ」
「そっか。教えてくれてありがとう」
カインは礼を言ったが、視線は魔法陣から離れなかった。
エリシアは、カインがなぜこれほど驚いているのか分からなかった。けれど、彼にとってこの魔法陣には特別な意味があるらしい。問い詰めるのはためらわれ、彼女は黙って隣にいた。
やがてカインは、魔法陣を記憶するようにもう一度眺めてから、商会の人へ製氷魔法具を返した。
◇
その日から、カインは研究に没頭した。
買い出しで集めた金属や魔石を使い、属性変換の魔法陣を再現しようとする。最初の試作では魔力が途中で途切れた。次の試作では変換された属性魔力が安定せず、魔法陣の一部が焦げた。
エリシアは昼休みや放課後に部室を訪れ、カインの様子を見守った。研究部の部員は二人だけだ。カインは試行錯誤を重ね、エリシアは記録を整理したり、必要な道具を運んだりして手伝った。
研究を始めて数週間。ついに、カインは属性を付与するための魔法具を完成させた。
◇
研究部の机の上には、小さな金属製の装置が置かれていた。中心には魔石がはめ込まれ、周囲には細かな魔法陣が刻まれている。
「これが、完成したの?」
「うん。まだ試作品だけどね」
カインは無属性の魔法具を装置へ接続した。無属性の魔力を流すと、装置の魔法陣が淡く光る。
魔法陣の中を魔力が進み、属性変換の術式を通って、接続された魔法具へ流れていく。
次の瞬間、無属性だった魔法具に火属性の魔力が宿った。
カインが小さな試験用の魔法陣を起動すると、掌の上に小さな火が灯る。装置を通す前には何も起きなかった魔法具が、火属性の魔法を発動させたのだ。
「成功だ……!」
カインの顔に喜びが広がった。
エリシアも、思わず声を上げた。
「すごいよ、カイン!」
「これで、魔法具に別の属性を与えられる。属性のない魔法具でも、変換装置を通せば属性魔法を使えるようになるんだ」
カインは完成した装置を見つめた。
「これで、僕の目標の一つは達成できた」
「カインの目標?」
「誰でも好きな魔法を使えるようにすることだよ。属性を持たない人でも、魔法具を通して望む属性の魔法を使える。まだ限界はあるけど、そのための方法を一つ作れた」
エリシアは、商業街で製氷魔法具を見つめていた時のカインの様子を思い出した。あの時、彼は刻まれた魔法陣の中に、何か大切な手がかりを見つけていたのだろう。
「じゃあ、次は何をするの?」
「次は龍脈の魔力を使う研究に進む」
カインの声には、再び強い意志がこもっていた。
「魔法具に属性を与えるだけじゃ、魔力を持たない人は使えない。魔鉱石に蓄えられる魔力にも限りがある。龍脈の魔力を利用できれば、誰でも魔法を使える仕組みに近づけるはずだ」
「それが、カインの次の目標なんだね」
「ああ。まだ分からないことばかりだけど、今度は龍脈の魔力をどう扱うか調べてみる」
カインは完成した装置を、壊れないよう布で包んだ。
エリシアはその手元を見つめていた。冒険者として依頼をこなし、竜の牙の後衛として仲間を支える自分。誰もが好きな魔法を使える世界を目指し、研究を続けるカイン。
目指す場所は違っていても、二人はそれぞれの道を一歩ずつ進んでいた。




