第422話 建国祭の一日
エドガーがノルディアへ出発した翌日。
午後の授業を終えたエリシアは、学園の中庭でアレクに呼び止められた。
「少し話がある」
いつもと変わらない声だった。けれど、アレクの表情にはどこか沈んだものがある。
「どうしたの?」
「エドガーのことだ」
その名前を聞いて、エリシアの胸が小さく揺れた。
「エドガーが……どうかしたの?」
「昨日、ノルディアの討伐隊に出発した」
エリシアは、すぐに返事ができなかった。
エドガーが討伐隊に行く。そう聞いても、最初は言葉の意味がうまく頭に入ってこない。昨日まで彼は同じ学園にいた。冒険者として依頼をこなし、三人でD級へ昇格したことを一緒に喜んだばかりだった。
「昨日、出発したの?」
「ああ。俺が知ったのは一昨日だ。出発する前日に、本人から聞いた」
アレクは、それ以上詳しいことを話さなかった。
エリシアはアレクの顔を見つめた。目はわずかに伏せられ、唇も固く結ばれている。何かを気遣い、言葉を選んでいるようだった。
「討伐隊って、危険な任務なの?」
アレクはすぐには答えなかった。
その沈黙が、エリシアの胸に不安を落とす。討伐隊なら、魔物のいる場所へ向かうのだろう。穏やかな依頼ばかりではない。アレクの表情を見ていると、ただの遠征ではないのだと感じた。
「安全な任務とは言えない」
アレクは静かに答えた。
「エドガーは自分で決めて出発した。俺から話せるのは、それだけだ」
「そう……」
エリシアは視線を落とした。
エドガーが自分で決めたことなら、止めることはできない。彼には彼の考えがある。そう分かっていても、危険な場所へ向かったと聞けば、心配せずにはいられなかった。
出発前に、ひとことくらい話してくれてもよかったのに。
胸に浮かんだ寂しさを、エリシアはすぐに飲み込んだ。彼には彼の事情があったのかもしれない。自分に話さなかった理由を、今の彼女には知ることができない。
「無事に帰ってきてほしい……」
声は、思っていたより小さくなった。
「ああ。俺もそう願っている」
アレクは、それ以上何も語らなかった。
エリシアは胸の前で手を重ねた。もう会えないわけではない。いつか帰ってくると信じて待つことはできる。それでも、エドガーがいない冒険者活動を思うと、寂しさがこみ上げてきた。
「教えてくれてありがとう」
「……ああ」
「エドガーが帰ってきた時に、また一緒に冒険できるように、私も頑張るね」
「そうだな」
エリシアは、少しだけ笑ってみせた。
寂しさは消えない。それでも、エドガーが無事に戻ってくる場所を残しておきたかった。
◇
エドガーが旅立ってから、竜の牙はアレクとエリシアの二人で冒険者活動を続けた。
前衛を務めるエドガーがいないため、二人は受ける依頼を慎重に選んだ。王都近郊での薬草採取や、商店間の荷物運び。危険の少ない依頼を中心に、できる範囲の仕事をこなしていく。
討伐が含まれる依頼は、今までよりも慎重に内容を確かめた。アレクは依頼書をよく読み、少しでも不確かな点があれば受付で確認する。エリシアも、魔法具で援護できる距離や、自分たちだけで対応できる範囲を考えてから引き受けた。
「前はエドガーが前にいてくれたから、安心して魔法具を使えたんだね」
採取した薬草を袋にしまいながら、エリシアは言った。
「そうだな。だが、二人でできる依頼もある。無理をしなければ、活動は続けられる」
「うん。そうだね」
依頼は達成できている。それでも、ふとした時にエドガーの不在を感じた。
魔物の足跡を見つけた時。重い荷物を持ち上げる時。依頼の内容を相談する時。三人でいた頃なら、エドガーがいた場所に自然と目が向いてしまう。
アレクも、エリシアがそうして周囲を見回すのに気づいていた。けれど、彼は何も言わず、次に受ける依頼の話をした。
二人で活動するうちに、少しずつ新しい形にも慣れていった。
依頼を終えた後は、受付で報告を済ませ、学園へ戻る道すがら今日の出来事を話す。時折エドガーの話題が出ると、二人とも少しだけ声を落とした。彼が今どこにいるのか、どんな討伐に加わっているのかは分からない。
それでも、帰りを願う気持ちは同じだった。
日々が過ぎるにつれて、王都の通りには建国祭の飾りが増えていった。
街角には色鮮やかな布が張られ、広場には露店の準備が始まる。学園の生徒たちも、休暇中の予定を話すようになった。エリシアは祭りの間、実家へ戻り、母のパン屋を手伝うつもりだった。
学園に入ってからは、母と一緒に店に立つ機会がなかった。建国祭の日に店を手伝えることを、エリシアは心待ちにしていた。
祭りが近づくにつれ、エミリアからの手紙にも、準備の忙しさが書かれるようになった。
『建国祭の日は朝から混みそうよ。帰ってきてくれるなら、たくさん手伝ってもらうからね』
その一文を読むたび、エリシアは笑顔になった。
母と一緒にパンを焼く朝。店先に並ぶ焼きたてのパン。祭りを楽しむ人々の笑い声。想像するだけで、胸が弾んだ。
◇
建国祭まで、あと数日となった日の夕方。
冒険者ギルド協会で依頼の報告を済ませたエリシアとアレクは、学園へ戻る道を歩いていた。
今日の依頼は、街道沿いにある薬草の採取だった。難しい仕事ではなかったが、二人で協力して予定していた量を集めることができた。
通りには建国祭の飾りが増え、店先では祭りに使う品を並べている。行き交う人々の話題も、もうすぐ始まる祭りのことばかりだった。
「エリシア」
「なあに?」
「今年の建国祭は、実家のパン屋を手伝うのか?」
「うん。お母さんのお店は祭りの日に忙しいから、手伝う約束をしてるの」
「そうか」
アレクは短く答えたあと、少しだけ言葉を探すように黙った。
「もし迷惑でなければ、俺も手伝わせてもらえないか?」
「アレクが?」
エリシアは驚いて彼を見た。
「でも、いいの?」
「店の人手が必要なら、少しは役に立てると思う」
アレクは祭りの飾りに目を向けたまま言った。何気ない調子を装っているが、いつもより少し硬い声だった。
「お母さんに聞いてみるね。きっと喜ぶと思う」
「ありがとう。無理に頼むつもりはないから、都合が悪ければ断ってくれ」
「ううん。私もアレクと一緒に手伝えたら嬉しいよ」
エリシアが笑うと、アレクの表情がわずかに和らいだ。
その日のうちに、エリシアは母へ手紙を書いた。アレクも祭りの日に店を手伝いたいと言っていること、迷惑でなければ受け入れてもらえるかを尋ねた。
返事は翌日届いた。
『もちろんよ。エリシアのお友達なら大歓迎。二人で来てちょうだい』
エリシアはその手紙をアレクに見せた。
「お母さん、歓迎するって」
「よかった。では、当日は朝から手伝わせてもらう」
「うん。よろしくね」
エリシアは、建国祭の日をさらに楽しみに思った。
◇
建国祭当日の朝。
エリシアは実家のパン屋の厨房で、焼き上がったパンを籠へ移していた。
窯の熱で、店の中は朝から暖かい。小麦の香りが満ち、表の通りからは祭りへ向かう人々の声が聞こえてくる。
「その籠は店先へお願いね」
「うん、お母さん」
エミリアは生地をこねながら、娘に笑いかけた。
「やっぱりエリシアが手伝ってくれると助かるわ。朝からお客さんが多いもの」
「私も、お店を手伝えるのが嬉しいよ」
学園に入ってから、母と一緒にパンを焼く時間はなかった。パンを棚に並べ、客へ渡し、母と短く言葉を交わす。その一つ一つが懐かしい。
祭りが始まる前から、店には客が訪れていた。通りへ出る前にパンを買っていく人。祭りの最中に食べるため、いくつも包んでいく家族連れ。エリシアは注文を受け、母は奥で次のパンを焼く。
昼が近づくと、店の外まで列ができた。
エリシアは何度も店と厨房を往復し、焼きたてのパンを店先へ運んだ。エミリアも休む間なく作業を続ける。忙しさに追われながらも、二人の間には久しぶりに一緒に働く喜びがあった。
やがて、店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
エリシアが顔を上げると、質素な上着と濃い色のズボンを身につけた青年が立っていた。髪も普段より目立たないように整えている。
けれど、顔を見間違えるはずはなかった。
「アレク!」
「こんにちは、エリシア。約束通り、手伝いに来た」
「来てくれたんだね」
エミリアが厨房から出てくる。アレクの顔を認めた途端、驚きに目を見開いた。
「王太子殿下!」
エミリアは店の床へ片膝をついて、深く頭を下げた。
「ご来店に気づかず、失礼いたしました」
「お母さん、アレクは手伝いに来てくれたんだよ。前に話したでしょう?」
エリシアが声をかけたが、エミリアはすぐには顔を上げなかった。
アレクは困ったように手を差し出す。
「顔を上げてください。今日は身分に関係なく接してくれると助かります」
「ですが、殿下をこのような店でお迎えするなど……」
「今日はエリシアの友人として来ました。店が忙しそうなので、手伝わせてもらえませんか」
エミリアは娘とアレクを交互に見た。戸惑いは残っていたが、やがてゆっくり立ち上がる。
「殿下のお気持ちは嬉しいのですが、本当によろしいのでしょうか」
「俺からお願いしています」
「……分かりました。では、焼き上がったパンを店先へ運んでもらえますか」
「分かりました」
アレクは言われた通りに籠を運び始めた。
彼がパン籠を抱えて店先へ向かう。その姿が少し不思議で、エリシアは思わず笑ってしまった。
「何がおかしいんだ?」
「ごめんね。アレクがパンを運んでいるのが、なんだか新鮮で」
「俺だって、パン籠くらい運べる」
「うん。助かるよ」
籠は見た目より重かったらしい。アレクは慎重に持ち上げ、パンを崩さないよう棚へ並べた。丸パンと菓子パンを間違えかけたが、エリシアが教えると、次からは種類を確かめて置いていく。
客が来ると、エリシアが注文を受け、アレクが包み紙を用意する。支払いの計算には慣れていないようで、最初は硬貨を数え直していた。それでも、客から頼まれたパンを間違えずに渡せるようになると、少しだけ誇らしそうな顔をした。
「これで合っているか?」
「うん。ぴったりだよ」
「よかった」
アレクは手元の硬貨を確かめ、客へ包みを渡した。
「ありがとう」
「こちらこそ」
王宮なら、誰かに任せるような仕事だろう。それを彼は自分の手で行っていた。
何度か客が途切れた時、エリシアはアレクの手元を見た。
「指に粉がついてるよ」
「どこだ?」
「ここ。じっとして」
エリシアは布を取り、アレクの指についた小麦粉を軽く払った。
アレクは一瞬だけ手を止めたが、すぐに「ありがとう」と答えた。エリシアは気に留めず、次の籠を店先へ運ぶ。
昼を過ぎても、客足は途切れなかった。
祭りを見に来た人々が通りから流れてくる。パンを買う客、休憩に立ち寄る客、店の名物を求めてくる客。エリシアは何度も同じ説明をしながら、母と店を切り盛りした。
アレクも籠を運び、包み紙を準備し、店先のパンを補充する。朝のぎこちなさは薄れ、客の注文にも落ち着いて応じるようになっていた。
ようやく客足が落ち着いたのは、昼過ぎだった。
エミリアは焼き上がったパンを棚へ並べ終え、額の汗を拭った。
「二人ともありがとう。おかげで助かったわ」
「いえ。手伝わせてもらえてよかったです」
アレクが答える。
エミリアは娘とアレクを見比べた。アレクの上着には小麦粉がつき、エリシアの髪にも粉が少し残っている。
「ここからは私ひとりで大丈夫よ。せっかくの建国祭なんだから、二人で祭りを楽しんでおいで」
「えっ、でも、お母さんはまだ片付けがあるでしょう?」
「片付けは少し休んでからでも間に合うわ。今日はあなたが手伝ってくれたから、仕事はずいぶん進んだもの」
エミリアはエリシアに小さな巾着袋を渡した。
「少ないけれど、今日のお小遣いよ。お祭りを楽しんでらっしゃい」
「ありがとう、お母さん」
エミリアはもう一つ、銀貨を三枚、アレクへ差し出した。
「こちらは殿下へ。少ないけれど、今日の給金よ」
「いや、俺は……」
「今日は身分に関係なく接してほしいとおっしゃったでしょう?」
エミリアは、朝にアレクが言った言葉を穏やかに返した。
「なら、受け取ってちょうだい。店を手伝ってくれた分よ」
アレクは断りかけた言葉を飲み込んだ。差し出された銀貨をしばらく見てから、手のひらを開く。
「……ありがとうございます。ありがたく頂戴します」
銀貨三枚が彼の手に置かれた。
「今日は王太子殿下ではなく、パン屋のお手伝いさんね」
エミリアが微笑むと、アレクも少し照れたように笑った。
「はい。そういうことにしておきます」
「花火が終わったら、気をつけて帰ってくるのよ」
「うん。行ってくるね」
エリシアは母に手を振った。アレクも丁寧に頭を下げ、それから一緒に店を出た。
◇
通りは建国祭を楽しむ人々で賑わっていた。
平民の服を着たアレクは、人波に紛れて歩いている。建国祭になると、彼は毎年、王宮を抜け出して街を歩いていた。今日もその時と同じように、目立たない格好で祭りへ出てきたのだ。
アレクは慣れた様子で人混みを避け、道を選んで進んでいく。
「アレクは、この辺りに詳しいんだね」
「毎年来ているからな」
「毎年?」
「ああ。建国祭の日は、王宮の外で祭りを見て回るのが好きなんだ」
「そうなんだ」
エリシアは、祭りを歩くアレクの横顔を見た。王宮で公務をこなす時とは違い、屋台や人々を眺める彼は、年相応の青年に見える。
二人は並んで屋台を見て回った。
木彫りの小物を売る店。色とりどりの布飾りを並べた店。子供たちが夢中になって遊ぶ輪投げの屋台。焼き菓子の甘い香りに誘われ、エリシアは足を止めて、母へのお土産を選んだ。
「それ、エミリアさんに?」
「うん。店を手伝わせてくれたお礼に」
「手伝ったのは俺も同じだ」
「そうだったね。じゃあ、一緒に選ぼう」
二人で相談して、焼き菓子をいくつか包んでもらった。アレクが銀貨を出そうとすると、エリシアは首を振る。
「これは私からのお礼だから、私が払うよ」
「だが、俺も食べるだろう?」
「じゃあ、半分ずつね」
エリシアは巾着から硬貨を出した。アレクも今日もらった銀貨を一枚使い、二人で代金を払う。
屋台をいくつも見て回るうちに、アレクは自然と道を選んで進んだ。広場を抜け、少し狭い通りに入る。祭りの飾りの下を歩きながら、エリシアは彼の後をついていった。
やがて、炭火で肉を焼く香ばしい匂いが漂ってきた。
アレクが足を止める。
屋台では、赤茶色に焼けたレッドボアの肉が串に刺され、炭火の上で脂を落としていた。
「あ、アレクの好きなレッドボアの串焼きだね」
「そうだ。祭りに来ると、つい食べたくなる」
アレクは屋台へ近づき、二人分を注文した。焼かれた肉から煙が立ち上り、香ばしい匂いがあたりへ広がる。
エリシアは串焼きを受け取った。匂いを嗅いだ瞬間、胸の奥がくすぐられるような懐かしさを覚えた。
「あれ……」
「どうした?」
「この匂い、昔のことを思い出すな」
アレクは、串焼きを持つ手をわずかに止めた。
「小さい頃、建国祭でお店を手伝ったことがあるの」
「お母さんのパン屋か?」
「うん。今日みたいに、お店が忙しくてね。パンを運んだり、お客さんに渡したりしてた」
エリシアは串焼きに目を落とした。
「その日も、お母さんから給金をもらったばかりでね。嬉しくて、銀貨を握りしめてお祭りを歩いてたの」
彼女は炭火の上で焼かれる肉を眺めながら、ゆっくりと思い出をたどった。
「レッドボアの串焼きの屋台の前に、ひとりで立ってる男の子がいたんだ。串焼きを買いたそうにしていたけど、持っていたのは金貨だけ。屋台の人もお釣りを出せなくて、買えなかったみたい」
「そうか」
アレクは一度だけ頷いた。
「なんだか寂しそうで、可哀想だったから、自分の串焼きを分けてあげたの」
エリシアは懐かしそうに笑った。
「よく知らない子だったのに、今考えると大胆だよね」
「初めての給金だったのに、よく知らない相手に奢ったな」
アレクがそう言った。
エリシアは串焼きに目を落としたまま答えた。
「だって、可哀想だったから」
アレクの言葉に、エリシアは特に疑問を抱かなかった。昔の出来事を思い出すのに気を取られていたからかもしれない。
「あの子は、串焼きを食べた後にね、お礼にパンの食べ方を教えてくれたんだ。焼いた肉と野菜をパンに挟むとおいしいって」
彼女は屋台の肉を見てから、アレクへ微笑んだ。
「お母さんと一緒に試してみたら本当においしくて、今ではお店の名物になったの。だから、この屋台を見ると、あの日のことを思い出すんだ」
アレクは串焼きを見つめた。
エリシアは話し終えると、レッドボアの串焼きをひと口食べた。
「うん。やっぱりおいしい」
アレクも串焼きを口に運んだ。肉の香ばしさが広がる。
二人は串焼きを食べ終えると、また祭りの通りを歩き始めた。
通りには、色とりどりの飾りが吊るされた露店が並んでいた。エリシアは立ち止まって、手のひらほどの木彫りの鳥を眺める。
「これ、お母さんのお店に飾ったらかわいいかも」
「気に入ったなら買えばいい」
「でも、もうお菓子も買ったし……」
「今日は給金をもらったんだろう?」
アレクが、手の中の銀貨を見せた。
「俺も少し持っている。これは俺からの分だ」
「でも、それはアレクの給金だよ」
「だからだ。今日働いた分で買うなら、構わないだろう」
エリシアは少し迷った後、木彫りの鳥を手に取った。代金を半分ずつ出し、二人で店主に渡す。
「ありがとう。お母さん、きっと喜ぶよ」
「それならよかった」
エリシアは木彫りの鳥を大切に包んでもらい、鞄へしまった。
祭りの通りを歩き続けるうちに、空の色は夕暮れから夜へと変わっていった。店先の灯りが一つずつともり、露店の明かりも人々の顔を照らす。楽器の音や呼び込みの声が重なり、王都全体が祭りの熱気に包まれていた。
どこかで、花火の時間が近いと話す声が聞こえた。
エリシアは空を見上げた。屋台の屋根や飾りが視界を遮り、夜空はところどころしか見えない。けれど、花火を見る場所を探そうとは思わなかった。二人はまだ、露店の並ぶ通りを歩いていた。
人波が少しずつ増え、通りを歩く速度が落ちる。
その時、アレクが隣で足を止めた。
「エリシア」
「どうしたの、アレク?」
エリシアは振り返った。
アレクは何かを言いかけたようだった。けれど、すぐには続きが出てこない。
「アレク?」
もう一度尋ねようとした時、屋台の屋根の向こうで花火が上がった。
大きな音に驚き、エリシアは夜空を見上げた。赤や金色の光が次々と開き、通りに歓声が広がっていく。花火の光が人々の顔を照らし、祭りの飾りを鮮やかに浮かび上がらせた。
「わあ……」
エリシアは夢中で空を見つめた。
「きれいだね、アレク」
隣から返事はすぐにはなかった。
エリシアが横を見ると、アレクも花火を見上げていた。彼は結局、何も言わなかった。
花火は次々と上がり、屋台の並ぶ通りを明るく照らしていく。エリシアはその光を見つめながら、今日一日のことを思い返した。
母と一緒に働いたこと。アレクが店を手伝ってくれたこと。懐かしい串焼きの匂いと、幼い頃の思い出。
建国祭の夜は、花火の光と共に更けていった。




