↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
乙女ゲーの辺境伯に転生したので奴隷落ちする悪役令嬢を金貨2万枚で救おうと思います  作者: 蛙の子はお玉杓子
第10章 癒しの護り手と悪役令嬢

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

450/457

第415話 薔薇の馬車

 朝の光が、女子寮の窓から差し込んでいた。


 クラリス・ローゼンベルクは寝台から起き上がり、身支度を整えた。今日は武芸大会三日目。女子剣術部門の五回戦が行われる。


 髪を結い、制服の襟を整える。腰には試合用の短めのレイピアを差した。刃は落とされ、先端も丸められている。それでも、強く打ち込めば怪我を負わせることはある。油断はできなかった。


 部屋を出ると、廊下の先にリゼットが立っていた。


「クラリス様、おはようございます」


「おはようございます。待っていてくださったの?」


「はい。今日はクラリス様の試合がありますもの」


 リゼットの隣にはアデリーナもいた。二人はクラリスの姿を見るなり、嬉しそうに笑みを深めた。


「クラリス様、昨日の試合を拝見しましたわ。前回優勝者のデボラ・ヴァルヘイム様を破られるなんて、本当にお見事でした」


 アデリーナは感激したように胸元で手を合わせた。


「デボラ様は昨年の大会を制した方です。今回も優勝候補と目されていましたのに、クラリス様は一歩も引かず、見事に勝利なさいました」


「わたくしも見ておりました。相手の剣を受け流し、間合いを詰められたところなど、素晴らしかったですわ」


 リゼットも称賛を重ねる。


「クラリス様の剣術は、やはり別格です。幼い頃から鍛錬を積まれてきた成果が、あのような大舞台で発揮されるのを見られて、わたくしまで誇らしい気持ちになりました」


「少し大げさですわ。試合は相手との相性もありますもの」


「ご謙遜なさらないでください。前回優勝者に勝つことが、どれほど難しいかは皆が知っております」


 アデリーナはクラリスの腰に差したレイピアへ視線を移した。


「クラリス様が魔法部門にも出場されていたら、そちらでも優勝候補でしたでしょうに」


「アレク殿下が魔法部門に出場なさるのですもの。わたくしは剣術部門に出るしかありませんわ」


「そうでしたわね。婚約者同士が同じ部門で競うのは、避けるのがマナーですもの」


 リゼットが頷く。


「殿下に勝てば角が立ちますし、負けても周囲が何かと言い立てるでしょう。クラリス様のお立場を考えれば、別の部門に出られるのが自然ですわ」


「ええ。ですから、剣術部門に参加しております」


 クラリスは穏やかに答えた。


 アレクと同じ魔法部門に出場すれば、勝っても負けても周囲の目を避けられない。婚約者とは別の部門に出る。それが貴族社会での礼儀であり、余計な噂を立てないための配慮でもあった。


「それにしても、今日の相手はエリシアさんですわね」


 リゼットが声を落とす。


「昨日、大会ベスト四に入ったマリアンナ様を破ったそうです。試合を重ねるごとに、注目が集まっていますわ」


「剣を始めて一か月ほどだと聞きましたが……」


「それでも、マリアンナ様を倒されたのですもの。侮れませんわね」


 クラリスはそう答え、寮の出口へ歩き出した。


     ◇


 寮の玄関を抜けると、朝の空気が頬を撫でた。石畳の道には学園へ向かう生徒たちの姿が見える。三人は並んで歩き始めた。


「クラリス様なら、今日もきっと勝てますわ」


「昨日のように落ち着いて戦えば問題ありません」


「ありがとうございます」


 クラリスは二人に礼を返した。


 その時だった。


「クラリス様」


 寮の門を出たところで、侍女が声をかけた。


 クラリスが振り返ると、道の奥に一台の豪華な馬車が停まっていた。黒塗りの車体には、金色の薔薇の家紋が施されている。ローゼンベルク家の馬車だった。


 窓から父が顔を出す。


「クラリス。少し中に入りなさい」


「お父様……」


 思いがけない呼び止めに、クラリスは足を止めた。父の表情には、いつもの穏やかさの奥に緊張が見える。


「すぐに済む」


 クラリスはリゼットとアデリーナへ振り返った。


「申し訳ありません。少し父と話してまいります。先に学園へ向かっていてくださいませ」


「もちろんですわ。お待ちしております」


「どうぞごゆっくり」


 二人に一言断り、クラリスは侍女の手を借りて馬車へ乗り込んだ。


 扉が閉じると、外の音が遠ざかった。父は向かいの席に座っていた。侍女は外に残り、馬車の中には父とクラリスだけになる。


「朝からどうされたのですか?」


「昨夜、裏付けが取れた」


 父は声を低くした。


「穏健派を攻撃し、魔導国家との一件に巻き込んだのは、王権派だ」


 クラリスは息を呑んだ。


 魔導国家から届いた詰問状。盗賊団の所持品から見つかった王国貴族との繋がり。そして、罪を問われ処刑された穏健派の家々。父が疑っていたことが、事実だと確かめられたのだ。


「王権派が……」


「複数の情報が一致した。公にできる証拠はまだ揃っていないが、彼らが仕掛けた罠だった可能性は高い」


「どうして、そこまでして穏健派を……」


「王権派は王家の権限を強めたい。中立穏健派は、王家にも貴族派にも偏らず、各家の合意を重んじてきた。それが邪魔だったのだろう」


 父は窓の外へ目をやった。


「ローゼンベルク家は、穏健派の中でも影響力が大きい。次に狙われる可能性がある」


 クラリスは膝の上で手を組んだ。


「学園では、王権派の令嬢たちがわたくしの周囲に集まっています」


「アデリーナ嬢とリゼット嬢か」


「はい。親しく接してくださいますが、二人は王権派です」


「それが気になっていた」


 父はクラリスの目を見た。


「王権派は、お前の周囲を自派の者で固めている。表向きは王太子の婚約者を支えているように見えるが、別の目的があるのかもしれない」


「わたくしの評判を落とすためでしょうか」


「その可能性はある。お前が優秀であることを人々の記憶から薄れさせ、ローゼンベルク家の権威を失墜させる。あるいは、お前に問題を起こさせ、それを理由に家の力を削ごうとしているのかもしれない」


「わたくしが何か問題を起こすよう、仕向ける……」


「あるいは、周囲の者が起こした問題を、お前の責任にする。王権派が令嬢たちをお前の周囲に集めているのは、そのためかもしれん」


 クラリスは、アレクから聞いた話を思い出した。


 アデリーナとリゼットが、特待生のエリシアを教室から追い出そうとしていた。アレクは彼女たちに注意を促し、クラリスにも気を配ってほしいと頼んだ。


 生徒会長からは、二人の考えとクラリスの考えが違えば大変だと言われた。


 それらの出来事が、頭の中で結びついていく。


「わたくしが二人を強く咎めれば、王権派との対立が表に出ます」


「そうだ。今は軽率に動くべきではない。相手の狙いを確かめる必要がある」


「では、わたくしはどうすれば……」


「周囲をよく見なさい。誰が何を言い、どう動くのか。お前自身が判断するための材料を集めるんだ」


 父は言葉を切り、クラリスの手にそっと触れた。


「今日の試合も注目されている。昨日の勝利で、お前の実力は多くの者に知られた。だが、試合の結果だけでなく、その後に周囲がどう動くかも見ておきなさい」


「分かりました」


「お前を疑っているわけではない。私はお前の力を信じている。ただ、敵の狙いが分からないうちは、焦らずに進みなさい」


「はい、お父様」


 馬車の扉が開いた。侍女が外で待っている。


 クラリスは降りる前に、父を見た。


「お知らせくださって、ありがとうございます」


「気をつけて行きなさい」


 クラリスは馬車を降りた。


 リゼットとアデリーナは、少し離れた場所で待っていた。


「お待たせしました」


「お話は済みましたか?」


「ええ。学園へ参りましょう」


 三人は再び歩き出した。


 リゼットとアデリーナは、先ほどと変わらない様子で話しかける。昨日の試合のこと、今日の対戦相手のこと。言葉の一つ一つは親しみと称賛に満ちている。


 クラリスは相槌を打ちながら、二人の表情を静かに見ていた。


 彼女たちを疑いたいわけではない。だが、父の話を聞いた今、すべてを無邪気に受け取ることもできなかった。


     ◇


 午後、クラリスは闘技場の控え場所にいた。


 会場から観客の歓声が響いてくる。砂を踏む音や、審判の声が壁越しに聞こえた。


 係員が入口から顔を出した。


「クラリス選手、エリシア選手。準備をお願いします」


 クラリスは立ち上がり、レイピアの柄を確かめた。


 向かいにいたエリシアも短剣を手にしている。肩には昨日の試合で受けた傷が残っているようだった。


「本日はよろしくお願いいたします」


 エリシアが頭を下げた。


「ええ」


 クラリスは返事をした。


 視線は、試合場へ続く通路の先に向けたままだった。


 今朝、父から聞いた話が頭から離れない。王権派は何を企んでいるのか。自分の周囲に彼女たちを集めた理由は何か。ローゼンベルク家の権威を失墜させるため、自分の評価を傷つけようとしているのか。


 考えても答えは出なかった。


 けれど、一つだけ確かなことがある。


 この大会で勝ち続ければ、少なくとも自分の剣の腕を疑う者はいない。王権派が何を仕掛けてきても、成果を積み重ねることが自分を守る力になる。


 どんなことがあっても、優勝する。


「両者、入場してください」


 係員の声に促され、二人は闘技場へ進んだ。


 観客席の視線が集まる。エリシアが姿を見せると、ざわめきが広がった。昨日、大会ベスト四のマリアンナを破った特待生。今日の相手は、前回優勝者デボラ・ヴァルヘイムを破ったクラリス。


 二人の名が呼ばれる。


 審判が中央に立ち、試合の開始を告げた。


 クラリスはレイピアを構えた。エリシアも短剣を前へ出す。


 開始の合図が響いた。


 クラリスの身体は、考えるより早く動いていた。小さな踏み込みから繰り出した突きが、エリシアの肩を打つ。彼女の身体が揺れた。


 その後もクラリスは間合いを支配した。短剣の届かない距離を保ち、エリシアが踏み込むたびに剣先を走らせる。胸当てを打ち、手首を打ち、脇腹を狙う。


 エリシアは倒れた。


 それでも立ち上がった。


 また打たれ、砂の上へ吹き飛ばされる。肩から転がり、短剣を手放しかけながらも、彼女は武器を握り直す。


 審判は一度も動かなかった。


 試合を止めることも、勝敗を告げることもない。


 エリシアは何度倒されても立ち上がろうとした。ふらつき、膝をつき、短剣を杖のようにして身体を起こす。


 クラリスには、彼女がなぜそこまで立ち上がるのか分からなかった。


(立ち上がらないで……)


 心の中で願う。


(あなたには、家の面目も、貴族として背負うものもない。頑張らなくてもいいのに。どうして、何度も立ち上がるの……)


 エリシアが再び立ち上がる。顔には痛みが浮かび、呼吸は乱れていた。それでも短剣を構えた。


 クラリスは、審判へ目を向けた。


 試合場の端に立った審判は、エリシアが倒れた時も、立ち上がった時も、動かなかった。勝敗を宣言することも、試合を止めることもない。


 その無反応を見た瞬間、クラリスは悟った。


 これは王権派の策略だ。


 父の話が脳裏によみがえる。ローゼンベルク家の権威を失墜させるため、優秀な自分の評価をかき消す。あるいは、自分に問題を起こさせるために、周囲を固めている。


 エリシアを相手に手を抜けば、どうなるだろう。


 平民の特待生に勝ちを譲った。王太子の友人だから見逃した。王権派の令嬢たちと考えが違うのを示すため、わざと負けた――そんな噂を立てられるかもしれない。


 手を抜けば、王権派とは考え方が違うと、周囲に示すことにもなる。


 それこそ、彼らの望む問題なのではないか。


 だが、エリシアを打ち続けることも、クラリスの望みではなかった。


「力量の差がありすぎますわ。降参なさってはいかがですか?」


 せめて、ここで降参してほしい。そうすれば、もう傷つかずに済む。


「降参は、しません」


 エリシアは首を横に振った。


 クラリスの胸に、苛立ちに似た感情が芽生える。


 どうして、そこまで続けるのか。これ以上傷つけば、後に残るかもしれない。審判は止めない。なら、自分が加減するしかないのか。


 だが、エリシアは再び構えた。


 何度打ち倒しても、彼女は立つ。


 クラリスはレイピアを握りしめた。父の言葉も、王権派の思惑も、エリシアの意地も、すべてが頭の中で絡み合う。


 倒れたエリシアが、片膝を立てた。


 短剣を握ったまま、もう一度立とうとする。


 クラリスの表情が強張った。


 目を細め、エリシアを睨みつける。


 なぜ、まだ立つのか。


 レイピアを握り直し、振りかぶった。


 その瞬間、闘技場の空気が変わった。


 アレクが観客席から踏み込む。床が衝撃に耐えきれず陥没し、砂が弾けた。


 身体強化の魔法で脚力を高めた彼は、一瞬で試合場まで駆け抜けた。クラリスのレイピアが振り下ろされる軌道へ割り込むように、二人の間に姿を現す。


 クラリスの剣が迫る。


 アレクは避けず、片手を伸ばして剣身を素手でつかんだ。


 鈍い刃でも、勢いのついた剣を受け止めれば皮膚は裂ける。アレクの掌から血が流れた。


 それでも、レイピアは止まっていた。


 遅れて、押さえ込まれていた魔力があふれ出す。熱が広がり、闘技場の空気が揺れた。近くにいた生徒たちは息を呑み、肌を刺すような圧力に身をすくめた。


「もう勝敗は決しただろう」


 アレクの声が闘技場に響いた。


 クラリスは剣を握ったまま、動けなかった。


 審判は、ようやく口を開いた。


「しょ、勝者……クラリス・ローゼンベルク!」


 アレクは剣から手を離し、倒れたエリシアを抱き上げる。彼はクラリスを一度も見ず、そのまま闘技場を去っていった。


 観客席は静まり返っていた。


 クラリスは何も言わなかった。


 リゼットもアデリーナも、すぐには近づいてこない。審判は視線を逸らし、観客たちは互いに小声で話し始めている。


 クラリスはレイピアを下ろした。


 勝者と告げられたはずなのに、勝ったという実感はなかった。


 彼女は顔を上げず、誰にも声をかけないまま、闘技場を降りた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。