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乙女ゲーの辺境伯に転生したので奴隷落ちする悪役令嬢を金貨2万枚で救おうと思います(編集中)  作者: トンビが鷹を産んだトンビの方
第3章 宿場町と怪しい商人

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第39話 老執事の推理

嫌な予感を覚えたレオンは、食堂を飛び出した。


最初に向かったのは、クロエがグランツ宿場町を訪れるたびに利用している宿だった。

勢いよく扉を開け、受付にいた宿の主人へ尋ねる。


「灰色の髪をした、小柄な坊主を知らないか?」


「ああ、あの子なら少し前に戻ってきたぞ」


主人の返事を聞き、レオンは僅かに安堵した。

少なくとも、クロエは宿まで戻ってきていた。

しかし、続く言葉を聞いた瞬間、その表情から安堵が消える。


「部屋へ戻ったと思ったら、すぐに裏口から出ていったがな」


「誰かと一緒だったか?」


「いや」


主人は首を横に振った。


「一人だったはずだ」


胸の奥で、嫌な予感がさらに膨らんだ。

レオンは主人へ礼を言う間も惜しみ、宿の裏口へ向かった。


扉を開けて外へ出る。

周囲には誰もいない。

だが、裏口の脇に残っていた雪の上には、複数人の足跡が刻まれていた。

雪が乱れている場所もあり、誰かが争ったような形跡が残っている。

その近くに、何かが落ちていた。

レオンは駆け寄ると、その場へしゃがみ込んで拾い上げる。


「クロエのマント……」


迷彩柄のフード付きマントだった。

この世界には存在しないはずの迷彩柄。

その珍しい布を使ったマントを、レオンが見間違えるはずがない。

クロエがいつも身につけていた物だ。


レオンの顔から、表情が消える。


「……攫われた」


声は静かだった。

しかし、確信していた。

クロエが自分の意思で姿を消したのなら、大切にしていたマントを捨てていくはずがない。

雪の上に残された争いの跡も、複数人の足跡も、すべてが彼女に何か起きたことを示している。


レオンはマントを強く握り締めると、すぐに立ち上がった。


          





レオンは、自分達が滞在している宿へ戻った。

部屋の扉を勢いよく開く。


「ゼム!」


室内で書類を確認していた老執事が顔を上げた。


「お帰りなさいませ、ぼっちゃま」


「クロエが消えた」


その一言を聞いた瞬間、ゼムの黒い瞳が鋭く細められた。

レオンは食堂で待っていたことから、クロエが利用している宿の裏口で見つけたものまで、順を追って説明した。


十分で戻ると言ったクロエが、三十分経っても現れなかったこと。

宿の裏口に複数人の足跡と、争った形跡が残っていたこと。

そして、クロエがいつも身につけている迷彩柄のマントが落ちていたこと。


すべてを聞き終えたゼムは、静かに頷いた。


「分かりました」


その落ち着いた反応に、レオンが眉を寄せる。


「何か分かったのか?」


ゼムは答える代わりに、机の引き出しを開けた。

そこから一冊の帳簿を取り出し、レオンの前へ置く。


「それは?」


「商人レンの帳簿でございます」


レオンは怪訝そうに帳簿を見た。


「そんな物、あったか?」


「ございませんでした」


ゼムは即答した。


「どっちだよ」


「私が作りました」


レオンは片手で頭を押さえた。

予想はしていたが、やはりゼムが勝手に用意した物らしい。


「いつ作ったんだ?」


「王都でクロエ殿と接触した直後でございます。あの方は商人ですから、いずれレンという人物の素性を調べる可能性があると考えました」


ゼムは平然と説明しながら、帳簿をレオンへ手渡した。


「その時に何も出てこなければ、かえって不自然です。ですので、あらかじめ商人レンの経歴と取引記録を用意いたしました」


レオンは帳簿を開く。

そこには、実在する一人の商人であるかのように、レンの経歴が詳細に記されていた。

北部を中心に活動する若い商人。

ノルディア領の産品を取り扱い、複数の商会と取引を重ねながら少しずつ販路を広げている。


帳簿の収支にも不自然な点はなく、商業ギルドへの登録まで済んでいた。


「……全部、勝手にやったのか?」


「はい。勝手に」


「ゼム」


「はい、何でしょう?」


「後で説教だ」


「承知しております」


そう答えるゼムの顔には、反省の色がまったくなかった。

今は問い詰めても無駄だと判断し、レオンは帳簿を閉じる。

すると、ゼムの表情が変わった。


「問題は、ここからでございます」


声から、先ほどまでの軽さが消える。


「数日前、この帳簿について調べた者がおりました」


レオンの目が細くなった。


「誰だ?」


「当初は、クロエ殿かと思いました」


それなら不思議ではない。

素性の分からない相手と何度も取引を続けているのだから、クロエがレンについて調べたとしても、レオンは責めるつもりなどなかった。

だが、ゼムの言い方からして、調べたのは別人なのだろう。


「違ったのか?」


「はい。帳簿を調べていたのは、ブロド・グランツでございます」


レオンが顔を上げた。

グランツ商会の会頭。

この宿場町最大の商人であり、レオンに走竜と竜車を売った男だ。


「どうしてブロドが俺達を調べる?」


「おそらく、レッドボア事業が原因でしょう」


ゼムは迷うことなく答えた。


「ぼっちゃまとクロエ殿が始めた事業は、当初の予想を遥かに超える成功を収めました。王都へ流れるレッドボアの肉が増えたことで、グランツ商会が扱っていた高級肉の市場を圧迫したのでしょう」


レオンは僅かに考え、納得する。

十分にあり得る話だった。

自分達にとっては領地の収入を増やすための事業だが、それによって利益を奪われる商人もいる。


「それで、商売敵の正体を調べたのか」


「おそらくは。ブロドは、まずクロエ殿を調べました。その後、取引相手であるレンについても調べております」


レオンは手にした帳簿の表紙を指先で軽く叩いた。


「その時に、これを見つけた」


「はい」


ゼムが頷く。


「しかし、ぼっちゃまにはすぐ興味を失ったようです。帳簿を信じ、北部で活動する若い商人にすぎないと判断したのでしょう」


偽りの経歴が、レオンの正体を隠した。

勝手に作られた帳簿ではあるが、結果として役に立ったことになる。

それでも後で説教するという決意だけは変わらなかった。


だが、今考えるべきなのは別のことだ。


「問題はクロエか」


「はい。ブロドはその後も、クロエ殿について調査を続けました」


部屋の空気が変わる。

レオンは僅かに息を呑んだ。


「何かを見つけたのか?」


「おそらくは」


ゼムは静かに頷いた。


「何を見つけたのかまでは分かりません。ですが、ブロドがクロエ殿の過去を調べた直後から、この宿場町で正体不明の貴族が動き始めております」


「貴族……」


レオンはその言葉を繰り返した。

ブロドがクロエを調べる。

クロエの過去に関する何かを発見する。

その直後、正体不明の貴族が動き始める。

そして今日、クロエが姿を消した。

散らばっていた情報が、一本の線で繋がった。


「狙いはクロエか?」


「その可能性が高いかと」


ゼムも同意した。

レオンは拳を強く握り締めた。


この出来事は、ゲームにはなかった。

少なくともレオンが知る原作の中で、クロエがこの時期に何者かに攫われる展開など存在しない。

レッドボアの肉を商品にしたのは自分だ。

クロエへ取引を持ちかけ、彼を事業へ巻き込んだのも自分だった。


「俺が巻き込んだのかもしれない……」


レオンが小さく呟く。

しかし、ゼムは静かに首を横へ振った。


「それは違います」


「ゼム?」


「少なくとも、クロエ殿は出会った時から何かを隠しておられました」


ゼムは落ち着いた声で続ける。


「今回の件は、ぼっちゃまと出会わなかったとしても、いずれ起きていた可能性があります」


レオンは黙り込んだ。

確かに、クロエには秘密があった。


初めて会った時も、彼は自分を怪しい商人としか名乗ろうとしなかった。

一人で各地を転々とし、誰かから逃げるように暮らしている。

だが、レオンと出会わなくても起きたことかもしれないからといって、見捨てる理由にはならない。


クロエは大切な取引相手だ。

そして今では、それだけではない。

レオンにとって、放っておけない友人だった。


「クロエが連れていかれた場所は分かるか?」


レオンが尋ねる。

その言葉を待っていたかのように、ゼムが笑った。

それは普段の穏やかな老執事が浮かべる笑みではなかった。


長年、北の戦神グラニウス・ノルディアの隣に立ち、数多の戦場を潜り抜けてきた男の顔だった。


「すでに、おおよその見当はついております」


レオンの目が鋭くなる。

迷う理由はなかった。


「行くぞ」


「はい、ぼっちゃま」


ゼムも立ち上がる。


「クロエ殿を迎えに参りましょう」


その声には、必ず連れ戻すという確信が込められていた。


レオンはまだ知らない。


父グラニウスの隣へ長年立ち続けたこの老執事が、剣術だけでなく、情報収集や追跡においても常人を遥かに上回る技量を持っていることを。

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