↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
乙女ゲーの辺境伯に転生したので奴隷落ちする悪役令嬢を金貨2万枚で救おうと思います(編集中)  作者: トンビが鷹を産んだトンビの方
第3章 宿場町と怪しい商人

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

44/353

第38話 男爵位の誘惑

夜のグランツ宿場町は、昼間とは異なる活気に包まれていた。


酒場からは酔客達の笑い声が響き、宿を求める旅人達が石畳の道を行き交っている。

荷馬車が通り過ぎる音に、遅くまで働く商人達の声が重なる。

王都街道最大の物流拠点であるこの町は、夜になっても眠ることがない。


そんな町の中央に建つ、一際大きな建物。

グランツ商会本店の執務室で、ブロド・グランツは帳簿を睨んでいた。


最近、何かがおかしい。

グランツ商会の売り上げが、確実に落ちているのだ。

特に深刻なのが食肉部門だった。

グランツ商会が長年ほぼ独占してきた、王都向けの高級肉市場。

その利益が、ここ一年ほどの間に目に見えて減少していた。


ブロドは帳簿を机へ置き、目の前に立つ部下へ尋ねる。


「原因は何だ?」


「現在、調査しております」


部下が頭を下げる。


「急げ。このまま放置すれば、他の商品にまで影響が出る」


「承知いたしました」


部下が退室した後も、ブロドは帳簿に並ぶ数字を睨み続けた。

商売には好不調の波がある。

しかし、今回の落ち込みは一時的なものではない。

何者かが、自分達の市場を奪いつつある。

長年商売の世界で生きてきたブロドの勘が、そう告げていた。


          





数週間後、調査結果が届いた。

原因は、すぐに判明した。


「レッドボアの肉だと?」


報告書を読んだブロドの眉が上がる。

ノルディア領で討伐されたレッドボアの肉が、王都の市場へ大量に流れ込んでいたのだ。

しかも、その肉は異常なほど鮮度が高かった。


本来、ノルディアから王都まで生肉を運べば、どれほど丁寧に扱っても品質は落ちる。

塩漬けや燻製にすれば長期保存は可能だが、レッドボア特有の臭みが強くなり、肉本来の価値は失われてしまう。


だが、市場へ出回っている肉は違った。

まるで討伐したばかりであるかのように新鮮で、味も香りもほとんど損なわれていない。

当然、王都の高級料理店はその肉を求めた。

その結果、グランツ商会が扱っていた他の高級肉は売れなくなり、利益を大きく奪われていた。


「誰が運んでいる?」


ブロドが尋ねると、部下が答えた。


「クロエという名の商人です」


その名前を聞き、ブロドは顔を上げた。


「クロエだと?」


知っている名前だった。

初めて会ったのは四年前。

当時のクロエは、まだ商売について何も知らない幼い子供だった。

走竜を買いに来た時も、提示された値段をそのまま支払おうとしたほど、値切り方すら知らなかった。

手元に金を残すという、商人として当たり前の考えすら持っていなかった。


それでも、どこか放っておけなかった。

だからブロドは、初めて出世払いを認めた。

その後もクロエとは何度か取引を重ねてきたが、これほど大きな商売を動かしているとは知らなかった。


「詳しい帳簿を持ってこい」


「こちらにございます」


すでに準備していたらしく、部下はすぐに帳簿を差し出した。

ブロドは受け取ると、王都へ流れているレッドボアの肉の量を調べ始めた。

そして、すぐに違和感を覚えた。


「……おかしい」


クロエが使っているのは小型の竜車だ。

大量輸送ではなく、各地を素早く移動することを目的とした物であり、積載量は決して多くない。

ところが、市場へ流れているレッドボアの肉は、その竜車一台で運べる量を遥かに超えていた。


ブロドは何度も数字を計算し直した。

だが、どれほど確認しても結果は同じだった。


「あり得ん……」


普通の方法では説明できない。

別の商人が輸送に協力しているのか。

それとも、クロエが複数の竜車を所有しているのか。

いくつもの可能性を考えた末、ブロドは一つの答えへ辿り着いた。


「まさか……アイテムバッグか?」


"アイテムバッグ"


世界に五つしか存在しない秘宝


見た目以上の物を収納できる、世界に五つしか存在しないといわれる秘宝。


もしクロエがそれを持っているのなら、すべての説明がつく。

小型の竜車で各地を素早く移動しながら、その何倍もの商品を一度に運ぶことができる。

さらに内部では時間の流れが遅いため、レッドボアの肉も鮮度を保ったまま王都へ届けられる。

それほどの秘宝ならば、金貨数千枚を積んでも手に入らない。


ブロドの喉が鳴った。


「クロエについて調べろ」


「どこまででしょうか?」


「すべてだ。出自も、これまでの行動も、誰と取引しているのかも、徹底的に調べろ」


部下は深く頭を下げ、執務室から出ていった。


          






数日後、ブロドはクロエと取引しているレンという若い商人についても調査させた。

調査結果によれば、レンはノルディア領周辺を中心に活動し、北部を主な拠点としている商人だった。

複数の商会との取引記録があり、商業ギルドにも名前が登録されている。帳簿も存在し、表向きには何の不審な点もなかった。


「ふん」


ブロドは報告書を机へ放り出した。


「少し商才があるだけの、ただの若造か」


レンへの興味は、すぐに失った。

問題はクロエだ。


その後も調査を続けた結果、四年前に突然姿を現した子供の年齢や髪の色、各地での行動記録が少しずつ集まっていった。

そして、ある古い資料へ辿り着いた。

そこに記された内容を読んだ瞬間、ブロドの目が大きく見開かれた。


「……嘘だろ?」


思わず声が漏れる。

もう一度、資料を読み直す。

さらに最初から、今度は一文字ずつ確認する。

だが、何度読んでも内容は変わらなかった。

クロエには、アイテムバッグ以上の価値があった。


ブロドは椅子へ深く腰掛け、資料を持つ手から力を抜いた。


「なるほどな……」


だから、あれほど貴重なアイテムバッグを持っていた。

だから、幼い頃からたった一人で生きてきた。

そして、追っ手から逃げることを前提に、大量輸送よりも速さを優先した小型の竜車を選んでいた。


これまで不自然に思っていたことが、一つの線で繋がった。


          






さらに数日後、グランツ商会の応接室を一人の男が訪れた。

顔を隠すように黒い外套を纏っているため、男の素性は分からない。

しかし、ブロドには一目で分かった。


貴族だ。


それも、決して低い地位の者ではない。

歩き方や椅子へ座る際の所作、ブロドへ向ける視線。

どれも、幼い頃から人の上に立つことを当然として育てられた者の振る舞いだった。


「例の件だ」


男が低い声で告げる。

ブロドは調査で手に入れた資料を、机の上へ置いた。


「確認した。間違いない」


黒い外套の奥で、男の口元が歪む。


「そうか」


男は懐から革袋を取り出し、机の上へ置いた。

ずしりと重い音が響く。

中に大量の硬貨が詰まっていることは、袋を開けるまでもなく分かった。


「前金として金貨五百枚。成功すれば、さらに五百枚を支払う」


合計で金貨千枚。


普通の商人ならば、一生遊んで暮らすこともできるほどの大金だ。

だが、グランツ商会を一代で築き上げたブロドにとって、金貨千枚は決断を左右するほどの金ではなかった。

ブロドが欲しい物は、ほかにある。


「それだけではない」


男の言葉に、ブロドが顔を上げた。


「ほう?」


「男爵位を用意しよう」


その言葉を聞いた瞬間、ブロドの表情が変わった。


「男爵位……」


「娘はこちらで引き取る。アイテムバッグは、お前の好きにしろ」


応接室が静まり返った。

男爵は貴族としては下位の爵位だ。

それでも、正式な世襲貴族であることに変わりはない。


ブロドは一代でグランツ商会を築いた。

小さな町を王国一の物流拠点へ発展させ、町の名にまで自分の家名を残した。

莫大な財産を築き、商人としての名声も得た。


しかし、どれほど成功しても平民だった。

金を積み上げるだけでは越えられない壁が、確かに存在していた。

だが男爵になれば、自分の子供へ爵位を継がせられる。

グランツ家は商人の家ではなく、貴族の家として後世に残る。


「お前ほどの商人ならば、誰も疑わん」


男が囁く。


「王国の物流を発展させた功績を理由に、男爵へ推薦してやる」


ブロドは目を閉じた。

脳裏に、クロエの姿が浮かぶ。

クロエを嫌っているわけではない。

むしろ、気に入っていた。


値切ることすら知らず、手元に金を残そうともしなかった幼い商人。

危なっかしくて見ていられず、ブロドが初めて出世払いを認めた相手だった。


だが、男爵位。

そして金貨千枚。

さらに、世界に五つしか存在しないアイテムバッグ。

ブロドの中にある天秤は、ゆっくりと傾いていった。


やがて目を開くと、机の上に置かれた革袋を掴む。


「交渉成立だ」


男は満足そうに笑った。


「賢明な判断だ」


それだけを告げ、黒い外套を翻して応接室を出ていった。


          







広い応接室に、ブロドだけが残された。

窓の外には、グランツ宿場町の灯りが広がっている。

そのどこかで、クロエはレンという若い商人との食事を楽しみにしているのだろう。

そしてレンも、自分達の知らないところで何が動き始めたのか、まだ気づいていない。


ブロドは窓の外を見つめ、小さく息を吐いた。


「悪いな……」


クロエへ向けた言葉なのか。

それとも、自分自身へ向けた言い訳なのか。

ブロドにも分からなかった。


ただ、平民として生きてきた彼にとって、男爵位という報酬はあまりにも魅力的だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。