第406話 すれ違いの茶会
今更ですが1話抜けていました。
ep414 第379話 生徒会室への呼び出し
追加更新しました。
良ければ読んで下さい。
学園で、エリシアへの嫌がらせは目に見えてひどくなっていた。
最初は、話しかけても返事をしない、移動授業では隣の席を避けるといった程度だった。けれど今では、彼女の教科書が見つからなくなったり、提出物が別の場所へ移されていたりすることもあるらしい。
その理由として、生徒たちが口にするのは、決まって同じ噂だった。
「エリシアさん、また一人でいらっしゃるわね」
廊下の窓辺で、アデリーナが扇子を広げた。
視線の先では、エリシアが抱えた本を胸元に寄せ、周囲を気にするように歩いている。少し離れたところにはエドガーがいたが、彼もまた、声をかける者のないまま教室へ向かっていた。
「殿下と親しくなさっているから、仕方がないのではありませんか?」
リゼットが、声を潜めるようにして言った。
「最近は"あの"エドガー様まで一緒にいらっしゃるそうですわ。あの方も、殿下に取り入るのがお上手なのね」
「それに、殿下の前ではずいぶん可愛らしく振る舞うと聞きましたわ」
もう一人の令嬢が、口元に手を添えて笑った。
「色目を使って、殿下を誑かしているのではありませんこと?」
クラリスは、すぐには返事をしなかった。
彼女たちの言葉を肯定するつもりはない。けれど、否定すれば、なぜそこまでエリシアを庇うのかと問われるだろう。
その答えを、クラリスは持ち合わせていなかった。
アレクがエリシアやエドガーと親しくしていることは知っている。彼らが冒険者として行動を共にしていることも、学園の外でも友人として接していることも。
それが、婚約者である自分にとって何を意味するのか。
考えないようにしていたわけではない。ただ、答えを出すには、まだ材料が足りなかった。
「……そのお話は、あまり大きな声でなさらない方がよろしいのではなくて?」
クラリスは扇子を閉じ、取り巻きたちを見た。
「殿下のお耳に入るかもしれませんもの」
強く咎める口調にはしなかった。彼女たちを諫めるというより、話の先に待つ面倒を示しただけだった。
アデリーナは一瞬、言葉を止めた。
「それは……確かに、殿下のお耳に入れば面倒ですわね」
「ええ。わたくしたちは、ただ噂を耳にしただけですもの」
リゼットも、すぐに話題を引っ込める。
けれど、彼女たちの表情から、噂を信じていないとは読み取れなかった。
クラリスもまた、噂を否定しなかった。
彼女たちの家は、王権派に属している。クラリスの父が身を置く中立派、その中でも穏健派とは立場が異なっていた。以前なら、家格や長年の付き合いを考えれば、クラリスがひと言たしなめるだけで済んだのかもしれない。
だが、今は違う。
王権派が学園でも影響力を強める一方で、中立派の穏健派は少しずつ発言力を失っていた。クラリスの家も、かつてのように周囲へ強く意見できる状況にはない。
取り巻きたちとの関係を損ねれば、学園での自分の立場も危うくなる。
まして、彼女たちに強く出た結果、父の派閥まで弱腰だと見なされることになれば――。
「クラリス様?」
アデリーナの声に、クラリスは我に返った。
「いえ、何でもありませんわ」
微笑みを作り、扇子を開く。
廊下の向こうでは、エリシアが教室の扉を開けていた。誰かが彼女を呼び止めることはない。彼女もまた、周囲に助けを求めようとはしていなかった。
その姿を見て、クラリスは胸の内に小さな引っかかりを覚えた。
噂が事実かどうかは分からない。
ただ、アレクが彼女たちと親しくしているのは事実だった。
そして、そのことがクラリスの立場を揺さぶり始めているのも。
*
アレクとの茶会は、午後の授業が終わった後に設けられた。
場所は、王族が学園内で使用する応接室だった。窓の外には、手入れの行き届いた庭園が広がっている。テーブルには茶器と菓子が整えられ、給仕を務める者たちは壁際に控えていた。
クラリスは、アレクの向かいに座った。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます、殿下」
「構わない。君から話があると聞いた」
アレクは穏やかに答え、カップを手に取った。
その表情には、いつもの柔らかな笑みが浮かんでいる。学園でエリシアやエドガーと話している時に見せるものとは、少し違う。整えられ、隙のない、王子としての笑みだった。
クラリスはそれを見て、ふと考えた。
アレクは、昔からこうして笑っていた。
礼儀正しく、聡明で、誰に対しても適切な言葉を返す。王子として求められる振る舞いを、幼い頃から身につけてきた人だった。
そのため、周囲からは「人形のようだ」と評されることもある。
クラリス自身、その言葉を耳にしたことがあった。誰が口にしたのかは覚えていない。ただ、アレクが周囲の期待に沿うばかりで、自分の意思を表に出さないように見える、という意味だった。
けれど、その彼が今、エリシアとエドガーには王子としての距離を置かずに接している。
なぜなのか。
それを確かめるために、今日の茶会を申し込んだ。
「殿下は、最近エリシアさんやエドガーさんと親しくなさっているようですわね」
「そうだな。二人とは、学園の外でも一緒に行動している」
「冒険者として、ですか?」
「そうか、隠していたが広まってしまったか……。ああ。依頼を受けて、魔獣の討伐にも行った」
アレクは、隠す様子もなく答えた。
クラリスはカップを持ち上げたが、口をつける前に戻した。
「そのことが、学園でどのように見られているかはご存じですか?」
「噂になっていることなら、聞いている」
「エリシアさんへの事も、殿下のお耳に入っているのでしょうか」
「ああ」
アレクの返事は短かった。
「殿下が彼女たちと親しくなさるほど、エリシアさんへの風当たりは強くなっています。殿下と親しい平民の特待生――そういう目で見られているのですわ」
「それでも、彼女と距離を置くつもりはない」
クラリスはアレクを見た。
「殿下は、彼女たちをどうなさるおつもりですか?」
「どう、とは?」
「エリシアさんとエドガーさんを、今後も友人として扱われるのでしょうか」
「そうだ」
「殿下がそうなさることで、二人の立場がさらに悪くなるとしても?」
アレクの指が、カップの取っ手にかかったまま止まった。
「彼らの立場が悪くならないよう、できることはする」
「それは、殿下のお力で守るということですか?」
「必要なら、そうする」
クラリスは、わずかに眉を寄せた。
守る。その言葉の意味は分かる。
王族の庇護下に置けば、学園の生徒たちも、相手が誰であろうと簡単には手を出せなくなる。エリシアへの嫌がらせも、少なくとも表立っては収まるだろう。
その一方で、アレクが二人と友人でありたいと考えているのなら、立場を利用して守ることは、二人を自分の権力の下に置くことにもなる。
彼は、それを望んでいないのかもしれない。
だが、何もせずに親しくしているだけでは、二人への風当たりは増すばかりだった。
「殿下にとって、エリシアさんとエドガーさんは、どのような方なのですか?」
「友人だ」
迷いのない返答だった。
「友人、ですか」
「そうだ。身分が違うからといって、友人でなくなるわけじゃない」
クラリスは、言葉を探すように視線を落とした。
アレクにとって、二人は友人なのだろう。
けれど、王子が平民を友人として側に置くことは、本人たちだけの問題ではない。周囲は、そこに別の意味を見出す。特にエリシアは女性で、婚約者であるクラリスがいる以上、ただの友人だという説明だけで納得する者は少ない。
クラリスの胸の内に、冷たい不安が広がった。
平民に寝取られそうな公爵令嬢。
そんな言葉が、すでに耳に届き始めていた。
「殿下」
「何だ?」
「平民を侍らすなら、いっそ囲ってしまえばよろしいのでは?」
アレクの笑みが消えた。
「クラリス、それはどういう意味だ?」
「そのままの意味ですわ」
クラリスは、落ち着いた声を保った。
王族の権力の下に置けば、エリシアたちは守られる。殿下の庇護を受ける者に、露骨な嫌がらせを続ける者はいなくなるはずだ。
そうすれば、エリシアへの噂も収まり、自分の立場もこれ以上悪くならずに済む。
少なくとも、クラリスはそう考えていた。
だが、アレクは答えず、彼女を見つめていた。
「殿下が二人を友人だとおっしゃるのなら、なおさらですわ。今のままでは、殿下の行動が二人を追い詰めています。周囲は殿下の真意を測りかねているのでしょう」
「俺の真意?」
「殿下は二人と親しくなさる。けれど、周囲から見れば、その関係がどのようなものなのか分かりません。曖昧なままでは、エリシアさんも、立場を失いかねませんわ」
「君は、自分の立場を心配しているのか」
「もちろんです。殿下の婚約者ですもの」
クラリスは視線を逸らさなかった。
「この婚姻は、殿下のお気持ちひとつで反故にできるものではありませんこと?もし殿下がエリシアさんを特別に思っていらっしゃるのなら、わたくしとの婚約を続けながら、彼女を側に置く道もあるでしょう」
アレクの目が、わずかに細くなった。
クラリスはその変化に気づいたが、言葉を止めなかった。
「けれど、殿下はそうなさらない。婚約を解消するとも、彼女を側に置くともおっしゃらず、ただ友人として親しくされる。その中途半端な状態が、周囲に余計な憶測を招いているのではありませんか」
アレクはカップを置いた。
「君は、俺にどうしろと言うんだ」
「殿下ご自身のお立場を、はっきりさせていただきたいのです」
「俺の立場を?」
「少しお考えになってみてはいかがですか?」
アレクの表情から、残っていたわずかな柔らかさが消えた。
「俺が何も考えずに振る舞っていると、君はそう言いたいのか」
「そのような意味では……」
「いや、いい」
アレクは、クラリスの言葉を遮った。
その声には、先ほどまでの穏やかさはなかった。
クラリスは、言葉を続けようとした。しかし、何を言っても、今の彼には届かないような気がした。
アレクはゆっくりと立ち上がった。
「貴様も、取り巻きとの距離を考えるんだな」
クラリスは息を呑んだ。
アレクはそれ以上何も言わず、扉へ向かった。控えていた侍従が扉を開ける。彼は振り返らないまま、応接室を出ていった。
扉が閉まる。
茶器の触れ合う小さな音だけが、室内に残った。
クラリスは、向かいの席を見つめていた。
アレクは、自分の言葉を侮辱と受け取ったのだろう。
そんなつもりではなかった。
彼の立場と、周囲の見方を考えてほしかった。彼が二人を友人として大切に思うのなら、その友情を守るためにも、曖昧なままではいけないと伝えたかった。
けれど、彼には届かなかった。
取り巻きとの距離を考えろ――。
その言葉が、胸の内で繰り返される。
クラリスは、扇子を握る指に力を込めた。
自分もまた、取り巻きたちとの関係を簡単には変えられない。彼女たちの背後には王権派の家があり、自分の家が属する中立派の穏健派は、すでに力を失いつつある。
分かっているからこそ、強く言えなかった。
アレクは、それを見抜いていたのだろうか。
クラリスは、冷め始めた紅茶へ目を落とした。
婚約者としての立場を守るために、彼女はアレクの真意を確かめようとした。
その結果、二人の間にあった見えない隔たりは、今や言葉として形を持ってしまった。




