第404話 無属性の魔力
翌日の昼休み。
エリシアは、布に包んだ昼食を両手で抱え、魔法具研究部の部室へ向かっていた。
包みの中には、朝、寮で用意したパンと野菜の煮込み、それに小さな果物が入っている。自分の分だけではない。カインの分も一緒に持ってきた。
以前、部室へ立ち寄った時、カインは研究に夢中になって昼食を取っていなかった。今日もそうなっているのではないかと思ったのだ。
部室の前まで来ると、扉の向こうから紙をめくる音と、金属が触れ合う小さな音が聞こえてきた。
エリシアは扉を軽く叩いた。
「カイン、入るよ」
「どうぞ」
返事を聞いてから扉を開ける。
部屋の中では、窓際の机にいくつもの魔法陣が広げられていた。細い金属片や小さな魔石、工具が紙の上に並び、机の中央には手のひらほどの大きさの器具が置かれている。輪のような金属枠に、いくつかの部品が組み込まれていた。
カインは椅子に腰掛け、その器具の側面を小さな工具で調整していた。机の上には、食事をした形跡がない。
「カイン、お昼持ってきたよ」
エリシアが包みを机に置くと、カインは作業の手を止めた。
「ありがとう。助かるよ」
「もう食べた?」
「まだなんだ。作業に夢中になって、忘れてた」
「やっぱり。ちゃんと食べてね」
「うん」
エリシアは机の端に積まれた紙をそっと寄せ、昼食を置く場所を作った。カインも工具を片付け、器具に布をかぶせてから椅子を引く。
二人はそれぞれの包みを開いた。朝、寮で用意してから時間が経っているので、昼食は冷めていた。それでも二人は気にせず、向かい合って食べ始めた。
部室は静かだったが、窓の外からは昼休みの生徒たちの声が遠く聞こえている。
しばらく食事を続けたあと、カインは机の上にかぶせた布へ視線を向けた。
「実は、前に話していた魔法具の試作品ができたんだ」
エリシアは匙を置いた。
「無属性の魔力で作った障壁を、球にして飛ばすっていう案?」
「そう。まだ試作品だけどね。魔力を受け取って球状に整え、術式で前へ押し出す仕組みを組み込んだ。理論上は、標的にぶつけられるはずだよ」
「できたんだ……!」
「何度か調整したよ。ただ、球の形を保てる時間が短くて、飛ばす方向も安定しない。威力もまだ分からないから、部室で試すわけにはいかないけど」
カインは昼食を食べ終えると、布を外して器具をエリシアの前へ持ってきた。
金属の枠は掌に収まる大きさで、片側に握りやすい持ち手がついている。表面には細い線が刻まれていた。魔法陣のようにも見えるが、エリシアにはその意味までは読み取れない。
「ここに手を置いて、魔力を流す。術式が魔力を球状にまとめて、先端から前へ押し出す仕組みだよ」
「わたしでも使えるの?」
「そのために作ったんだ。けれど、まずは魔力を自分で流せるかどうか確かめないといけない」
エリシアは器具を見つめた。
「無属性の魔力って、どうやって流すの?」
カインはすぐに答えず、彼女の顔を見た。
「回復魔法を使う時、エリシアはどうやって魔力を流している?」
「考えたことないけど……傷が治ってほしいって祈る時に、自然と流れてくるよ」
「そうなんだね」
カインは少し考えるように視線を落とした。
「僕の考えでは、エリシアは無属性の魔力を聖属性に変換して、回復魔法を使っているんだと思う。だから、その時に感じている魔力は、もう聖属性に変わった後なのかもしれない」
「聖属性に変換……」
「今回、魔法具に流すのは、属性に変わる前の魔力だよ。まずは自分の中にある魔力を探って、そこから手へ流す練習をしよう」
その言葉に、エリシアは以前の属性別授業を思い出した。
セリオスの授業で、魔石に手をかざし、自分の中にある魔力の流れを感じ取る練習をした。最初は何も分からなかった。それでも身体の奥に淡い流れを感じ、手のひらから外へ向かうよう意識した時、魔石が一瞬だけ光った。
あの時、セリオスは魔力を感じて外へ流す方法を教えてくれた。今日、カインから聞いた「魔力が溜まっている場所を探す」という話は、あの時の練習を思い出させた。
「属性別の授業で、魔力を感じて魔石に流す練習をしたよ。一度だけ、魔石が光ったの」
「そうか。だったら、その時の感覚が手掛かりになると思う」
「でも、あの時は魔力を流すことだけで精一杯だった。身体のどこから魔力が来るのかまでは分からなかったよ」
「自分の中の魔力が溜まっている場所を、はっきり意識したことはある?」
「ないと思う。魔力が溜まっている場所があるの?」
「あるよ。人によって感じ方は違うけれど、身体の中に魔力が集まっている場所がある。そこから腕や手へ流すイメージを持つと、魔力を扱いやすくなるんだ」
エリシアは胸元に手を当てた。
心臓の鼓動は分かる。呼吸も分かる。けれど、その奥に魔力が溜まっていると言われても、すぐに感じ取れる気はしなかった。
「どうやって探せばいいの?」
「まず、力を抜いて目を閉じてみて。魔力を出そうとするんじゃなくて、身体の内側に意識を向けるんだ」
カインは椅子を少し近づけ、エリシアの右手に目を向けた。
「手を借りてもいい?」
「うん」
エリシアが手を差し出すと、カインはそっとその手を取った。指先に触れる彼の手は、思っていたより温かい。
「魔力操作は、出したり止めたりするだけじゃない。流れの強さや向き、どこで途切れているかを感じることも大切なんだ」
カインはエリシアの手を包むように持ち、目を伏せた。
「今から、僕の魔力をほんの少し流す。嫌な感じがしたら、すぐに言って」
「分かった」
彼の指先から、かすかな感覚が伝わってきた。
熱いわけではない。痛みもない。水の流れにも似ているが、もっと淡く、触れた場所の境目をなぞるような感覚だった。カインの魔力は、エリシアの手のひらから腕へ、ゆっくりと伝わっていく。
「何か感じる?」
「手のひらが少し温かい。でも、そこだけじゃなくて……腕の内側にも何か通っていくみたい」
「うん。その流れを追いかけてみて。僕の魔力がどこから来ているかじゃなくて、エリシアの身体の中で、どこに魔力が集まっているかを探すんだ」
エリシアは目を閉じた。
カインの魔力が通った場所に意識を向ける。手のひらから手首、腕の内側へ。感覚を追いかけるうちに、彼女の身体の奥にも、かすかな揺らぎがあるように思えた。
けれど、そこへ意識を向けようとすると、カインの魔力の感覚に引き戻されてしまう。
「うまく分からない……」
「大丈夫。急がなくていいよ。僕の魔力は道しるべくらいに考えて。自分の中にある感覚を探すんだ」
カインは魔力をさらに弱めた。彼の魔力が薄れていくにつれ、エリシアの意識は自分の身体の内側へ戻っていった。
胸の奥。そこから少し下がったところに、淡い灯りのようなものがある。
形は分からない。熱も、重さもない。ただ、身体のどこかに、ほかの場所とは違う静かな気配があった。
「カイン……胸の奥に、何かある気がする」
「そこが魔力の溜まっている場所かもしれない。そこから手のひらへ、細く流すことを意識してみて」
エリシアは意識を胸の奥から右腕へ移した。
最初は何もつながっていないように思えた。しかし、セリオスの授業で魔石へ魔力を流した時の感覚を思い返す。無理に押し出そうとせず、流れを邪魔しないようにする。願いを形にする時とは違う。自分の中にある魔力を、手のひらへ運んでいく。
胸の奥にある淡い気配が、ほんのわずかに揺れた。
「今、何か動いた」
「その感覚を覚えて。急いで先まで流そうとしなくていい。胸の奥から腕へ、腕から手のひらへ。少しずつ運ぶんだ」
カインの声は落ち着いていた。
彼はエリシアの魔力の動きを感じ取っているのか、彼女が意識を向けるたび、手の中の魔力を少しずつ調整していた。強く引っ張ることはせず、彼女が自分の感覚をつかめるよう、かすかな流れを保っている。
「ここから手まで、つながっているのかな」
「身体の中の魔力の流れを探ってみて。僕の魔力を追いかけるんじゃなくて、自分の魔力がどこを通っているかを感じるんだ」
エリシアは、カインに包まれた手へ意識を向けた。
胸の奥にある淡い気配を、腕へ運ぶ。力を込めるのではなく、流れを思い描く。セリオスの授業で魔石が光った時、手のひらから何かが外へ伝わった。あの時の感覚を思い出しながら、少しずつ魔力を動かしてみる。
手のひらが、かすかに温かくなった。
「あ……」
「どうした?」
「胸の奥から手まで、何かが動いた気がする」
「うん。その流れを感じ取れたんだ。もう一度、同じように手のひらまで運んでみよう」
エリシアはゆっくり息を吐いてから、再び意識を集中した。
今度は胸の奥の気配を見失わないようにする。そこから腕を通り、手のひらへ。流れは細く、途中で消えてしまいそうだったが、先ほどより確かに感じられた。
カインの手の中で、エリシアの指がわずかに震えた。
「力まなくていいよ。流れが止まったら、最初の場所へ意識を戻せばいい」
「うん……」
エリシアは息を整えた。
もう一度、胸の奥から手のひらへ魔力を運ぶ。今度は、ごく小さな流れが指先まで届いたように感じた。
カインはすぐに手を離さず、しばらくその感覚を保たせた。それから、ゆっくりと自分の魔力を引き、エリシアの手をそっと放した。
「今の感覚を覚えておいて。自分の魔力を、胸の奥から手まで流せたと思う」
「うん。まだ細くて、すぐに消えちゃいそうだけど」
「最初はそれでいいよ。何度か練習すれば、少しずつ安定するはずだ」
エリシアは自分の右手を見つめた。
胸の奥から手のひらへと伸びた、ごく細い魔力の流れ。セリオスの授業で魔石に流した時と同じように、自分の魔力を感じて動かすことができた。
「これを、そのまま魔法具に流せばいいの?」
「そう。今の感覚を保ったまま、魔法具へ流すんだ。まずは少しだけ試して、魔法具が受け取れるか確認しよう」
「分かった」
カインは器具を持ち上げ、側面の細い溝を指で示した。
「この部分で魔力を受け取って、内側の術式に送る。そこで形を整えた後、先端から押し出す仕組みだよ。魔力をうまく受け取れなければ何も起きないし、想定より強く流れたら術式が耐えられず、崩れるかもしれない」
「それなら、ちゃんと安全な場所で試さないとね」
「うん。実習場を使えるよう、担当の先生に許可を取っておく。標的も用意して、周りに人がいない時間を選ぶよ」
「わたしも一緒に行く」
「もちろん。試作品はエリシアに使ってもらうために作ったんだから」
カインは器具を布で包み、机の端へ置いた。昼食の包みは空になっている。窓の外では、昼休みの終わりを知らせる鐘が鳴り始めていた。
「もう時間だね」
「午後の授業に遅れないようにしないと」
エリシアは自分の包みを畳み、鞄へしまった。カインも器具を机の引き出しへ片付け、散らばった紙をまとめる。
「次は、実習場で試すんだね」
「まずは魔力を流せるか確かめる。うまくいっても、最初は標的の近くから試そう」
「うん。無理はしないよ」
部室を出る前に、エリシアは一度だけ右手を開いたり閉じたりした。
胸の奥にあった淡い気配。そこから手のひらへと伸びた、ごく細い魔力の流れ。まだ強くはない。それでも、祈りに任せて自然に流れてくるのを待つのではなく、自分の意思で動かすことができた。
以前の授業で、魔石を一瞬だけ光らせた時には、何が起きたのかよく分からなかった。今日は、カインに導かれながらではあったが、自分の中に魔力がある場所を探し、その魔力を手のひらまで流せた。
試作品を動かせるかは、まだ分からない。
けれど、次に何をすればいいのかは見えていた。
「じゃあ、放課後に」
「うん。先生に許可をもらえたら、実習場で」
エリシアは頷き、午後の授業へ向かう廊下を歩き出した。
魔法具の試作品は、まだ机の引き出しの中にある。障壁が球の形を保てるのか、前へ飛ぶのか、標的にどれほどの力を与えるのか。確かめなければならないことは多い。
まずは、自分の中の魔力を自在に流すこと。
それが、試作品を使うための一歩だった。




