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乙女ゲーの辺境伯に転生したので奴隷落ちする悪役令嬢を金貨2万枚で救おうと思います  作者: 蛙の子はお玉杓子
第10章 癒しの護り手と悪役令嬢

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第395話 母と娘

 助産師はリディアの様子を確かめると、床に描かれた魔法陣へ視線を向けた。


「陣痛が十分に進みました。魔法陣を止めます」


 セリオスが頷き、助産師は魔法陣へ手をかざした。淡く光っていた線が、一つずつ静かに消えていく。


 陣痛を促す魔法は、そこで終わった。


 しかし、リディアの身体には、すでに本格的な陣痛が始まっている。助産師は寝台のそばへ戻り、彼女の呼吸と出産の進み具合を確かめた。


「ここからは、身体の力に任せて進めます。痛みが来たら、私の声に合わせてください」


「はい……」


 リディアはかすかに頷いた。額には汗が浮かび、淡いオレンジブラウンの髪が頬に張りついている。


 エリシアは、彼女の手を握っていた。


 陣痛が来るたびに、リディアの指がエリシアの手を強く握る。エリシアはその手を握り返し、彼女が呼吸を整えられるよう声を掛けた。


「ゆっくり息を吐いてください。助産師さんがそばにいます」


 リディアは返事をする余裕もなく、目を閉じて息を吐いた。


 助産師は出産の進み具合を見ながら、必要な指示を出している。セリオスはリディアの脈や呼吸を確かめ、顔色の変化に注意を払っていた。


 エリシアには、彼らのように診断する知識はない。


 それでも、リディアの手から力が失われていくのを感じていた。彼女の身体は、出産を迎える前から限界に近い。お腹の子に魔力を吸い上げられ続けたため、体力も魔力もほとんど残っていなかった。


 助けたい。


 そう思うたびに、セリオスの忠告が頭をよぎる。


 妊婦には、エリシアの回復魔法を使わないこと。自分の魔法が胎児にどのような影響を及ぼすか、分からないからだ。


 今は待つしかない。


「次の痛みが来ます。息を整えてください」


 助産師が告げる。


 リディアは息を吸った。次の瞬間、痛みが走り、彼女の身体が強張る。


「そうです。ゆっくり吐いて。無理に力を入れないでください」


 助産師の声に合わせ、リディアは呼吸を続けた。エリシアは手を握り、何度も「大丈夫です」と声を掛ける。


 どれほど時間が経ったのか、エリシアには分からなかった。


 陣痛の間隔は少しずつ短くなり、痛みは強くなっていく。そのたびにリディアの顔から血の気が引き、呼吸が乱れた。助産師は冷静に指示を続けていたが、その額にも緊張がにじんでいた。


 やがて、助産師がリディアの様子を確かめ、顔を上げた。


「赤ちゃんの頭が見えています。もう少しです」


 リディアは、かすかに頷いた。


「痛みが来たら、私の声に合わせて力を入れてください。大丈夫です。赤ちゃんはすぐそこまで来ています」


 エリシアはリディアの手を両手で包み込んだ。


「もう少しです。赤ちゃんに会えますよ」


 リディアは、苦しげに息を吸った。


「この子は……無事に生まれてこられますか?」


 その声はかすれていた。痛みに耐えながらも、リディアが気に掛けているのは自分ではなく、お腹の子だった。


 助産師が、彼女の手をそっと握る。


「赤ちゃんは、もうすぐです。私がここにいますから、安心してください」


 リディアの目に涙が浮かんだ。


 次の陣痛が来る。


「今です。息を吐いて、それから力を入れてください」


 助産師の指示に合わせ、リディアは残された力を振り絞った。


 部屋に、赤子の産声が響いた。


 エリシアは息を呑んだ。


「生まれました。女の子ですよ」


 助産師が赤子を受け止め、すぐに状態を確かめる。小さな手足が動き、力強い泣き声が続いた。


「呼吸もしっかりしています。元気な赤ちゃんです」


 その言葉に、リディアの頬を涙が伝った。


「よかった……」


 助産師は赤子を清潔な布で包み、母親から離れた台へ運んだ。身体を拭いて温め、呼吸や手足の動きを確かめる。へその緒の処置も済ませ、赤子がリディアの身体から完全に離れたことを確認した。


 リディアは、力を使い果たしたように目を閉じていた。


 呼吸が浅い。唇から血の気が引き、顔色も急速に悪くなっている。


 助産師が出血の状態を確かめ、セリオスがリディアの手首に触れた。


「出血は抑えられています。ですが、脈が弱くなっています」


 助産師の声が強張る。


 セリオスはリディアに治癒魔法を施した。淡い光が彼女を包み込む。弱った身体を支え、残された魔力や生命力を高めるための魔法だった。


 けれど、光が消えてもリディアの顔色は戻らなかった。


 セリオスはもう一度、彼女の脈を確かめる。


「魔力の枯渇が深すぎます。このままでは、危険です」


 リディアの胸が浅く上下する。握っていた手から、温もりが消えていくようだった。


「リディアさん……」


 エリシアが呼びかけても、返事はなかった。


 生まれたばかりの赤子は、助産師に抱かれている。母親とはすでに離れ、処置も終わっていた。


 エリシアはセリオスを見た。


「もう大丈夫ですよね?」


 何が、とは尋ねなかった。セリオスには分かったようだった。


「赤ちゃんは母体から離れています。処置も済んでいます」


 エリシアは頷き、リディアの手を両手で包む。


 傷を治す時のように、治った姿を思い描いた。弱った身体に力が戻り、もう一度目を開ける姿を。


「どうか……力を戻してください」


 エリシアの手から、柔らかな光が広がった。


 光はリディアの腕を包み、身体の奥へ染み込んでいく。冷たかった指先に温もりが戻り、白かった頬にわずかな血色が差した。


「反応があります」


 助産師が声を上げる。


 だが、リディアの意識は戻らない。呼吸もまだ浅かった。


 エリシアは、さらに魔力を注いだ。


 身体から急速に力が抜けていく。視界が揺れ、足元が遠のいた。それでも、彼女は手を離せなかった。


 リディアの胸が、先ほどより深く上下する。頬にも少しずつ血の気が戻り始めていた。


「エリシアさん、もう十分です。止めてください」


 セリオスが告げる。


 エリシアは聞こえているはずなのに、魔法を止められなかった。リディアの力が戻りかけている。ここでやめれば、また消えてしまうような気がした。


「もう少しだけ……」


「エリシアさん、止めなさい!」


 セリオスの大声が、部屋に響いた。


 いつもの穏やかさを失った声に、助産師が振り返る。


「あなたの魔力が急激に減っています! このままでは、あなたまで倒れます!」


 エリシアの顔は青白くなっていた。唇から血の気が失せ、身体が震えている。それでも、両手はリディアから離れなかった。


 リディアの顔には、反対に血色が戻りつつある。弱々しかった呼吸も、少しずつ安定してきていた。


 廊下の向こうで足音が駆けてくる。


「セリオス枢機卿、何があったのですか!」


 アレクの声が近づいた。


「殿下、こちらへ来てはいけません!」


 誰かが止めようとする声が聞こえた。だが、セリオスの切迫した叫びを聞いたアレクは足を止めなかった。


 彼は診察室へ駆け込み、目の前の光景に息を呑んだ。


 エリシアは、今にも倒れそうなほど青白い顔で、リディアの手を握り続けている。その向かいで、死にかけていたリディアの頬には血の気が戻っていた。


「特待生!」


 アレクが声を上げた。


「殿下、近づかないでください。魔法の流れを乱すおそれがあります!」


 セリオスが制止する。


 アレクは踏み出しかけた足を止めた。エリシアの身体は大きく揺れている。彼女が魔力を使い果たしかけているのは、目に見えて分かった。


「特待生、もう止めろ!」


 エリシアは答えなかった。


 光は弱まっている。それでも消えずに、リディアを包み続けていた。


 その時、リディアの指が動いた。


 エリシアの手を、かすかに握り返す。


「リディアさん!」


 助産師が呼びかけた。


 リディアの瞼が震え、ゆっくりと開く。


「……赤ちゃんは?」


「元気な女の子ですよ。無事に生まれました」


 助産師の言葉を聞き、リディアの目から涙がこぼれた。


「よかった……」


 それを聞いたエリシアは、ようやく魔法を解いた。


 手から光が消える。


 支えを失ったように、エリシアの身体が傾いた。セリオスがすぐに肩を支える。


「エリシアさん、聞こえますか?」


「はい……聞こえています」


 声はかすれ、顔色はひどく悪かった。それでも、エリシアは助産師が抱いている赤子へ目を向ける。


「元気な女の子ですよ」


 リディアを安心させるように、エリシアは笑顔を浮かべた。


「赤ちゃんを……こちらへ」


 リディアが弱々しく腕を伸ばす。


「はい」


 エリシアは助産師の元へ歩いた。一歩ごとに身体が揺れたが、赤子のそばまでたどり着く。助産師は彼女が椅子に腰を下ろすのを見届けてから、赤子を腕へ渡した。


 エリシアは小さな頭を支え、両腕で赤子を抱いた。


 淡いオレンジブラウンの髪は、リディアによく似ている。赤子は目を閉じ、小さな息を繰り返していた。


 エリシアは、疲れ切った顔にもう一度笑みを浮かべる。


「リディアさん、連れていきますね」


 セリオスが支えようとしたが、エリシアは小さく首を振った。


「大丈夫です。ゆっくり行きます」


 彼女は赤子を落とさないように抱き、寝台のそばまで歩いた。リディアの腕へ、そっと娘を渡す。


「元気な女の子ですよ」


 リディアは赤子を抱きしめた。娘が身じろぎし、瞼を開く。血のように紅い瞳が一瞬だけ覗いた。


 リディアは息を呑み、娘の頬へ頬を寄せた。


「会いたかった……」


 助産師は母子の様子を確かめ、セリオスは再びリディアの脈を診た。彼女の呼吸は安定し、顔色にも生気が戻っている。


 エリシアは椅子へ座り込んだ。肩で息をしながら、それでも母子から目を離さなかった。


 アレクは、彼女を見つめていた。


 魔力を使い果たしかけ、今にも倒れそうになりながら、エリシアは赤子を抱いて母親のもとへ運んだ。疲労で顔は青白い。それでも、リディアを安心させる笑顔を浮かべていた。


 アレクの胸に、温かな感情が広がる。


 その笑顔から、目を離すことができなかった。

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