↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
乙女ゲーの辺境伯に転生したので奴隷落ちする悪役令嬢を金貨2万枚で救おうと思います  作者: 蛙の子はお玉杓子
第10章 癒しの護り手と悪役令嬢

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

428/457

第393話 母から子へ

 診療が始まってしばらくすると、助産師がセリオスの診察室を訪れた。


「セリオス様、妊婦の方の体調について相談したいことがあります。エリシアさんにも来ていただけますか?」


「分かりました。エリシアさん、こちらの患者さんをマルタン先生にお願いします」


「はい」


 エリシアは診察中の患者に一礼し、助産師の後について隣の診察室へ移った。


 診察台には、一人の女性が横になっていた。腹部は大きく張り、頬は青白い。額には汗が浮かび、呼吸も浅かった。


 淡いオレンジブラウンの髪が頬のそばに広がり、琥珀色の瞳には疲れがにじんでいる。腹部を締めつけないゆったりとした服には、何度も繕われた跡があった。それでもきちんと整えられている。


 女性はセリオスたちに気づくと、腹部に手を添えたまま、丁寧に頭を下げた。苦しげな様子の中にも、その所作には上品さが残っていた。


「こちらはリディアさんです。出産が近く、食事もほとんど取れていないそうです」


 助産師が紹介すると、女性はかすかに微笑んだ。


「リディアと申します。診ていただけますでしょうか」


「もちろんです。少し魔力の状態を確認させていただけますか?」


「はい。お願いいたします」


 リディアは不安そうにしながらも、手を差し出した。


 セリオスはその手首に触れて目を閉じる。指先が淡く光った。魔力の流れを探る術だった。


 エリシアは診察の邪魔にならないよう、一歩下がった。セリオスの表情を見れば何か分かるかもしれない。だが、彼は静かにリディアの手を取ったまま、魔力の動きを探っていた。


 しばらくして、セリオスの眉がわずかに寄った。


「リディアさん自身の魔力が、かなり減っています」


「魔力が……ですか?」


「はい。食事を取れず、体力が落ちていることも影響しているでしょう。ただ、それだけでは説明がつかないほどの消耗です」


 リディアは腹部へ手を添えた。


「ここ数日、特に身体が重くて……少し歩いただけでも息が切れるようになりました」


 助産師も頷いた。


「妊娠後期には疲れやすくなりますが、リディアさんの衰弱は、それだけではないように思います」


 セリオスは彼女の腹部へ視線を向けた。


「胎児が母体の魔力を吸い上げている可能性があります」


 エリシアは思わず息をのんだ。


「お腹の子が、お母さんの魔力を……?」


「魔力量の多い胎児の場合、母親の魔力を取り込み続けることがあります。すべての妊娠で起きるわけではありませんが、母親の魔力が減り続ければ、身体にも大きな負担がかかります」


 セリオスはリディアの手をそっと離した。


「ただ、胎児の魔力量までは、私には正確に読み取れません」


「セリオス様にも分からないのですか?」


 エリシアが尋ねた。


「魔力量を感知するには、相手より自分の魔力が多くなければなりません。私より胎児の魔力量が多い場合、その流れを捉えきれないのです」


 セリオスは少し考え込んだ。


 魔力量の多い者に確認してもらう必要がある。エリシアは、診療所の外で炊き出しを手伝っているアレクを思い出した。彼の魔力は、授業で魔石に触れた時にも感じられるほど大きかった。


「殿下なら、分かるかもしれません」


「そうですね。アレク殿下に協力をお願いしましょう」


 助産師はリディアの様子をもう一度確かめてから、診察室を出た。アレクを呼びに行くのだろう。


 リディアは横になったまま、腹部を撫でていた。不安そうな表情が浮かんでいる。


「お腹の子に、何か問題があるのでしょうか」


「まだ分かりません。まずは魔力の状態を確かめ、そのうえで母子にとって安全な方法を考えます」


 セリオスの落ち着いた声に、リディアは小さく頷いた。


 エリシアは診察台のそばへ寄り、水を差し出した。


「喉は渇いていませんか?」


「少しだけ。ありがとうございます」


 リディアは器を受け取り、ゆっくりと水を飲んだ。飲み終えると、器をエリシアへ返す。


「あなたは、セリオス様の授業を受けている方なのですね」


「はい。まだ習い始めたばかりです」


「それでも、そばにいてくださると心強いです」


 エリシアは返事に迷い、小さく笑った。


「できることをお手伝いします」


 その時、扉がノックされた。


「失礼します」


 アレクが部屋に入ってきた。室内の様子を確かめ、セリオスの前で足を止める。


「お呼びと聞きました。何をすればよろしいでしょうか?」


「リディアさんの胎児の魔力量を確認していただきたいのです。私では胎児の魔力を捉えられない可能性があります」


「分かりました。どのようにすればよろしいでしょうか?」


「リディアさんの手に触れ、魔力の流れを探ってください。無理に魔力を流す必要はありません」


 アレクはリディアへ近づく前に、彼女の目を見た。


「手を取ってもよろしいでしょうか?」


「はい。お願いいたします」


 アレクはリディアの手首にそっと触れ、目を閉じた。


 診察室が静かになる。エリシアは、アレクの表情から何かを読み取ろうとした。すぐには変化がなかったが、しばらくすると彼の眉がわずかに寄り、指先に力が入った。


「……母親の魔力が、腹部へ流れている」


 アレクは目を開き、リディアの手を離した。


 セリオスは静かに頷く。


「胎児が母体から魔力を吸い上げているようですね」


 アレクはリディアの顔を見た。彼女は腹部に手を添えたまま、二人の話を待っている。


「この子は……無事に生まれてこられるでしょうか」


 リディアが尋ねた。


 エリシアは、彼女がまずお腹の子を案じていることに気づいた。リディアは自分の苦しさを訴えるより先に、子どもの無事を尋ねたのだ。


「母子ともに無事に出産を終えられるよう、できる限りの準備をします」


 戻ってきた助産師が、リディアのそばで答えた。


「今はまだ、これから必要な処置を決めるところです。痛みの間隔や体調を確認しながら進めますので、心配なことは何でもおっしゃってください」


「お願いいたします。この子を、どうか……」


「はい。私たちに任せてください」


 助産師はリディアの手を取り、落ち着かせるように握った。


 リディアの呼吸が少し整ったのを見届けると、助産師はエリシアに手伝いを頼み、出産の準備をする隣室へ移すことにした。エリシアはリディアの肩を支え、助産師は反対側から身体を支えた。


 隣室の寝台に横になったリディアへ、助産師は「痛みが強くなったらすぐに知らせてください」と伝えた。彼女は頷き、目を閉じた。


 セリオスは診察室に残り、アレクとエリシアに向き直った。扉が閉まると、隣室のリディアには会話が届かなくなった。


「魔力量の多い子どもを産んだ母親は、ほとんど助からない」


 アレクの声は静かだった。


 エリシアは息をのんだ。


 四大国の中でも、エルグランド王国は貴族の魔力量が最も多いとされている。王族は、その中でもひときわ高い魔力を受け継ぐ。


 その事実が、エリシアの中で一つのことと結びついた。


 この国には、王妃がいない。


「じゃあ……」


 言いかけた声が、そこで止まった。


 アレクは何も答えず、視線を伏せている。セリオスも口を挟まない。エリシアは、それ以上尋ねることができなかった。


 診察室の外から、患者を案内する声が聞こえる。マルタンは別の部屋で、軽い病気や怪我を抱えた患者を診続けている。炊き出しの鍋も、エドガーが火を見ながら準備しているはずだった。


 だが、エリシアの意識は隣室にいるリディアへ向いていた。


 彼女は自分の命を心配するより先に、子どもの無事を尋ねていた。もし、このまま出産に耐えられなかったら。あの子を残して命を落とすことになったら。


 エリシアは、自分の手を見つめた。


 妊娠中の女性に回復魔法を使うことはできない。胎児にどんな影響が出るか分からないからだ。セリオスからそう教わっている。それでも、リディアを助ける方法がないか考えずにはいられなかった。


 隣室から、助産師の声が聞こえた。


「痛みの間隔が短くなっています。出産が近づいているようです」


 セリオスはすぐに顔を上げた。


「今の状態では、自然に陣痛が強くなるのを長く待つのは危険かもしれません」


 アレクが言った。


「母体の消耗が進んでいます。陣痛を促す薬では、効果が出るまで時間がかかります」


 セリオスは助産師に確認した。


「診療所に、陣痛を促す魔法陣があると聞きました」


「はい。出産を急ぐためのものではありませんが、母体の状態を見ながら使うことができます」


「マルタン先生にも状況を伝えましょう。出産後の診療に備えていただく必要があります」


 セリオスは助産師に頼んだ。助産師は頷き、診療所の助手に伝言を頼みに行った。


「エリシアさんは、清潔な布と水の用意をお願いします。必要なことは私か助産師に相談してください」


「はい」


 エリシアはすぐに動いた。


 回復魔法を使うことはできない。胎児への影響が分からない以上、セリオスの指示を守らなければならない。


 それでも、何もできないわけではなかった。必要なものを用意し、助産師の指示を受け、リディアが少しでも安心できるようそばにいることはできる。


 エリシアは清潔な布を揃え、水を用意して隣室へ運んだ。


 リディアは目を閉じ、浅い呼吸を繰り返している。助産師がそばに座り、痛みの間隔を記録していた。


「布をこちらに置きます」


「ありがとうございます」


 助産師は布を受け取り、手の届く場所へ置いた。


「リディアさん。これから陣痛を促す魔法陣を使う準備をします。母子の状態を確認しながら進めますので、痛みや苦しさが強くなったら、すぐに知らせてください」


「分かりました」


 リディアは腹部に手を添えた。


「この子を、どうかお願いします」


「はい。できる限りのことをします」


 エリシアは水を寝台のそばへ置いた。リディアは彼女を見て、小さく微笑む。


「あなたにも、よろしくお願いいたします」


「はい。そばにいます」


 エリシアは寝台の横に立ち、リディアの手が伸びれば届く場所にいた。


 診療所の外では、炊き出しの列が進み、鍋から湯気が上がっている。別の診察室ではマルタンが患者の話を聞き、セリオスは出産の準備を整えていた。


 エリシアは、できることを一つずつ確かめた。間もなく、陣痛を促す魔法陣が使われる。

 母親と子どもの両方を守るための時間が、始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。