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乙女ゲーの辺境伯に転生したので奴隷落ちする悪役令嬢を金貨2万枚で救おうと思います  作者: 蛙の子はお玉杓子
第10章 癒しの護り手と悪役令嬢

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第388話 癒しの守り手の授業

 属性別の個人授業を受けるようになってから、何度か授業を重ねていた。


 最初に学んだのは、魔力の流れを感じ取り、魔石へ伝える基礎だった。エリシアは母から回復魔法を教わっていたが、自分の魔力がどのように動いているのかを意識したことはなかった。セリオスの授業では、魔法を発動するだけでなく、魔力の流れや身体の感覚を確かめる時間が続いていた。


 その日の授業では、セリオスが机の上に数枚の紙を並べていた。紙には、簡単な魔法陣や人の身体を示す図が描かれている。


「今日は、前にエリシアさんが尋ねたことから始めましょう」


 セリオスは一枚の紙を手に取った。


「聖属性に、攻撃魔法はないのですか?」


 以前、エリシアはそう尋ねていた。


 回復魔法が使えるのなら、攻撃魔法もあるのだろうか。もし使えるなら、実技の授業で何もできずにいる状況を変えられるかもしれない。そんな考えから口にした質問だった。


「今知られている聖属性の魔法に、直接相手を攻撃するものはありません」


 セリオスは紙を机へ戻した。


「主なものは、身体強化、結界や防御壁、それから回復や毒、麻痺への対処です。攻撃に使うより、身を守り、傷ついた人を助けるための魔法が多いですね」


「身体を強くすることもできるんですか?」


「魔力で身体を補助する方法はあります。足を速くしたり、重い物を持ち上げやすくしたりするものです。ただし、身体そのものが丈夫になるわけではありません。使い方を誤れば、筋や骨を傷めることもあります」


 エリシアは頷きながら、セリオスの説明をノートに書き留めた。


「それなら、病気を治す魔法もあるんでしょうか?」


「病気を直接治す魔法は、確立されていません。症状を和らげたり、体力の回復を助けたりすることはできますが、病気の原因そのものを取り除けるとは限らないのです」


 セリオスは身体の図を引き寄せ、胸や腹のあたりを指で示した。


「人の身体には、傷を塞ぎ、弱った部分を回復させる力があります。魔法でその働きを助けることはできますが、身体の仕組みを理解せずに力だけを注げば、かえって負担を与えることもあります」


「傷を治す時も、ただ魔力を流せばいいわけではないんですね」


「その通りです。どんな傷なのかを見極め、何を治す必要があるのか考えなければなりません。切り傷なら傷口を清潔に保ち、出血を止める。骨折なら患部を固定する。魔法を使う前にできる処置もあります」


 セリオスは、別の紙に描かれた腕の図を示した。


「たとえば、浅い傷なら、洗浄と薬だけで治ることも多い。魔法を使うことで傷の治りが早くなる場合はありますが、常に魔法が必要とは限りません」


「怪我をしたら、すぐ治癒魔法を使うものだと思っていました」


「そう考える人は少なくありません。ですが、治癒魔法は万能ではありません。傷の深さや状態によって、薬や休養に任せた方がよい場合もあります。病気なら、まず原因を探り、必要に応じて医師や薬師へつなぐことが大切です」


 エリシアは、成人の儀で自分が治療した子供たちを思い出した。


 あの時は、火傷を負った人が目の前にいた。治したいと願い、手を伸ばした。傷が消えたことに安心したけれど、どうして治ったのか、身体の中で何が起きていたのかまでは考えていなかった。


「お母さんから教わった時は、どんな傷も、治ってほしい状態を思い浮かべるように言われました」


「お母様は、エリシアさんに魔法の使い方だけでなく、治療への向き合い方も教えてくださったのでしょう」


「はい。でも、身体のことはあまり詳しく知りません。今までは、傷を見て、痛みがなくなるように願っていました」


「それも大切なことです。これからは、傷の状態を確かめてから魔法を使うようにしましょう。魔法で治す部分と、自然に治るのを待つ部分を見分ける。それができれば、力を無駄に使うことも減らせます」


 セリオスは、簡単な傷の模型を机に置いた。


「これは表面だけを浅く切った傷です。まず、何をしますか?」


「傷の周りを清潔にして、出血を止めます」


「そうです。では、深く切れていた場合は?」


「出血の量や傷の深さを見ます。大きな血管に届いているようなら、傷を押さえて止血して、すぐに医師を呼びます」


「よく覚えていますね。魔法を使うかどうかを決めるのは、その後です」


 セリオスは模型の傷口を布で覆い、包帯を巻いてみせた。エリシアも同じ手順を繰り返す。傷の場所を確かめ、必要な道具を取り、出血を止めてから患部を保護する。


 魔法を使う前にできることがある。


 そのことを、エリシアは何度も確認した。


 続いて、セリオスは毒や麻痺の説明を始めた。毒の種類によって症状が異なること。痺れが出た時に、すぐ魔法をかければよいとは限らないこと。呼吸や意識の状態を確かめ、危険な兆候があれば、治癒魔法よりも先に人を呼び、適切な処置を受けさせること。


「毒や麻痺を取り除く魔法もあると聞きました」


「症状を和らげたり、身体が毒を排出するのを助けたりする魔法はあります。ただし、すべての毒に効くわけではありません。原因が分からないまま魔法を使うのは危険です」


「治癒魔法が使えるからといって、何でも治せるわけではないんですね」


「そうです。だからこそ、身体の仕組みや治療の方法を学ぶ必要があります」


 エリシアはノートへ視線を落とした。回復魔法を使えることだけで満足してはいけない。誰かを助けるためには、いつ、どのように使うのかを判断できなければならない。


 授業の後半、セリオスは先ほどの質問に戻った。


「結界や防御障壁についても、知りたいのでしょう?」


「はい。攻撃魔法がないのなら、自分にできる方法をが無いかと思いまして」


 エリシアは、魔法図書室で結界に関する本を読んだことを話した。魔力で壁を作り、外からの力を受け止めるという説明はあったが、実際にどのように発動すればよいのかは分からなかった。


「結界は、魔力で一定の範囲に境界を作り、その内側と外側を分ける魔法です。防御壁は、その境界に外からの力を受け止める性質を持たせたものと考えるとよいでしょう」


 セリオスは紙に円を描き、その周囲を囲む線を引いた。


「ただ魔力を壁の形にするだけでは、結界として保てません。どこからどこまでを守るのか。何を通し、何を遮るのか。そうした条件を定める必要があります」


「条件を決めてから、魔力を流すんですね」


「ええ。形だけでなく、魔力を保ち続けるための制御も要ります。結界は、作って終わりではありません。魔力が途切れたり、受け止めきれない力が加わったりすれば崩れます」


 エリシアは描かれた円と線を見つめた。


 結界の原理は、魔法図書室の本にも書かれていた。けれど、どの本を読んでも、実際に自分が使う時の感覚までは分からない。


「私も、結界や魔力障壁を使えるようになるでしょうか?」


「練習すれば、可能性はあります。ただし、エリシアさんがどのように魔力を扱うのか、まずは確かめていきましょう。回復魔法を使う時の感覚と、結界を作る時の感覚が同じとは限りません」


 エリシアは手のひらを見た。


 回復魔法を使う時は、傷が治ってほしいと願う。魔力の流れを意識するより先に、治った状態を思い浮かべていた。


 結界を作る時は、何を思い浮かべればいいのだろう。守りたい範囲を決め、そこへ壁を作る。そう考えてみても、魔力をどう動かせばよいのか分からなかった。


 授業で練習した魔力の流れを思い出し、手のひらへ意識を向ける。けれど、魔力は集まるばかりで、壁の形にはならない。


「難しいです……」


「今日は仕組みを知るところまでで構いません。結界の術式を覚え、魔力をどのように配置するか、少しずつ考えていきましょう」


 セリオスは無理に続けさせなかった。


 エリシアは、結界が使えない理由を、まだ理解が足りないからだと思った。魔力の扱い方も、術式の組み立ても、学び始めたばかりなのだ。練習を重ねれば、いつか形にできるかもしれない。


 自分の魔力が、一般的な無属性魔法とは異なる性質を持つことを、エリシアは知らない。

 結界を使うために必要な変換の工程があることも、その工程を知らないままでは魔法を発動できないことも、まだ誰にも分かっていなかった。


 セリオスは机の紙を片付けながら、エリシアのノートへ目を向けた。


「今日の授業で、いちばん大切だと思ったことは何ですか?」


「治癒魔法を使う前に、傷や症状をよく確かめることです。魔法で治すのが一番とは限らないんですね」


「その通りです。目の前の人を助けたいと思う気持ちは大切です。ですが、その気持ちだけで魔法を使えば、相手に負担をかけることもあります。学んだ知識を使って、何が必要なのかを判断してください」


「はい」


 授業の終わりを告げる鐘が鳴った。


 セリオスは道具を片付けながら、ふと思い出したように口を開く。


「今度、王都の北にあるスラム街で慈善活動を行う予定があります」


「スラム街で、ですか?」


「炊き出しをしながら、体調を崩している人や怪我をしている人がいれば診察を手伝うつもりです。先ほど学んだことを実際に確かめる機会にもなるでしょう」


 セリオスはエリシアを見た。


「よかったら、参加してくれませんか?」


 エリシアはすぐに返事をしなかった。


 北のスラム街については、王都の人々が話すのを聞いたことがある。南の下町とは違い、治安も暮らし向きも厳しい場所だという。自分の回復魔法が役立つなら、行ってみたい気持ちはあった。


「私でお役に立てるでしょうか?」


「診察には、魔法を使うことだけが必要なのではありません。話を聞き、状態を確かめ、必要な処置を考えることも大切です。エリシアさんなら、学びながら手伝えると思います」


「……ぜひ、参加させてください」


 セリオスは優しく頷いた。


「ありがとうございます。日程や準備が決まったら、改めてお知らせします」


「よろしくお願いします」


 エリシアは礼をして、特別講義室を後にした。


 廊下へ出ると、夕方の光が窓から差し込んでいた。手には今日の授業のノートがある。回復魔法のこと、身体の仕組み、結界の原理。覚えなければならないことは多い。

 それでも、学んだことを実際に役立てられる場所があると聞き、胸の奥に小さな期待が芽生えていた。





 放課後、エリシアは魔法図書室へ向かった。


 結界について書かれた本を探し、閲覧席へ運ぶ。セリオスの説明を思い返しながら、魔力で境界を作る方法や、魔法陣がどのように範囲を定めるのかを調べ始めた。


 しばらくして、向かいの席に人影が差した。


「今日も勉強か?」


 顔を上げると、アレクが立っていた。夕日が窓から差し込み、金色の髪を柔らかく照らしている。澄んだ蒼い瞳にも光が映り、エリシアは一瞬、その色に見入った。


「殿下。今日は結界の本を読んでいます」


「聖属性の授業で習ったのか?」


「はい。回復魔法を使う時の判断や、身体の仕組みも教わりました。それから、セリオス様に北のスラム街で行う慈善活動へ誘われたんです」


「スラム街で、どんなことをするんだ?」


「炊き出しをして、体調の悪い方や怪我をしている方がいれば診察を手伝うそうです。まだ日程は決まっていません」


 アレクは向かいの椅子を引き、腰を下ろした。


「そうか。北のスラム街か……」


「殿下は、行かれたことがありますか?」


「いや。王都にあることは知っているが、実際に足を運んだことはない」


 アレクは窓の外へ目を向けた。学園の向こうには、貴族街の屋根が夕日に染まっている。その先には、さらに王都の街並みが広がっていた。


「王都の中にある場所なのに、俺は何も知らないんだな」


 その声は、いつもの王子らしい整った響きより、少しだけ率直に聞こえた。

 エリシアはセリオスの誘いを伝えただけだった。けれど、アレクは考え込むように黙っている。


「殿下も、興味があるんですか?」


「ああ。王都の暮らしを、自分の目で見てみたいと思う」


 アレクはエリシアへ視線を戻した。


「その活動に参加するなら、俺も同行できないか、セリオス枢機卿に聞いてみてくれないか?」


「私から、ですか?」


「君から話を聞いたんだ。まずはセリオス枢機卿に、俺も加わってよいか尋ねてほしい」


「分かりました。次にお会いした時に聞いてみます」


 アレクは小さく頷いた。


「ありがとう」


 エリシアは本へ視線を戻した。結界の仕組みは、まだ理解しきれていない。スラム街での活動も、準備はこれからだ。

 それでも、今日の授業で学んだことを誰かのために使えるかもしれない。


 そう思うと、ページをめくる指に少し力が戻った。

 窓の外では、王都に夕闇が降り始めていた。

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