第386話 魔法具の記録
「本日の授業はここまで」
教師の言葉を聞き、生徒たちは一斉に席を立った。
実習場から戻った教室では、クラリスやアレクの魔法を話題にする声があちこちから聞こえてくる。クラリスが火と水の矢を同時に放ち、標的を吹き飛ばしたこと。アレクが詠唱もせず、指先から放った光で標的を貫いたこと。生徒たちは興奮した様子で、二人の魔法を褒め合っていた。
その周りには、すぐに人が集まっている。
エリシアは会話の輪を横目に見ながら、ノートを閉じた。実習で、自分には攻撃魔法が使えないことを改めて思い知らされた。治癒魔法は使える。けれど、傷を負った人がいなければ、今日のような実技では何もできなかった。
これからも実技の授業は続く。見学ばかりでは、授業についていけなくなるかもしれない。
何か方法はないだろうか。
エリシアは荷物をまとめ、鞄を肩に掛けた。クラリスとアレクの周りには、まだ生徒たちが集まっている。エリシアはその場を離れ、教室を出た。
廊下では、部活動へ向かう生徒や、友人と話しながら寮へ戻る生徒が行き交っていた。どの生徒にも隣に話し相手がいる。エリシアは彼らの流れを邪魔しないよう、壁際を歩いていった。
向かった先は、魔法図書室だった。
扉を開けると、静かな室内に紙をめくる音が響いていた。背の高い本棚が並び、魔法の基礎や属性、魔法陣について書かれた本が収められている。窓から差し込む光は、すでに夕方の色を帯びていた。
エリシアは、攻撃魔法についての本を探した。
火、水、風、土。属性ごとに分けられた棚には、それぞれの魔法の使い方や詠唱、魔力の制御について記された本が並んでいる。
まずは、自分が使える属性の魔法を調べてみよう。そう考え、火属性の本を一冊手に取った。目次に目を通し、詠唱や術式の説明を確かめる。けれど、どの魔法も火属性の魔力を炎へ変えることを前提にしていた。
水属性の本も同じだった。水を生み出し、刃や弾に変えて飛ばす方法が書かれているが、水属性を持たない者には使えないらしい。
風属性や土属性の本も調べた。書かれている術式はそれぞれ異なっていても、根本の考え方は変わらない。術者の持つ属性を使って魔法を発動するのだ。
エリシアは本を棚へ戻した。
攻撃魔法を使うには、やはり属性が必要なのだろうか。
ほかに手掛かりがないかと、魔法陣について書かれた棚へ移る。魔法陣の構造や、魔力を流す順序について説明した本を何冊か選び、閲覧机のある席へ運んだ。
椅子に腰掛けて本を開き、ページをめくる。
魔法陣を使えば何か違うのかと思ったが、こちらも基本的には、術者の属性に合った魔力を流す仕組みだった。魔法陣は魔力の流れを整え、決められた形へ導くためのものらしい。属性そのものを変えるわけではない。
何冊か調べても、答えは見つからなかった。
どうすれば、属性を持たないエリシアでも攻撃魔法を使えるのか。あるいは、攻撃魔法を使わずに実技へ参加する方法があるのか。
考えながら本を閉じたところで、向かいの席から声がした。
「今日も回復魔法のことを調べるのか?」
エリシアは顔を上げた。
アレクが向かいの椅子に座り、片肘をついてこちらを見ていた。いつの間に図書室へ来たのだろう。机の上には、まだ本が置かれていない。
窓から差し込む夕日が、アレクの金色の髪を柔らかく照らしていた。澄んだ蒼い瞳にも光が差し、その色がいつもより一層鮮やかに見える。
エリシアは、一瞬その瞳に見とれた。すぐに我に返り、手元の本へ視線を戻す。
「いいえ。今日は、誰でも使える攻撃魔法がないか調べようと思いまして」
「攻撃魔法?」
「実習で、わたしは何もできませんでした。治癒魔法以外に使える方法があれば、これからの実技の授業にも役立つかと思ったんです」
アレクは、エリシアの前に広げられた本を見た。
「属性ごとの本を調べていたのか」
「はい。火や水の魔法は、それぞれの属性を持っていないと使えないようでした。魔法陣についても調べたのですが、やはり術者の属性に合わせるものが多くて」
「属性を問わずに使える方法を探しているんだな」
「そうです。でも、何から調べればいいのか分からなくなってしまいました」
アレクは少し考えるように目を伏せた。それから、椅子から立ち上がる。
「魔法の発動方法だけでなく、古い術式や魔力の扱い方も調べてみよう。今の方法とは違うものが残っているかもしれない」
「殿下も探してくださるのですか?」
「ひとりで何冊も調べるより、二人で分けた方が早いだろう」
そう言って、アレクは近くの本棚へ向かった。
エリシアは礼を述べ、彼の後についていく。アレクは魔力の運用や古い術式についての本を探し、エリシアは魔法陣や属性の基礎について書かれた本を選んだ。
しばらくして、二人は閲覧机に何冊もの本を積み上げていた。
魔法の基礎について書かれた本には、魔力を属性に応じた現象へ変えて発動すると記されている。火属性なら炎、水属性なら水、風属性なら風。本人の属性と異なる魔法を使うのは難しく、通常は自分の属性を鍛えることが基本となる。
エリシアは説明を読み返し、別の頁を確かめた。
「やっぱり、本人の属性が必要なのですね」
「通常はそうだろうな」
アレクも本の頁をめくりながら答える。
「でも、古い記録なら別の方法が残っているかもしれない。魔法陣の応用や、術者の属性以外の力を使うものがないか探してみよう」
「術者の属性以外の力……」
エリシアは、説明の続きを探して本を読み進めた。
その後も二人は、見つけた記述を手分けして確認していった。古い時代の魔法陣は、現在の授業で習う形とは少し異なっている。複雑な術式を地面や道具に刻み、そこへ魔力を流すことで魔法を発動させた記録もあった。
やがて、アレクが一冊の本を開いた。
「これを読んでみてくれ」
彼が指した箇所には、魔石と魔鉱石を用いた道具について記されていた。
魔力を持つ者が使う場合、まず自分の属性魔力を道具へ流し、対応する属性の魔石に蓄える。その魔力は、一定の速度で魔石から刻まれた魔法陣へ送られ、術式を通して魔法となる。
エリシアは説明を読み、目を見開いた。
「魔法陣が魔力の流れを整えて、魔石から魔力を受け取るのですね」
「そのようだな。魔石に蓄えた力を、一定の速度で術式へ流すことで、魔法を発動させるらしい」
アレクは次の段落を指で追った。
そこには、魔力を持たない者が使う仕組みについても記されていた。
あらかじめ魔力を蓄えておいた魔鉱石を道具に組み込む。使用者がスイッチにあたる部分を押すと、魔鉱石の魔力が最初の魔法陣を通って属性魔石へ流れ込む。そこからさらに別の魔法陣へ魔力が送られ、刻まれた術式に応じた魔法が発動するという。
「魔力を持たない人でも、使えるのですか?」
「この記録通りなら、魔鉱石にあらかじめ魔力を蓄えておけば、使用者自身が魔力を流す必要はないようだ」
アレクは記述を確認しながら続ける。
「属性魔石と魔法陣を組み合わせて、魔鉱石の魔力を魔法に変えるんだろう。使う者が属性を持っているかどうかにも左右されない」
「そんな方法があったのですね……」
エリシアの視線は、頁に書かれた図に釘付けになっていた。
魔鉱石から最初の魔法陣へ。そこから属性魔石へ魔力を送り、さらに別の魔法陣を通して術式を発動させる。いくつもの部品を組み合わせる仕組みは複雑だったが、記録にある図を追っていくと、その流れが少しずつ理解できた。
エリシアは、ほかの本も調べた。
魔石と魔鉱石を使った道具についての記録はいくつか見つかった。魔力を持つ者が使う場合と、持たない者が使う場合では、魔力を蓄える仕組みが異なるようだった。
ただし、道具に蓄えられる魔力には限りがある。魔鉱石の量や質、魔石の大きさ、魔法陣の精度によって、使える回数や威力も変わるらしい。
古い記録に記された道具の多くは、わずかな火を灯したり、少量の水を生み出したり、弱い風を起こしたりする程度だった。日常のちょっとした手助けにはなるが、実戦で使えるほどの威力はない。
「魔力を持たない人でも魔法を使える道具は、あることにはあるのですね」
「そうだな。だが、記録を見る限り、強い魔法を放つのは難しかったらしい」
アレクは別の本を確かめた。
「魔鉱石に蓄えられる魔力には限りがある。魔法陣や魔石の調整も必要だ。大きな威力を出そうとすれば、道具も大掛かりになるんじゃないか」
「王国では、今も使われているのでしょうか?」
「少なくとも、学園で使われる魔法具としては一般的ではないな。属性を持つ者なら、自分で魔法を使う方が簡単だ。作る手間や費用を考えれば、広く普及しなかったのかもしれない」
エリシアは本に目を落とした。
魔力がない者でも、魔法具を使えば魔法を発動させられる。けれど、記録にあるものは、授業で求められるような攻撃魔法には向かないようだった。
それでも、まったく方法がないわけではない。
アレクは記録を読み返し、少し考えた後に言った。
「魔導国家の魔法具なら、もっと実用的なものがあるんじゃないか?」
「魔導国家の、ですか?」
「魔石や魔鉱石を使った技術は、あちらの方が進んでいると聞いている。魔力のない人が使う道具も、王国の古い記録にあるものより発展しているかもしれない」
その言葉に、エリシアは魔法具研究部の部室を思い出した。
昼食を届けに行った時、カインは大量の魔法具を抱えて部室にやってきた。部室の隅に置かれていた魔冷蔵も、カインが作ったものだという。食べ物を冷やして保存できる便利な道具だった。
魔法具研究部に入ったばかりのエリシアには、魔法具について分からないことがまだ多い。けれど、カインなら詳しいはずだ。
魔力がなくても使える魔法具について、今度聞いてみよう。
そう思うと、実技への不安がほんの少し和らいだ。
「魔導国家の魔法具について、もう少し調べてみます」
「そうだな。ただ、本に書かれた道具が今も作られているとは限らない。詳しい人がいれば、聞いてみるのもいい」
「はい。ありがとうございます、殿下。ひとりでは、ここまで見つけられなかったと思います」
「役に立ったならよかった」
エリシアは本を閉じ、机の上を整えた。
探していた攻撃魔法そのものが見つかったわけではない。それでも、魔力を持たない者が魔法を使うための道具が存在する。その仕組みを知れただけでも、今日ここへ来た意味はあった。
エリシアは本を棚へ戻し、図書室の出口へ向かった。
「特待生」
背後からアレクの声が届いた。
エリシアは足を止め、振り返った。
アレクは閲覧机のそばに立ち、先ほどまでとは少し違う表情で彼女を見ている。
「大丈夫か?」
短い問いだった。
けれど、何について聞かれたのか、エリシアには分かった。
実習場でひとりだったこと。生徒たちの輪に入れずにいたこと。Aクラスの中で、平民として過ごしていること。
アレクは、そこまで気づいていたのだ。
返事をしようとした時、クラリスの言葉が胸によみがえる。
『立場を弁えなさい』
扇子で口元を隠し、目を細めて告げたクラリスの姿が、頭から離れない。
アレクに頼れば、また何か言われるかもしれない。王子と特待生が親しくしていると知られれば、今よりも目立つことになる。
エリシアはすぐには答えられなかった。
しばらく間が空く。
やがて彼女は小さく息を吸い、心配を掛けないように笑顔を作った。
「大丈夫です、殿下。お気遣いありがとうございます」
アレクは、エリシアの笑顔をしばらく見つめていた。納得していない様子だったが、無理に問いただすことはしなかった。
「もし何かあれば、俺を頼ってもいいんだぞ?」
その言葉を聞いた瞬間、エリシアの胸に温かなものが広がった。
ひとりではない。
そう思えたのは、久しぶりだった。
「ありがとうございます、殿下」
今度は、作ったものではない笑みが浮かんだ。
アレクはわずかに表情を和らげる。
「困った時は、遠慮するな」
「はい」
エリシアはもう一度礼をして、図書室を出た。
実技の授業への不安が消えたわけではない。クラスでの孤独も、明日から急になくなるわけではない。
それでも、頼ってもいいと言ってくれる人がいる。
そのことが、エリシアの心をほんの少しだけ軽くしていた。




