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乙女ゲーの辺境伯に転生したので奴隷落ちする悪役令嬢を金貨2万枚で救おうと思います  作者: 蛙の子はお玉杓子
第10章 癒しの護り手と悪役令嬢

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第385話 魔法の実演

 午後の授業は、屋外の実習場で行われた。


 教室で受ける座学とは違い、広々とした敷地には木製の標的がいくつも並んでいる。的の中央には円が描かれ、その周囲には、地面へ魔法陣を刻んだ石柱が等間隔に立っていた。


 Aクラスの生徒たちは、教師の指示で標的から距離を取って並んでいる。


 エリシアは列の端に立ち、実習場の様子を見回した。


 昨日までの授業は、ほとんどが教室での座学だった。魔法の起源や属性について説明を受け、ノートを取り、分からない言葉があれば教科書を読み返す。こうして魔法を実際に使う授業は、今日が初めてだった。


 胸の奥に、期待と不安が入り混じっている。


 周囲の生徒たちは、授業が始まる前から互いに話をしていた。


「どのくらいの威力が出るか、家で試してみましたの」


「わたくしもですわ。けれど、実習場の結界があるなら、思い切って使えそうですわね」


「先ほど見たところ、標的はかなり頑丈そうでしたわ」


 誰もが、家での練習や自分の魔法について話している。話す相手に困っている様子はなかった。


 エリシアは、輪の外で静かに順番を待っていた。


 前の授業でもそうだった。生徒たちは貴族同士、家のことや領地のことを話題にする。エリシアは会話のきっかけをつかめず、声を掛けられても短い返事しかできないまま、話の輪から離れてしまっていた。


 同じ教室にいるのに、彼らの間には見えない境界があるように感じる。


 その境界を越えていく方法を、エリシアはまだ知らなかった。


 教師が実習場の中央へ進み出る。


「静かに。これから、魔法の実演を行う」


 話し声が止まり、生徒たちの視線が教師へ向いた。


「標的を狙い、魔力の制御と命中精度を確かめる。威力だけを競うものではない。自分の魔法を正確に扱えるかどうかも、評価の対象となる」


 教師が片手を上げた。


 地面に刻まれた魔法陣が淡く光る。光は石柱へと伝わり、石柱の間に薄い膜のようなものが広がっていった。


「標的の周囲には、威力を弱める結界を張ってある。魔法が逸れても実習場の外へ飛び出すことはない。ただし、周囲に人がいることを忘れず、必ず標的を確認してから魔法を放つように」


「はい」


 生徒たちが返事をした。


「属性魔法を使える者は、自分の属性に合った魔法を使うこと。詠唱の長さは問わない。必要な者は詠唱し、制御できる者は短縮しても構わない」


 教師は標的を指し示す。


「順番に前へ出て、ひとりずつ実演する。まずは火属性の者からだ」


 最初の生徒が標的の前へ進み出た。


 生徒は右手を前へ出し、短い詠唱を唱えた。掌に赤い光が集まり、小さな火球が生まれる。火球は標的へ向かって飛び、木板の中央に命中した。


 乾いた音が響き、標的の表面が焦げる。


 周囲から、感嘆の声が上がった。


「上手く当たりましたわね」


「ありがとうございます。少しだけ右に逸れましたけれど」


「わたくしには、中心に当たったように見えましたわ」


 次の生徒は水の刃を放った。薄く鋭い水流が標的へぶつかり、木の表面を削り取る。風属性の生徒は、小石ほどの大きさに風を圧縮して撃ち出した。土属性の生徒は、地面から小さな石弾を作り、標的へ飛ばす。


 実演のたびに、生徒たちの間から拍手や称賛が送られる。


 エリシアは、皆の魔法を見つめながら、ひとつひとつ違う形や動きを確かめていた。


 火球は、魔力を炎の塊にして飛ばす。水の刃は、流れを細く鋭く整えている。風を使った生徒は、目に見えにくい力を一点へ集めていた。


 同じ属性でも、使う人によって魔法の形は少しずつ異なるらしい。


 次々と生徒が実演を終え、順番が進んでいく。前に出た生徒の多くは、詠唱を短くしていた。中には、ほとんど言葉を口にせず魔法を発動させる者もいる。


 彼らは魔法を使い終えると、友人たちのもとへ戻って感想を交わした。失敗すれば助言を受け、うまくいけば褒められる。


 エリシアの周りには、そうしたやり取りに加わる相手がいなかった。


 皆が誰かと一緒にいる中で、自分だけがひとり。


 そう思うたびに、エリシアの胸は少しずつ重くなった。それでも、彼女は視線を標的へ戻した。自分の順番が来るまで、授業に集中しようとした。


 やがて、教師がエリシアの名を呼ぶ。


「エリシア。前へ」


「はい」


 エリシアは列から出て、標的の前に立った。


 間近で見る木板には、すでにいくつもの焦げ跡や削れた跡がある。魔法を受け止めた板は頑丈そうだったが、これほどの傷がつくのなら、威力のある魔法が当たれば大きく揺れるだろう。


 教師が彼女に尋ねた。


「あなたは聖属性と判定されている。治癒魔法を使えると聞いているが、攻撃魔法はどうだ?」


「使えません。治癒魔法なら使えますが、傷を負った方がいないと……」


 エリシアは言葉を止めた。


 傷を負っていない相手に、治癒魔法を使うわけにはいかない。治す対象がいなければ、自分の魔法を実演することはできなかった。


 教師は少し考えた後、頷いた。


「分かった。無理に使わせることはできない。今日は見学に回りなさい」


「申し訳ありません」


「謝る必要はない。使える魔法の種類は人によって違う。今後の授業で、自分にできることを探していけばいい」


 教師の言葉は穏やかだった。


 エリシアは一礼し、標的の前から下がった。列の端へ戻る途中、近くにいた生徒の声が耳に入る。


「攻撃魔法は使えないのですか?」


「はい。今のところは、治癒魔法だけです」


 エリシアが答えると、別の生徒が小さく首を傾げた。


「治癒魔法は、怪我をした方がいないと使えませんものね」


「そうですね」


 エリシアが返事をすると、会話はそこで途切れた。生徒たちは再び標的へ視線を戻し、次の魔法の話を始める。


 拒まれたわけではない。けれど、話の輪に入れたわけでもなかった。


 エリシアは何も言わず、実演が続くのを見守った。


     






 何人かの生徒が実演を終えた後、教師が列を見渡した。


「次はクラリス。前へ」


 名前が呼ばれると、生徒たちの間に期待のざわめきが広がった。


 クラリスは列から進み出た。金色の髪は左右に整えられた巻き髪で、陽の光を受けるたびに輝いて見える。真紅の瞳は標的を見据え、背筋はまっすぐ伸びていた。


 歩き方にも、立ち止まる動作にも迷いがない。


 彼女が標的の前へ立つと、生徒たちの視線が一斉に集まった。


「火と水の両方を使うのか?」


 教師が確認する。


「はい。二つを同時に放ってみますわ」


 クラリスは標的へ向き直った。


 右手の周囲に赤い光が集まり、左手には青い光が渦を巻く。二つの魔力はそれぞれ形を変え、やがて一本ずつの矢になった。


 片方は燃えるような赤い矢。もう片方は、先端が鋭く尖った水の矢だった。


 異なる属性の魔法が、クラリスの両手にひとつずつ浮かんでいる。


 エリシアは、思わず息をのんだ。


 クラリスは両手をわずかに引き、狙いを定める。標的の中央に意識を向けると、二本の矢がほとんど同時に放たれた。


 赤と青の軌跡が並んで走る。


 二本は標的の中央へ吸い込まれるように命中した。


 轟音が実習場に響き渡った。


 標的を固定していた台が大きく揺れ、木製の板が後方へ吹き飛ばされる。結界にぶつかった板は勢いを失い、地面へ落ちた。


 中央には、火の矢が焦がした跡と、水の矢が削り取った跡が並んで残っている。二つの魔法を同時に放ったにもかかわらず、どちらも狙いを外していなかった。


 一瞬の沈黙の後、実習場に歓声が広がった。


「見事な威力ですわ!」


「火と水を同時に扱うなんて……」


「さすがクラリス様です!」


 クラリスは教師に一礼した。表情を崩さぬまま列へ戻っていく。集まった視線にも、称賛の声にも慣れているように見えた。


 エリシアは、その姿を目で追った。


 火と水、二つの属性を同時に操る。標的を吹き飛ばすほどの魔法を放っても、クラリスには余裕があるように見える。


 エリシアの目に、クラリスの真紅の瞳が映った。


 視線が合ったのかどうかは分からない。エリシアは思わず目を逸らした。


 以前、クラリスに言われた言葉が胸によみがえる。


『立場を弁えなさい』


 扇子で口元を隠し、目を細めて告げられた言葉。あの時のクラリスの表情が、今も心に残っていた。


 エリシアは、あの言葉を自分への軽蔑だと受け取っている。平民がAクラスにいるからといって、貴族と同じ立場になったわけではない。そう言われたのだと思っていた。


 目の前で歓声を浴びるクラリスは、エリシアにとって遠い存在だった。


 胸の奥が、きゅっと痛む。


     




 クラリスの実演が終わると、教師は列の最後にいるアレクへ目を向けた。


「最後はアレク殿下にお願いしよう」


 その言葉に、実習場の空気が変わった。


 それまでの歓声とは違う、期待に満ちたざわめきが広がる。


「建国神話に伝わる光の魔法を見せてくださるのかしら」


「王家に受け継がれる魔法を、実際に見られるのですのね」


「アレク殿下なら、きっと見事な魔法をお使いになるはずですわ」


 王家の祖先は、建国神話に登場する光の魔法使いだと教えられている。第一王子であるアレクは、その血を受け継ぐ者として語られていた。


 生徒たちは、彼がどのような光魔法を見せるのかと期待している。


 アレクは列を離れ、標的の前へ進んだ。


 金色の髪は陽光を受けて輝き、澄んだ青い瞳が標的を見据えている。整った顔立ちは、立っているだけで人の目を引いた。制服にも乱れはなく、王子としての気品が自然と漂っている。


 アレクは教師に一礼し、標的へ向き直った。


「準備ができましたら、どうぞ」


 教師の言葉に、アレクは静かに頷いた。


 右手を上げ、人差し指を標的へ向ける。


 詠唱はなかった。


 指先が白く輝き、細い光が一直線に放たれた。


 あまりに速く、エリシアには光の筋が走ったようにしか見えなかった。光は標的の中央に命中する。


 鈍い音が響いた。


 標的は吹き飛ばなかった。


 代わりに、光が当たった部分だけが赤く染まっていく。木の表面から、じゅう、と小さな音がした。赤みは広がることなく、命中した箇所に留まっている。


 やがて光が消えた。


 標的の中央には小さな穴が開いていた。その縁は黒く焦げ、光が当たった部分だけが焼け溶けたように深く削れている。


 生徒たちは息をのんだ。


 その後すぐ、歓声が一斉に上がる。


「これが光の魔法……!」


「一瞬で標的を貫いたぞ!」


「詠唱もなしに、あれほど正確な魔法を放つなんて!」


 教師も標的の状態を確かめ、感嘆したように頷いた。


「見事な制御だ。標的の一点だけを正確に射抜いている」


 アレクは手を下ろし、教師へ一礼する。


「ありがとうございます」


 生徒たちの歓声は、なかなか収まらなかった。


 アレクが列へ戻ると、周囲にはすぐに人が集まった。魔法の威力や詠唱の有無について、次々に質問が飛ぶ。


「殿下、今の魔法は詠唱を省略されたのですか?」


「ええ。何度か練習すれば、あのくらいはできる」


「すばらしいですわ。まるで神話の光の魔法使いのようでした」


 アレクは王子らしい落ち着いた笑みを浮かべ、一人ひとりに応じていた。


 クラリスの周りにも、生徒たちが集まっている。火と水の矢を同時に放った魔法は、皆の印象に強く残ったようだった。


 エリシアの周りには、誰もいなかった。


 標的には、クラリスの魔法が残した跡がある。アレクの光が穿った穴も、はっきりと残っていた。


 それぞれが、自分にしかできない魔法を使っている。


 エリシアが使えるのは治癒魔法だ。傷ついた人がいなければ、今日のような実習で見せることもできない。


 けれど、誰かが傷つくのを待つわけにはいかなかった。


「今日の実演はここまでとする」


 教師の声が実習場に響いた。


「使える魔法の種類も、得意なことも、生徒によって異なる。今日の結果だけで自分の限界を決めず、鍛錬を続けなさい」


 生徒たちは一礼し、それぞれ実習場を後にした。


 帰り道でも、アレクとクラリスの周りには人だかりができていた。生徒たちは二人の魔法について話しながら、連れ立って歩いていく。


 エリシアは少し遅れて、その後ろを歩いた。


 誰かに声を掛けようとして、やめる。話に加わるきっかけが見つからなかった。


 攻撃魔法が使えないことを、どうにかしなければならない。冒険者として依頼を受けるなら、治癒だけで仲間の後ろについているわけにはいかないだろう。


 自分にできることは、治癒魔法だけなのか。


 エリシアは歩きながら、自分の手を見つめた。


 成人の儀で負傷者を癒やした手。傷ついた人の痛みを取り除けた手。


 その力を、ほかの場面でも役立てる方法はあるのだろうか。


 答えは、まだ見つからない。


 それでも、探してみようと思った。

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