第382話 魔法の起源
洗濯場を出て教室へ戻るまで、クラリスの言葉がエリシアの頭から離れなかった。
『立場を弁えなさい』
エリシアは、自分が何と答えたのかを思い返す。たしか『申し訳ありません』と謝った。
けれど、何を謝ればよかったのだろう。自分で洗濯をしたいと言ったことか。寮の決まりを乱したことか。それとも、平民の自分がAクラスにいることか。
考えても、答えは出なかった。
教室へ戻ったエリシアは、席に着いて教科書を机に置いた。Aクラスの生徒たちは皆、家紋の刺繍が入った制服を着ている。その中で、胸元に何の印もない制服はエリシアのものだけだった。
ほどなく担任の教師が教室へ入ってきた。
「次は魔法一般の授業です。教科書の十二頁を開きなさい」
エリシアは言われた頁を開いた。
今日の授業は、魔法の起源と属性についてだった。
「この国では、魔法を使う者は龍神の血を分け与えられた一族の子孫だと伝えられています。龍神の血が人々に魔力をもたらし、その力を受け継いだ者が魔法を使えるようになった、という説です」
教師は黒板に竜の姿を描き始めた。大きな翼に、長い尾。王家の紋章にも描かれている竜だった。
「貴族家の紋章には、武具や植物、山や川といった風景が多く用いられます。王家以外で生き物を紋章にしている家は、例外として一つだけありますが……」
教師はそこで言葉を切り、黒板に描いた竜を指し示した。
「王家の紋章に竜が用いられているのは、龍神の血を最も色濃く受け継いでいるとされるためです」
教師はそのまま、魔法の属性について説明を続けた。
「魔法の属性は、大きく六つに分けられます。火、水、土、風、光、闇です」
黒板に六つの属性が並ぶ。
「火・水・土・風の四属性は比較的多く見られます。一方、光と闇は極めて稀です。どの属性を持つか、どれだけの魔力量があるかは、成人の儀で測定されます」
成人の儀で魔力玉が白く輝いた時のことが、エリシアの脳裏によみがえった。
周りの魔石は光らず、神父は属性がないかもしれないと言っていた。けれど、その後に火傷を負った人たちを治したことで、エリシアは聖属性だと告げられた。
「聖属性は、六つの属性とは別のものとして扱われています。セレスティア教では、信仰によって後天的にその才能が開花すると考えられています。聖属性を持つ者は、回復や守護に関わる魔法を使うことが多いとされています」
教室の何人かがエリシアを見た。
エリシアは気づかないふりをして、黒板を見つめた。
信仰によって開花する聖属性という説明に、エリシアは疑問を抱いた。自分も母もセレスティア教の信者ではない。それなのに、なぜ回復魔法を使えるのだろう。
疑問を胸に残したまま、エリシアはノートを取り、授業を続けた。
「属性を持つ者が、どのように魔法を発動するかも学ぶ必要があります」
教師は説明を続けた。
「現在は魔法陣や詠唱を用いる方法が一般的です。詠唱を短くする者もいれば、詠唱を省いて魔法を発動する者もいます。ただし、無詠唱は魔力の制御が難しく、誰にでもできるものではありません」
教師が教室を見渡した。
「このクラスにも、すでに詠唱の短縮や無詠唱を使える者が何人かいます。ですが、できるからといって、基礎を学ぶ必要がなくなるわけではありません」
Aクラスには、詠唱を短くしたり、唱えずに魔法を使ったりできる生徒が何人もいるらしい。貴族の子たちは、魔法の訓練を長く積んできたのだろう。
「昔は、歌や舞によって魔法を発動する方法もありました。土地や時代によって、魔法の扱い方は異なります。詠唱や魔法陣だけが魔法のすべてではありません」
歌や舞で魔法を使う。そんな方法があるとは、エリシアは知らなかった。
授業はその後、属性ごとの特徴や魔力の流れ方について続いた。エリシアはノートを取りながら、習ったことを一つずつ書き留めた。
授業が終わり、昼休みになった。
エリシアは昼食を持って、部室棟へ向かった。カインがそこにいるかは分からなかったが、前に会った時、研究に夢中で食事を忘れていたことが気になっていた。
部室の扉を開けると、カインが机に向かって魔法具を調べていた。
「カイン様、昼食をお持ちしました。よろしければ、ご一緒にいかがですか?」
カインは手元から顔を上げた。
「ありがとう。でも、同級生なんだから敬語も『様』もいらないよ」
「ですが、カイン様は王子様ですし……」
「ここでは同じ学年の生徒だよ。呼び捨てでも構わない」
エリシアは少し迷ってから、包みを差し出した。
「……それじゃあ、カイン。一緒に食べよう」
「うん。ありがとう」
カインは机の上の部品や書類を端へ寄せ、エリシアの持ってきた包みを受け取った。
「今日の授業はどうだった?」
エリシアは椅子に腰掛け、自分の昼食を開きながら答えた。
「魔法一般の授業だったよ。魔法の起源や属性について習ったの。王国では、龍神の血を受け継いだ人が魔法を使えるようになったって考えられているんだって」
「へえ」
「それから、火、水、土、風、光、闇の六属性があって、聖属性はそれとは別に扱われているって。セレスティア教では、信仰によって聖属性の才能が開花するって考えているみたい」
カインは包みを開く手を止めた。
「エリシアは、セレスティア教徒なの?」
「ううん。母も私も、信者というわけではないよ」
そう答えてから、エリシアの声は少し小さくなった。
「だから、どうして私が回復魔法を使えるのか、不思議に思ったの」
カインは昼食を一口食べ、それからエリシアを見た。
「治癒魔法は、誰に教えてもらったの?」
「お母さんだよ。小さい頃から、魔力を感じる練習をしていたの。それから、傷がどう治ってほしいかを思い浮かべて、そうなるように願うんだって」
「詠唱は?」
「しないよ。祈るみたいに願うだけ」
カインは興味深そうに目を細めた。
「それは、王国や帝国で言う無詠唱とは少し違うのかもしれないね」
「違うの?」
「こっちで無詠唱と呼ばれているものも、魔力の流れを制御して、決まった形の魔法を発動させる技術だよ。完全に何の補助もなく魔法を発動するのは難しい。魔導国家でも、完全な無詠唱ができる人は聞いたことがないな」
「私のは、無詠唱じゃないのかな……」
「見てみないと分からないよ」
カインはそう言って、机の端に置いてあった小さなナイフを手に取った。
「何をするの?」
「傷がないと、治癒魔法を見られないでしょ?」
そう言うなり、カインはためらいなく自分の指を切った。
「カイン、何してるの!」
エリシアは思わず立ち上がった。
指から血が流れ、手のひらへ伝っている。傷は浅くない。カインは痛みを感じていないかのように、その手を差し出した。
「治癒魔法を見たいんだ。使うんだよね?」
「そんなことをしなくても、ほかに方法があるよ!」
「どんな方法?」
「それは……」
エリシアはすぐには答えられなかった。傷がなければ治癒魔法を見せられない。それは確かだ。けれど、だからといって、こんなに深く切る必要はない。
「カインが怪我をしなくても、治癒魔法の本を探せばいいのに」
「本に書かれた説明と、実際の魔力の動きは違うよ」
カインは平然としていた。
「それに、このくらいなら大丈夫でしょ?」
「大丈夫かどうかは、私が決めることじゃないよ!」
エリシアはカインの手を取った。血が指の間から伝い、赤い筋となって落ちていく。
エリシアは傷を治すため、母から教わったとおりに魔力を感じ取った。傷口が閉じ、血が止まり、痕も残らない様子を思い描く。そうなるように、心の中で強く願った。
手のひらに温かな光が灯る。
光は傷口を包み込み、流れていた血を止めた。開いていた傷が少しずつ塞がり、切れた皮膚が元の形へ戻っていく。
やがて光が消えた。
カインは治った指を、何度も角度を変えて眺めた。
「本当に、傷跡が残っていない」
「痛くない?」
「もう痛くないよ」
「最初から痛くなかったみたいに言わないで」
エリシアはまだカインの手を握っていた。傷が完全に塞がったことを確かめてから、ようやく手を離す。
「教国の回復魔法とは、魔力の流れが違うね」
カインは興奮を隠せない様子で、治った指を見つめている。
「以前、友達にダンジョンで回復してもらったことがあるんだ。その時とも違う。これは、どんな術式を使ったの?」
「術式なんてないよ。治ってほしいって願っただけ」
「それで、ここまで治るのか」
「カインは、傷跡が残ると思っていたの?」
「この深さなら、残ると思っていたよ」
「どうして、そんな怪我をしても平気そうなの?」
カインは少しだけ首を傾けた。
「治ったから、もう問題ないよ」
「治せなかったらどうするつもりだったの!」
エリシアは思わず声を大きくした。
カインは答えず、ただ指を眺めていた。自分の血が流れたことも、傷を負ったことも、彼にとっては大したことではないようだった。
「次からは、勝手に自分を傷つけないで」
「分かったよ」
「本当に?」
「本当だよ」
そう言いながらも、カインの目はもう別のことを考えているようだった。
エリシアは小さく息を吐き、昼食の包みを彼の前へ押した。
「ちゃんと食べてね。傷を治すのにも、魔力を使ったんだから」
「うん。ありがとう」
カインは今度こそ食事に手を伸ばした。
「そういえばカインは、授業を受けない時間は何をしているの?」
「魔法の本を読んでいることが多いよ。今日は部室にいたけど、魔法図書室にいることもある。魔法に関する本がたくさんあるから、読めるものから順番に見ているんだ」
「魔法図書室にそんなに本があるの?」
「かなりあるよ。古い魔法陣の記録も、属性ごとの研究書もね」
エリシアはノートを思い出した。
聖属性について書かれた本があるかもしれない。母から教わった魔法のことも、調べれば何か分かるかもしれない。
「私も、放課後に魔法図書室へ行ってみようかな」
「本を探すなら、分類を教えるよ」
「ありがとう。自分の魔法について、少し調べてみたいの」
カインは頷き、再び食事を口に運んだ。
朝の洗濯場で言われた言葉は、まだエリシアの胸の奥に残っていた。それでも、授業で聞いた魔法の話や、カインの指に触れた時の温かな光も気になって仕方がなかった。
自分の力が何なのか、エリシアは知りたいと思った。
それが分かれば、どうして回復魔法を使えるのかも、少しは分かるかもしれない。
放課後、エリシアは魔法図書室へ行くことに決めた。




