第379話 生徒会室への呼び出し
昼休みを告げる鐘が鳴った。
午前中の部活動紹介が終わり、生徒たちは講堂や教室から一斉に動き出す。昼食を取るため食堂へ向かう者、友人と約束した場所へ急ぐ者。廊下には、午後の授業までの短い休みを楽しもうとする声が満ちていた。
クラリス・ローゼンベルクは、教室の窓際で手帳を閉じた。
部活動紹介の間、彼女は幾つかの部を見て回ったものの、入部先を決める気にはなれなかった。剣術部の演武も、魔導部の実演も見事だった。裁縫部や茶道部、華道部、ダンス部にも、それぞれの魅力がある。だが、今のクラリスには、部活動を楽しむ余裕よりも、学園でどう振る舞うべきかを考える方が先だった。
明日からは授業が本格的に始まる。公爵家の娘として、王太子の婚約者として、そして中立穏健派の家を背負う者として、軽率な言動は許されない。
教室には、部活動紹介を終えた生徒たちが少しずつ戻ってきていた。アデリーナとリゼットも自分たちの席の近くで話していたが、クラリスが手帳を閉じると、会話を切り上げて彼女のそばへ歩み寄った。
二人は同じAクラスの令嬢で、王権派に属している。今朝、クラリスへ挨拶に来た時と変わらず、親しげな笑みを浮かべていた。
「クラリス様、少々よろしいでしょうか?」
アデリーナが、いつもの柔らかな声で呼びかける。
「何かしら?」
「生徒会長のロザリア・ヴァルデン様が、クラリス様をお呼びですの」
リゼットが、丁寧に言葉を添えた。
「生徒会室へお越しいただきたいとの言伝を預かっておりますわ」
「生徒会長から?」
「はい。大切なお話なので、お一人で来てほしいとのことでしたわ」
二人の笑顔に不自然なところはない。けれど、昼食の時間に一人で来るよう指定されたことが、クラリスの胸に小さな引っ掛かりを残した。
「ご用件は聞いているのかしら?」
「申し訳ありません。そこまでは伺っておりませんの」
アデリーナは軽く頭を下げた。
「ただ、ぜひクラリス様に直接お話ししたいとのことでしたわ」
断る理由はない。生徒会長からの呼び出しを無視すれば、かえって目立つことになる。
「分かりましたわ。案内は結構です。わたくし一人で参ります」
「承知いたしました」
二人はそろって一礼した。
クラリスは教室を出て、生徒会室へ向かった。
廊下を進む間も、先ほどの言葉が頭から離れなかった。大切な話。一人で来てほしい。生徒会長が自分に何の用だろう。
王太子の婚約者であることを考えれば、学園行事や生徒会の活動について相談したいのかもしれない。けれど、入学したばかりの一年生を、昼休みに呼びつける理由としては不自然にも思えた。
生徒会室の扉の前で、クラリスは一度だけ息を整える。
扉を叩くと、内側から落ち着いた声が返ってきた。
「どうぞ」
「失礼いたしますわ」
扉を開けた先には、二人の上級生がいた。
窓際に立っていたのは、生徒会長のロザリア・ヴァルデン。侯爵家の令嬢で、背が高く、黒髪を後ろで整えて結んでいる。淡い金色の瞳には迷いがなく、背筋の伸びた姿には上級生らしい堂々とした雰囲気があった。
机のそばに座っていた副会長のミレイユ・ランベルクは、赤みのある栗色の髪を肩の下まで伸ばし、深い緑色の瞳をしている。華やかな顔立ちに親しげな笑みを浮かべていたが、その視線はクラリスの表情を静かに観察していた。
「お越しいただきありがとうございます、クラリス様」
ロザリアは、必要なことだけを告げるような落ち着いた声で迎えた。
「お呼びと伺いましたので参りましたわ。ご用件をお聞かせいただけますか?」
「ええ。お掛けください」
ミレイユが椅子を示した。
クラリスは勧められた席へ腰を下ろす。ロザリアは向かいの椅子に座り、ミレイユも隣へ腰掛けた。机の上には生徒会の書類が積まれている。壁には年間行事の予定表が掛けられ、窓からは中庭を行き交う生徒たちの姿が見えた。
「単刀直入に申し上げます。生徒会の書記の席が空いています」
ロザリアは手元の書類を閉じた。
「クラリス様に、その役をお願いしたいのです」
「わたくしに、書記を?」
「はい。ローゼンベルク公爵家の令嬢であり、王太子殿下の婚約者でもあるクラリス様に加わっていただければ、生徒会にとっても心強いです」
理由としては整っている。生徒会の役員なら、授業や行事に関わる機会も多い。王太子の婚約者として学園運営を知ることは、将来のためにもなる。
けれど、ロザリアの言葉には、クラリス個人の能力や希望についての問いが一つもなかった。
「ありがたいお話ですわ。ただ、わたくしは入学したばかりです。まずは学園生活に慣れ、それからお返事を差し上げてもよろしいでしょうか?」
「もちろん、すぐに返事を求めているわけではありません」
ロザリアは穏やかに答えた。
「ですが、書記の席は早く埋めたいと思っております。できれば前向きにお考えください」
ミレイユが微笑み、言葉を継ぐ。
「アデリーナさんとリゼットさんも、クラリス様と同じクラスになったと喜んでいました。あの子たちは、昔から私たちと親しくしているんです」
「そうなのですね」
「二人の考え方は、私たちと"よく似て"います」
ミレイユの声音は柔らかい。けれど、言葉は慎重に選ばれているようだった。
ロザリアが、クラリスの目を真っ直ぐに見た。
「もしクラリス様のお考えが、あの二人の総意と違っていたら、大変ですね」
クラリスは表情を変えなかった。
書記の勧誘に添える言葉としては、あまりにも唐突だ。彼女たちは昔から生徒会と親しく、考え方も同じ。だから、クラリスも彼女たちと同じ立場を取るべきだ。そう言われているように聞こえた。
けれど、アデリーナとリゼットは王権派だ。クラリスは、中立穏健派のローゼンベルク公爵家の娘。二人の考えを、自分の総意として扱うことはできない。
「わたくしは、まだ学園での皆様の考えをよく存じません。まずはお話を伺い、学んでまいりたいと思いますわ」
「賢明なお答えです」
ロザリアは微笑んだ。
「クラリス様なら、立場を理解したうえで判断なさるでしょう」
褒め言葉の形をした釘だった。
クラリスは、父の言葉を思い出す。
魔導国家で盗賊団が討伐され、その者たちの所持品から王国貴族との繋がりが見つかった。魔導国家から詰問状が届き、関わりを疑われた家々は処刑された。
処刑された者たちは、ほとんどがローゼンベルク家と同じ中立穏健派に属していた。クラリスと同じ年頃の子供がいた家もある。顔なじみだった令嬢や、何度か茶会で話した少年の家も含まれていた。
奴隷を扱うような家ではなかった。父は、彼らが嵌められた可能性を考えていた。だが、どこの派閥が仕掛けた罠なのか、その目的が何なのか、まだ何も分かっていない。
その事件を知る者が、いま王太子の婚約者であるクラリスを王権派へ近づけようとしている。
「お話は承りましたわ。書記の件は、少し考えさせてくださいませ」
「ええ。お返事をお待ちしております」
ロザリアは席を立ち、クラリスへ会釈した。ミレイユも同じように微笑む。
クラリスは二人に礼を返し、生徒会室を出た。
廊下へ戻ると、昼休みは半ばを過ぎていた。食堂へ向かう生徒たちの姿も少なくなっている。
教室へ戻る気にはなれなかった。アデリーナとリゼットは、きっとまだそこで昼食を取っている。二人の言葉を聞いたばかりだからこそ、顔を合わせれば何かを尋ねたくなってしまう。
クラリスは一人でAクラス専用食堂へ向かった。
扉を開けると、落ち着いた内装の食堂が広がっていた。白いテーブルクロスが掛けられた卓が並び、給仕たちが静かに料理を運んでいる。値段は一般食堂より高いが、ローゼンベルク公爵家の娘として困ることはない。
空いている席へ向かおうとした時、窓際に座っているアレクの姿が目に入った。
「クラリス」
アレクは、こちらに気づくと席から立ち上がった。金色の髪は光を受けて輝き、澄んだ碧眼は落ち着いた光を宿している。整った顔立ちに王族らしい品格を備え、食堂にいた生徒たちも彼へ視線を向けていた。
「殿下、お一人ですの?」
「ああ。よければ一緒に食べないか」
「ご一緒してもよろしいのですか?」
「もちろんだ」
クラリスはアレクの向かいに座った。
食事が運ばれてくるまで、二人は授業のことや部活動紹介の話をした。クラリスが入部先を決めていないと話すと、アレクは「急いで決める必要はない」と答えた。穏やかで、非の打ちどころのない王太子の受け答えだった。
料理が並び、二人が食べ始めた頃、アレクの表情が少しだけ引き締まった。
「クラリス。先ほど、君のクラスであったことを話しておきたい」
「何かございましたの?」
「アデリーナ嬢とリゼット嬢が、特待生のエリシア嬢を困らせていた」
クラリスの手が止まった。
「エリシアさんを?」
「昼食を教室で食べようとした彼女に、食べ物の匂いが残るから出ていくように言っていた。一般食堂へ行くのも、Aクラスの品格に関わるから相応しくない、と」
アレクは、部活紹介の後に教室へ戻る途中、その会話を目撃したのだという。エリシアが昼食を抱えたまま困った顔をしていたことも、二人が彼女に選択肢を残さない言い方をしていたことも、見ていた。
「学園長も、入学式で話していただろう。ここでは貴族も平民も、互いに学びながら成長していく。身分を理由に、特待生を追い出すような真似をしていいはずがない」
「……そうですわね」
クラリスは、視線を皿へ落とした。
アレクの言葉は正しい。エリシアは特待生としてAクラスに在籍している。学園にいる間は、同じ生徒として扱われるべきだ。
だが、アデリーナとリゼットはクラリスの寄子ではない。二人を強く叱責すれば、王権派の生徒へ中立穏健派の公爵令嬢が圧力をかけた、と受け取られるかもしれない。生徒会室で告げられた言葉が、頭の片隅に残っている。
「君の周りにいる二人の令嬢には、きちんと目を配っておいてほしい」
アレクの声は、先ほどより慎重になっていた。
「彼女たちは、わたくしの寄子ではありませんわ」
「分かっている。だが、いつも君と一緒にいる二人だ。周囲からは、君が彼女たちをまとめているように見える」
クラリスは、アレクの顔を見た。
「二人の手綱を握っておけ、ということですの?」
「彼女たちが問題を起こす前に、できるだけ気を配ってほしいということだ」
言葉の選び方は穏やかでも、頼みの重さは変わらない。
アレクはテーブルの上で指を組んだ。
「特に、魔導国家から来たカイン殿下のことがある」
「カイン殿下……同じクラスに留学してきた王子のことですわね」
「ああ。留学の目的について、何か噂を聞いたことはあるか?」
「魔法具の研究にいらした、というお話は耳にしましたわ。ただ、確かなことかは分かりませんの」
「私も、詳しい事情までは知らない。だが、他国の王子がこの学園にいる以上、軽い騒ぎで済まないこともある」
アレクは声を落とした。
「カイン殿下に何かあれば、関わった者の家が取り潰しや処刑で済むとは限らない。魔導国家との戦争にまで発展する可能性がある」
クラリスは、先ほど思い出した処刑の報せを再び脳裏に浮かべた。
魔導国家で討伐された盗賊たちの所持品から、王国貴族との繋がりが見つかった。詰問状が届いた後、疑われた家々は処刑された。どの家も、中立穏健派に属していた。父の知る限り、奴隷を扱うような家ではなく、誰かに嵌められた可能性が高い。
あの処刑が、ただの国内の派閥争いで終わるとは限らない。魔導国家が王国の責任を追及すれば、国同士の衝突に火がつく。
「処刑された家には、わたくしの知った顔も多くありましたわ」
クラリスは、慎重に言葉を選んだ。
「お父様も、どこかの派閥が仕掛けた罠ではないかと調べております。ですが、相手も目的も、まだ分からないままです」
「知っている。だからこそ、今は余計な火種を増やしたくない」
アレクの碧眼が、クラリスを見つめた。
「アデリーナ嬢とリゼット嬢には、特待生への接し方も含めて注意してほしい。君が二人と親しくしているように見られている以上、二人の行動が君やローゼンベルク家に結びつけられる可能性もある」
それは、クラリスを案じる忠告にも聞こえた。けれど、彼女に二人の行動を抑えるよう求める言葉でもあった。
自分の派閥ですらない相手を窘めれば、王権派の令嬢を押さえつけたと非難されるかもしれない。何もしなければ、平民の特待生を見捨てたと見られる。どちらを選んでも、誰かがクラリスの行動を政治的な意味に結びつけるだろう。
「できる範囲で、気を配りますわ」
クラリスは、慎重に答えた。
アレクは、納得したように小さく頷く。
「頼む」
二人は食事を続けた。周囲の生徒たちには、王太子と婚約者が穏やかに昼食を共にしているように見えただろう。
だが、クラリスの胸には、食事の味も、温かな紅茶の香りも、ほとんど残らなかった。
生徒会長からは、アデリーナとリゼットの考えを尊重するように示された。アレクからは、二人の行動を抑えるよう求められた。どちらの言葉にも、クラリスの立場を簡単には動かせない理由が含まれている。
それでも、エリシアが困っていたことは事実だった。
クラリスはカップを置き、窓の外へ目を向けた。
(わたくしに、何ができるのでしょう……)
アレクの言葉は正しい。けれど、アデリーナとリゼットは自分の寄子ではなく、背後には王権派の上級生たちがいる。生徒会長の言葉も、簡単には聞き流せない。
次に二人がエリシアへ何かを言った時、自分はどう振る舞えばいいのだろう。
クラリスには、まだ答えが見つからなかった。




