第378話 空き部室の昼食
朝、エリシアは寮の部屋にある小さな厨房で、昼食の支度をしていた。
まだ窓の外が薄青い時間。寮の廊下からは、起き出した生徒たちの足音がときおり聞こえる。エリシアは音を立てないよう気をつけながら、厨房の棚から小さな鍋とまな板を取り出した。
まな板の上には、昨日買っておいた野菜と、パン屋で母が焼いた丸パンが並んでいる。薄く切った肉を炒め、塩と香草で味を整える。そこへ刻んだ野菜を添えれば、簡単なサンドイッチができあがった。
パンを切る手つきは、母の店を手伝っていた頃から身についたものだ。焼き色を見て、香りを確かめ、食べやすい大きさに整える。店で売るパンとは違っても、誰かが食べる姿を思い浮かべながら作るのは楽しかった。
「これなら、お昼まで崩れないかな」
エリシアはできたサンドイッチを布で包み、鞄にしまった。
寮のAクラスの部屋には厨房がある。しかも、食材を冷やしておける魔冷蔵まで備え付けられていた。便利ではあるけれど、エリシアにはどうしても高価な設備に思える。こんなものが各部屋にあるなんて、貴族の暮らしは自分が想像していた以上だった。
寮にはAクラス専用の食堂もある。けれど、レストランのように料理を注文する場所だと聞いていた。毎日使うには、エリシアのお金では心許ない。
(お母さんが持たせてくれたお金は、できるだけ大事に使わなくちゃ)
そう思って、昼食は自分で用意することにした。
身支度を整え、教科書を鞄へ入れる。エリシアは部屋を出て、王立ビスタ魔法学園へ向かった。
午前中は、授業ではなく部活動の紹介が予定されていた。
講堂へ入ると、前方にはいくつもの看板が並んでいた。生徒たちがそれぞれの部の名を掲げ、活動の内容を説明する準備をしている。新入生たちは、どこへ行こうかと期待に満ちた表情で周囲を見回していた。
「まずは剣術部から紹介します!」
舞台に上がった上級生が声を張る。部員たちは木剣を構え、基本の型を披露した。踏み込みの鋭さと、剣先が空を切る音に、講堂のあちこちから感嘆の声が上がる。
続いて魔導部が、火や水、風の魔法を使った実演を行った。小さな炎が空中に浮かび、水の輪がその周りを巡る。光を反射する水滴が舞台の上で輝き、エリシアは思わず見入った。
裁縫部は刺繍や衣装作りについて説明し、茶道部は茶器を使った作法を見せる。華道部は色とりどりの花を活け、ダンス部は音楽に合わせて優雅なステップを披露した。
どの部も楽しそうだった。
魔法をもっと学びたい気持ちはある。剣術にも興味はあった。けれど、自分に何ができるのか、どこに入ればよいのかはまだ決められない。
(少し見学してから決めてもいいよね)
エリシアは各部の説明を聞きながら、案内の紙を受け取った。
その間、同じクラスのカインの姿は見当たらなかった。
留学生であるカインは、授業への参加を免除されている。もちろん希望すれば授業を受けることもできるが、学園側から特別な扱いを受けていた。部活動の紹介にも、きっと興味がないのだろう。エリシアはそう思い、手元の案内へ目を戻した。
紹介が終わると、講堂は一気に賑やかになった。部員たちが新入生へ声を掛け、見学や仮入部の案内をしている。剣術部の前では木剣を手にした生徒たちが稽古を続け、裁縫部の机には色糸や布見本が広げられた。茶道部は体験用の席を設け、華道部は活けた花の前で説明をしている。
どの部にも、すでに友人同士で集まっている生徒がいた。上級生と親しげに話す子もいる。エリシアは案内を受け取りながら、声を掛けるきっかけを探したが、結局どの部にも申し込めなかった。
焦る必要はない。入学したばかりなのだから、見学してから決めればいい。そう自分に言い聞かせ、エリシアは何枚かの案内を持ったまま講堂を出た。
決められないままでも、お昼は食べなくてはいけない。朝に作ったサンドイッチを鞄から出す場所を探し、教室へ戻った。
Aクラスの生徒たちは、数人ずつに分かれて話していた。エリシアの席の近くにも、アデリーナとリゼットを中心に令嬢たちが集まっている。
エリシアは周囲の邪魔にならないよう、席に腰を下ろした。鞄から布包みを取り出し、そっと開く。
その時、アデリーナがこちらへ顔を向けた。
「エリシアさん、それはお昼ご飯ですの?」
「はい。朝、部屋で作ってきました」
「教室で召し上がるの?」
リゼットも、少し困ったように眉を寄せる。
「食べ物の匂いが教室に残ってしまいますわ。皆さん、午後もここで授業を受けますのよ」
「そうでしたか。すみません……」
エリシアは包みを閉じかけた。
「Aクラス専用の食堂がありますでしょう?」
アデリーナは当然のことのように言った。
「そちらを利用すればよろしいのではなくて?」
「あの、専用食堂で、持ってきた食事をいただいてもよろしいのでしょうか?」
「専用食堂はレストランですの。料理を注文していただく場所ですわ。外から食事を持ち込むことはできませんの」
「そうなのですね……。それなら、一般食堂でいただいてもよろしいでしょうか?」
エリシアが尋ねると、リゼットはわずかに目を見開いた。すぐに、困ったような笑みを浮かべる。
「Aクラスの方が一般食堂へ行けば、他のクラスの方々が萎縮してしまいますわ。それに、Aクラスの品格にも関わりますもの」
「そうですわ。せっかく専用の食堂がありますのだから、そちらをお使いになるべきですわね」
アデリーナが同意する。二人の声は穏やかで、言葉遣いも丁寧だった。それでも、エリシアには選べる場所がなくなっていくように感じられた。
「そうなんですね。教えてくださって、ありがとうございます」
エリシアは包みを鞄へ戻した。
「では、失礼します」
教室に残れば、また匂いを気にさせてしまう。専用食堂へ行っても、注文をしなければ食事はできない。持ってきた昼食を食べる場所が、どこにも見つからなかった。
廊下へ出て、エリシアは校舎の中を歩いた。
中庭には生徒が集まっている。ベンチもほとんど埋まっていた。図書室は飲食禁止。講堂へ戻っても、部活動の案内が続いている。
(どこか、静かに食べられる場所はないかな)
迷いながら歩いているうちに、エリシアは校舎の裏手にある建物へたどり着いた。入口には「部室棟」と書かれた札が掲げられている。
廊下の両側には扉が並び、それぞれの上に部の名前が記されていた。けれど、奥へ進んだところに、何も書かれていない扉が一つあった。
(ここは使われていないのかな……)
扉の前で立ち止まり、耳を澄ませる。中から物音は聞こえない。
エリシアは、そっと取っ手に手を掛けた。開かなければ、別の場所を探せばいい。そう思いながら押してみると、扉は抵抗なく内側へ開いた。
部屋の中には、机と椅子がいくつか置かれているだけだった。壁際には棚があるものの、何も入っていない。部屋の札も掲示もない。
(空き部屋みたい)
昼食を食べる間だけなら、使わせてもらっても大丈夫だろうか。エリシアは少し迷ったあと、誰もいないことを確かめてから中へ入った。
窓際の机に腰掛け、鞄から昼食を取り出す。ようやく食べられると思うと、身体から力が抜けた。
包みを開き、サンドイッチを一口食べる。朝に作ったものだけれど、パンはまだ柔らかく、香草の香りも残っていた。
静かな部屋で食べていると、廊下から足音が近づいてきた。
扉が開く。
「えっ?」
入ってきたのは、両腕いっぱいに魔法具を抱えた少年だった。緑色の髪が揺れ、黄色の瞳が驚いたようにエリシアを見る。
魔法具の箱や、金属の部品、見たことのない道具がいくつも重なっている。今にも崩れそうで、エリシアは慌てて席を立った。
「手伝います!」
「ありがとう。じゃあ、これを少し持ってくれる?」
エリシアが箱を受け取ると、少年は部屋の机へ魔法具を慎重に置いていった。箱を置き終えたエリシアは、彼がまだ抱えている道具を見て、空いている机の上を片づける。
「こっちにも置けます。あといくつありますか?」
「助かるよ。これで最後」
二人で残りの道具を机へ運び、金属部品が転がらないよう並べ直す。ようやく両手が空くと、少年は肩を回して息をついた。
「ごめんね。誰もいないと思ってたんだ」
「私も空き部屋だと思って、勝手に入ってしまいました。すみません」
「ううん。ここ、今日から使っていいって先生に許可をもらったところだから」
少年は額の汗を拭い、部屋を見回した。
「運び込むものが多くてね。紹介会には行けなかったんだ」
「部活動の紹介ですか?」
「そう。新しい部を作ろうと思って、先生のところで手続きをしてたんだ」
彼は、机に並べた魔法具を種類ごとに分け始めた。エリシアも部品が落ちないよう手伝いながら、見慣れない器具を眺める。研究に夢中なのだろう。彼は道具の説明をしながら、次々と配置を変えていった。
ようやく整理が一段落した時、彼のお腹が小さく鳴った。
少年は動きを止める。
「……あ」
エリシアは、机の端に置いていた昼食の包みへ目をやった。運ぶのを手伝っている間に、食べるのをすっかり後回しにしていた。
「よかったら、食べますか?」
「いいの?」
「はい。少し多めに作ってきたので」
「ありがとう!」
少年は嬉しそうに受け取り、机の端に腰掛けた。あっという間に一つを食べ終え、ほっと息をつく。
「おいしいね。作ったの?」
「はい。母がパン屋をしているので、パンを使ったものなら慣れているんです」
「パン屋さんなんだ。いいなあ」
少年はサンドイッチを大切そうに食べた。
「研究を始めると、食べるのを忘れちゃうんだよね」
「いつも忘れてしまうんですか?」
「うん。気がついたら夕方、なんてこともあるよ」
「今まではどうしていたんですか?」
「前は、優しい友達がご飯を持ってきてくれたんだ」
少年は懐かしそうに笑った。遠くにいる友人を思い出しているような、柔らかな表情だった。
食事を終えると、彼は机の上に置かれた魔法具の一つを手に取り、短く説明を始めた。魔石から魔力を取り出し、別の力へ変換する試作品らしい。
エリシアは頷きながら聞いていたが、部室の隅に置かれた魔冷蔵に気づいた。寮の部屋にも備え付けられている設備だ。
「部室にも魔冷蔵があるんですね。こんな高価なものが置いてあるなんて、驚きました」
「僕が作ったからあるんだよ。入学の時に、ある程度学園に寄付したからね」
カインは何でもないことのように言った。エリシアは、寮にあるものと同じ魔冷蔵を見つめる。これを作り、学園へ寄付できるほどの数を用意したということに、改めて驚いた。
エリシアは、机に広がるほかの魔法具へ視線を移した。どれも複雑な造りで、材料を揃えるだけでもお金がかかりそうだ。
「この部は、魔法具を作ったり研究したりするんですか?」
「そうだよ。魔法具研究部を作りたくて、先生に許可をもらってきたんだ。でも、部員が一人だけだと活動として認めにくいって言われてね」
彼は少し困ったように笑った。
「本当は一人で研究するのが好きなんだけど、部として認めてもらうには部員がもう一人必要みたいなんだ」
少年はエリシアの方を向いた。
「よかったら、入部してくれない?」
「私が、ですか?」
「うん。研究に参加しなくてもいいよ。ここを使ってくれるだけでも助かるし……」
彼は、エリシアが空き部屋を探していた理由を察したようだった。
「なら、僕にまたご飯を届けてよ。僕、すぐに食べるのを忘れるから」
「ご飯を届けるだけでいいんですか?」
「それだけで十分。君はここでお昼を食べてくれていいし、部費や道具代を負担する必要もないよ」
エリシアは、机に並んだ魔法具を見た。
「でも、魔法具はどれも高価ですよね。私には用意できません……」
「大丈夫だよ。魔法具は僕が用意するから。これでも僕は王族だからね」
エリシアは目を瞬かせた。
「王子様だったのですか?」
「うん。魔導国家の王子だよ。留学生として、この国の学園に来ているんだ」
少年は、少し困ったように笑った。
エリシアは慌てて立ち上がった。
「王族の方とは知らず、失礼いたしました。カイン殿下」
「謝らなくていいよ。僕は他国の王子だから、この国の身分に縛られる立場じゃないし、君を縛る立場でもない。この国の貴族社会のことに、勝手に口を出すつもりもないから」
「だから、僕の前では今までどおりでいいよ。同じ部の仲間になるんだから」
カインは、机の上にあった魔法具を棚へ置いた。
「それで、入部してくれる?」
エリシアは少し考えた。
部室を使わせてもらえる。昼食を食べる場所にも困らない。カインが研究に集中できるように、食事を届けることなら自分にもできる。道具代も部費も必要ないという。
それに、この少年は自分が平民だからといって、特別な扱いをしようとはしなかった。
「私でよければ、入部させてください」
「本当? ありがとう!」
カインの顔がぱっと明るくなる。
「じゃあ、これで魔法具研究部の部員は二人だね」
「はい。昼食を持ってきますから、研究に夢中になりすぎないでくださいね」
「努力するよ」
カインは笑った。
エリシアもつられて笑みを浮かべる。
朝、部活動の紹介を見ていた時には、まさか自分が新しい部の最初の部員になるとは思っていなかった。まして、昼食を食べる場所を探して迷い込んだ部室で、こんな出会いがあるとも。
窓から差し込む午後の光が、机に並んだ魔法具を照らしていた。
エリシアは、包み紙を片付けながら思う。
明日からは、昼食を一つ多めに用意しよう。
カインが食べ忘れないように。
そして、自分が安心して過ごせるこの部室へ、また来られるように。




