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乙女ゲーの辺境伯に転生したので奴隷落ちする悪役令嬢を金貨2万枚で救おうと思います  作者: 蛙の子はお玉杓子
第10章 癒しの護り手と悪役令嬢

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第377話 昼下がりの茶会

 正午を告げる鐘が、王立ビスタ魔法学園の校舎に響いた。


 教壇に立つ教師が教科書を閉じる。


「本日の授業はここまでです。明日から時間割に沿って授業を行います。各自、教室と持ち物を確認しておくように」


 新入生たちは一斉に返事をした。椅子を引く音や、教科書を鞄にしまう音が教室に広がる。


 クラリスも、机の上に重ねていた本を一冊ずつ整えた。


 入学式の後に行われたホームルームと、エルグランド王国の創立神話の授業。初日は短い説明だけで終わると聞いていたが、慣れない教室で大勢の視線を受けるだけでも、思った以上に気を張るものだった。


 授業の途中には、属性別の教師たちが教室へ案内に来た。火、水、風、土。それぞれの担当教師が授業を行う教室を説明し、二属性を持つクラリスには「どちらかお好きな方に出席してください」と伝えた。


 どちらを選ぶかは、まだ決めていない。まずはそれぞれの授業を見てから判断するつもりだった。


 四人の教師の説明が終わり、最後に現れたのは、白い法衣をまとった青年だった。


 白い髪に赤い瞳。線の細い顔立ちに、穏やかな笑みを浮かべている。


 その姿を見た途端、教室のあちこちからどよめきが起きた。


「あの方が……慈愛の聖人、セリオス枢機卿」


「本当に学園へいらっしゃるのね……」


 クラリスも、その名を知っていた。教国の枢機卿であり、身分を問わず傷ついた人々を癒やすことで、王都でも評判になっている人物だ。


 セリオスは聖属性の授業を担当すると短く告げ、他の教師たちとともに教室を出ていった。授業はそれぞれの教室で行われる。エリシアだけは聖属性のため、別の実習室で個別に指導を受けるのだという。


 教師がその説明をした時、視線がエリシアへ集まった。


 平民でありながら、特例でAクラスに在籍する少女。クラリスも、彼女が成人の儀で負傷者を癒やしたという話を聞いていた。授業中の彼女は緊張した様子でノートを取っていたが、周囲の視線に気づいても、投げ出すことなく教師の話に耳を傾けていた。


(あの方も、今日からここで学ぶのですわね)


 それ以上のことを、クラリスはまだ知らない。判断するのは、もう少し彼女を見てからでいいだろう。


 教室を出ようとしたところで、名前を呼ばれた。


「クラリス様」


 振り返ると、蜂蜜色の髪を巻いた少女と、濃紺の髪を長く伸ばした少女が並んで立っていた。


 アデリーナ・ローデン男爵令嬢。淡い水色の瞳が明るく輝き、柔らかな笑顔を浮かべている。


 その隣には、リゼット子爵令嬢。長い髪を背に流し、青緑色の瞳に知的な光を宿していた。


 二人とも、クラリスと同じAクラスだ。


「お疲れさまでした、クラリス様。昨日のお約束どおり、談話室でお茶にいたしませんか?」


 アデリーナが、親しげな調子で誘った。


「もちろんですわ。場所を手配してくださったのでしょう?」


「はい。女子寮一階の談話室ですの。お部屋へ戻る途中にございますから、ご案内しますわ」


 リゼットが丁寧に答え、廊下の先を示した。


「では、ご一緒させていただきますわ」


 三人は教室を出て、女子寮へ続く道を歩き始めた。


 アデリーナとリゼットと顔を合わせるようになったのは、アレクの十歳の誕生日に婚約が発表されてからだった。


 婚約発表の後、クラリスは王宮の茶会や貴族家の行事へ出る機会が増えた。その席で、王権派の令嬢である二人と何度も同席するようになった。六年の間に挨拶を交わし、近況を話す程度の親交を重ねている。


 親しく話せる相手ではある。けれど、アデリーナとリゼットの家は王権派、ローゼンベルク公爵家は中立派の穏健派だ。交流が続いているからといって、家の立場まで同じになるわけではない。


 談話室は女子寮の一階にあった。窓際には小さな花瓶が置かれ、淡い色のカーテン越しに昼の光が差し込んでいる。テーブルには白いクロスが掛けられ、紅茶と焼き菓子が用意されていた。


「どうぞ、お掛けになってくださいませ」


 リゼットが椅子を引く。


「ありがとうございます。お二人にも、お手数をおかけしましたわね」


「お気になさらないでくださいませ。クラリス様とご一緒できるのですもの」


 アデリーナはそう答え、向かいの席に腰を下ろした。


 侍女が紅茶を注ぐ。クラリスはカップを持ち、香りを確かめてから口をつけた。落ち着いた花の香りが、朝から張り詰めていた気持ちを少し和らげてくれる。


「今日の歴史の授業、創立神話そのものは幼い頃から聞いているお話ですけれど、癒しの守り手と聖属性について、あれほど詳しく習うのは初めてでしたわ」


 アデリーナが、教室での説明を思い返すように言った。


「ええ。エリシアさんの力が確認されたからこそ、先生も詳しく話されたのでしょうね」


 クラリスは、成人の儀で負傷者を癒やしたという少女の噂を思い出した。


「聖属性は、四属性とは別に稀に判明するものだと説明されていましたわね。学園で実際にその力を持つ生徒に会うとは、思いませんでしたの」


 リゼットは紅茶のカップを持ち上げ、ひと口含んだ。


「それに、王家が光の魔法使いの血を受け継いでいるという話が出た時、皆さん一斉にアレク殿下をご覧になりましたわ」


「ええ。殿下は、いつもどおり落ち着いていらっしゃいましたわね」


 アデリーナがカップを置き、教室での光景を思い出すように微笑んだ。


 クラリスは、前方で静かに授業を受けていたアレクの姿を思い出す。金髪に蒼い瞳。誰もが認める美しい容姿と、王族として身につけた落ち着き。彼は教室でも、いつものように隙のない王子だった。


「殿下は、どの場でも堂々となさっていますものね」


 アデリーナは感心したように言った。


「そうですわね」


 クラリスは微笑みを返した。婚約発表から六年、彼女の前でアレクは常に優秀な王子として振る舞ってきた。礼儀正しく、落ち着いていて、何事にもそつがない。今日も、授業の間ずっとその姿を崩さなかった。


「クラリス様は、二属性の授業をどちらにするかお決めになりましたの?」


 リゼットの問いに、クラリスは首を横に振った。


「まだですわ。先生方のお話を聞いただけですもの。実際に授業を受けてから決めようと思いますの」


「どちらを選ばれても、クラリス様ならすぐに習得なさるでしょうね」


「買いかぶりですわ。学園では、皆さんと同じように学ばなければなりませんもの」


 クラリスはそう答えた。


 しばらくは授業や寮での生活について話が続いた。女子寮の設備や、Aクラスの部屋に備えられた小さな厨房のこと。学園の食堂や、Aクラス専用の食事処のこと。二人はすでに聞いている話も多かったが、クラリスは丁寧に相槌を打った。


 やがて話題は、同じクラスにいる新入生たちへ移った。


「エリシアさんのことは、成人の儀の時から王都で噂になっていましたの」


 アデリーナが、声を少し落とした。


「平民でありながら、聖属性の力を示した方ですわね」


「ええ。今日の授業でも、特例でAクラスに入ったと説明されていましたわ」


 リゼットは、紅茶のカップへ目を落とす。


「平民の方がAクラスに入るのは、初めてだと聞きましたの。ご本人も、きっと緊張なさっているでしょうね」


「そうでしょうね」


 クラリスは答えた。


「けれど、成人の儀で多くの方の傷を癒やしたと聞いておりますわ。力を認められてAクラスに入ったのであれば、まずは同じ生徒として接するべきですわね」


 アデリーナの微笑みが、ほんの一瞬だけ止まった。すぐに元の表情へ戻る。


「クラリス様らしいお考えですの」


「実際にどのような方かは、これから知っていけばよろしいでしょう。噂だけで決めつけることはできませんもの」


「おっしゃるとおりですわ」


 リゼットは静かに頷いた。


 それ以上、二人はエリシアについて深く話さなかった。話題は再び授業や学園の行事へ移る。


 その時、アデリーナが思い出したように口を開いた。


「そういえば、昨日のことですけれど……アレク殿下が男子寮を抜け出されたという話をご存じですの?」


 クラリスの手が、カップの上で止まった。


「殿下が、寮を?」


「ええ。入寮された日のことですの。北方から届いた手紙をお読みになった後、すぐに男子寮を出て、王城へ向かわれたそうですわ」


 リゼットが、周囲に人がいないことを確かめるように声を抑える。


「殿下の侍従たちが探していたとも聞きましたの。正門からではなく、寮の塀を越えようとなさったとか」


「塀を越えて……?」


 クラリスは目を瞬かせた。


 アレクがそのような行動を取ったとは、すぐには信じられなかった。彼はいつも、王族としての振る舞いを崩さない。王城へ向かう必要があるのなら、侍従に馬車を用意させ、正式な手順で出発するはずだった。


「その手紙は、どなたから届いたのですか?」


「そこまでは分かりませんの。北方からの書状だった、と聞いただけですわ」


 アデリーナはそう答え、カップの縁を指先でなぞった。


「近々、北方で大規模討伐が行われると王都でも話題ですもの。まだ討伐隊は出発していないそうですが、その準備に関わる急ぎの知らせだったのかもしれませんわね」


「北方から……」


「北方といえば、ノルディア辺境伯家ですわね。お祖父様のヴァルグ様は帝国との戦を終わらせた英雄、お父様のグラニウス様は北の守護者と呼ばれた方。レオン様は、その家を若くして継がれた当主ですの」


 アデリーナは、社交の場で聞いた話を思い返すように続けた。


「十三歳で任命式を受けられた後、領地を急速に発展させたそうですわ。帝国へ赴いて和平条約にも関わられたとか」


「ルーカス殿下と剣で勝たれたという話も聞きましたの。帝国で広い範囲に雪を降らせた魔法を使われた、という噂までございますわ」


 リゼットが付け加える。どこまで本当なのか、二人にも確かなことは分からないらしい。


「黒髪に蒼い瞳の、まだお若い辺境伯……。その名声は、今や王都でも広く知られておりますわね」


 その容姿を聞いた時、クラリスはわずかに目を伏せた。


 最初に思い浮かんだのは、下町のパン屋で出会ったレンだった。店に入ることができずにいた自分へ、何の気負いもなく声を掛け、代わりにパンを買ってきてくれた平民の少年。


 けれど、レンは平民だった。王都で名を知られる若き辺境伯とは、まるで違う立場にいる。


 もう一人、同じ髪と瞳を持つ少年を、クラリスは知っていた。


 アレクの十歳の誕生日を祝う夜会で、ダンスの練習に付き合ってくれた少年。人のいない場所で、泣いていたクラリスに手を差し伸べてくれた。月明かりの下で顔はよく見えなかったが、黒い髪と、澄んだ青い瞳だけは覚えている。


(あの方も、黒髪に青い瞳でしたわ……)


 あの誕生パーティーは王族の夜会で、子供の同席は公爵家と侯爵家の子供に限られていた。クラリスは、その場にいた子供たちを全員知っている。けれど、ダンスを教えてくれた少年の顔は、誰とも重ならなかった。


 あの少年は、侯爵家以上の子供か、すでに若くして爵位を継いだ者だったのだろうか。けれど、侯爵家以上の子供たちは皆、クラリスの知る顔ぶれだった。あの少年の顔だけは、誰とも重ならない。


 レオンが十三歳でノルディアを継ぎ、任命式を受けたという話は、後になってクラリスも耳にしていた。式に立ち会ったわけではない。ただ、彼が家を継いだのは、アレクの誕生パーティーが開かれた翌年だと知っている。


 あの夜会の時、レオンはまだ十二歳。家を継ぐ前の少年だったはずだ。若き辺境伯として聞いた話と、夜会で出会った少年の記憶には、時間のずれがある。だからクラリスは、二人を同じ人物だとは考えなかった。


(似た髪と瞳の方が、いらっしゃっただけですわ。あの少年とレオン様は、きっと別人ですわね)


 そう考えると、胸の奥に浮かんだ淡い期待は静かに沈んでいった。


「クラリス様?」


 リゼットの声に、クラリスは顔を上げた。


「失礼いたしましたわ。黒髪に青い瞳というお話で、昔のことを思い出しておりましたの」


「お知り合いに、似た方がいらっしゃいましたの?」


「一度お会いしただけですわ。確かなことは何もございませんの」


 クラリスは微笑み、先ほどの噂へ話を戻した。


「殿下が塀を越えようとなさるなんて、少し驚きましたわ。何か事情がおありだったのでしょう」


「そうですわね。わたくしたちには分からない、王族としてのお務めがあるのかもしれませんの」


 アデリーナが、紅茶を一口飲んでから続ける。


「クラリス様も、婚約者として殿下を支えて差し上げてくださいませ」


 その言葉は、気遣いのように聞こえた。


 同時に、王太子の婚約者としての責任を思い出させる響きも含まれている。


「ええ。わたくしにできることがあれば、努めますわ」


 クラリスは微笑んだ。


 父は、王権派が自分へ近づく理由を見極めるようにと言った。アデリーナとリゼットが純粋な好意から言葉を掛けているのか、それとも王太子の婚約者を王権派の側へ引き寄せたいのか。今のクラリスには、まだ決められない。


 けれど、二人と交流を続けてきた六年が、すべて偽りだったとも思いたくなかった。


 茶会はその後も穏やかに続いた。授業の話、寮の話、これから学園で行われる行事の話。二人はクラリスへ親しげに語りかけ、クラリスも礼を失しないように応じた。


 やがて紅茶が空になり、談話室の窓から差し込む陽が少し傾き始めた。


「本日はお時間をいただき、ありがとうございました。次はお食事もご一緒できると嬉しいですの」


 アデリーナが席を立った。


「ええ。予定を確認して、改めてお返事いたしますわ」


 クラリスも立ち上がり、二人へ礼をした。


「また学園でお会いしましょう、クラリス様」


「ごきげんよう」


 二人を見送ると、クラリスはしばらく談話室に残った。


 北方から届いた手紙。

 それを読んで、塀を越えてまで王城へ向かったアレク。

 そして、ノルディア辺境伯の名に呼び起こされた、黒髪と青い瞳の少年たち。


 重なりそうで重ならない記憶を胸にしまい、クラリスは静かに女子寮の廊下を歩き出した。


 これから学園で過ごす日々の中で、何を知り、誰を信じることになるのか。まだ彼女には分からない。


 それでも、今日の茶会で交わした笑顔の裏に、家と派閥の思惑があることだけは忘れないようにしよう。


 クラリスは自室へ戻り、明日の授業の準備を始めた。


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