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乙女ゲーの辺境伯に転生したので奴隷落ちする悪役令嬢を金貨2万枚で救おうと思います  作者: 蛙の子はお玉杓子
第9章 天才王子とダンジョン攻略

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間章 成人の儀

評価が100件に突破しました!

本当にありがとうございます。

次から第10章が始まります。

かなり書くのが難しい……。

頑張ります。



 パンの焼ける匂いが、二階の部屋まで上がってきた。


 エリシアは寝台の中で寝返りを打ち、ぼんやりと目を開けた。窓の外からは、荷車の軋む音や人々の話し声が聞こえる。王都の下町は、いつもどおり朝の忙しさに包まれていた。


 普段なら、もう少しだけ毛布にくるまっていたい時間だ。けれど今日は、そういうわけにはいかない。


「起きなさい、エリシア。パンが冷めちゃうわよ」


 階下から母の声がした。


「今起きる!」


 エリシアは勢いよくベッドから起き上がった。寝間着から普段着に着替え、髪を整えて階段を下りる。パン屋の奥にある食卓には、丸いパンとスープが用意されていた。


 母のエミリアは、焼きたてのパンを籠に並べている。エリシアによく似た明るい笑顔はいつもどおりだったが、今朝は少しだけ落ち着かない様子だった。


「おはよう、エリシア。よく眠れた?」


「うん。成人の儀が楽しみで、ちょっと早く目が覚めちゃった」


「そう」


 エミリアは微笑み、エリシアの前にパンを置いた。


「今日の魔力測定で、お母さんに教わった治癒魔法のこともわかるのかな」


「魔力玉は魔力量と属性を測るものよ」


「じゃあ、私が治癒魔法を使えるってバレちゃうね」


 エミリアは少しだけ表情を曇らせた。


「もうこんな時間! 早く行かなくちゃ」


 エリシアは椅子から立ち上がった。エミリアは娘を見送りながら、念を押す。


「知らない人に声を掛けられても、ついていっちゃだめよ」


「うん、わかった。ミナとヨハンと一緒に行くね」


「気をつけて。いってらっしゃい」


「いってきます!」


 エリシアは店の扉を出た。母はパン屋を離れられない。今日は店を開けたまま、いつもどおり仕事を続けるのだ。


 待ち合わせ場所の噴水広場には、ミナとヨハンが先に来ていた。


「エリシア、おはよう!」


「おはよう。二人とも早いね」


「ミナが、遅れたら魔力を測ってもらえないかもって心配するから」


「だって、せっかくの日に遅刻したくないじゃない」


 ミナが頬を膨らませる。ヨハンは肩をすくめて笑った。


「遅刻したくらいで測ってもらえないわけないよ。ほら、行こう」


 三人は噴水広場を出て、協会へ続く通りを歩き始めた。


「魔力があったら、二人はどうする?」


 エリシアが尋ねると、ミナは少し考えた。


「私は……魔法って難しそうだから、まだわからないな。ヨハンは?」


「俺は魔力があったら嬉しいよ。学園に行けるんだろ? 騎士にも宮廷魔術師にもなれるんだ」


「でも授業料が高いんじゃないの?」


「身分によって違うらしいよ。王族が一番高くて、平民は無料だって」


「平民は無料なのに、学園での扱いはあまりよくないって話も聞くけど」


 ミナが声をひそめた。


「貴族の子と平民の子じゃ、立場が違うからね。授業料だけで簡単に仲良くなれるわけでもないんだろう」


 ヨハンの言葉に、エリシアは少し表情を曇らせた。


「まあ、魔力があるかどうかもわからないうちから心配しても仕方ないよ」


 ヨハンが明るく言った。


「そうだね。まずは今日の測定だ」


 協会は王都の中心に近い場所に建っていた。白い石壁の正面には細長い塔があり、その上には金色の鐘が見える。扉をくぐると、ひんやりとした空気と、石造りの建物独特の静けさに包まれた。


 広い聖堂の高い窓には、色鮮やかなステンドグラスがはめ込まれている。青や赤、金色の光が床に落ち、集まった子供たちの服や髪を淡く染めていた。天井近くには女神の絵が描かれ、両手を広げて人々を見守っている。


「きれい……」


 エリシアは思わずつぶやいた。


「ほんとだね。お城の中みたい」


 ミナも上を見上げる。


 今日、協会に集まったのは、王都の下町に暮らす四百二十人の子供たちだ。成人の儀は十五歳の子供だけで受ける。親が儀式の中に入ることはなく、聖堂にいる大人は神父と協会の係員だけだった。


 やがて、祭壇の前に神父が現れた。白い祭服をまとったマティアス神父は、静かに手を上げ、聖堂のざわめきを鎮めた。


「皆さん、静粛に。これより、今年の成人の儀を始めます」


 声が聖堂に響き渡る。子供たちの話し声が止み、何百人もの視線が祭壇へ向いた。


「成人の儀は、十五歳を迎えた皆さんが大人への一歩を踏み出すための儀式です。本日は、魔法を使う力――魔力の有無を確かめます。魔力が認められた者は、王立グランヴェル魔法学園で学ぶことになります」


 マティアス神父の後ろには、五つの台が並んでいた。台の上には、それぞれ一つずつ魔力玉が置かれている。


 魔力玉は、中央にある透明な球と、その周囲を均等に囲む六つの魔石でできていた。火、水、風、土、闇、光。属性を示す魔石は、中央の玉の反応に合わせて光るのだという。


「この王国で用いられる魔力玉は、魔導国家のものとは少し形が異なります。中央の玉で魔力量を測り、周りの六つの魔石で属性を確かめる仕組みです」


「まずは、魔力を持つ者を確かめます」


 マティアス神父が、子供たちをゆっくり見渡した。


「私には魔力を探る力があります。ただし、私自身より魔力の少ない者しか、正確には感じ取れません。今、ここにいる子供たちの中で、魔力を持つ者は四人います」


 ざわめきが起こった。神父の言葉を聞き、子供たちは周りの顔を見回す。自分が呼ばれるのではないかと、緊張した様子の子もいた。


「まず、アデリーナ。前へ」


 呼ばれたのは、男爵家の令嬢、アデリーナ・ローデンだった。彼女はまっすぐ祭壇の前へ進む。緊張した様子はなく、慣れた足取りで魔力玉へ近づいた。


「両手をかざしてください」


 アデリーナが手を伸ばす。


 中央の魔力玉に淡い光がともり、それから青く輝いた。周囲の六つの魔石のうち、水の魔石がはっきりと光を放つ。


「水属性です。魔力量も、同年代の子供としては十分にあります」


 神父の言葉に、貴族側の子供たちから感心した声が上がった。アデリーナは胸を張り、静かに礼をすると列へ戻っていく。すれ違う子供たちは、彼女の水魔法を褒めていた。


 彼女の両親は、平民は税を納めるために働く者であり、貴族とは違うのだと娘に教えていた。アデリーナにとって今日の儀式は、初めて自分の力を大勢の前で示す場だった。自分が貴族の子として認められるのは当然だと、彼女は疑っていなかった。


 アデリーナが戻ると、マティアス神父は残る三人を順に指した。


「ジュリアン。エドガー。そして、トーマ。前へ」


 騎士爵家のジュリアンは、緊張した面持ちで進み出た。準男爵家のエドガーは、周囲を気にする様子もなく歩いてくる。商人街で暮らすトーマは、驚きながらも二人の後についていった。


 三人は別々の魔力玉へ手をかざした。


 ジュリアンの魔力玉が風の魔石とともに淡く光り、トーマの玉にも小さな光が灯った。最後にエドガーが手をかざすと、中央の玉がひときわ強く輝く。火の魔石が燃えるような赤色に染まった。


「火属性です。魔力量もかなり多い」


 マティアス神父が告げると、エドガーは満足そうに顎を上げた。


 エドガーの一族は代々近衛騎士を務めてきた。父も近衛騎士の部隊長で、準男爵位を授かっている。準男爵位は当代限りで、エドガーには継がれないが、父はさらに功績を重ねれば男爵位を得られるところまで来ていた。エドガーは父を誇りに思い、いつか自分も王国に仕えたいと考えていた。憧れは、王国で恐れられる炎を操る「爆炎の支配者」だった。


 測定を終えた三人は、列へ戻る。


「すごいな、エドガー!」


 トーマが、屈託のない声をかけた。


「俺も魔力があるって。これで一緒だな!」


「お前と俺では身分が違う」


 エドガーの返事は冷たかった。


 トーマは、少し困ったように首を傾げた。


「でも、お前の親は貴族でも、お前は平民だろ? 俺と一緒じゃん」


 周囲の子供たちが、ちらりと二人を見る。


 準男爵の位は父親のもので、エドガー自身のものではない。家では貴族の子のように育てられていても、彼自身はまだ何の爵位も持たない。トーマは、そのことをそのまま口にしただけだった。


 エドガーの拳が強く握られる。


「黙れ」


 それでも、彼はそれ以上言い返さなかった。


 少し離れたところにいたアデリーナは、エドガーを心配そうに見つめていた。だが、トーマに視線を移すと、彼を咎めるように睨んだ。


 エリシアには、エドガーが怒る理由もアデリーナがトーマを睨む理由もよくわからなかった。


 マティアス神父が五つの測定場所を示す。


「ここからは、皆さんに順番に測定を受けてもらいます。前から順に、空いている魔力玉へ進んでください。測定が終わった方は、係の者の案内に従ってください」


 五つの魔力玉の前に、それぞれ列ができた。協会の係員が子供たちを誘導し、一人ずつ手をかざさせていく。


 何も起きない子供がほとんどだった。玉に手をかざしても、中央の水晶は透明なまま。そうした子は係員に礼を言い、列の外へ案内された。ときおり小さな光がともると、その子の友達が声を上げる。


「次の子、こちらへ」


 係員に呼ばれ、エリシアは前へ進んだ。


 目の前には魔力玉がある。中央の球は、窓から差す光を受けて薄く輝いて見えた。周囲の六つの魔石には、まだ何の色もない。


「名前を教えてください」


 記録係に聞かれ、エリシアは答えた。


「エリシアです」


「では、両手をかざしてください」


 エリシアは言われたとおり、魔力玉へ両手を伸ばした。


 指先が球に触れた瞬間、胸の奥から何かが流れ出すような感覚がした。


 次の瞬間、魔力玉が白く輝いた。


 光は一気に強まり、エリシアの手も、目の前の台も、周囲の人々も白く染め上げる。あまりの眩しさに、エリシアは目を細めた。


「わあ……!」


「なんだ、あの光は!」


 聖堂のあちこちから驚きの声が上がる。白い光は、これまで測定を受けた誰よりも強かった。五つの測定場所にいた係員たちまで、いっせいにこちらを振り向く。


 マティアス神父が、急いでエリシアのもとへやってきた。


「手を離してください。もう大丈夫です」


 エリシアが手を引くと、白い光はゆっくり弱まっていった。中央の玉は、まだ淡く輝いている。周囲の魔石は、光に呑まれたように見えた。


「これほどの魔力量が……」


 神父は魔力玉を何度ものぞき込んだ。火、水、風、土、闇、光。そのどの魔石にも、目立った色は見えない。


「魔力玉の時は……属性無し、なのか?」


 神父はつぶやくように言った。白い光の奥で光の魔石がほんのかすかに明滅していたことには、誰も気づかなかった。


 周囲のざわめきが大きくなる。列にいた誰かが、くすくす笑いながら言った。


「あの高貴な血とやらを引く貴族より、平民のほうが光ったぞ」


 笑い声が広がった。


 エリシアは魔力玉の前から動けなかった。自分が笑われているのか、貴族の子供が笑われているのか、すぐにはわからない。ただ、その言葉のあと、アデリーナの顔がこわばったのが見えた。


 エドガーも、笑い声の方を見ていた。


 彼はトーマに「お前は平民だ」と言われたときには我慢していた。魔力玉の結果を比べられたときにも、黙っていた。けれど今度の言葉は、彼の中で何かを決定的に揺さぶったらしい。


「貴族に対する無礼な発言を許すことはできない!」


 エドガーが前へ出た。


「言った奴は前に出ろ!」


 笑い声が止まる。けれど、誰も名乗り出なかった。


「出てこないなら、この場の全員も道連れだ!」


「エドガー、やめろ!」


 マティアス神父が鋭く声を上げた。トーマもエドガーの腕をつかもうとしたが、彼は振り払う。


「俺の家を侮辱する奴を、見逃せるか!」


 エドガーは片手を掲げた。


「燃え盛る炎よ、我が手に集え!」


 詠唱が終わると、彼の掌に炎が生まれた。


 最初は小さな火だった。けれど、怒りに引きずられるように炎は急激に大きくなる。手のひらから腕へ、腕から肩へと赤い光が広がり、熱気が聖堂を満たしていった。


「制御しろ、エドガー!」


 神父の声が飛ぶ。


 エドガーの顔に動揺が浮かんだ。炎を抑えようとするが、魔力は彼の感情に引かれ、さらに膨れ上がる。


「いや……止まらない!」


「水よ、我が身を隔てる壁となれ!」


 アデリーナが即座に詠唱した。


 彼女の目の前に水が集まり、半円形の壁を作る。迫っていた炎を受け止めた瞬間、激しい音とともに大量の水蒸気が噴き上がった。


 水の壁は、アデリーナ自身の前だけを守っていた。


 彼女のドレスにも髪にも、焦げ跡ひとつない。だが、壁の外へ弾けた炎は、エドガーとその近くにいた子供たちを襲った。


 短い悲鳴がいくつも重なった。


 炎が消えたとき、エドガーは地面に膝をつき、腕や胸に深い火傷を負っていた。近くにいた五人の子供たちも、床に倒れたり、痛みにうめいたりしている。焦げた布の匂いが聖堂に広がった。


「誰か、手当てを!」


「熱い、痛い……!」


 エリシアは、考えるより先に駆け出していた。


 すぐそばでうずくまっていた男の子の腕に、ひどい火傷ができている。皮膚は赤く腫れ、ところどころただれていた。


「かの者の傷を、癒したまえ」


 エリシアは、母が昔教えてくれた短い祈りを口にした。


 言葉とともに、手のひらから温かな光が流れ出す。男の子の腕を包み込んだ光は、火傷を覆うように広がっていった。


 赤くただれた肌が、ゆっくりと元の色を取り戻す。


「痛くない……?」


 男の子が自分の腕を見つめた。さっきまであった火傷は消え、肌には傷跡も残っていない。


「よかった……」


 エリシアはほっと息をついた。だが、まだ倒れている子供たちがいる。


「こっちにも火傷がある!」


 近くの女の子が足を押さえて泣いていた。エリシアはそちらへ向かい、同じように祈りを唱える。


「かの者の傷を、癒したまえ」


 少女の足を覆っていた火傷も、少しずつ癒えていく。


「すごい……治ってる」


「跡がないぞ!」


 周りの子供たちが口々に声を上げた。


 マティアス神父は、治癒魔法を使おうとした姿勢のまま固まっていた。彼は治癒の術を知っている。火傷を癒やすこともできる。けれど、教国で学ぶ回復魔法では、焼けた皮膚に跡が残ることが多い。傷が深ければ、完全に元どおりにするのは難しい。


 それなのに、エリシアの手から流れる光は、火傷を跡形もなく消している。


 神父は、エリシアの魔法を見つめたまま動けなかった。


 その間にも、エリシアは一人ずつ治療を続けた。倒れている子供のそばへ行き、傷を確かめ、短く祈る。誰が貴族で誰が平民かなど、彼女にはわからない。近くにいて、苦しんでいる子から順に手を伸ばした。


 水の壁の向こうで、アデリーナはエリシアを見ていた。彼女自身は無傷だった。治療の順番を待つ必要はない。それでも、エリシアが倒れた子供たちを次々に癒やし、平民たちが彼女に感謝する光景は、アデリーナの心をざらつかせた。


 やがてエリシアは、最後に残ったエドガーへ近づいた。


 彼の火傷は、ほかの子供たちよりずっと深い。服は焼け、肌は赤黒くただれている。意識はあるようだが、呼吸が浅く、痛みに耐えるように歯を食いしばっていた。


 ようやく我に返った神父が、エドガーへ駆け寄った。


「動いてはいけません。すぐに治癒を――」


 神父は両手をかざし、回復魔法を唱えた。淡い光がエドガーを包む。しかし、傷はほとんど変わらない。


 神父は苦しげに顔を歪めた。


「私の回復魔法では、ここまでの火傷は治せません。セリオス様なら、命を救うことはできるかもしれませんが……傷跡までは残るでしょう。ノルディアのハイポーションがあれば……」


 その言葉を聞き、エリシアはエドガーの隣に膝をついた。


「エリシア、待ってください。彼の傷は深い。無理をしてはいけません」


 神父が止める。


 エリシアは、エドガーの苦しそうな呼吸を見つめた。自分の魔法がどれほど強いのか、まだわからない。けれど、彼をこのままにしておくことはできなかった。


「かの者の傷を、癒したまえ」


 もう一度、祈りを唱える。


 手のひらから、今までより強い光があふれた。光はエドガーの胸から腕へ、焼けた皮膚の隅々へと広がっていく。


 エドガーの身体が一度だけ大きく震えた。


 エリシアは祈りを続ける。痛みで歪んでいた彼の顔から、少しずつ力が抜けていった。焼けただれた肌が、ゆっくりと元の色を取り戻す。焦げた服の隙間から見えていた傷は塞がり、火傷の跡はどこにも残らなかった。


 やがて光が消える。


 エドガーは、しばらく呆然と自分の腕を見つめていた。何かを言おうとして、声が出ないようだった。


 マティアス神父は、まだエリシアを見つめていた。彼女の手から流れた光。子供たちの火傷が、跡もなく消えていく様子。神父は治癒魔法を使うことも忘れるほど、目の前の出来事に驚いていたのだ。


 やがて、彼はエリシアに向き直った。


「エリシア。あなたには、聖属性の才能があります」


 エリシアは目を見開いた。


「聖属性……?」


「ええ。あなたの力は、聖属性によるものです」


 その言葉を聞いて、周囲の子供たちがまたざわついた。魔力玉では属性無しかもしれないと言われたのに、今度は聖属性だという。エリシアには何が起きているのか、まだ整理できなかった。


 アデリーナは、水の壁を消して立ち尽くしていた。


 アデリーナ自身は無傷だった。けれど、自分より強く光った魔力玉のことは、周囲の誰もが見ていた。さらにエリシアは、倒れた子供たちを身分で分けることなく癒やしていき、最後にはエドガーまで救った。


 平民たちは、エリシアに礼を言っている。エドガーも意識は戻ったものの、驚きのあまり彼女に声を掛けられずにいた。


 アデリーナの頬は、屈辱に赤く染まっていた。


「皆さん、どうか静粛に」


 マティアス神父が、ようやく人々へ向き直る。


「ここは神の御前です。成人の儀は、誰かを貶めるためのものではありません。神の御心のもと、子供たちの未来を確かめる神聖な儀式です」


 静かな声が、聖堂のざわめきを少しずつ鎮めていく。


「負傷した者たちは手当てを受けました。これ以上の混乱を起こさず、儀式を続けましょう。皆さんも、係員の案内に従ってください」


 神父は、エドガーと負傷した子供たちの様子を確かめるよう、協会の係員に指示を出した。それからエリシアへ向き直る。


「あなたも、そこで休んでいなさい。無理をしてはいけません」


「でも、まだ測定が……」


「ほかの方が終わるまで、ここで休んでください」


 エリシアはうなずき、ミナとヨハンのいる方を見た。二人は心配そうにこちらを見ている。ミナは何度も「大丈夫?」と口の形で尋ねていた。エリシアは笑ってうなずき返す。


 測定は再開された。


 倒れた子供たちは協会の係員に別室へ運ばれた。エリシアが治療した者に、痛みも火傷の跡も残っていない。エドガーも、しばらく休むと立ち上がれた。


 五つの魔力玉の前では、残る子供たちの測定が続いていく。中央の球が光らない子がほとんどだった。ごくたまに淡い光が灯ると、神父が記録係に結果を伝える。


 やがて、最後の子供の測定が終わった。


 マティアス神父が祭壇の前に立ち、協会に集まった子供たちへ告げる。


「これをもって、今年の成人の儀を終えます」


 子供たちの間に、安堵の空気が広がった。


「魔力を持つと確認された者は、王立グランヴェル魔法学園へ進むことになります。学園では魔法を学び、卒業後は騎士や宮廷魔術師など、王国に仕える道が開かれます。身分に応じて授業料は異なりますが、平民の子供に授業料はかかりません。学びを終え、功績を立てた者には、騎士爵や準男爵の位が与えられることもあるでしょう」


 神父はひと呼吸置いてから続けた。


「今日確かめられた力を、どうか正しく用いてください。神の祝福が、皆さんの歩む先にありますように」


 子供たちは一斉に頭を下げた。


 儀式の終了後、協会の係員が子供たちを出口へ誘導した。エリシアはミナとヨハンに合流し、三人で協会を出る。


「大丈夫だった? すごく光ってたよ」


 ミナが、エリシアの顔をのぞき込む。


「うん。びっくりしたけど、平気」


「それより、あの火傷……本当に跡がないんだな」


 ヨハンは協会の出口から出てきた子供たちを振り返った。治療を受けた子供たちは、痛みもなく歩いている。彼らはエリシアを見つけると、何度も頭を下げた。


「ありがとう」


「助けてくれてありがとう」


 エリシアは恥ずかしくなり、首を振った。


「私は、できることをしただけだよ」


 三人が帰り道へ向かおうとしたとき、背後から声がした。


「おい! そこの女!」


 エリシアたちは振り返った。


 エドガーが、こちらへ駆けてくる。少し離れたところにはアデリーナがいた。彼女は追いかけるでもなく、立ち止まってこちらを見ている。


 エドガーは三人の前で足を止め、息を整えた。少し気まずそうに目をそらしてから、頭を下げる。


「……悪い。名前を知らなかった。さっきは本当にすまなかった」


「うん?」


「家と父を侮辱されたと思い、頭に血が上った。だが、魔法を暴発させたのは俺の未熟さだ。すまなかった」


 彼の声は、先ほどまでの張りつめたものとは違っていた。


「みんなが無事でよかったです。あなたも」


「俺を治してくれて、ありがとう」


 エドガーは、火傷のあった腕を見た。服の袖は焦げているのに、その下の肌には傷ひとつない。


「正直に言うと、俺は平民が嫌いだ。家でも、平民は税を納めて王国を支える者だと聞いてきた。……でも、あんたは違った。貴族も平民も関係なく怪我人を助けて、怪我を負わせた俺まで治してくれた」


 エリシアは、少し困ったように笑った。


「私は、目の前で苦しんでいる人を助けたかっただけです」


 エドガーは彼女を見つめ、ふっと表情を和らげた。


「まるで物語の聖女みたいだな」


 聖女だなんて、自分には大げさすぎる。エリシアは頬を赤らめ、目を伏せた。


 エドガーは、もう一度頭を下げた。


「俺はエドガーだ。あんたの名前を聞いてもいいか」


「エリシアです」


「エリシアか。今日は本当にありがとう」


 その後ろで、アデリーナがエリシアを睨んでいる。


 彼女の頬は、屈辱に赤く染まっていた。魔力玉の光でも、エリシアは自分を上回った。平民たちは彼女に礼を言い、エドガーは平民の少女に頭を下げている。


 アデリーナの視線が刺さる。エリシアは理由もわからないまま、胸の奥に冷たいものを感じた。


「それじゃ、俺たちは帰るね」


 ヨハンが言った。


 エドガーは道を空けた。エリシアはミナとヨハンと一緒に、協会から離れていく。


 協会の中では、マティアス神父が祭壇のそばに立っていた。白く輝いた魔力玉と、傷跡ひとつ残さず火傷を癒やした少女。その光景を思い返しながら、彼は記録係に告げた。


「エリシアの名前と、測定結果を正確に記録してください」


「聖属性、魔力量は最大級……でよろしいでしょうか」


「はい。ただし、今日の治癒についても、詳しく書き添えてください」


 神父は、閉じられた協会の扉を見つめた。


「エリシアの魔法は、教国の回復魔法とは違います。重度の火傷を跡ひとつ残さず癒やしました。このことは教国本部へ報告しなければなりません」


「本部から、調査の者が来るでしょうか」


「来るかもしれません。あれほどの力を持つ少女を、そのままにしておくわけにはいかないでしょう」


 マティアス神父は記録の最後に、もう一度エリシアの名を書き加えた。

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