間章 溶けない氷
ミストレア冒険者協会本部。
多くの冒険者が行き交う一階の受付で、三人の男達が一人の受付嬢へ何度も頭を下げていた。
三人ともA級冒険者だった。
だが、身につけている装備は使い込まれ、革鎧には何度も補修した跡が残っている。
「これで、何とか頼めないでしょうか」
男の一人が、貨幣の詰まった革袋を受付台へ置く。
受付嬢は中身を確かめ、苦しそうに眉を寄せた。
「申し訳ありません。これだけの金額があれば、通常の遺体回収依頼なら受けてもらえると思います。ですが、場所が《還命樹海セルヴァリア》となると……」
その名を聞き、近くにいた冒険者達が僅かに視線を向けた。
《還命樹海セルヴァリア》
回復魔法を扱える者がいなければ、入口を開くことさえ出来ないA級ダンジョン。
内部には強い毒を持つ植物や魔物が生息し、傷つけた植物が急速に再生することから、進むだけでも大量の魔力を消耗する。
さらに、内部で命を落とした者は樹海へ取り込まれる。
遺体を回収する依頼でありながら、その遺体が残っている保証すらなかった。
「報酬が足りないなら、また稼いできます」
別の男が言った。
「あと少しだけ待ってもらえませんか。必ず、もっと用意しますから」
「ですが、既に一年半以上が経過しています。今から報酬を増やされたとしても、受けてくださる方がいるかどうか……」
三人は元々、五人で活動していた。
四年半前、五人でセルヴァリアへ挑み、二人の仲間を失った。
残った三人も全員が重傷を負い、仲間の遺体を運び出すことが出来ないまま逃げ帰った。
その後、三人は何度もセルヴァリアへ戻ろうとした。
だが、三人では入口を突破することさえ難しかった。
実力のある者を雇うには金がいる。
装備を買い直すためにも、治療のために作った借金を返すためにも金が必要だった。
それから三人は、比較的危険の少ないC級ダンジョンや護衛依頼を回り続けた。
一日でも早く金を貯めるため、宿へ泊まらず、野営することもあった。
そうして四年半をかけて用意したものが、受付台に置かれた革袋だった。
「お願いします」
最初の男が再び頭を下げる。
「あいつらを、故郷へ帰してやりたいんです」
「俺達だけ帰ってきて、二人をあそこへ置き去りにしたままなんです」
「せめて、家族のところへ……」
話を聞いていた冒険者達の中には、気まずそうに目を逸らす者もいた。
助けたいという気持ちはある。
だが、そのために自分が命を落とせば意味がない。
セルヴァリアへ入り、二人の遺体を探し出し、魔物と戦いながら運び出す。
提示された報酬では、その危険に見合わなかった。
少し離れた場所で、アストリッドは三人を見ていた。
今日はミラのB級昇格試験を行うため、協会本部を訪れていた。
B級になれば、冒険者として一人前と認められる。
戦闘能力だけでは足りない。
状況判断。
仲間との連携。
依頼を最後まで遂行する力。
それら全てを確かめる必要がある。
アストリッドは隣に立つミラへ目を向けた。
ミラも三人の話を聞いている。
受付台に置かれた革袋と、頭を下げ続ける三人を見つめ、その手を強く握っていた。
アストリッドは受付へ歩み寄った。
「一つ確認したい」
受付嬢と三人の冒険者が顔を上げる。
青い髪と黄色い瞳。
腰に魔剣を下げた女性の姿を見た瞬間、三人が目を見開いた。
「アストリッドさん……」
S級パーティー《蒼天の戦乙女》のリーダー。
魔導国家の冒険者であれば、その姿を知らない者の方が少ない。
アストリッドは依頼書を手に取った。
「ミラの昇格試験は、実力を確認出来れば形式は問わないのだったな?」
「はい。試験官であるアストリッドさんが、B級に相応しいと判断出来る依頼であれば問題ありません」
「なら、この依頼を昇格試験に使う」
三人の表情が変わった。
「引き受けてくださるのですか?」
「ああ。《蒼天の戦乙女》が、この依頼を受ける」
「ですが、報酬は……」
「要らないとは言わない。お前達が用意した分だけ受け取る。それで十分だ」
「ありがとうございます!」
三人は何度も頭を下げた。
アストリッドは依頼書を受付台へ戻し、ミラを見る。
「どうする?」
ミラは一瞬だけ驚いた後、力強く頷いた。
「行きます」
「試験だからと、私達はお前を守らない。自分で判断して動け」
「分かっています」
「ただし、無理だと思った時は必ず言え。黙って倒れることだけは許さない」
「はい」
受付嬢が心配そうに二人を見比べる。
「ミラさんは、まだA級ではありません。《還命樹海セルヴァリア》へ入るには、本来なら資格が足りませんが……」
「《蒼天の戦乙女》の一員として連れていく」
アストリッドが答えた。
S級パーティーが依頼を受け、全責任を負う場合に限り、資格を満たしていない冒険者の同行が認められる。
ただし、その者が命を落としても、協会に責任を問うことは出来ない。
「承知しました。今回は六名での入場手続きを行います」
受付嬢は必要な書類を取り出した。
アストリッドが署名する横で、三人の冒険者が再び頭を下げる。
「本当に、ありがとうございます」
「礼は二人を連れ帰ってからにしろ」
アストリッドはそう答えた。
だが、依頼を受けた理由は、三人の姿を見たからだけではない。
一人の少年がセルヴァリアから持ち帰った、二枚の冒険者証。
その持ち主が、三人の探している仲間だと判明していたからだ。
少年の名はレン。
《氷壁》の二つ名を持つ冒険者だった。
数日後。
アストリッド達は《還命樹海セルヴァリア》の入口に立っていた。
巨大な樹木が絡み合い、固く閉ざされた門のようになっている。
《蒼天の戦乙女》の回復術師が根へ両手を触れ、指輪の魔法陣へ魔力を流した。
淡い緑色の光が根の表面を走る。
傷ついた樹皮が回復すると、重なっていた根が生き物のように動き、樹海へ続く道が開いた。
湿った空気が流れ出す。
甘い花の香りに混じり、僅かに腐敗臭が感じられた。
「行くぞ」
アストリッドを先頭に、六人は樹海へ入った。
内部は、一年半前に提出されたレンの報告書とは大きく変わっていた。
壁となっていた木々が移動し、新しい道が生まれている。
以前は通れた場所が太い根で塞がれ、存在しなかった沼地が広がっていた。
だが、報告書が役に立たないわけではない。
赤い斑点を持つ蔦は、人の魔力へ反応して動く。
青い花から出る鱗粉には、身体を麻痺させる毒がある。
倒木に擬態する魔物は、火を当てると体内の油に引火して爆発する。
簡潔な文章だったが、危険な植物や魔物の特徴は正確に記されている。
「右から来る!」
ミラが声を上げる。
草むらから、四本足の植物型魔物が飛び出した。
裂けた花弁の内側に、獣のような牙が並んでいる。
ミラは右手の指輪へ魔力を流した。
展開された火の魔法陣から、細く絞られた炎が放たれる。
炎は魔物の前脚だけを焼き、その動きを止めた。
すぐに《蒼天の戦乙女》の一人が槍で核を貫く。
魔物の巨体が地面へ崩れ落ちた。
「今の判断は悪くない」
アストリッドが周囲を警戒しながら言う。
「全身を燃やせば、周囲の蔦に火が移っていた」
「レンの報告書に書いてありましたから」
「読んだ知識を、その場で使えることも実力だ」
ミラは僅かに頬を緩める。
だが、休んでいる余裕はなかった。
焼けた魔物の匂いに引き寄せられ、別の魔物が集まってくる。
六人は互いの死角を補いながら進んだ。
ミラは炎の範囲を細かく調整し、仲間や樹海へ燃え移らないよう魔物だけを焼く。
前衛が毒を受ければ後方へ下がらせ、その穴を埋めた。
一人で倒せる魔物であっても深追いせず、遺体を運び出すための魔力を残す。
アストリッドは戦いながら、その全てを見ていた。
数時間進んだところで、六人は大きな木の洞へ入った。
周囲を確認し、交代で休息を取る。
ミラは水を飲み、壁へ背を預けた。
「これを……レンは一人で進んだんですよね」
「ああ」
アストリッドは短く答える。
六人で進んでも、簡単な道ではなかった。
報告書がなければ、さらに多くの時間と魔力を失っていただろう。
それをレンは、誰の助けも借りずに進んだ。
しかも、報告書には苦戦したという記述がほとんどなかった。
魔物の特徴。
毒への対処法。
危険な場所。
後から入る者に必要な情報だけが、淡々と並んでいた。
「相変わらず、無茶をする男だ」
アストリッドが呟く。
「自分では無茶だと思ってないんだと思います」
ミラが答えた。
その声には呆れと、僅かな寂しさが混じっている。
「だから余計に質が悪い」
アストリッドはそう言って立ち上がった。
「休憩は終わりだ。目的地までは、まだ距離がある」
六人は再び樹海を進んだ。
幾度も魔物と戦い、毒の沼を迂回し、塞がれた道を切り開く。
そしてセルヴァリアへ入って二日目。
報告書に記されていた場所へ到着した。
何本もの巨大な根が絡み合う、薄暗い空間。
その中央に、二つの氷塊が並んでいた。
「……あった」
ミラが小さく呟く。
透き通った氷の中で、二人の冒険者が眠っている。
装備には戦いで負った傷が残り、その表情から既に命がないことは分かる。
だが、腐敗した様子はなかった。
四年半以上前に亡くなったとは思えない。
氷にも濁りや亀裂はなく、作られた直後のような透明さを保っている。
後衛の一人が周囲を見回した。
「おかしいです」
「何がだ?」
「セルヴァリアは、死者を樹海へ取り込みます。これだけの時間が経てば、遺体だけでなく装備まで根に覆われているはずです」
だが、二つの氷塊へ根が近づいた跡はない。
地面から伸びた細い根は、氷を避けるように左右へ分かれていた。
アストリッドは片方の氷へ手を触れた。
冷気と共に、内側へ閉じ込められた魔力が伝わってくる。
「これは……」
膨大な魔力だった。
氷を作るためだけに使われたとは思えない。
今も魔力が失われず、氷の内側を静かに循環している。
「一年半も残るような魔法なんて、聞いたことがありません」
回復術師が氷を調べながら言う。
「それに、これほどの魔力を使えば、普通は動けなくなります」
「レンは、この後にセルヴァリアの最下層へ進んでいる」
アストリッドの言葉に、仲間達が黙る。
強大なボスとの戦いを控えていながら、レンは見知らぬ二人のために大量の魔力を使った。
冒険者証だけを持ち帰ることも出来た。
遺体が樹海へ取り込まれることを、見なかったことにも出来た。
それでも、レンは二人を氷で包んだ。
いつか仲間が迎えに来られるように。
「レンなら、そうするよ」
ミラが氷の中の二人を見つめながら言った。
アストリッドが振り返る。
「知らない人でも、見捨てられないから」
ミラの声には、迷いがなかった。
アストリッドは再び氷へ視線を戻す。
「そうだな」
短く答え、剣を抜いた。
「このまま運び出す。樹海の中で氷を溶かすわけにはいかない」
周囲の倒木から使える部分を切り出し、二台の運搬台を作る。
太い蔦を縄の代わりに使い、氷塊を固定した。
アストリッドが剣の魔法陣へ魔力を流す。
風が氷塊を包み、その重さを軽減させた。
それでも二人分の氷は重い。
六人は交代しながら運搬台を引き、来た道を引き返した。
帰路でも魔物は容赦なく襲ってくる。
「後ろは私が守ります!」
ミラが運搬台の後方へ回る。
左右から迫る蔦を炎で焼き、飛びかかってきた魔物の顔だけを正確に撃ち抜く。
一体の魔物が運搬台へ狙いを変えた。
ミラは追いかけようとしたが、足を止める。
その場から炎を曲げ、氷塊へ届く直前で魔物の脚を焼いた。
前衛の仲間が止めを刺す。
「どうして前へ出なかった?」
戦闘が終わった後、アストリッドが尋ねた。
「私が追えば、後ろが空きます。倒すことより、二人を外へ運ぶことの方が大事ですから」
「正解だ」
短い言葉だったが、ミラにはそれで十分だった。
入口の光が見えたのは、セルヴァリアへ入ってから四日目のことだった。
樹木で作られた門を抜ける。
外で待っていた三人の冒険者が、一斉に立ち上がった。
運び出された二つの氷塊を見た瞬間、三人の足が止まる。
「……本当に」
誰かが掠れた声を漏らした。
ゆっくりと近づき、氷の中の仲間を見る。
四年半前と変わらない姿。
置き去りにした時のまま、二人はそこにいた。
三人は氷塊の前へ膝をついた。
「すまなかった……」
一人が氷へ手を触れる。
「置いて逃げて、本当にすまなかった」
「俺達だけ帰って……ずっと迎えに来られなかった」
「遅くなって、ごめんな……」
三人は人目も憚らずに泣いた。
何度も名前を呼び、何度も謝った。
アストリッド達は何も言わず、その姿を見守っていた。
やがて三人は立ち上がり、アストリッド達へ深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
「これで、二人を故郷へ帰してやれます」
「本当に、何とお礼を言えばいいか……」
アストリッドは首を横へ振った。
「礼なら、《氷壁》のレンに言ってくれ」
三人が顔を上げる。
「あいつの魔法がなければ、二人は腐敗し、ダンジョンへ取り込まれていた」
アストリッドは二つの氷塊を見る。
「私達は、あいつが守った二人を運んできただけだ」
三人は氷の中の仲間へ視線を戻した。
「レンさんは、今どこに?」
「王国へ帰った」
「そうですか……」
「だが、また会う機会はあるだろう。その時に自分達の口で伝えればいい」
「はい。必ず」
三人は力強く頷いた。
ミストレアへ戻った翌日。
アストリッドとミラは、協会本部の個室にいた。
机の上には、今回の依頼についてまとめられた報告書が置かれている。
アストリッドは最後まで目を通し、署名を書き加えた。
「ミラ」
「はい」
「お前のB級昇格を認める」
ミラが目を見開く。
「本当ですか?」
「戦闘能力だけなら、最初から問題はなかった。魔法の制御も出来ている。仲間の動きを見て、自分の役割を変える判断も悪くない」
アストリッドは書類を受付嬢へ渡す。
「最後まで依頼の目的を見失わなかった。B級冒険者として十分な実力がある」
「ありがとうございます!」
ミラは立ち上がり、深く頭を下げた。
子供の頃から憧れていた冒険者に認められた。
その事実に、声が僅かに震えている。
「それと、以前の話を覚えているか?」
「以前の話?」
「B級になったら、《蒼天の戦乙女》を訪ねて来いと言ったはずだ」
ミラは息を呑んだ。
「今回、お前と共に戦って実力は分かった。正式に望むのであれば、《蒼天の戦乙女》へ迎え入れる」
かつてのミラなら、迷わず頷いていた。
《蒼天の戦乙女》は、幼い頃から憧れていたパーティーだ。
女性だけで構成され、いくつもの難関依頼を成功させてきた。
その一員になることは、夢のような話だった。
それでも、ミラはすぐに返事が出来なかった。
セルヴァリアで感じたこと。
一人で依頼を受け続けてきた時間。
そして、もう魔道国家にはいない少年の姿が頭に浮かぶ。
「少しだけ、考えさせてください」
ミラはそう答えた。
「自分がどこまで出来るのか、もう少し確かめたいんです」
アストリッドは黙ってミラを見る。
普通なら、前回の働きだけで迎え入れてもよかった。
それでも自分は、B級になることを条件にした。
実力を確かめるためだと思っていた。
だが、本当にそれだけだったのか。
レンの隣にいたミラを見た時、胸へ生まれた感情。
あの夜、レンの部屋の中からミラの声を聞いた時に感じたもの。
その正体を、アストリッドはまだ言葉に出来なかった。
「分かった」
アストリッドはそれ以上考えることをやめた。
「急いで決める必要はない。入りたいと思った時に来い」
「はい」
「ただし、一人で進むことだけが強さではない。仲間を作れば、報酬は人数分に減る。自分の思いどおりに動けないことも増える」
アストリッドはセルヴァリアから運び出した二人を思い出す。
「だが、一人では戻れない場所から、仲間が連れ帰ってくれることもある」
ミラは静かに頷いた。
「覚えておきます」
話を終えたミラが部屋を出ていく。
扉が閉じた後も、アストリッドはしばらく椅子に座っていた。
机の上には、レンが一年半前に提出したセルヴァリアの報告書が置かれている。
最後まで読んでも、二人の遺体を氷で守った理由は一行も書かれていなかった。
報告する必要がないと考えたのだろう。
アストリッドは小さく息を吐き、報告書を閉じた。
協会本部の保管庫には、セルヴァリアから運び出された二つの氷塊が並べられていた。
二人の故郷へ運ぶ馬車が到着するまで、一時的に保管されている。
協会に所属する複数の魔法使いが調べたが、氷が溶けない理由は分からなかった。
冷気を発生させる魔法陣はない。
新たな魔力を供給している者もいない。
それでも氷は透明なまま、二人の身体を守り続けている。
数日後。
二人を故郷へ運ぶ準備が整った。
三人の仲間が手配した馬車が協会本部へ到着し、家族へ渡すための書類も全て用意された。
アストリッドは運び出される二つの氷塊を見送っていた。
「これで、帰れるな」
誰に聞かせるでもなく呟く。
その時。
氷の表面を、小さな水滴が流れた。
一年半以上、一度も溶けなかった氷。
その一滴は役目を終えたとでもいうように、静かに床へ落ちた。
アストリッドは目を細める。
「お前は、どこまで人を守れば気が済むんだ…………レン」
問いかけに答える者はいない。
二つの氷塊を載せた馬車は、待ち続けた家族のいる故郷へ向かって、ゆっくりと走り出した。




