第370話 別れは知らない所で
400話突破しました!!
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
実は……まだ、²/₃ぐらい……半分……。
もう少し話を纏めて書こうと思います。笑
リアクション、ブックマーク、評価、本当にありがとうございます。
これからも宜しくお願いいたします。
レンが王国へ戻る。
その話を聞いてから、ミラの胸はずっと落ち着かなかった。
冒険者協会の廊下で交わした会話が、何度も頭の中で繰り返される。
『……いつ、ミストレアへ戻ってくるの?』
『分からない』
王国での用事が終われば戻ってくる。
そう答えてくれると思っていた。
だが、レンは約束しなかった。
明日の朝、南門まで見送りに行く。
その場で別れの挨拶をすればいい。
そう考えていたはずなのに、このまま何も伝えずに別れてしまえば、きっと後悔する。
王国へ戻ったレンとは、もう会えないかもしれない。
再び会えたとしても、それが何年後になるのかは分からない。
ミラは冒険者協会を出ると、王都の西側にある自宅へ向かった。
ミラはミストレアで生まれ育った。
依頼で王都を離れる時には宿を利用することもあるが、王都へ戻れば幼い頃から暮らしてきた家へ帰る。
何度も通った道。
昔から変わらないパン屋。
幼い頃に魔法の練習をした広場。
見慣れた景色の中を歩いているはずなのに、今日は全てが遠く感じられた。
自宅へ戻り、自分の部屋へ入る。
窓際の椅子へ腰を下ろすと、ミラは何をするでもなく外を眺めた。
空はまだ明るい。
通りでは子供達が遊び、買い物帰りの人々が行き交っている。
時間だけが、ゆっくりと過ぎていった。
日が傾き始める。
窓から差し込んでいた光が赤く染まり、やがて部屋の奥まで長い影が伸びた。
それでもミラは椅子から動けなかった。
王国へ行っても元気で。
また会いたい。
それから。
好きだと伝える。
答えを求めるつもりはない。
自分と一緒にいてほしいとも言わない。
ただ、レンと出会えたこと。
一緒に冒険出来たこと。
その全てが自分にとって大切だったと伝えたい。
目を閉じると、リーヴァ村で過ごした夜を思い出す。
暗い部屋。
顔を蒼白にし、誰にも見つからないよう一人で涙を流していたレン。
その冷たい手を握った。
身体を寄せ、唇を重ねた。
あの時は、レンを一人にしてはいけないと思った。
自分とリナが生きていることを、温もりで伝えたかった。
だが、今になって考えれば、弱っていたレンにつけ込んだだけなのかもしれない。
レンは自分を拒まなかった。
朝まで傍にいてくれた。
けれど、それがレンの気持ちだったのかは分からない。
優しいから、突き放せなかっただけかもしれない。
窓の外が完全に暗くなった。
通りに並ぶ魔法灯が灯り、自宅の中からも生活の音が聞こえてくる。
ミラは窓へ映る自分の顔を見つめた。
「……このままじゃ、駄目よね」
明日の南門では、ゆっくり話す時間がないかもしれない。
ほかにも見送りに来る者がいるだろう。
気持ちを伝えるなら、今夜しかなかった。
ミラは椅子から立ち上がり、上着を羽織る。
そして自宅を出ると、レンが滞在している宿へ向かった。
夜のミストレアには、昼間とは違う賑わいがある。
酒場から聞こえる笑い声。
酔客を呼び込む店員。
色とりどりの魔法灯が、石畳を淡く照らしている。
ミラは人々の間を縫うように歩いた。
歩きながらも、伝える言葉を何度も考える。
王国へ帰っても、自分のことを忘れないでほしい。
いつか、もう一度会いたい。
その時には、"相方"になってほしい。
そこまで言うのは、重いだろうか。
考えるほど、何を伝えればよいのか分からなくなっていく。
レンの宿へ着いた頃には、夜も随分と更けていた。
一階の酒場では、まだ何人もの客が酒を飲んでいる。
ミラは騒がしい店内を抜け、二階へ続く階段を上がった。
レンの部屋の場所は知っている。
これまでにも、何度か宿を訪れたことがあったからだ。
薄暗い廊下には、ほかの客の姿はない。
部屋へ近づくにつれ、ミラの足取りが遅くなる。
何から話せばいいのだろう。
別れの挨拶をして。
また会いたいと伝えて。
その後に、好きだと言う。
頭の中で何度も言葉を並べ直す。
ようやく部屋の前へ着き、ミラが扉を叩こうと手を上げた時だった。
中から女性の声が聞こえた。
「レン」
ミラの手が止まる。
聞き間違えるはずがない。
《蒼天の戦乙女》のリーダー。アストリッドの声だった。
どうして、この時間にレンの部屋へいるのか。
ミラは扉から離れようとした。
二人だけの話を盗み聞きするつもりはない。
だが、続いて聞こえてきた言葉が、その場から動くことを許さなかった。
「私は、お前に惹かれている」
ミラの胸が大きく跳ねた。
何かの聞き間違いだと思いたかった。
だが、アストリッドの声は真剣だった。
「一夜だけでも構わない」
しばらく、部屋の中から声が聞こえなくなる。
廊下に立つミラには、二人がどのような表情をしているのか分からない。
ただ、自分の心臓の音だけが大きく聞こえる。
「私と……駄目か?」
アストリッドが、レンへ想いを告げている。
ミラが幼い頃から憧れていた女性。
強く、美しく、誰に対しても堂々としている冒険者。
魔導国家には、アストリッドへ憧れる女性が大勢いる。
彼女に言い寄る男も後を絶たない。
そのアストリッドが、レンを求めている。
自分とは違う。
アストリッドはレンと共にS級ダンジョンへ入り、二人だけで攻略して帰ってきた。
剣も魔法も、レンの隣で戦えるほど強い。
二人が並んで歩く姿は、誰が見ても相応しく見えるだろう。
「すまない」
レンの声が聞こえた。
断った。
そのことに、ミラは僅かな安堵を覚えてしまった。
だが、同時に疑問が浮かぶ。
どうして。
あれほど美しいアストリッドに求められても、レンは断るのか。
「私では駄目か?」
アストリッドが尋ねる。
「俺には、やらなければならないことがある」
「それだけか?」
短い沈黙の後、レンが答えた。
「それに、俺には帰りを待っている人達がいる」
その瞬間、一階の酒場から大きな笑い声が響いた。
食器の触れ合う音が重なる。
レンの言葉の最後が、その騒音に掻き消された。
ミラに聞こえたのは。
『俺には帰りを待っている人がいる』
そこまでだった。
ミラの中で、これまで抱いていた疑問が一つにつながった。
レンは顔立ちが整っている。
剣も魔法も強く、珍しい氷属性の適性まで持っている。
魔力量も、並の冒険者とは比べものにならない。
魔導国家へ来てから、何人もの女性冒険者に声を掛けられていた。
相方になってほしい。
パーティーへ入ってほしい。
中には、明らかに冒険以外の目的で近づく者もいた。
だが、レンは全て断ってきた。
女性だけのパーティーである《蒼天の戦乙女》から誘われても、その答えは変わらなかった。
そして今、アストリッドの想いまで拒んだ。
その理由は、一人でいたいからではなかった。
王国に、帰りを待っている女性がいる。
婚約者なのかもしれない。
あるいは、レンが心から想っている相手なのかもしれない。
だから誰から誘われても、振り向かなかった。
「……そっか」
ミラの声が震えた。
自分が知らなかっただけだった。
リーヴァ村で過ごした夜も、レンにとっては特別なものではなかったのかもしれない。
人を殺した罪悪感に押し潰されそうになっていた時、自分が無理に傍へいただけだ。
レンは優しい。
弱っているところにつけ込んだと言えば、きっと否定する。
責任を取ってほしいと言えば、それすら受け入れようとするかもしれない。
だが、ミラが望んでいるのは、そのような関係ではなかった。
レンが王国で誰かを想っているのなら、その気持ちを邪魔したくない。
あの夜の出来事を理由に、レンを縛りたくない。
視界が滲んだ。
上げていた手を下ろすより先に、涙が頬を伝った。
慌てて拭おうとする。
だが、一度流れ始めた涙は止まらなかった。
次から次へと溢れ、頬を濡らしていく。
ミラは扉の前で俯いた。
声を上げれば、中にいる二人へ気づかれてしまう。
唇を強く噛み、漏れそうになる声を必死に堪える。
伝えるはずだった言葉が、胸の中へ沈んでいく。
好きだった。
一緒にいたかった。
もう一度会うと約束してほしかった。
そのどれも、口にすることは出来なかった。
「さよなら……レン」
涙を流したまま、誰にも届かない声で告げる。
ミラは顔を上げることが出来なかった。
そのまま足音を立てないように、レンの部屋の前を離れる。
階段を下り、一階の酒場を通り抜けた。
騒がしい店内では、泣いているミラへ気づく者はいなかった。
宿の外へ出る。
夜の冷たい風が、涙に濡れた頬へ触れた。
それでも、涙は止まらない。
ミラは何度も腕で顔を拭いながら、自宅へ向かって歩いた。
魔法灯の下を通る度に、泣いている顔が明るく照らされる。
すれ違った者に見られないよう俯き、足を速めた。
だが、走ることは出来なかった。
走れば、堪えている声まで漏れてしまいそうだった。
自宅までの道が、いつもより遥かに長く感じられる。
レンへ想いを伝えるために歩いた時は、あれほど短く感じた道だった。
今は一歩進む度に、胸が痛んだ。
ようやく自宅へ辿り着く。
ミラは音を立てないように扉を開き、そのまま自分の部屋へ向かった。
部屋へ入ると扉を閉め、背中を預ける。
そこで力が抜け、床へ座り込んだ。
家へ戻るまで堪えていた声が、僅かに漏れる。
ミラは両手で顔を覆った。
明日の朝、南門へ見送りに行くと約束した。
だが、レンの顔を見れば、気持ちを抑えられる自信がなかった。
好きだと伝えてしまうかもしれない。
行かないでほしいと、縋ってしまうかもしれない。
そんなことをすれば、優しいレンを困らせる。
ミラはしばらく床へ座り込んだまま泣き続けた。
窓の外から聞こえていた人々の声が少しずつ減り、やがて通りは静かになった。
結局、眠ることは出来なかった。
涙が落ち着くと、ミラは何度も目元を拭いながら、部屋の隅に置いていた鞄へ荷物を詰めていく。
替えの服。
回復薬。
保存食。
予備の魔石。
持っている魔法具も、一つずつ状態を確かめた。
全ての準備が終わっても、夜はまだ明けていなかった。
ミラは寝台へ座り、暗い窓を見つめる。
南門へ行かなければならない。
最後に笑って、レンを見送らなければならない。
そう思う度に、扉の向こうから聞こえた言葉が蘇る。
『俺には帰りを待っている人がいる』
やはり、会うことは出来なかった。
東の空が僅かに白み始めた頃、ミラは荷物を背負って自宅を出た。
まだ眠りについている王都の通りを、一人で冒険者協会へ向かう。
協会本部では、早朝の交代を迎えた職員達が忙しそうに働いていた。
ミラは壁に並ぶ依頼書へ目を通す。
その中に、日の出と共に出発する護衛依頼があった。
南部の町まで、薬と魔法具を運ぶ荷馬車を守る依頼。
目的地までは数日かかる。
既に複数の冒険者が参加を決めており、欠員となった一人を急ぎ募集していた。
ミラは依頼書を剥がし、受付へ持っていった。
「この依頼を受ける」
受付嬢が依頼書とミラを見比べる。
「出発まで、ほとんど時間がありませんよ。準備は大丈夫ですか?」
「終わってる」
「ですが、昨日戻られたばかりでは……」
「大丈夫だから」
思った以上に強い声が出た。
ミラは一度息を吐く。
「ごめんなさい。でも、今すぐ出たいの」
受付嬢は赤く腫れたミラの目を見た。
何かを察したようだったが、それ以上は尋ねなかった。
「分かりました。ミラさんの実力でしたら、護衛隊へ加わっても問題ありません」
職員が依頼の手続きを始める。
ミラはその様子を見つめながら、少し迷った。
「それと、一つ頼んでもいい?」
「はい」
「もし、レンが私のことを聞きに来たら……急な依頼を受けることになって、見送りに行けなくなったって伝えて」
「レンさんに、ですか?」
「うん」
本当は、もっと伝えたいことがあった。
助けてくれてありがとう。
一緒に冒険が出来て楽しかった。
王国へ帰っても元気でいてほしい。
また会いたい。
だが、そのどれも口にすれば未練が残りそうだった。
「元気で、って。それだけ伝えて」
「承知しました」
受付嬢から依頼書を受け取り、ミラは協会を出た。
南門の前には、既に三台の荷馬車と護衛を引き受けた冒険者達が集まっていた。
空は薄明るくなっているが、太陽はまだ地平線の向こうにある。
レンがここへ来るまで、まだ少し時間があった。
今なら待つことも出来る。
最後に一度だけ顔を見て、別れを告げることも出来る。
だが、ミラは待たなかった。
荷馬車へ近づき、護衛隊へ自分の名を告げる。
欠員が埋まったことで、一行は予定より少し早く出発することになった。
車輪が石畳の上を進み始める。
王都を囲む城壁が、少しずつ遠ざかっていく。
ミラは前だけを見て歩いた。
一度でも振り返れば、戻りたくなってしまう。
だから、最後まで振り返らなかった。




