第369話 レオン・ノルディア
ミフトレアに帰ってきた、翌朝。
レオンとアストリッドは、ミストレアの冒険者協会本部へ向かった。
二人が《天環魔導塔アストラリオン》から帰還したことは、既に協会本部へ伝えられている。
会議室へ入ると、ギースを含めた複数の職員が待っていた。
長机の上には、レオン達が持ち帰った素材と魔鉱石が並べられている。
最下層に隠されていた《叡智の首飾り》については、レオンが持ったままだった。
「まずは、二人とも座ってくれ」
ギースに促され、レオンとアストリッドは並んで椅子へ腰を下ろした。
一人の職員が記録用の紙を広げる。
「確認します。お二人は《天環魔導塔アストラリオン》の二十階層へ到達し、最下層の守護者を討伐したとの事で、間違いありませんか?」
「ああ」
レオンが答える。
職員の視線がアストリッドへ向く。
「間違いない。最下層にいたのは、《天環魔導機神アストラ・レガリア》だ」
「討伐したのは?」
「レンだ」
アストリッドは迷わず答えた。
「私は十五階層以降の戦闘を補助した。最後に魔導機神を破壊したのはレンだ」
「一人では倒せなかった」
レオンが口を挟む。
「アストリッドの火属性と風属性がなければ、十五階層を越えることも難しかった」
「それでも、最後まで戦い続けたのはお前だろう?」
「そこまで二人で進んだことは変わらない」
二人の言葉を聞き、ギースが小さく息を吐いた。
「功績の配分は協会で判断する。少なくとも、二人で攻略した記録になることは確かだ」
職員が記録へ二人の名を書き込む。
攻略不可能と考えられていたS級ダンジョン。
《天環魔導塔アストラリオン》
その初攻略者として、《氷壁》のレンと《蒼天の戦乙女》のアストリッドが記録された。
「この報告は、魔道王陛下にも提出される」
ギースが続ける。
「王家から許可を得て挑んだダンジョンだからな。最下層で採取した魔鉱石についても、王家へ提出する必要がある」
カイルから頼まれていた魔鉱石は、既に必要な分を分けてある。
残りを王家へ提出しても問題はなかった。
「それだけではない」
ギースは二人を見比べた。
「これまで誰も攻略出来なかったダンジョンを、たった二人で攻略したんだ。褒賞や勲章の話が出る可能性も高い」
やはり、原作と同じ流れになる。
原作では、カインとエリシアがアストラリオンを攻略した後、魔道王から勲章を授与されていた。
その場には魔導国家の有力貴族だけでなく、他国の使者も集まる。
王国貴族の中には、レオンの顔を知る者もいる。
授与式へ出れば、レンという偽名を使い続けることは難しい。
何より、今のレオンには王国で確かめなければならないことがある。
リーヴァ村の盗賊団が所持していた、奴隷としての価値を記した資料。
そこには、クラリスの名前が載っていた。
原作でクラリスが奴隷へ落とされるのは、まだ四年以上先のことだ。
だが、既に彼女を商品として扱う者達が動き始めている。
自分が原作にない行動を続けたことで、その未来が早まっている可能性もあった。
「正式な報告が終わり次第、俺は王国へ戻る」
レオンの言葉に、ギースが眉を寄せる。
「随分と急だな」
「王国で調べたいことがある」
「魔道王陛下から呼び出しを受ける可能性があるぞ」
「呼び出しが届く前に出る」
「お前な……」
「勲章が欲しくて攻略したわけではない」
ギースは暫くレオンの顔を見つめた。
引き止めても無駄だと判断したのか、大きく息を吐く。
「出発はいつだ?」
「明日の朝だ」
「せめて、協会から連絡を送れる場所くらい残していけ」
「王国の冒険者協会へ送ってくれれば確認する」
「分かった。今日中に必要な手続きを終わらせる」
報告を終え、レオンとアストリッドは会議室を出た。
廊下を進んでいると、正面から見覚えのある少女が歩いてくる。
「レン?」
依頼を終えて戻ってきたらしく、ミラは腰に剣を提げ、肩から小さな荷物袋を下げていた。
「戻ってたんだ」
「ああ。昨日戻った」
「アストラリオンは?」
「攻略した」
ミラが足を止めた。
レオンとアストリッドの顔を交互に見る。
「本当に?」
「ああ」
「S級ダンジョンを二人で……」
驚いていたミラだったが、すぐに何かへ気づいたようにレオンを見る。
「さっき、明日の朝って聞こえたんだけど」
「王国へ戻る」
「明日の朝に?」
「ああ」
「そんなに急に帰るの?」
「確かめたいことがある」
ミラは何かを言いかけた。
だが、周囲には多くの職員や冒険者がいる。
アストリッドもレオンの隣に立っていた。
ミラは一度口を閉じてから尋ねる。
「……いつ、ミストレアへ戻ってくるの?」
「分からない」
「分からないって、どれくらい?」
「王国で片付けなければならないことがある。それがいつ終わるのか、俺にも分からない」
ミラの表情が僅かに曇る。
「じゃあ、もう会えないかもしれないの?」
「そうとは限らない」
否定はしたものの、いつ戻るとは約束出来なかった。
クラリスに何が起きようとしているのか。
その背後に、どれほど大きな組織が存在するのか。
調べてみなければ、何も分からない。
ミラは僅かに唇を噛んだ。
「出発は、明日の朝なんだよね?」
「ああ。南門から出るつもりだ」
「分かった」
ミラは顔を上げ、いつものように笑った。
「見送りに行くから」
「無理に来なくてもいい」
「行きたいから行くの」
「そうか」
ミラはそれ以上何も言わなかった。
レオンとアストリッドは、出発の準備を進めるため協会本部を後にした。
夜も更けた頃。
宿の部屋で荷物をまとめていたレオンは、扉を叩く音に顔を上げた。
「誰だ?」
「私だ」
アストリッドの声だった。
レオンが扉を開ける。
そこに立っていたアストリッドの姿を見た瞬間、動きを止めた。
アストリッドが身につけているのは、薄い生地で作られたキャミソールと下着だけだった。
キャミソールは廊下の魔法灯を僅かに透かし、普段は防具の下へ隠されている身体の線を浮かび上がらせている。
青い髪も下ろしており、いつもの凛々しい魔法剣士とは大きく印象が違っていた。
「……服はどうした?」
「着ているだろう?」
「それを服に含めていいのか?」
「寝る時の服だ」
レオンはアストリッドの姿をもう一度見た後、僅かに眉を寄せた。
「お前には、肌を出す癖でもあるのか?」
「今夜はわざとだ」
「どうしてだ?」
「……本当に分からないのか?」
「ああ」
アストリッドは何かを諦めたように息を吐いた。
「取りあえず、中へ入れてくれ。廊下で話すことではない」
「それはそうだな」
レオンはアストリッドを室内へ入れ、扉を閉めた。
それから椅子の背へ掛けていた黒い羽織を手に取る。
魔導国家へ来た頃から、旅の間に何度も身につけていた物だ。
レオンはそれをアストリッドの肩へ掛けた。
「まだ夜は寒い」
突然のことに、アストリッドは目を瞬かせる。
「この姿を見て、最初に心配することが寒さなのか?」
「風邪を引くだろう」
「……お前らしいな」
アストリッドは肩へ掛けられた羽織の前を閉じた。
「それで、話とは何だ?」
「確認したいことがある」
先ほどまでの表情が消え、アストリッドの黄色い瞳が鋭くなる。
「なあ、レン」
僅かに間を置く。
「いや、レオン・ノルディアと呼んだ方がいいか?」
レオンの表情が止まった。
「どうして、その名前が出てくる?」
「やはり、そうか」
「質問に答えろ」
「分かった。順番に説明する」
アストリッドは部屋の壁へ立て掛けられた魔剣へ視線を向けた。
「まず、その剣だ」
「剣?」
「作ったのは、帝国一の鍛冶師と呼ばれるガレオンだろう?」
レオンは否定しなかった。
「魔法陣を刻んだのは、魔導国家一の魔法具職人アルマ。二人の技術が使われた剣など、金を積めば手に入る物ではない」
アストリッドは魔導国家の貴族令嬢として、各国の著名な鍛冶師や魔法具職人について学んでいた。
剣へ刻まれた魔法陣にも、アルマ特有の形が残っている。
「それだけではない。その剣は、帝国の剣にしては僅かに太く、王国の剣にしては短い」
王国式と帝国式。
二つの剣術を使う者のために作られたような形だった。
「最初は、お前が帝国南部の貴族ではないかと考えた。ガレオンの剣を持ち、帝国式の剣術まで使えるからな」
だが、レオンは王国出身だと話している。
「それも偽っていると思わなかったのか?」
「疑った。だが、王国出身だと考えた方が納得出来ることが多い」
アストリッドはレオンを見る。
「氷属性を持つ者は、寒冷地で生まれることが多い」
バルト山脈に近づくほど寒さは厳しくなる。
雪の降る地域ならば、王国では北部。
帝国では南部に当たる。
「王国北部の貴族で、氷魔法を使う有名な人物がいる」
アストリッドは、その名を口にした。
「《北の戦神》グラニウス・ノルディア」
レオンの目が僅かに細くなる。
「数々の魔獣を一撃で倒し、王国北部を守り続けた英雄。帝国でも、その名を知らない者は少ない」
グラニウスは既に亡くなっている。
そして、彼には一人の息子がいた。
「父親と同じ氷属性を持ち、十二歳で辺境伯家を継いだ一人息子」
「同じ属性を持つ別人かもしれない」
「それだけならな」
アストリッドは机の上へ置かれているハイポーションの瓶を見た。
先ほどレオンから渡された、新しいハイポーションだった。
「レオン・ノルディアは、ボア肉の販売を始め、セリオス枢機卿と実験を重ねて新しい回復薬を完成させた」
さらに、父グラニウスが帝国と結んだ和平条約を更新した。
若くして領地の商業と外交を立て直した人物として、他国にも名が知られている。
「その人物なら、ハイポーションを複数所持していても不思議ではない」
「ノルディアから買っただけかもしれない」
「なら、次だ」
アストリッドは人差し指を立てた。
「王国では十五歳になると魔力測定を受け、魔力を持つ者は原則として魔法学園へ通うことになっている」
レオンは現在十六歳。
本来なら、王国の魔法学園へ通っている年齢だった。
だが、レンという冒険者は長い間、魔導国家で活動している。
「学園へ通わなくても許される特例が一つだけある」
「領主であることか」
「ああ」
領地を治める立場にある者は、学園へ通う義務を免除される。
「お前は王国貴族でありながら、既に領主となっている」
「その条件に当てはまる者は、俺だけではない」
「氷属性を持ち、王族に匹敵する魔力量を持つ若い領主となれば、お前だけだ」
アストリッドは自分の胸元へ手を添えた。
「私が魔力を感じ取れなかった相手は、これまで三人しかいない」
一人目は、レイン魔導国家の第一王女。
二人目は、その弟である第二王子。
二人とも、王家の血を引く膨大な魔力の持ち主だった。
「魔導国家の王族、三人目がお前だ」
魔力量の多い者は、自分より魔力量の少ない者の魔力を感知出来る。
逆に、自分と同等以上の魔力を持つ者の魔力は捉えにくい。
アストリッドほどの魔力量を持つ者が、まったく感じ取れない。
それは、レオンが魔導国家の王族に匹敵する魔力量を持っていることを示している。
「無詠唱で村を囲むほどの氷壁を一瞬で作り、魔導機神との戦いでも膨大な魔力を使い続けた」
アストリッドはレオンを見据える。
「王国北部の若い領主。氷属性。王族に匹敵する魔力量。ガレオンとアルマが作った魔剣。そして、ノルディアでしか作られていないハイポーション」
これほど条件が重なれば、偶然では済まされない。
「お前が、レオン・ノルディアなのだろう?」
部屋へ沈黙が落ちた。
レオンは誤魔化す方法を考えた。
だが、ここまで材料を揃えられては、否定しても意味がない。
「そうだ」
レオンは静かに認めた。
「俺の本当の名前は、レオン・ノルディアだ」
「やはりな」
「誰かに話したのか?」
「まだ誰にも話していない」
「協会へ報告するつもりは?」
「する必要があるのか?」
アストリッドは逆に尋ねた。
「お前は何か罪を犯したのか?」
「いや」
「偽名で冒険者登録をすることは認められている。身分を隠して活動する貴族も珍しくない」
辺境伯であることを隠している。
それだけでは、協会へ報告する理由にはならない。
「仲間にも話さない。《蒼天の戦乙女》の者達にもな」
「助かる」
「ただし、隠している理由までは聞かせてもらえないのか?」
「今は話せない」
「なら、いつか聞かせてもらおう」
「ああ。いつかならな」
アストリッドは小さく頷いた。
これで確認したかったことは終わったはずだった。
だが、彼女は部屋から出ようとしない。
「まだ何かあるのか?」
「ああ」
アストリッドがレオンへ近づく。
「レン」
今度は、あえて冒険者としての名を呼んだ。
レオン・ノルディアという家名。
辺境伯という身分。
そのどちらも知らなかった頃から、自分が惹かれていたのは目の前の男だった。
「私は、お前に惹かれている」
レオンが僅かに目を見開いた。
「最初は、変わった男だと思っていた。私の誘いを迷わず断り、私の容姿にも大して興味を示さない」
「それは悪かった」
「責めているわけではない」
アストリッドが小さく笑う。
「むしろ、だから気になったのかもしれない」
共にダンジョンへ潜った。
背中を預けて戦った。
レオンは自分の力を必要だと認め、危険な時には迷わず庇った。
重傷を負いながらも、最後まで戦うことを諦めなかった。
王国へ戻れば、二人の間には国境がある。
レオンは王国の辺境伯。
アストリッドは魔導国家の貴族家を飛び出して冒険者になった女。
実家へ戻ったとしても、他国の辺境伯との婚姻を認められるとは思えない。
そもそも、既に婚約者がいても不思議ではなかった。
「王国へ戻れば、もう会えないかもしれない」
「そうとは限らない」
「だが、次があるとも限らない」
アストリッドは、さらに一歩近づいた。
羽織の下にある薄いキャミソールへ指を掛ける。
「一夜だけでも構わない」
僅かに迷った後、真っ直ぐレオンを見つめた。
「私と……駄目か?」
レオンはすぐには答えなかった。
アストリッドが魅力的な女性であることは分かっている。
共に戦った仲間としても信頼していた。
だからこそ、曖昧な返事をするべきではなかった。
「すまない」
アストリッドの表情が僅かに曇る。
「私では駄目か?」
「そういうことではない」
「なら、理由を聞いてもいいか?」
レオンは僅かに視線を伏せた。
クラリスが奴隷へ落ちる未来。
その未来が、自分の知らない場所で既に動き始めている。
そしてノルディアでは、多くの者達が自分の帰りを待っている。
今は、自分の感情だけを優先することは出来ない。
「俺には、やらなければならないことがある」
「それだけか?」
「それに、俺には帰りを待っている人達がいる」
アストリッドは少しだけ目を伏せた。
「……そうか」
それ以上、レオンを困らせることはしなかった。
「急に押しかけて悪かったな」
「いや」
アストリッドは肩から羽織を外そうとした。
「これは返す」
「持っていけ」
「しかし、明日も使うだろう?」
「王国へ戻れば、代わりの物はある」
レオンは羽織へ視線を向ける。
「魔導国家を旅するために使っていた物だ。俺には必要なくなるから、返さなくていい」
アストリッドは羽織を握ったまま、暫くレオンを見つめた。
自分の想いを断った直後だというのに、最後までこちらを気遣っている。
「振った女にまで優しくするなんて……お前は女たらしだな」
「俺が?」
「ほかに誰がいる」
「そのように言われたのは初めてだ」
「自覚がないなら、なお悪い」
アストリッドは苦笑しながら、羽織を肩へ掛け直した。
「だが、これはもらっておく」
「ああ」
「次に会った時、返せと言っても返さないぞ」
「返さなくていいと言っただろう」
「そうだったな」
アストリッドは一度だけレオンの顔を見つめた。
「おやすみ、レン」
「ああ。おやすみ」
アストリッドは部屋を出た。
扉が静かに閉じる。
廊下へ出たアストリッドは、レオンの羽織を胸元へ引き寄せた。
想いは受け入れてもらえなかった。
それでも、今夜ここへ来たことを後悔はしていなかった。




